深夜特急3-インド- (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 418
  • Amazon.co.jp ・本 (226ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101235073

作品紹介・あらすじ

風に吹かれ、水に流され、偶然に身をゆだねる旅。そうやってはやっとインドに辿り着いた。カルカッタでは路上で突然物乞いに足首をつかまれ、ブッダガヤでは最下層の子供たちとの共同生活を体験した。ベナレスでは街中で日々演じられる生と死のドラマを眺め続けた。そんな日々を過ごすうちに、は自分の中の何かから、一つ、また一つと自由になっていった-。

感想・レビュー・書評

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  • 旅がしたい。

  • ここにきて旅の本質が見えてきた。自分は自由に旅を続けることにあこがれを持っているけど、ここに描かれているような旅を続けて慣れすぎた先にあるものには近づきたくないような、戻ってこれるなら一度浸ってみたいような。巻末の此経さんとの対談と合わせて、旅について実に深いところまで考えをめぐらせることができました。

    前半では旅の正の側面、後半では負の側面の臭いを感じた。正の側面は、インドで手を使って大便の処理をできるようになったくだりでの「しだいに自由になっていく感覚」「ものから解放されていく感覚」というもの。自分も旅の経験を積むにしたがって、できないと思っていたこと、あるとも思ってなかったことができることがわかる気持ちよさは、やってる旅のレベルは違うけど感じたことがある。特に海外に出るとお手軽に感じられる。身の丈が伸びていくような感覚。

    一方、後半のカトマンズとデリーでは死と隣合わせの日常が語られる。カトマンズの体験は手紙文体で記されていて、降りしきる雨の描写と相まって、静かに死に取り囲まれていく感覚になった。死の臭いと、随所で語られる旅慣れしすぎた者のすえた臭いというのは同系統なんじゃないかと思う。ハシシをやりながら、明日にでも死んだっていいじゃないかという感覚。何にも責任を持たなくてよく、すべてに、自分の命にさえも無関心になっていく感覚。旅先でいくらでもズルしてやっていけてしまうことに気づいて、人を利用し始めてしまったら、今度は逆に身の丈は縮んでいく一方だ。旅の果てにロマンなんてきっとない。

    巻末の対談がまた本当に面白い。旅人とは通りすがるだけの無責任な存在で、現地で関わりを持てるのも、基本的には老人と子供。外部は外部でしかなく、わかるのは自分のわからなさだけだったと二人は語る。伸びたり縮んだりした末に本当の身の丈がわかるのが旅なんでしょうか。

    対談で沢木さんは、この旅のことを10年も経って書きたくなった、それは僕の中でこの旅が終わったということだろうと書いている。書くことによって何かが終わる。確かに体験を一度文章という箱におさめてしまうと、次に思い出すときにはその文章が体験そのものよりも強いアンカーポイントになってしまうという意味で、書くということは書き手にとってとても重要な転移点になると思う。本の感想を書くということも同じ。

    旅の一回性について。同じ旅は二度とありえないし、同じ道を辿っても失望が待っていると沢木さんは言う。自分の側に変化があれば、同じ道すじでも同じ旅ではないのでそれは独立したものとカウントすればいいと自分は思う。前段でも此経さんが、旅先で騙されまいと肩肘張るよりも、まわりまわっての精神で初めての旅を繰り返す方が良いという話に落ち着いていた。

    学ぶことが非常に多い3巻でした。4巻はシルクロード。

  • 第3巻では、インドとネパールでの体験が綴られます。

    インドのデリーにたどり着いた著者は、日本人の医大生と、ダッカへ向かうという旅慣れた日本人青年に出会います。そこで著者は、ダッカ行きの青年に連れられて、身体を売る幼い少女や、物乞いをする老人、さらにカースト制度のもとで生きる人びとの姿など、強烈なインドの現実を目にすることになります。ブッダガヤーでは、日本語教師をしている此経啓助に出会い、「アシュラム」と呼ばれる孤児院を訪問します。

