華胥の幽夢 (かしょのゆめ) 十二国記 7 (新潮文庫)

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  • 新潮社
4.25
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本棚登録 : 3522
レビュー : 239
  • Amazon.co.jp ・本 (351ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101240602

作品紹介・あらすじ

王は夢を叶えてくれると信じた。だが。 才国(さいこく)の宝重である華胥華朶(かしょかだ)を枕辺に眠れば、理想の国を夢に見せてくれるという。しかし、采麟(さいりん)が病に伏すいま、麒麟が斃(たお)れることは国の終焉を意味する国の命運は──「華胥」。雪深い戴国(たいこく)の王が、麒麟の泰麒(たいき)を旅立たせ、見せた世界は──「冬栄」。そして、景王(けいおう)陽子(ようこ)が親友楽俊(らくしゅん)への手紙に認(したた)めた希(ねが)いとは──「書簡」。王たちの理想と葛藤を描く全5編。

感想・レビュー・書評

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  • 「冬栄」
    雲上の物語。青鳥と書いて「しらせ」と読む。おそらくホントに戴国と漣国との間で鳥のやり取りがされたのだと思う。往復で何日かかるのか。騎獣で半月なのだから、機動力があっても20日はかかったのだろう。
    精神年齢10歳としては、あまりにも責任感のある泰麒の初外交のお話。泰麒の自己肯定感の欠如は、一旦この短編では解決したかに見える。

    「乗月」
    雲上の物語。月渓がこの章の主人公ではあるが、彼の逡巡は4年の月日があったにしては幼いと思う。寧ろ描きたかったのは、祥瓊の手紙だろう。さあコレでケリがついた。あと100年ほどすれば、祥瓊がまた芳国に戻ることもなきにしもあらずだろう。

    「書簡」
    雲上と雲下の物語。さすが十二国。王様の使う鳥(便り)は、現代で云うボイスメモの機能が付いている。小野不由美女史が書いた頃には、テープレコーダーのイメージだったんだろうか。お互い背伸びをして、手紙をやり取りする友だち同士の物語。この半年後、慶国は動乱が始まる。

    「華胥」
    雲上の物語。華胥華朶(かしょかだ)は才州国にある宝。宝玉でできた桃の枝。それを枕辺に挿して眠れば花開き、華胥の夢を見せる。昔、黄帝が治世に迷ったおり、夢で華胥氏の国に遊び、そこに理想の世を見て道を悟ったと伝えられる。采王黄姑の前王の砥尚(ししょう)の二十余年の治世と、代替わりを巡る「殺人事件」ミステリを描いた一編。
    黄帝とは、古代中国における伝説の皇帝達、「三皇五帝」のひとり。「三皇」の治世を継ぎ、中国を統治した「五帝」の、最初の帝である。(ピクシブ百科事典より)十二国に於いては「伝説」ではない。何しろ、歴史的「遺物」が実際に使われているのだから。

    「帰山」
    雲上の物語。前半は、利広と延王の会話からなる。ここで、十二国の栄枯盛衰の傾向と、利広と延王の隠れた闇の心を垣間見、驚く。また(X16年ごろの)十二国の世界情勢報告が一挙にされたということでも重要な一編。

    さて、最後の短編集を終えて、怒涛の最大長編に、次回から突入するようだ。

    年表(加筆訂正)
    1400年ごろ 奏国宗王先新が登極 妻と3人の子仙籍に入る
    1470年 六太4歳延麒となる。
    1479年(大化元年) 雁国延王尚隆が登極
    1500年(大化21年)元州の乱 斡由誅殺
    1700年ごろ 範国氾王登極

    ーX96年 柳国劉王露峰が登極
    ーX75年  恭国供王珠晶が登極
    ーX 25年 舜国の王登極
    ーX18年ごろ 芳国峯王仲韃登極
          才国采王砥尚登極
    X元年   泰麒 胎果として日本に流される
    X2年 才国采王砥尚崩御
    才国采王黄姑が登極
    X9年末  慶国予王が登極
    X10年  泰麒 2月蓬山に戻る
    戴国泰王驍宗が登極
    X11年 泰麒 4月日本に戻る
    X 12年 芳国峯王仲韃崩御、娘の祥瓊の仙籍剥奪 
         芳国の麒麟卵果が触により流される
    X14年  5月慶国予王崩御
    X15年(1992年?)陽子日本より来たる
         10月慶国景王陽子が登極
    X 16年 功国塙王崩御
         慶国で和州の乱 
    X17年  泰麒 9月戴国に戻る

