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Amazon.co.jp ・本 (610ページ) / ISBN・EAN: 9784101244013
感想・レビュー・書評
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著者、梅原猛さんは、ウィキペディアによると、次のような方です。
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梅原 猛(うめはら たけし、1925年(大正14年)3月20日 - 2019年(平成31年)1月12日)は、日本の哲学者、評論家。位階は従三位。ものつくり大学総長(初代)、京都市立芸術大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授。東日本大震災復興構想会議特別顧問(名誉議長)。碧南市哲学たいけん村無我苑名誉村長。京都市名誉市民。
---引用終了
で、本書の内容は、次のとおり。
---引用開始
法隆寺は怨霊鎮魂の寺!
大胆な仮説で学界の通説に挑戦し、法隆寺に秘められた謎を追い、古代国家の正史から隠された真実に迫る。
門の中央を閉ざす柱、一千二百年の秘仏・救世観音――古の息吹きを今に伝え、日本人の郷愁を呼ぶ美しき法隆寺に秘められた数々の謎。その奥に浮かび上がる、封じ込められた怨霊の影。
権謀術数渦巻く古代国家の勝者と敗者を追い、あくことを知らぬ心理への情熱と、通説を打破する大胆な仮説で、ときの権力により歪曲され抹殺された古代史の真実に華麗に挑戦する、「梅原日本学」白熱の論考。
---引用終了
そして、法隆寺を、ウィキペディアで見ると次のように書かれています。
---引用開始
法隆寺(ほうりゅうじ、旧字体:灋隆寺)は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内にある聖徳宗の総本山の寺院。山号はなし。本尊は釈迦如来。創建当時は斑鳩寺(鵤寺 = いかるがでら)と称し、後に法隆寺となった。法隆学問寺としても知られる。
---引用終了詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
ラジオで聖徳太子の話題を聞いて、また読みたくなりました。当時はマンガ『日出処の天子/山岸涼子』を読んで興味を持ち、手にとりました。
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「世界で最も古い木造建築群」として世界遺産に登録されている法隆寺が実はありがた~い教えを実践するお寺ではなく、聖徳太子の怨霊を鎮めるための「たたり寺」であった…。
著者の大胆な仮説に基づいて、法隆寺のなぞ解きを著者の仮説に沿ったロジックで進めていく強引さが小説より面白い。
歴史とはその時に実際何が起こったかだけではなく、どうしてそのようなことが起こったかを想像する=妄想するのが面白い。
一人ひとりが好き勝手な視点から妄想を膨らませ、仮説を立て、検証済みの事実と自分の妄想にあう推測を混ぜ合わせてストーリーを作る。
その最たるものがこの一冊か。
著者のロジックは強引ながらも、「そうかもしれない」と思わせる事実もあり、また法隆寺に行ってみたくなる。-
どんなものにも,それが出来た時のダイナミクスがあったはずなので,それを読み解く,それを妄想する,それが歴史の醍醐味ですね.どんなものにも,それが出来た時のダイナミクスがあったはずなので,それを読み解く,それを妄想する,それが歴史の醍醐味ですね.2013/04/14
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■蔵書、2回読了
山岸凉子さんの『日出処天子』を読んで
梅原氏に興味を持ち、購入
所持しているのはハードカバーのもの
読み終えるのに物凄く時間がかかるが
面白かった -
ミステリーを読んでいるようなワクワク感。歴史ってほんとに面白い。
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「歴史ってほんとに面白い」
聖徳太子オタクだった私は、とってもドキドキしながら読みました。
近年新たな論考が発表され見直しも必要のようですが...「歴史ってほんとに面白い」
聖徳太子オタクだった私は、とってもドキドキしながら読みました。
近年新たな論考が発表され見直しも必要のようですが、、、2012/08/29
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何度読んだが分からない愛読書のひとつ。
梅原猛の古代学にハマって次々に読んでいった。
本書は、梅原が藤原不比等黒幕説に気がついた最初の著作。
法隆寺資材帳を確認していた梅原は、藤原氏が時々法隆寺に莫大な寄進を行っていたことに気がつく。
何故、権力者の藤原氏が、聖徳太子の寺である法隆寺と関わりを持つのか。
藤原氏が寄進を行った時期は悉く、藤原氏に不幸があり、藤原政権が危機を迎えた時だった。
そこから梅原は、藤原氏が、聖徳太子一族滅亡に加担し、初期法隆寺を焼失させた上、聖徳太子の怨霊を恐れて、鎮魂のために現法隆寺を建立したと推理していく。
法隆寺再建設を、藤原氏による初期法隆寺焼き討ち、現法隆寺再建というストーリーで説明してみせた。
そこから、不比等黒幕説は発展を遂げ、梅原古代学を構築していく。
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当時の様式と異なる点の多い法隆寺の謎を解く本。専門家ではないので、この結論が正しいのかは分からないけど、浪漫があっていいですね
