黄泉(よみ)の王(おおきみ)―私見・高松塚 (新潮文庫)

著者 : 梅原猛
  • 新潮社 (1990年7月発売)
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  • Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101244051

作品紹介

1972年3月、明日香村の高松塚古墳から華麗な彩色壁画が発見され、日本国中の人びとを興奮のるつぼに投げこんだ。だが、壁画の一部は削り取られ、人骨には頭蓋がなく、大刀には刀身がない。いつの時代の古墳か、被葬者はだれか。たぎる情熱をこめて果敢に古代史の真相に肉薄する著者が、生臭い権力闘争と、愛と死のドラマを再現し、闇に葬られた悲劇の皇子の姿を明らかにする。

黄泉(よみ)の王(おおきみ)―私見・高松塚 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 高松塚古墳に葬られたのはいったい誰だったのか。定説はないようだけれど、ウィキペディアによると、梅原先生が主張する弓削皇子の可能性は低いとのこと。しかし、本書を読んでしまうと、もうそれしかないと思えてしまう。一つのストーリーとして出来上がっているわけで、そう思えばいろいろなことに納得がいく。と書いたものの、時代背景がよくわかっているわけでもないし、万葉集はほぼ飛ばし読みなので、とりあえず梅原説を信じようといったところ。聖徳太子と法隆寺のこと、柿本人麻呂のこと、そして藤原不比等のこと、すべて梅原先生の言うことを信じておくしか道はない。他に読んでいるわけでも、知識があるわけでもないので。それにしても、本書を読む中でつくづく思ったのは、万葉集を読めるようになりたい、作者の思いを感じ取りたい、ということ。それで、最近久しぶりに再会した高校時代の国語の先生に何を読めばいいか聞いてみた。そうしたら、小学館本をすすめられた。国語教師のバイブルと言われているそうだけれど、もっと、軽く読めそうなのを期待していたのに、まあでも覚悟を決めて読んでみたいと思う。次に大書店に足を運んだときに探してみよう。それと、瀬戸内寂聴の源氏物語と。

  • 極彩色壁画で有名な高松塚古墳の被葬者についての考察本。

    ・斬首のカタチではないのに遺骨に頭蓋骨がないこと
    ・剣・鏡・玉と三種の神器に似た副葬品があるが、剣に刀身がないこと
    ・四神・日月・星宿など天皇をとりまく世界観が壁画で表現されているが、四神は朱雀がなく、日月や玄武の顔は削り取られ、星宿には天皇を示す北斗七星がない
    など、あえて不完全な世界が構築されており、地上とは異なる世界(黄泉の国)の天皇として死者をなだめようとしている怨霊鎮魂の墓と著者は言う。

    以上のことから、埋葬者を何らかの事情で自死させられた皇位を望める地位にいた皇子と推定し

    ・壁画の内容から律令制度の思想がうかがえること
    ・三種の神器は持統天皇の時代に整えられたこと
    ・持統天皇以降は火葬が主だが高松塚の埋葬者は土葬であること
    ・いわゆる「聖なるライン」上にあり、終末期(のちに藤原京時代と報告される)の古墳と思われること
    などから、埋葬者を弓削皇子とし、記紀に詳細な記載のない弓削は同じく詳細な記載のない紀皇女(文武天皇の后と推定)との不倫で自死させられたのではないかとしている。

    高松塚古墳の発掘は昭和47年で、この本の刊行は翌年であるから、初期の報告書のみでの考察であり、例えば壁画のある神社仏閣は鎮魂の意味があるという説は後にキトラ古墳で壁画が発見されたことから一概に該当しない。

    しかし、記紀を藤原不比等による勝者に都合の良い歴史書とし、万葉集など他の文献からの考察方法はとても面白かった。

  • 1972年に奈良県明日香村の高松塚古墳から、華麗な彩色壁画が発見されたことを受けて、書かれた本です。

    高松塚古墳に埋葬されていた人骨は頭蓋骨の部分が欠けており、またその壁画は東西にある日月の表面と北方の玄武の蛇と亀の頭の部分が削り取られていました。著者はこれらの事実から、高松塚古墳に埋葬されたのは恨みを呑んで死んでいった皇族だと推測し、弓削皇子の墓ではないかという考えを提出します。

    ところで、著者は以前から「記紀=不比等撰説」という考えを提唱していることで知られており、『日本書紀』や『続日本紀』は、草壁皇子を皇位に即けようとした持統天皇と彼女を補佐した藤原不比等に都合のよい記述がなされているのに対して、『万葉集』には彼らと対立した勢力の声が響いていると考えています。こうした説に基づきつつ、『万葉集』の中の弓削皇子にまつわる歌を分析し、性に奔放な紀皇女と弓削皇子が恋仲にあったのではないかという推測が展開されます。さらに、草壁、文武、聖武へと皇位を移行させるために、ライヴァルとなる弓削皇子を排除しようとする持統天皇と、おそらくは文武天皇の皇后ないし皇后に予定されていた紀皇女を退けて娘の宮子を文武の夫人とすることで天皇の祖父になることを目論む不比等の思惑が一致し、弓削皇子と紀皇女のスキャンダルに目をつけて、2人を不幸な死に追いやったのではないかという議論が展開されます。

    大胆な推論をつないでやや強引に結論へと進んでいく、著者らしい議論ではありますが、著者自身も、『神々の流竄』『隠された十字架』『水底の歌』の三部作に比べて「確実度がとぼしい」ことを、著者自身も認めています。三部作では、『古事記』や法隆寺、『万葉集』についての著者の文学的直観からスタートして、その直観を裏づける史実を探し求めるという仕方で議論が進められていました。一方本書では、三部作の枠組みから結論が定められ、その結論に辻褄を合わせるような仕方で『万葉集』の解釈へと進んでいるような印象を受けます。そのせいか、三部作に比較するとやや退屈な印象を受けます。

  • 教えて頂いて読みましたが予想以上でした。高松塚古墳の被葬者に関して梅原節が炸裂。万葉集からのアプローチが私には非常に入りやすかったのですが、これが物語風であればもっと入り込める世界であったと思う。この推察にある程度の創作で補って描かれていたらきっとたまらない。数々の検証も納得出来るし大体において私好みな説を展開される梅原先生ですがいささか強引にもっていかれてる感もあって妙に自分の中で、その被葬者とされる悲劇の皇子の人物像にブレーキをかけたくなってしまった。それはある意味ドツボにハマってるのかも。高松塚古墳おそろしい。

  • 古本屋で梅原さんの本、まとめ買いしてきました。
    相変わらず面白いです。
    読んでいて思うのは時の権力や政治に対抗する手段として文学や劇と言うものは発展して行ったんだなあ〜としみじみ思いました。文学や詩と言うものはその時勢をおのずから反映するものなのですね。今の文学も頑張れ!と思います。…まあ自分がそういう本を選んでないだけかも知れませんが…

    誰が高松塚に葬られていたのか、又梅原さんが考える皇子の万葉集に載せられた詩歌の本意は何か?読んでいてぞくぞくしました。いやあ〜昔も今も政治の本質と言うものは変わってないんでしょうね。面白かったです。

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