  • 短編五編どれも良かった、一冊。

    だいぶこの世界観、国、人物が頭に入ってきたところだけにどの編も味わい深く読めて良かった。

    相変わらずの泰麒のいとけなさがたまらず、楽俊と陽子の「書簡」に涙が滲んだ。

    お互い、敢えて見せることのない心の奥深くを理解し思いやっているからこそのこの言葉、関係に涙せずにはいられなかった。「華胥」は奥深い数々の言葉が印象的。読み返したくなる。そして「帰山」で陽子の慶国をいい感じだって認めてくれる、あの人。
    それがなんだかうれしかった。奏国メンバー明るくていいな。ますますこの世界にハマった。

  • どの短編も心に深くささる言葉と、今は苦しくとも未来にはきっとそれだけじゃないとの思いが、胸を打つ素晴らしい物語だった。

    「冬栄」での幼い泰麒の悩み。期待されていることは分かってるのに、何をすればいいのか分からない。自分は無用の存在で、いれば邪魔になるだけだと思われてるのじゃないだろうか。大切な人たちに……
    泰麒は、漣の暖かい気候と廉王自らが育てる農作物に癒され、そして飾り気のない廉王との関わりの中でその答えを導き出していく。
    今の時代でいえば早ければ小学生?思春期を迎える辺りの子どもたちも、そんな思いに駈られることがあるのじゃないかしら。家族や両親、友だち、部活動のチーム……様々な集合体の中で自分の存在価値が見出だせず苦しんでいる。大人でもそんな悩みはあるけれど、子どもであればあるほど、その悩みからは簡単に抜け出すことの出来ない。
    泰麒は、広い世界に触れることが出来て良かったのだと思う。世界はまだまだ知らないことばかりで、いろんな価値観で人は生きている。悩みに対する答えって決して1つではないし、実のところ正解があるのかさえ分からない。それでも出会った人たちから、自分にはない考え方に触れることで、泰麒が求める答えへの道標は増えていく。

    「乗月」では、逆に既にたくさんのものを背負ってしまった大人の物語である。王を弑した月渓は、奪った咎によって、これから苦難を舐める民に王を返す義務がある。崇敬していたからこそ許せなかった。だからこそ、奪った罪を背負って生きていくことに臆病になる自分がいる。けれど、「言い訳とは、自分自身に対してするものかもしれない」そして「言い訳をする相手を間違っている」ことに気付く。そして「人は変われる」ことを月渓に身を持って教えてくれたのは、崇敬する王の公主、月渓の処遇を怨んだ祥瓊だった。
    月渓は立ち上がり進んでいく。罪を背負って。

    「書簡」では、陽子と楽俊の交流が描かれており、わざわざ触れなくたも分かりあえる絆、その上でお互いを思いやる心に温かくなる。

    「華胥の幽夢」王は無能であってはならない。「責難するは容易い、けれどもそれは何かを正すことではない」現代の風潮にも一石投じる言葉になるのではないか。国を治めるには理想ばかりを追いかけてもいけない。高い理想を掲げて人を責めることは、簡単なこと。そこから先をじっくりと考える。分かっていないのに、分かった気になること。それは許されることではないことなのだと。生涯忘れずにいようと思った言葉になる。

    「帰山」わたしには、奏国が傾くことが想像できない。この宗王(と家族)ならば、未来永劫太平の世が続くのではないかと思ってしまう。
    だけど、国は脆く、死なない王朝はないと利広は分かっている。それでも、ここは大丈夫だと。少なくとも、互いが支え合っている限りはと思うのだ。利広はまた旅に出る。そして戻ってくるのだ。

    • やまさん
      地球っこさん
      こんにちは。
      いいね!有難うございます。
      やま
      地球っこさん
      こんにちは。
      いいね!有難うございます。
      やま
      2019/11/15
    • 地球っこさん
      やまさん、こんにちは!
      いつも丁寧にコメントしてくださって、ありがとうございます。
      やまさん、こんにちは!
      いつも丁寧にコメントしてくださって、ありがとうございます。
      2019/11/15
  • 4.4
    短編集、乗月が良かった。
    本題となっている華胥の幽夢だけが重すぎて辛かった。
    他はとても良かった。