    巻末には、旅から10年後におこなわれた著者と此経との対談が収められています。

  • こんなゾクゾクしたの久しぶり。今すぐにもインドに行ってみたくなった。

  • 牛が恍惚とした表情で死体の臭いを嗅ぐ

    相好を崩して、ニーランニャム 男女交歓図 民法大意 出入りする活力

  • 名作

  • インド興味深かった。ネパールまったりしてて過ごしやすそう。雨が多いのは×

  • 【No.81】「疲労困憊してくると、人の親切がうまく受けられなくなるんですね。わずらわしくて。肉体的な疲労がたまってくると、人を拒絶するようになって、その果てに、人に対しても自分に対しても無関心になって、どうでもいいじゃないか、たとえ死んでもかまわないじゃないか、と思うようになってしまう。自分に無関心というと、超越的な何かをイメージするかもしれないけど、そうじゃなくて単純な肉体的疲労なんですね」「怠惰とか倦怠の80~90%は、肉体的に健康で疲労が取り除ければ消えちゃうんじゃないか」「旅に出る前は、人から話を聞くことはできても、人に話をすることなんてできないと思っていた。自分ががらんどうで、カラッポな人間で、何もないという気がしていましたからね。でも、帰ってきたら一つくらいは話せることができたな、それでこの旅はオーケーだと思いましたね」

  • 先ず冒頭に訂正です。

    第二巻の読書感想文に書いた大沢たかお氏主演の「劇的紀行 深夜特急」、この本を映像化したものですが、これが割と面白い旨を書きました。

    が、しかし。改めてユーチューブで観ましたが、残念ながらあまり面白くない。
    香港マカオ編の映像版なのですが、テンポが早すぎるんです。

    第一巻のクライマックスであるマカオカジノでのサイコロ博打が香港安宿でのサイコロ博打に設定変更されている。 そのシーンで萎えてしまいストップボタンを押してしまった。

    この沢木耕太郎著「深夜特急1 香港マカオ」を大沢たかお「劇的紀行。。。」に映像化するのは、まるで沢木氏の秀逸なノンフクション小説を『るるぶ編「香港マカオ」』に書き下す様なものだ。とは言い過ぎかもしれないが、そんな感覚です。

    映像化に際し、様々な制約があったのかもしれませんが、小説と併行して観賞するとさらにそのテンポの速さがまるでツアー旅行の様に感じてしまう。

    で、他人の感想はどうだろうか?と思いアマゾンレビューを見てみたが、高評価。

    ざっと見ただけですが私の様な感想を持った人は居ず、みなさん原作とは切り離し高評価を与えている。 沢木風に言うと原作に呪縛された私は不自由な思考に陥っているのだろうか?と自問自答してしまう。一方で映像版を観る事で小説読書が今までとは異質なものになってしまわないだろうと心配にもなる。

    好き嫌いなんて個人的なもんなんだから、気に入らなければ気に入らないでいいんですが、香港マカオ編の冒頭のみで映像版は面白くないというレッテルを張るのもよくない。

    本文→巻末対談→映像版の順番で深夜特急を堪能するもよし。

    すこし大人の我慢をして併行するもよし。


    「自由だ」

    自分の好きにすればいい。


    (笑)



    第三巻は、第一巻の冒頭へ戻ってきました。

    インドは仕事でも担当した事が無く、もちろん出張したことは無い。プライベートな旅行も無い。本書に登場する地名も知っているのはデリーとカルカッタくらい。馴染みの無い国である。

    なので、読んでいても今までと違い現実味が薄れる。

    が、内容は「濃い」。 「インドは描きたかったのだなぁ~」と沢木氏の思い入れが感じられる。

    馴染みの無い国の話でも、死体焼場のある河原は貧しい幼少の頃過ごした町の川の河原を、物乞いの子供はバンコクにいた親子の物乞いを、農村の原風景はテレビや映画で見たインドの風景が、その行間から溢れてくる。

    言い古された言葉ですが「絵にもかけない面白さ」が想像力を駆り立たせるのである。

    香港での旅への不慣れ感もインドではすっかりヒッピー然としてきている。

    旅慣れてきて、第一巻の様な興奮さは無くトーンダウンしており、読者としては退屈さも出てきます。 旅人としてはそんなに行く先々で興奮していたら体力的にも精神的にももたないでしょうね。 それに似た主旨の文章も出てきたと思います。

    第三巻を読み終え、今は第四巻を読んでいるのですが、この深夜特急が現在も人気があり読み継がれている要因の一つであろう「読んでいると何もかも投げ捨て、旅に出たくなる衝動」が、私にも襲いかかってきた。

