丕緒の鳥 (ひしょのとり) 十二国記 5 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (358ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101240589

感想・レビュー・書評

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  • シリーズのファンなので。面白かった。

    「青条の蘭」が一番好きかな。黄朱(国に属さない山人)の技術と気概が好き。青条の蘭がついに王に届く所を書いて欲しかったけど、陽子が出過ぎてしまうか。「丕緒の鳥」は式典の設定がとても美しい。民の苦しみを伝えたくて、式典を華美にしたくない。でも陰惨にしても伝わらない。最後、たどり着いた表現のモチーフが、素晴らしい。

    「落照の獄」は死刑制度を巡る是非について会社の仲間と話して盛り上がった。読み終わるまで自分の中でも答えは出ていなかった。刑法の目的を十二国記の中でどう設定しているかによって答えが異なると思う。教育を目的とするなら死刑は行えないし、報復を目的とするなら、死刑を是とするだろう。終盤になってきちんと法の役割がどう設定されているかに触れてきて、素晴らしいと思った。

    曰く―殺人罪には死刑、が理屈でなく反射なのと同様殺人としての死刑に怯むのも理屈ではない反射である。この根源的な反射は互いに表裏を成しており、これこそが法の根幹にある。殺してはならぬ、民を虐げてはならぬと天綱において定められている一方で、刑法に死刑が存在するのは、多分それだからなのだろう。刑法はもとより揺れるものだ。天の布いた摂理そのものがそのようにできている。両者の間で揺れながら、個々の訴えにおいて適正な場所を探るしかないように。

    さて会社で死刑制度反対は私一人で、他(5名くらいかな?)は死刑容認であった。うちの奥さんも。どこで一線を引くかは異なるけれど、どこかで一線を越えれば殺すしかないだろう、との意見。税金で終身刑囚を世話すべきなのか。

    いや、分かるんですけど、そもそも法律は何をすべきか、社会生活で他に危害を与えることを禁止するものであろうと思うのです。
    その敵対が大規模で、国家間の戦争となったり、終身刑囚があまりに多くて養えなければ、殺しても仕方ないと思います。きっと周囲の人を守りたいと思うでしょう。
    でもとりあえず、社会における法律は他に危害を与えることを禁じ、守れないものは他に危害を与えられないようにするまでにとどめるべきだと思います。さもないと、どこに線を引くかによるかは異なりますが、道徳上のある一線を越えれば死刑を執行しても良いという選択を行うことになります。
    その一線は今は「複数人を悪意をもって殺害し、更生の余地が無い」という所に引かれていますが、お国を守るために勇敢に戦わないとか、キリストを排斥したユダヤ人である、とかにいくらでも引き直せるのではないでしょうか。だから、刑法は道徳上の価値判断をすべきではないと思います。

    村上春樹訳の「心臓を貫かれて」で、ゲイリー・ギルモアが自己のパーソナリティを作ったものは何だと思うか、と訊かれた時義父からの虐待でも家庭環境でもなく、”小さい時に学校帰りに遠回りをして山側の道から帰ろうとした。そこで籔にはまってしまい、一晩近く抜け出せなかった。その時に、ああ、世界に自分は一人ぼっちなんだ、と思った。それが自分を形作っている”と語った。
    (森晶麿に勧められて読んだ。この衝撃は自分のパラダイムを変えた。)

    ジョーゼフ・キャンベルの好きな言葉に「そして、孤独だと思いこんでいたのに、実は全世界がともにあると、知るだろう。」というものがある。この認識とゲイリー・ギルモアの認識と。果たしてその結果を死刑という形で当人に問えるものなのだろうか。

    話しが、逸れましたね。思索が発展するのは良い小説です。

  • 十二国記の世界観に親しんだ読者にはグッとくる短編集。
    それぞれ立場は違うけど、自分の仕事に真摯に向き合う姿、生きる為に、守るために、必死に生きる姿に、感動。

  • 読む前からこんなにも楽しみで、夢中になれて、余韻が残る。
    そんな作品はそうそう多くないからこそ、本当に、出版されて嬉しかったです。
    12年ぶりの12国記シリーズ。4つの短編集です。
    世界観が細部にまで精密に作られているから、安心してその世界に入り込めます。入り浸れます。

    「不緒の鳥」
    あまりにも幻想的で、美しい。
    舞台は懐かしの慶国。久々の陽子登場に、胸がきゅっとしました。
    知ってはいたけれど、そういえば陽子は無能な女王が3代続いた後の女王なんですよね。失望する人たちを魅了する程の魅力に、私たちも取り付かれているんでしょうね。
    今回は陽子の物語ではないけれど、再び彼女の物語を読み返したくなりました。