    他は景王や俊英、利広など今まで登場した人のサイドストーリー的に読むことが出来て面白かったし、理解と世界観が深まりました。

    奏も600年続いて居ながら、王や家族は円満にやっているのがとても微笑ましく、締めの短編として読了感も良かった。

  • 「責難は成事にあらず」

    ホワイトハート版しか出ていなかった頃、
    短篇集の中で慶が関わってこない「華胥」が好きではなかったけれど、
    この言葉の意味を本当に理解してから、
    ずっと忘れることなく記憶に残している言葉です。

    誰かを、何かを避難することは容易い。
    でも、私は、何かを成し遂げることはできていない。

    一人驕り高ぶっていた頃に、頬を張られるような衝撃を受けて
    情けなくてわんわん泣いたことを思い出します。

    これだけ、仕事観や死生観、学ぶことや、人との関わり方を
    ファンタジーという世界のなかで説いている小説が
    そもそも、ティーンズ向けに書かれているという事実に
    毎度のことながらびっくりしてしまいます。

    逆に言えば、10代の中頃から十二国記に親しめたことが
    何より幸せなことだなと思っています。

  •  完全版十二国記7作目となる短編集。

     『冬栄』『書簡』は陽子や楽俊、泰麒が再登場し、彼らが厳しい十二国記内で自らの役割を見つけようとし、懸命に行動している様子が描かれます。過去作品を読んでいる身にとっては、彼らのその後が分かり、大満足であるとともに、彼らの頑張りや苦悩を見るにつれ自分もがんばらないといけないなあ、と思いました。特に『書簡』は陽子と楽俊の手紙のやり取りの話なのですが、二人のやり取りが読んでいる自分自身にも向けられているようで、なおさら頑張らないと、と思った作品です。

     過去キャラの登場で和んだ面もあるのですが、十二国の厳しさを描き切った短編もさすがの読み応え……。

     『乗月』は『風の万里  黎明の空』以降の芳国が舞台。
     十二国の設定ではたとえ暴君でも王がいないと天候不順が続いたり、国に妖魔が現れたりと国が傾く、ということは規定事項になっています。そんな中で行き過ぎた刑罰を作った王を倒した月淫の苦悩を描いた短編。

     月淫の苦悩と反逆という決断の重さがとてつもなく濃密に描かれています。そしてこれだけ自分の罪のことを考えられる彼が上に立っても、これから国は傾いていくのか、と思うとやり切れなくもあります。彼の覚悟と決断が少しでも早く天命に届いてほしい、と思わずにはいられませんでした。

    『華胥』は麒麟が倒れた才の国が舞台。麒麟が倒れたということはその国がまもなく倒れてしまうことを意味します。
     十二国記の厳しさがこれ以上ないくらい表現された話だったと思います。理想だけではどうにもならない現実、自責の念、後悔、国を背負うという責任の重さ、そういったものをこれまでのシリーズ作品以上に強く思わされました。だれも悪いとは言い切れない、ただ少しずつの間違いや思い込みが積み重なった結果、ということが余計に辛いですね……。そういう甘さを許さないのが十二国記らしいのかもしれませんが。

    『帰山』では『図南の翼』の利広が登場。このシリーズの深さを改めて伝えるだけでなく、伏線を張ったような作品で今後のシリーズがますます楽しみになりました。

     硬軟織り交ぜられた短編集で長編作品に引けを取らない作品だったと思います。ますます十二国記の世界観を広げてくれた作品でした!

  • 短編集。どれを読んでも心に刺さる言葉が飛んできて痛い(嬉しい)。それらはどこかで耳にした格言に似た内容でもあるけれど、こうして物語の文脈のなかで拾う言葉として出会うと、こうも響き方が違う。これが楽しくて嬉しいことが、私がこのシリーズ、ひいては小説を読みたい理由なんだろうなと思う。

