東の海神(わだつみ) 西の滄海 十二国記 3 (新潮文庫)

著者 :
制作 : 山田 章博 
  • 新潮社
4.39
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本棚登録 : 3463
レビュー : 274
  • Amazon.co.jp ・本 (348ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101240558

作品紹介・あらすじ

延王尚隆と延麒六太が誓約を交わし、雁国に新王が即位して二十年。先王の圧政で荒廃した国は平穏を取り戻しつつある。そんな折、尚隆の政策に異を唱える者が、六太を拉致し謀反を起こす。望みは国家の平和か玉座の簒奪か-二人の男の理想は、はたしてどちらが民を安寧に導くのか。そして、血の穢れを忌み嫌う麒麟を巻き込んた争乱の行方は。

感想・レビュー・書評

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  • このファンタジー世界の秘密に関して、冒頭にとんでもないことが書いてあった。冒頭なので、ネタバレとして扱わない。以下に記す。

     世界の果てに虚海と呼ばれる海がある。この海の東と西に、二つの国があった。常には交わることなく隔絶された二国には、共に一つの伝説がある。
    ー海上遥か彼方には、幻の国がある、と。
     そこは選ばれた者だけが訪ねることのできる至福の国、豊穣の約束された土地、富は泉のように湧き、老いもなく死もなく、どんな苦しみも存在しない。一方の国ではこれを蓬莱と呼び、もう一方の国ではこれを常世(とこよ)と呼んだ。(12p)

    もちろん、蓬莱とは日本のことである。では、常世は何を示すのか。十二国の世界そのものを示すのである。十二国とはあの世、或いは天国のことだったのか?でも、さぁこれで「十二国記」の秘密はバレた!と思ってはいけない。日本をそんな国だと言っている端から真実ではないことは明らかだからである。「常世」の起源はいつ頃だろうか。民俗学的には日本全国にその伝説はあり、特にニライカナイ伝説が有名だ。考古学的には宗教遺跡は遺らないのでわかりにくいが、仏教以前と考える方が自然かな。だとすると、古墳・弥生時代となる。蓬莱はどうか。紀元前91年ごろに完成した司馬遷『史記』の中に、秦の時代(BC3世記)の『徐福伝説』の中で出てくる。神仙思想のひとつ。かなり古い。でも、弥生時代と重なる。他にも検討すべき言葉はあるが、長くなるのでここまで。

    閑話休題。この巻で、時代は一挙に500年前に飛ぶ。雁(えん)国王、延王尚隆と延麒六太の始まりのお話である。

    ここでは、理想の政治体型についての議論が戦わされる。とは言っても、十二国は、天帝の意思を代弁して麒麟が王を選ぶ。王は理想の政治を行うことになっている。王は不老不死だし、そのまま理想が続くと思いきや、昏君になることがあり得る。そうなると、麒麟は病み、失道に陥る。そのまま麒麟が斃れれば、王もまた斃れる仕組みである。今回の敵役、元州の斡由は「それならば、民の信任厚い私に元州だけでも全権をお任せください」と武力と脅迫を持って迫るというわけだ。手段はよくないが、理屈は一見通っているかのように見える。

    王が不老不死のまま、必ず理想の国つくりを行えば、こういうことにはならない。でも、どうやら千年続いた国はないようなので、最初よくても、最初から悪くても、王は必ず失道するのだろう。「名君による独裁国家か、民主主義による腐敗か」という議論は、『銀河英雄伝説』からこの方ずっと読者を悩ましてはいるが、この世界は、一応「名君による独裁国家」を制度化した世界のようだ。天帝(の使い麒麟)が選ぶのは、必ず「人間」だ。人間はいつかはダメになる。それを見越しての制度化である。これがホントの理想国家なのか?天国なのか?昏君になったときの民の不幸は目を覆いたくなるようなものだ。数十年であれ、民にそんな想いをさせて良いものか。超人ではない延王尚隆は、20年や30年では民を幸せにはできない。元州の斡由が出てくる所以である。延王尚隆は果たしてどうするのか? (実質この世界の天帝たる)小野不由美の手腕が問われる。

    それにしても、「ある人物」は、「己の失敗を認めることができない」「自分が完璧だと信じたい。傷を隠すためならばなんでもする」という風に描かれた。最近、現実のある一国の責任者の中にそういう人物がいたことを思い出した。