    私の様な40代後半のサラリーマンが深夜特急を読むのは、世知辛い世の中に「想像の世界で沢木氏の旅を追体験」と言うオアシスを求めているのではないだろうか。

    少なくとも私はそうだ。 新しい町に入るたびにどんな出来事が待ち構えているだろうかとドキドキワクワクする。なかなか現実社会では味わえない。しかも想像の世界なので普段の生活では直面せざるを得ないリスクも当然無い。

    悶々としている大学生とは、まったく状況が違うのである。

    第一巻を読んでる時には
    「大学生の頃、読んでいたら。。。」(実際、大学生の頃の私の思考回路は今よりもかなり不自由なものだったので本書を読んだからといって旅に出るようなタイプではなかったが)、

    「仕事、家族。。。負うべきものが多い。。。」などと貧乏バックパック旅を若者の特権としていたが、第三巻を読み終え、すなわちインドの旅が終わった頃には、「そうでもないのでは。」と思いはじめた。

    なにも若者だけでは無い。本作にでてくるバックパッカーは若者がほとんどですが、そうでもないのでは、と思い始めた。
    それは読書による追体験の空想旅行で私にも若き沢木氏の様に多少の自由を得たと言う事なのだろうか?

    ともかく、今は仕事も家庭もあるので、それらを投げ出す程の勇気、いや無責任さは持ち合わせていないけど、退職後はどうだろうか?

    「60歳過ぎてから?時間と金はあるけど、体力と気力が無いでしょ!」

    そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれない。

    60歳がネックなら55歳で早期退職してもいい。

    幸い、いや残念ながら、私の勤める会社は早期退職ウェルカムです、誰も引き止めないでしょうね。

    55歳ならあと10年を切っています。

    「おぉ、もう目の前やん!」

    いや、だめだ。10年後でもまだ娘は二十歳だし、息子は高校生。

    子供を放って流浪の旅には出られぬ。

    息子が就職してからだと、体力的にどうだろうか?

    うん、自分なら大丈夫!多分。。。

    などと空想が妄想へ。


    でも「60歳からのバックパッカー」なんてありそうなタイトルのハウツウ本やらブログは絶対に読みません!(笑)

  • 沢木さんの深夜特急の旅 3
    インド・ネパール

    さあいよいよインド!
    沢木さんが当初目指していた旅は
    インドのデリーからイギリス・ロンドンまで
    乗り合いバスで行く...というものでした。
    それがちょっとしたことで、香港マカオ・
    マレーシアが加えられて想定外(?)にも
    半年が経過。ようやくたどり着いた振り出し地点です。

    インドでは何かいいことありそう...!

    直感ですがとてもわくわくします。

    インドへの旅行記を読むのは
    これまでに沢木さんで三人目...
    もっぱら手記を読ませて頂くだけで楽しんでいるインドの旅ですが
    そのエア旅(?笑)も三回目ともなれば
    沢木さんはきっと気に入るはず!と勝手に思っていました。

    香港では
    脂ぎった熱気がムンムンする感じでしたけど
    インドは埃っぽい空気が熱く舞っていて
    むせるような感じ。想像する景色のなかにある
    臭(にお)いと熱気、そして湿気と渇きに
    ざわざわと刺激させられっぱなしでした。

    ブッタガヤで
    最下層の子供たちと共同生活を体験して
    生きるということの尊さを知り、
    ベナレスでは
    流される死体と焼かれる死体を日なが眺めて
    過ごし人の死の虚しさを見る...。

    人の生と死の究極の生々しさのその両方を
    インドのなかで見た若者(26才)に、この先
    何が待っているのでしょう...
    目が離せません。次もついて行かなきゃ。。

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著者プロフィール

沢木 耕太郎(さわき こうたろう)
1947年東京生まれのノンフィクション作家、小説家。横浜国立大学経済学部卒業。大学卒業後、ルポライターとして活動、注目を集める。
浅沼稲次郎暗殺事件で刺殺された浅沼と、その犯人である少年を描いた『テロルの決算』で第10回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。以後、バックパッカーのバイブル『深夜特急』をはじめ、スポーツや旅などを題材にした多数のノンフィクション作品、小説などを発表。2000年に初めての書き下ろし長編小説『血の味』を刊行し話題となる。
2003年これまでの作家活動で第51回菊池寛賞、2006年 『凍』で第28回講談社ノンフィクション賞、2013年 『キャパの十字架』で第17回司馬遼太郎賞をそれぞれ受賞。

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