  • 「戴」「芳」「慶」「才」「柳」五つの国に纏わる短編五作が収められた短編集。
    以前刊行された短編集『丕緒の鳥』は十二国で暮らす市井の人々を描いたものでしたが、今作は他のシリーズ作品と同じく王や麒麟やそれに与する人々を描いたものです。
    『丕緒の鳥』のレビューで、市井のイチ個人達の抱える苦悩についての物語なので現実的にあり得そうな話ばかり、というようなことを書きました。
    今作『華胥の幽夢』は王や麒麟や王朝関係者の抱える苦悩について描かれているのですが、彼らの抱える問題も、紐解いていくとやはり現実的にあり得そうな話で、普段の自分の生活においても為になったり身に染みるようなことばかりです。
    ただし、王や麒麟と市井の人々とで決定的に違うのは、その苦悩や過ちが国情に直結してしまうか否か。
    王や麒麟は重大な責任を背負っているんだなぁと改めて思いました。
    大人になってから改めて読むと、学生時代に読んだ頃とはまた違う箇所が心に響いたり、新たな発見と感動を味わえました。
    今作には心に留めておきたい名言がたくさんあります。
    やはり十二国記は私にとってのバイブルです。

    『冬栄』
    泰王・驍宗が登極して間もない頃のこと、泰麒が使節として漣を訪ねるお話。
    蓬莱からやって来て、十二国の決まり事がよく分からず、王を選ぶという役目も果たして他にどうすれば良いのか途方に暮れてしまって、自分の存在意義を見出だせない。
    大きくなること、ただ見守ることだけでは何もしていないような気がしてしまう。
    国の為に自分に出来る事がない、と悩む小さな泰麒が健気で切ないです。
    とはいえ、身の回りで波乱の多い泰麒の穏やかな日常が描かれているので、比較的和やかな気持ちで楽しめるお話。
    しかし戴のこの後の混乱を知っていると、読んでいて切なくもなります。
    WH版では戴のその後の話である『黄昏の岸 暁の天』がこの短編集より先に刊行されているのですが、今回は刊行順が逆になっているので、新装版から読み始めた方は『黄昏の岸 暁の天』が刊行されたらまたこの短編を読み返すことをお勧めします。
    戴の混乱に関わる重要な人物が今作にさりげなく登場していたりするので。
    小野主上は本当にえげつない(褒めてます)。
    泰麒は本当に優しくて良い子なので、幸せになって欲しいと切実に思います。

    『乗月』
    峯王・仲韃が倒れた後の芳が舞台で、峯王を弑した月渓のその後を描いた物語。
    学生時代に読んだ時には「月渓がぐたぐた悩んで玉座になかなか就かない話」という印象でしたが。
    改めて読んで、当時の自分を叱責したい気持ちでいっぱいです。
    道を失っていてもなお、峯王に期待してしまう。
    期待に背くようなことをして欲しくないのに、それを止められなかったという後悔。
    そんな自分が仮とはいえ玉座に就くことは、峯王を弑したうえに位を盗むことになる。
    大人になった今なら、月渓のこの気持ちが分かる気がします。
    人を諫めることは難しい、けれどそれでも諫言するのは、相手に対する期待と情愛があるから。
    本当にその通りだと思います。
    言ったことを聞いて貰えない、それで相手に嫌われたり、自分が嫌な思いをしたりするのは、誰しも避けたいことです。
    それでもそれを承知で、厳しいことを言うのは、やはり相手に対して期待していたり尊敬する気持ちがあるから、なんですよね。
    相手を期待することとそれを裏切られたときの気持ち、そして罪の重さを分かったうえで敢えてそこに踏み込むことの意味を、きちんと理解している月渓なら、芳の「月陰の朝」を支えられる。
    どうやら芳は次の王が起つまでにひと波乱ありそうな感じですが、次王が登極するまできっと持ち堪えると信じています。
    次の王様は月渓なのでは、という気もしますが…芳のその後の話もあるなら、いつか読んでみたいものです。
    それから今作には話題だけですが供王様が登場します。
    相変わらず物言いが素敵で、何度読んでも思わず笑ってしまいます。