    「落照の獄」
    ここまで現実離れしている異世界ファンタジーなのに、私たちを真剣に考えさせる。このメッセージ性があるからこそ、ファンタジー小説としての魅力だけに留まらず惹かれてしまう。
    裁判員制度もはじまった今、重く重要なテーマですね。心にずしんと重い。

    「青条の欄」
    自然の尊さと大きさ、人の想いのリレーが素晴らしい。
    天の采配、は私たちの世界にもあるような気が実はしています。
    傲慢にならずに謙虚にひたむきに、人間として生きたいものですね。

    「風信」
    戦うだけが道ではなく、日々自分にできることをしっかりやる。
    そんな生き方を私もしたいと常々思っています。
    命の暦をつくる仕事、地味ながらとても大切な仕事ですね。

  • ついについについにー!
    新作が出ましたよー!!

    yomyomはスルーしておりましたので、ようやく読めて嬉しいです。
    この短編二作があったからこそ、いつか新刊出るはず!という希望を持てていたのです。
    それにしてもン年ぶりの新作だというのに面白さが一つも薄れていないのはさすがとしか言い様がありません。

    以下はネタバレしまくりのレビュー&感想になるので未読の人はお気をつけて。

    ■丕緒の鳥
    これぞ十二国記という感じのお話を最初に持ってきたなあと感じました。射儀の設定などには惚れ惚れしてしまいました。いやあ、まさに目に浮かぶような華やかな儀式なのだなと。しかし主人公丕緒はその儀式で用いられる陶鵲と民を重ね、それが射貫かれて散る様を見て喜ぶことは間違っていると人々に、王に、訴えようとします。まあ国が国ですからね……この物語の舞台は慶。ともなると、丕緒のように感じることも無理ないかなという感じです。
    そしてこの物語の時代は、ちょうど陽子が王に即位した頃。ということで私たち読者は丕緒と違い、ある程度安心感を持ってこの物語を読んでいるのですよね。
    なんというか、「多分今度の王はそんなに悲観せずともいい王だから、とりあえず見せてみてごらんよ」という気持ちで本を読んでいる。
    そして最後にやはり陽子が出てくる。
    「忘れ難いものを見せてもらった。……礼を言う」
    この台詞を読んだ時、なんて模範解答だと思ってしまいました。笑
    「陶鵲と民を重ねてるんだな」と即座に理解してしまうのは、また違うのですよね。陽子はまだまだこちらの世界のことを理解していないわけで、そうなれば丕緒の思いを全部汲み取るなんてまだ不可能なわけです。
    となるとあの時点での丕緒への感想としては、(陽子は意図したわけではないのに)ベストな答えになっているんですよね。彼女は感覚的な部分できちんと何かを感じ取った。その感じ取った部分がどういう部分なのかは、読み手側の想像の域になるわけですけれど、私はすごく清々しい気持ちになりました。
    うん、本当に慶は良い王を持ったよ。

    ■落照の獄
    転じて重たい話が。いえ、1話目も苦々しい物語だったのですが、この話は色々と考えさせられる分余計に重苦しく感じるものだったと思います。
    始めに申し上げますと、私はこの物語は終始瑛庚視点で読み進めました。すなわち、途中に彼の妻の清花や狩獺に殺された子どもの遺族が出てくるわけですが、それでも瑛庚同様法は重要であるという立場で読み続けたというわけです。
    ですので、「殺刑はならぬ」となっているのなら、やはりすべきではないのではないかなという意見に傾きながらでの読み方でした。もちろん、狩獺は許すべきではないと思いましたし、殺刑になってもやむなしとも思いましたし、そうなっても文句もありませんでした。
    ただ、感情と法は決して同じところにあるものではないのでしょうね。そういう点では瑛庚同様、すごく色々と考えました。
    結局これはどこを落としどころにするつもりなのか、その一心で読み進めました。
    それにしてもこの物語の締め方は実に見事であったと思います。
    ここまでの犯罪者であれば、「殺刑やむなし」も当然でしょう。けれど、これは何かを解決することには繋がらない。文中にもあったとおり、相容れない存在を切り離し、世界を調整しただけ。世界は平穏を取り戻したように見えるけれど、実質的には狩獺の勝利であり、瑛庚たちの……ひいては他の一般の者たちの敗北である。
    この物語の舞台は柳です。『丕緒の鳥』から一転し、私たちは暗い気持ちでこの物語を読み進めています。この先、この世界がどうなるかも薄々勘づいている。狩獺を排除しても、別のケダモノが現れるのであろうことは明確です。
    皮肉なことにこの物語でそのことに気付いているのは、瑛庚たち上層の人間だけなのですよね。狩獺の殺刑を遺族や清花たちは喜ぶのでしょう。その気持ちは分かります。けれど喜ぶだけで、彼らは結局その後ろにある恐ろしい事実を理解しようとはしないのでしょう。
    そういう意味では特に清花に対しては、ひどく苛立ちを覚えました。彼女は夫の立場もあり、「感情」と「法」二つの視点を持てたはずの人間でした。けれど夫の言葉には耳を傾けず、感情だけを優先し、法の意味を考えようとしなかった。彼女はこの先の柳の国にどのような気持ちを抱くのでしょうか。
    とにもかくにもこの物語を読み、柳は本当に大した法治国家だったのだなと強く感じました。それだけにどうしてこの国が傾いていくことになったのかとても気になります。いつか、その辺りの物語も書かれるのでしょうか……