    最後に、ここまでで分かったことを年表に落とす。斡由の乱の帰趨は次巻の時に付け加えます。

    年代推測は綿密な考証をしている長文コラム 「COLLUM」(https://proto.harisen.jp/koramu/komatsu-metsubou.htm)をそのまま参考にさせてもらいました。泰麒の項の記載も若干修正しました。

    1467年   六太1歳応仁の乱で罹災する。
    1470年 六太4歳麒麟となる。
    1477年   延麒六太京都を彷徨う
    1479年   瀬戸内海賊村上氏により海辺領主小松氏滅亡
    (大化元年) 六太、小松尚隆を延王とする
    1500年(大化21年)斡由の乱


    X元年  泰麒 胎果として日本に流される
    X8年  景麒 景国に降りる
    X9年末 景麒 商家の娘である景王を見つける
    X10年  泰麒 2月蓬山に戻る
    泰麒 泰王見つける
    X11年 泰麒 4月日本に戻る
    X14年  5月景国王亡くなる。
    X15年(1992年?)1月陽子日本より来たる
          8月陽子景国王となる
    X17年   泰麒 9月戴国に戻る

  • 来月シリーズ新刊が出るのですね!待ちに待ったファンの方がたくさんおられるでしょう。十二国記を読み始めたのが昨年という、とっても今さら感溢れるわたしも楽しみです!

    『月の影 影の海』『風の海 迷宮の岸』と読んだ1年前。「感動した」なんて単純な言葉で終われない壮大な十二国記の世界観に胸いっぱいになりすぎ何故だか続きを読めなくなったわたし。でも今回新刊が発売されると知ったとたん、この世界が恋しくて恋しくて仕方がなくなってきたので、続きを読むことを再開しました。
    もうね、すぐ戻れましたよ。十二国記の世界へ。
    本はいいですね。いつまでも待っていてくれるし受け入れてくれます。

    誰にも受け入れてもらえず孤独だった更夜に居場所を与えてくれたのが斡由。他の誰にどう思われようが、自分が血で穢れることになろうが、彼のためならそんなことどうだっていい。彼が目指す理想が叶えられるなら、たとえ国が滅んでもかまわない。更夜にとってそれが斡由の気持ちを繋ぎ止められる唯一の方法だとしたら、そう思うのは当然のことでしょう。更夜はそうやって自分の手を汚すことになります。やがて斡由の本意に気づいてからも、更夜は忠義の名の元に斡由に逆らう者たちを始末していきました。
    自分の信じる大義をひっくり返すことは並大抵のことではありません。主君を裏切るだけでなく、今までの自分をも完全に否定することになりますよね。自分は斡由を助けていただけ。でもそれはただの殺人者だったのだから。
    頑な更夜の心を開いたのは命令でも同情でも信頼を装った支配でもありませんでした。六太の親愛と尚隆の王としての覚悟。
    「王は何のためにあればいいのだ」
    その答えに更夜は自分の未来を託す覚悟を決めたのでしょう。
    国とは、王とは。「豊かな国を民に渡す」その道のりは、まだ果てしなく遠いです。でも、尚隆と六太は必ずやり遂げるはず。
    囚われの身の六太を尚隆らしいやり方で助けにきた終盤。やっぱり男同士ってわざわざ相手のことをどう思ってるかなんて普段言わないじゃないですか。いつもふざけてばかりのふたりが、お互いのこと、国をどうしたいのか、王とはどういうものか、口に出した本心に胸が張り裂けそうなくらい熱くなりました。

  • 熱かった。

    舞台は雁国。延王 尚隆と延麒 六太にまた会えた。

    一巻からたびたび登場していたこの二人にはこんな過去が、雁国の歴史があったのね。

    争いというものを経験したからこその、六太の、尚隆の国への思いが熱く胸を打つ。

    特に尚隆の軽薄から一転、重厚な熱き言葉に何度もやられた。

    六太の「ほんとに莫迦なんだもん」、何回この言葉を聞いただろう。
    そしてこの言葉がどんどん心地よい響きになっていくのはなぜだろう。
    うん、それは絶対的な関係のこの二人だから。
    そして尚隆はやっぱり延王だからだ。