    『書簡』
    景王・陽子と雁の大学に学ぶ楽俊が、互いの近況を伝え合う。
    『風の万里 黎明の空』の少し前のお話です。
    多少の悩みや問題はあるものの、お互い「とりあえず上手くやっている」と報告しあう二人。
    敢えて本音を曝け出さず、見栄を張ることによって自分を鼓舞する。
    弱いところを見せて慰め合うだけが友情ではないんだ、ということに気付かされる。
    仲の良い友人同士は、何でも弱みを見せられる間柄だと考えがちですが。
    友達も頑張っているんだから自分も頑張る、というこの二人の関係も、とても素敵で羨ましいなと思うのです。
    強がりだろうと背伸びだろうと大丈夫だと言って、元気を出す。
    『風の万里 黎明の空』で采王が鈴に言った「人が幸せであるのは、その人が恵まれているからではなく、ただその人の心のありようが幸せだからなのです」という言葉に通じるものがあるような気がしました。
    楽俊は大学を卒業したらどうするんでしょうね。
    何となく、巧に戻るのかなという気がするのですが。
    そういえば半獣は王様になれるんだろうか。
    少なくとも巧の次の王様に楽俊が選ばれることはないみたいですが、ちょっと気になります。

    『華胥』
    沈みつつある才の王朝を描いた物語。
    表題作であり、重いテーマを扱ったお話です。
    専横せず真面目に政務に取り組んでも、国が傾く…理由が分からずに苦悩する才の王や官吏の心情は、読んでいると苦しくなる。
    けれど王は国を治める者として、理由が分からない、という言い訳は決して許されない。
    小野主上の描く世界観は相変わらず、甘くないなと思います。
    理想を掲げたり、他人を非難することは、誰にでも出来る。
    問題は、実際に理想を実現出来るのか、実現出来る範囲で何をするべきか、ということ。
    国の運営とはすぐに実現出来ることばかりではない、だからこそこの世界の王や官吏は寿命が長い…そういえば延王もそんなことを言っていましたね。
    潔癖な官吏や民ばかりではない、そういう人々のことも織り込んで、多少の失敗は覚悟の上で、すぐに結果が出なくても気長に構える。
    そういう、多少の余裕を持っていないと、国は治まらないのかもしれないですね。
    潔癖な人には難しいことなのかもしれません。
    「瓢風の王は、傑物かそうでないかのどちらか」とはシリーズの至るところで見掛けた一文ですが、その理由の一端が見えたような気がします。
    理想を高く掲げ過ぎていたり、性急に結果を出そうとしたり…そういうところで却って蹉いてしまうのかな、と。
    砥尚もそうだし、同じく瓢風の王と呼ばれる泰王・驍宗も似たようなところがある気がしてしまう。
    峯王・仲韃は潔癖過ぎるが故に自分の過ちを認められなかったし、かつて雁で謀反を起こした斡由も、もし玉座を勝ち取っていたら同じような過ちに踏み込んでいたような気がします。
    潔癖過ぎる人、真面目過ぎる人は、実はあんまり王様に向いていないのかもしれないなぁ、なんて思ってしまったり。
    尚隆くらい適当な方が、向いているのかも。
    この話に出て来る「責難は成事にあらず」という言葉は本当に、いつも念頭に置いておきたい身に染みる言葉です。
    この言葉に纏わるエピソードで、才の前の王を非難する青喜に、養母である慎思が「では、もしも主上と台輔が身罷られたら、青喜は昇山するのですね?」と言った場面がとても印象に残りました。
    そして、国情を嘆きながらも昇山しない周りの大人に憤慨して家を飛び出し蓬山に向かった『図南の翼』の珠晶を思い出しました。
    言わんとすることはどちらも同じですよね。
    この短編『華胥』は、『風の万里 黎明の空』を読んでいると、終盤のとある一文に驚かされると同時にこれがいつの時代の事なのかが分かるという、シリーズを通しての読者にとっては嬉しい仕様です。