    ■青条の蘭
    一番夢中になって読んだ物語でした。
    というのもこの話、意地の悪いことにどこの国が舞台なのか読んでも読んでも全然分からないのです。
    「もーどこなのさここは!」と思いながらも、あまりの荒れ果て具合に色々な候補が頭の中に浮かんでは消え、浮かんでは消え。時代もさっぱり分からないので、最初は「芳かな?」と思っていたのですが、芳はもっと雪深いイメージあるしなとも思いーの。同様の理由で戴も違うかなどうかなと思いつつ。「じゃあ恭? でもあそこの王様的にそれはないよなあ。ひょっとして恭王が即位する前の話かな」と思ってた頃に、芳と恭が候補から外れるのです。
    「ひょっとしてまた慶?」と思って蓋を開けてみれば……
    まさかまさかの玄英宮。おいいいい何百年前の話ですか!と思いながらも、すごーくホッとしました。そこの王様なら何の心配も要らないよ、っていう安心感が。笑
    物語はブナ(漢字難しいのでカタカナですみません)が枯れたところから始まります。最初は良い木材として売れると喜ばれていたけれど、ブナが倒れ始めた頃から標仲たち役人の側はこのままではまずいと危機感を抱き問題の解決に挑みます。
    天から解決策も与えられているというのは良いなあと思いつつ、青条のあまりの扱いにくさには「もうちょっとどうにかしてあげられなかったのか」とも思ってしまう物語でした。この世界の天帝さまは本当にもう。
    雑に書きましたが、物語はもっと切迫・緊迫し一刻の猶予も無い状況で非常にハラハラします。緊張感がこちらにも伝わってくる物語でした。
    解説にもありましたが、この話はとにかく設定が凝っているなあと感じる物語でした。里木からの山野草の育ち方や王の願い方についてのこまやかな世界観。さすがです。
    私はとにかくどこの国なのかという部分に集中力がいってしまい、間違った読み方をしてしまったなと思っているのですが、終わりにかけて標仲の意志を継いだ人々が王宮まで青条を運んでいくところは、心が温まる展開だと思います。

    ■風信
    4編の中で一番短く、「あれ、ここで終わり!?」と感じたりした作品です。
    こちらも舞台は慶。時代は丁度舒覚の悪政が終わってから陽子がこちらの世界にやってきた頃までの物語。いやはや、『青条の蘭』を読み終わった後だと時代や国が分かっていることがこんなにもありがたいことだったとはと感じてしまいました。笑
    舒覚の「女性国外追放」政策により孤児になってしまった蓮花。彼女が身を寄せたのは暦を作る者たちが集まる苑囿だった。
    私自身は暦作りの仕事、とても楽しそうに感じましたがね。まあ家族が舒覚の非道とも言える政策の犠牲になってしまっているのですから、蓮花が彼らに怒る気持ちも理解出来るのですが。
    ただこちらも『丕緒の鳥』同様、読み手としては国の行く方向が分かっているからその分気持ちに乖離が生まれるのですよね。
    最後の新王の誕生を告げる燕たちには、こちらも心がほっこりするようでした。しかも王様は彼女ですから。
    それにしても、今出ている話でも慶の最新状況を見ると復興にはまだまだまだまだかかるという感じですよね。『風信』なんかを読んでいると、ここいらでもう少し環境が良くなってきている慶の国の話を読みたいなという気持ちも出てきてしまいます。

  • 本当にこれはフィクションかと疑いたくなる話。十二国記の世界の解像度が非常に高く、どこかの国の歴史小説を読んでいるみたい。庶民などの世界の隅々まで全てに焦点が当たるからこそ、王や麒麟が国の運営に悩むことも納得できる。