  • 十二国記の中で非常に重要な役割を持つ麒麟、その誘拐から始まる国王への謀反とそれに対し王である尚隆はどのように対応するのか、を描いた十二国記シリーズ三作目。

    冒頭の妖魔を操ることのできる少年と麒麟の六太の出会いは、ファンタジーの世界観らしい雰囲気でわくわくしました。
    ただやはりこのシリーズはファンタジーらしくないな、と思いました(笑)
    というのも六太誘拐以後、話は国とは、王の存在意義とは、という話に移っていくからです。尚隆は臣下たちからも呆れられる自由奔放さ、それに対し謀反を起こした斡由は臣下たちからも評判が良い様子で、そしてこの事件を通し二人の姿の対比がくっきり浮かび上がってくるのです。これがとても読ませます!

    個人的に印象深いのは彼らに使える臣たちや国の民の姿。尚隆の治める雁国は先王の圧政のせいで生活は苦しく、国王軍と反乱軍の戦いについていろいろ思うわけです。そこで民たちが国王軍に加勢するかどうか、という決断を下さなければいけないときどうするか、この本の中ではあっという間に終わってしまう一場面なのですが、改めて戦いのむなしさを感じました。

    読んでいて非常に気持ちのいいラスト!作戦がぴたりとハマるのも爽快ですし、なによりこの国はきっと素晴らしい国になるんだろうな、と思わせてくれました。

  • 十二国記完全版・エピソード3、「延王尚隆」の始まりの物語。
    景王陽子の時代から遡ること約500年、戦国時代初期に滅びた小松氏の御曹司が主人公。

    元は20年近く前に描かれた、ヤングアダルト向けの物語ですが、
    今読んでも変わらずに面白く、一気に読んでしまいました。

    延王も延麒も胎果の生まれで、何かを失くした「彷徨い人」、
    『風の海 迷宮の岸』での泰麒との縁もこの辺に起因してそうです。

     「俺はお前に豊かな国を渡すためだけにいるのだ」

    その尚隆、昼行灯のようでいて、締めるところはしっかりしていて。
    「国」を担うということの責任と想いがズッシリと伝わってきます。

    その重みがあるからこその、終盤へのカタルシスはやはり、うまいなぁ、、と。

    そうそう、麒麟と「血の穢れ」の相関性を描きたかったのとは思いますが、
    結構容赦なく人が逝くのは、この頃の小野さんらしいといえばらしいような。

    ん、治世の永久はあるのかないのか、、この先描かれることはあるのでしょうか。
    500年後にも安定していることを知っているだけに、、さて。

  • 再読。悪役が最初からの悪役ではなく、自分の道を進んだ結果であり、無邪気な少年は無邪気なままではなく、王が全てを解決するわけではなく、麒麟は王を選んでいても迷いがある、王は民を一切傷付けることなく国を守ることができない。ままならなさを書くの、本当にすごいなと思います。登場人物、ほんとにちらっと出てきた人であっても、主人公にしてお話が絶対成立するだろうしそれはものすごくどれも引き込まれてしまうんだろうなと思う。でも創作だからではなく、人間が必死に生きるってそういうことなんだと思う。このお話は現実とは違って面白い!だけでなく、現実の、本当の、「生きる」ってそういうことで、創作を読ませておいてそこまで分からせてしまうこの作品は本当にすごい。他の作品で安定しているように見えたり、頼れるように見えたりする登場人物がメインの作品で葛藤や危機に揉まれるのを見ると、キャラクターの人生の層がじわじわじわと積み重ねられていくのを感じる。

    (201504)すっかりはまりました。葛藤とか矛盾とかすごく書くの上手いなってほんと思う…権力を受け入れて、葛藤しながらも理解されないことも多い王族の設定が好みすぎる。シリーズぜんぶたのしみです!