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ばっさばっさ切りまくり人だから敵も多いのだろう。法隆寺怨霊寺説も学会では既に過去の話となっていると聞くがそうなんだ。でも水底の歌もそうであったように非常にしっくりきた。藤原不比等が古事記や日本書紀の作成を命じたのであればあるほど大いにある話であるように感じる。反論を読んでいないため分からないけど。法隆寺の50年に一度行われる聖霊会に行ってみたかったな。前回は2021年だからもう次回まで生きてないよ。コロナの時期だったんだな。しかし人間はドロドロしているし、いつの時代のどんな組織も主導権争いばかりしている。こういう話が背景にあり、天皇家の物語が出来てそれを今でも信じられているとすると本当に良く出来たストーリーだったんだなと感心する。
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後半まで読んだが、細かい字でびっしり500ページ以上あるから長い。法隆寺には謎が多く一度見に行ってみたい。
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難しく書いてあり読むだけで頭に入ってこず。
法隆寺が建てられた理由は聖徳太子の怨霊を鎮める為と知り神社だけではなく寺もそうだったのだとこの歳になって知る。もう少し聖徳太子の生きていた時代を勉強したら再度読もうと思う -
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蔵書(単行本・千葉1)
古書(単行本・千葉1)
古書(文庫・千葉1) -
一見、法隆寺の謎に迫るノンフィクションという雰囲気ではじまるが、実際は、日本の歴史をできるだけ正しく解釈しようとする試み。「聖徳太子が建てた法隆寺」とか「大化の改新により奸物(蘇我氏)が除かれ日本は正しい政治を行うようになった」という教科書的な事実を鵜呑みにし特に深く考え無いことは、権力者にとってこの上なく都合の良いことだと再認識。お寺の構造、建物の配置、権力者による特別扱い、精霊会、仏像などをk別にではなく、全体を俯瞰すると、法隆寺というお寺はおそろい場所ということがわかる。その時代の権力争いによって子孫のほとんどを惨殺された聖徳太子の怨霊を鎮めるための寺であり、祟りをもたらさないように仏像に擬せられたのは太子その人であ流と考えられる。このように考えると、ちょっと怖くて法隆寺には行けないなあ。歴史は勝者によって記録されるということを再度認識するものとなった。
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2020年2月16日に紹介されました!
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哲学者、梅原猛さん
逝去
ご冥福をお祈りします。古代史の新解釈を提起し続けた著者の独自性が最も表れる、代表作の一冊を。 -
再読。法隆寺にこんな不思議(謎)があったと知り、わくわくしながら読んだ昔を思い出しました。再読もやっぱりわくわく。法隆寺に行って見てきたくなります。学生時代、学校行事で行った時には、こんな謎知らなくてつまんなかったもんなー。
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長いエッセイ、と筆者はいうがこれは論文だろう。しかしその読み応えはミステリーか推理小説か、というようなリズムとスピード感で読ませる内容だった。小難しいこと言うんだろうなと敬遠していたのだけれど、面白かった。聖徳太子の子孫についての史実は知らなかったし法隆寺の謎についても初めて知った。この歳になってもまだ新しいことを知ることができるというがわかった一冊だった。
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真偽はともかく、本当に面白かった。以来、救世観音を見るのがコワイ。
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(2017.01.15読了)(2001.10.12購入)(1986.02.20・14刷)
副題「法隆寺論」
【目次】
はじめに
第一部 謎の提起
第二部 解決への手掛り
第一章 なぜ法隆寺は再建されたか
第二章 誰が法隆寺を建てたか
第三章 法隆寺再建の政治的背景
第三部 真実の開示
第一章 第一の答(『日本書紀』『続日本記』について)
第二章 第二の答(『法隆寺資財帳』について)
第三章 法隆寺の再建年代
第四章 第三の答(中門について)
第五章 第四の答(金堂について)
第六章 第五の答(五重塔について)
第七章 第六の答(夢殿について)
第八章 第七の答(聖霊会について)
解説 秦恒平
年表
図版目録
☆梅原猛の本(既読)
「仏像」望月信成・佐和隆研・梅原猛著、NHKブックス、1965.04.20
「続・仏像」望月信成・佐和隆研・梅原猛著、NHKブックス、1965.10.20
「湖の伝説」梅原猛著、新潮社、1977.01.05
「ヤマトタケル」梅原猛著、講談社、1986.01.20
「ギルガメシュ」梅原猛著、新潮社、1988.10.15
内容紹介(amazon)
法隆寺は怨霊鎮魂の寺! 大胆な仮説で学界の通説に挑戦し、法隆寺に秘められた謎を追い、古代国家の正史から隠された真実に迫る。 -
今では梅原先生のこの説を肯定的に読む人はあまりいないかもしれない。それでも、二十数年前の私には衝撃的だったな。読後、聖徳太子について調べたりしたことが懐かしい。
著者プロフィール
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