  • 最初から全ての構想があった訳ではないにしても、本編とは別にこれだけの物語が紡げるというのは凄いの一言。
    四編に甲乙はつけ難いが、あえて選ぶなら「落照の獄」。凡庸なノンフィクションなど足元にも及ばない強烈な問題提起がなされており、色々と考えさせられた。

  •  雲海より下にいる下級官たちと市民が主人公の4つの外伝。
    荒廃した時代の国(慶・柳・雁)に心在る熱心な官史たちがいた。

     風信では慶の予王時代の市民の少女が主人公で少女から見た、郡の春官保章氏。民のために働く官史の仕事ぶりを學んでいきながら描く。

     それぞれの役割や使命を全うしてゆく姿に胸をうたれる。新王がたつ慶・雁には希望の兆しが。
     青条の蘭の章でには、希望を繋ぐリレーに感涙した。
     風信では、強く小動物の健気な姿に感涙した。

     丕緒の鳥:国行事芸術家の仕事の在り方。
     落照の獄:死刑の是非。
     青条の蘭:自然の恩恵と脅威。
     風信:暦と万物の営み。人間以外のものは観察すれば天候や天啓に敏感に反応している。

    独自のファンタジー世界でありながら、現世の様々な事象とリンクしているから、関心が止むことがない。

  • 十二国の、希望と絶望を綴った短編4つ。これまでのシリーズは王ないしは麒麟が主として描かれてきたが、今回の短編はすべて国官の営みに軸足を置く。時代は前後しているが、王が不在であったり、傾国の予兆があったりと、安定とは程遠い世情であるところが共通している。
    表題にもなる『丕緒の鳥』、羅氏の仕事というのは何とも興味深い。射儀とは実際に見物できたら、華やかなのだろうなあ。政治に直接関わる立場にはないけれど、その役分において力の限り思いを届けようとする。「鵲が民のよう」との丕緒の感覚にハッとさせられた。最後に陽子に正しく通じたのは、慶国の大いなる希望である。『落照の獄』は、傾きはじめている柳国が舞台。死刑の是非を考える立場と、主上への不信、市井から突き上げてくる感情の波。瑛庚の立場はひたすらにしんどい。解説でも触れられていたが、少女が発する最初の一行が、後になるほど胸をえぐってくる。丁寧に描写され少しずつ歩みが進む、死刑の是非についての論断。最終的に決断を下したものの、絶望に包まれて終わるのが切ない。はじめのうちはどの国の話か見当もつかなかった『青条の蘭』、最後の最後で雁国のことだと理解できた。尚隆が登極する前から物語がはじまり、「新王が立った」という幽かな可能性にかけて、力尽きるまで希望をつなごうとする。山のプロと言える国官の仕事と災厄に対する着眼点も滋味深い。道中はただただ苦しいが、その先に光が見えたときの感情たるや。興慶が雁に留まって実がなるのを見届けたラストがとても明るい。実は何気に一番好きなのが、『風信』。4作の中で唯一、主の視点は国官ではない普通の少女だが、彼女が身を寄せたのが暦を作る国官たちが働く苑囿だった。信念を持って黙々と己ができることを続ける、彼らの仕事ぶりが気持ち良い。熊蜂や燕など、自然の命のきらめきが鮮やかに胸に染み込む。少女・蓮花のこごった感情と、それがほどけていく様が美しい。支僑の胸で泣いたシーンで終わるのが特に好きだ。
    十二国の世界、細部に至るまで作り込まれていて心から感服する。綺麗事ではないシビアな世界の広がりに、ファンタジーよりもリアルな手応えを得ることが多い。この先はどう道が続いていくのだろうか。物語の行く末を見届けなければ、その思いが強くなった。

  • 渋い!すごく良い

  • 国か傾くと、一番苦しむのは国民だから、国民の目線で、国民の立場で、国民を守りたいと思う者だけが政治家にならなければいけない
    今の時代に違和感なく当てはまる気がする
    これを読んで、十二国記の世界にまた入り込んでしまった
    どうか、続きを書いてください
    よろしくお願いします

著者プロフィール

大分県出身。講談社X文庫ティーンズハートでデビュー。代表作に『悪霊シリーズ』 『十二国記シリーズ』『東亰異問』『屍鬼』など。重厚な世界観、繊細な人物描写、 怒濤の展開のホラー・ミステリー作品で、幅広いファンを持つ。

「2013年 『悪夢の棲む家 ゴーストハント(1)特装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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