    『帰山』
    沈みゆく柳で偶然出会った、雁の風漢と奏の利広のお話。
    この二人、面識があったのか…と驚きつつ、諸国を放浪するのが好きで気になることには首を突っ込む性分は似ているもんなぁと、何だか納得してしまいました。
    会って当然の場所で対面したことがない、というのが何やら暗示的で気になりますが。
    二人が、柳の国情や互いの国の沈み方を予想しつつ軽口を叩き合う場面は、やり取りが面白いのだけれど、二人共たくさんの王朝が沈むところを見てきたのかと思うと切なさも感じてしまいます。
    「滅多に会わない人間に百度会ったら」というのは、利広と風漢のことなんですかね、やはり。
    あとは上にも書きましたが「会って当然の場所で対面したら」ということも、延王なら賭けていそうで怖いです。
    珍しく碁で勝った時の碁石集めを、阿呆らしくなって辞めたという事だから、もう同じような事はしないかもしれないですが。
    そして利広が奏に帰ってからの家族とのやり取り、『帰山』というタイトルの表す通り、このお話のメインはここなんだろうなと思います。
    (余談ですがこの『帰山』が初めて発表された同人誌では、風漢と柳で出会う場面はなく、利広が奏に帰ってくるところから始まります。)
    利広にとって、自国が沈むということは、家族団欒を失うことなんですよね。
    だからこそ奏の終焉を想像出来ない。
    けれどずっと王宮にいたら安寧に飽いてしまうから、他国を放浪して王朝の脆さに心を痛め、自国は大丈夫だと確認する為に帰って来る。
    その心理は何だか分かるような気がします。
    利広は繊細で危ういキャラクターだなと思います。
    そういうところが堪らなく好きなんですが。
    永く生きた王朝が倒れる時は悲惨、という話がありましたが、もし小野主上がそういう話を書くつもりなんだとしたら、奏なんじゃないかなという気がします。
    利広が何かをしでかすのではないかと思う。
    奏ではないにしても、シリーズの最後にどこかの王朝が沈む、という展開はあり得そう。
    そんな展開は悲しいと思いつつ、読んでみたいような気もしてしまいます。

    『華胥の幽夢』は、シリーズ作品との繋がりが強い短編集なんだなぁと改めて思いました。
    単純に、他シリーズに出て来るキャラクターが登場するということもありますが。
    シリーズ作品で描かれる、こうあるべきだという「考え方」とか「心の在り方」という精神的な部分が集約されているように思います。
    自分の至らないところを指摘されているようで、読んでいて辛い部分もあるのですが、それ以上に心に響くたくさんの言葉に出会えるから、読まずにはいられない。
    短編集ですが、長編に負けず劣らずの読み応えな一冊だと思います。

  • 十二国記シリーズの第7弾。短編集だが、第5弾の短編集「丕緒の鳥」とは違い、本編の登場人物たちが出てくることと、第8弾である「黄昏の岸 暁の天」につながる話があることで、裏ストーリーを楽しめる形になっている。ただ、短編なので、本編で味わえるカタルシスはない。あくまで、本編をより楽しむための補助的位置づけであると感じた。

    なので、十二国記シリーズを本書から読み始めても(そんな人はいないと思うが)、その面白さの半分も伝わらないので、やはり本シリーズは順番通りに読み進めていくのが正解だと思う。

  • 再読。『丕緒の鳥』が民の物語である一方で、こちらは王の、そして国の物語だった。とは言っても、王でなくたって、国を動かす立場にいなくたって、「正しさ」「理想」は生きている以上決して無関心ではいられないテーマで、ぐさぐさと台詞が刺さった。
    非道ではなければ正道というわけではないなんて、胸を痛めずに言える人いる?でも十二国記の物語の人々は、清廉潔白なわけではなく、いやむしろ清廉潔白と言われるキャラクターはもっと酷く辛い目にあったりして、生きていくことが物語ですら楽なわけがないのだとわたしたちに突きつけてくる。王がいないからと言って、国を動かしていないからと言って、わたしたちはずっとずっと、挫折し、傷つき、信じ、もう嫌だと泣き喚き、そして生きる、のだなあ。

    (201508)この世界ならではの葛藤がせつなく、ぐっとくる。天が麒麟に王を選ばせるなんて、間違いの一切ない力が働く完全な仕組みのような気がするのに、それゆえのすれ違いや不幸が起こる。結局は人間の問題なんだ、世界や環境やその他のすべてでなく。

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著者プロフィール

大分県生まれ。1988年作家デビュー。「悪霊」シリーズで人気を得る。91年『魔性の子』に続き、92年『月の影 影の海』を発表、「十二国記」シリーズとなる。『東亰異聞』『屍鬼』『黒祠の島』は、それぞれ伝奇、ホラー、ミステリとして高い評価を受けている。「悪霊」シリーズを大幅リライトし「ゴーストハント」として2010年~11年刊行。『残穢』は第26回山本周五郎賞を受賞。『鬼談百景』『営繕かるかや怪異譚』『営繕かるかや怪異譚その弐』など。2019年、十二国記最新刊『白銀の墟 玄の月』を刊行し話題に。

「2021年 『ゴーストハント7 扉を開けて』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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