  • 延国五百年の礎となる、延王尚隆と延麒六太の邂逅と始まりの物語。
    頭領の子として育ったからこそ為政者としての役割は民のためだけにある、という尚隆と、王がいるからこそ国は亡びるという思いが拭えない六太。
    同じ胎果として育ちながら、その境遇がまったく違うために複雑な感情を抱きながらも尚隆に惹かれずにはいられないのは麒麟としての性なのか。
    いやでもやっぱり尚隆の人間力の魅力だろう。
    飄々としながらも芯が通っている尚隆はやはり格好良いのだ。

  • 尚隆に惚れそう。上に立つ人間はこうじゃなきゃ!っていう理想とはかけ離れてるかもしれない、いや、逆にこれが理想のトップなんじゃないのか?と思わせる人柄。
    十二国記シリーズまだ3作目(魔性の子入れて4作目)だけど、全て違う立場から物語が始まっているのが本当に凄いと思う。だからこそ私達読者もあちらの世界の見聞が広がっている感じがする。
    ファンタジー作品ではあるけど現実の鏡写しの十二国の世界、戦争も人殺しも政治の理想も腐敗も、全てこの世界と同じ事なんだよなあと思う。
    麒麟の、六太の慈悲深さや思慮が愛おしいし、それによって不幸を被るのが可哀想で仕方がない。でもあなたの選んだ王は王たる資質を確かに持っているよ、大丈夫だよ、いつか終わる日が来たとしても、延国は尚隆と六太の国で幸せだと思うよ。

  • 好きだわ、この手の話。興国記というでも言うのか、国を作り治める話。そういえば、「アルスラーン戦記」(そういや今どうなっている?)とか「マヴァール年代記」、「黄金の王白銀の王」や「瞳の中の大河」とかと系列的には一緒か。読みながら帝王学が学べます、的な。いずれも個人的に好きなお話。

    国を興す困難さ、組織の在り方、トレードオフの選択、何を助けて何を捨てる、全部は手に入らない時の最善策とは、なんてのは中間管理職的なところにいるオッサンには身につまされるような。心の奥底で王に憧れているのかなあ。

    とにかく延王がかっこよすぎる。延麒もね、泰麒とはまた別の、麒麟の苦悩というものが描かれていたなあと。

    衝撃的だったのは驪媚の行動。延麒をしばる自分の身を自ら絶ってしまう。その行動の前の語りがとても重く深く、後になってその思いの深さをより一層感じてしまう。そして白沢の『玉座の重み』の語り。

    斡由の言動、なんだか自分を見るようなところがあって、ちょっと嫌な気分に。自ら注意しよう。

    そして、妖魔の生きていける国へ。妖獣が街を歩ける国へ。これが、「月の影影の海」の楽俊と歩く港町に続き、延王との謁見につながる。いやーたまらん伏線ですねぇ。
    延王尚隆の国作り、民の期待に応えんとする姿勢。莫迦殿のように振る舞いながらも、実はよく見ている考えているあたりは読んでいて心に響く。
    「民のいない王に何の意味がある。国を頼むと民から託されているからこそ、俺は王でいられるのだぞ!その民が国など滅んでいいと言う。では俺は何のためにここにおるのだ!」と更夜と延麒六太へ語るシーン。王のあるべき姿、上に立つものの責任の重さとそれを全うすることの大事さに心揺さぶられる。
    前巻の解説にもあったけど、十二国記のルールがすごく生かされている。どんなに延王が素晴らしくても、人間の一生ではできることが知れている。ここを「王は不老不死」なんて一見ムチャクチャなルールが、時間をかけてじっくりと妖魔が住める国にしていった、という納得できる答えに導いているな、と感心。

    ふと感じたのが、ココは永野護氏のFSSと同じ世界観というか構成だなと。世界と時間が広大で、でも確固としたルールがあって。その場所ごとに時代ごとに、人の分だけ物語が出てくる。この世界ではいくらでも物語が紡がれるのだな、と。
    で、読む方はどっぷりハマるわけですわ。

    さて、今回はいまいちタイトルと中身がうまくリンクできなかったのだが。

  • 六太と尚隆の関係がいい。
    普段は悪態をつくけれど、底の方では堅い絆でつながっていて、いざという時は、ブレない、揺らがない。
    かっこいい。

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著者プロフィール

小野 不由美(おの ふゆみ)
1960年生まれ、大分県中津市出身の小説家。大谷大学在学中に京都大学推理小説研究会に所属。夫は推理作家の綾辻行人。
1988年、『バースデイ・イブは眠れない』でデビュー。2013年5月、『残穢』で第26回山本周五郎賞を受賞。代表作にテレビアニメ化された『悪霊シリーズ』、『十二国記シリーズ』、『屍鬼』など。

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