- Amazon.co.jp ・本 (495ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101249056
作品紹介・あらすじ
昭和41年春、日本の空は異常だった。2月4日に全日空ボーイング727型機が羽田沖に墜落し、3月4日にはカナダ太平洋航空ダグラスDC8型機が羽田空港で着陸に失敗、炎上した。翌5日にはBOACボーイング707型機が富士山麓に墜落し、わずか1カ月の間に300人を超える人命が失われた…。巨大技術文明の中での連続ジェット機事故の原因を追究した、柳田ノンフィクションの原点。
感想・レビュー・書評
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1966年に連続して起こった航空事故、全日空ボーイング727羽田沖事故、カナダ太平洋航空ダグラスDC8羽田空港炎上事故、BOACボーイング707富士山麓遭難事故、連続ジェット事故の原因追及をすることで巨大技術文明が生む歪みを問う。
いまや自動車より安全と呼ばれる航空機。米国国家運輸安全委員会が行った調査では航空機で死亡事故に遭遇する確率は0.0009%となっている。それを支えているのが発生事故の徹底した原因究明と改善そしてFail Safeの導入にある。本書で描かれる航空局を始めとした関係者の現場検証、証言の取捨選択、科学的事実検証はそれら先人たちの努力ありそのプロフェッショナルな姿勢にはただただ頭が下がる思いだ。そうした厖大な事実関係を5年に渡って徹底且つ多面的な裏付け取材で体系的なドキュメンタリーとして仕上げた柳田氏。著者の鬼気迫る執念とともに、切れ味鋭い文章が臨場感を生み出し、多用される専門用語も気にならず読者を引き込む。
特に印象深いのが「断章その1」で語られるT航空会社Mと木村秀政氏との「ヒューマンエラー」に対する見解の違いだ。人為的ミスを「前提」とするか「排除」するか、機体設計や航空オペレーションに関わる本質的な非常に難しい問題であろう。
作中では著者は木村調査団長の調査姿勢に少なからず疑義を述べ、あとがきで本書を「無機質なものへの問い」としている。それから60年以上経った現代の人間社会は「無機質ありき」となった。人間と無機質の向き合い方を今一度再考するために読むのもよいかもしれない。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
柳田邦夫がNHKの記者だったって聞くとびっくりする人がたまにいる。
医療評論家とか、今だとネットに対する批判とかしているから、そういうイメージが強いんだろう。
一回だけ、なんか話が噛みあわないなーって思ったら國男の方だったという笑えない事もあったっけ・・・。
この人の航空評論に関しては凄く面白いなあと思っている。勿論事故の上に成り立つルポだから不謹慎と言われればそれまでなんだけど。
この本を読むと新聞記者とテレビ局記者の違いが分かると思います。
変な言い方だけど『新聞記事的ではない』というか。自分の感じた事や、その場の臨場感をすごく素直に伝えている感じ。
新聞記者は文章のプロだから、コラムのような美しい文章を作り上げるけど、その辺の微妙な違いが私にはどちらも心地よい。
綿密に調べ上げた資料と、現場に足を運んで見詰めた大事故の生々しさが近くに感じるのは、そこに今でも脈付く筆の力が生きているからこそ。
71年出版とはとても思えない。
力強くて読みごたえのある物というのは、結局何があっても残っていくものなんだなあと感慨深い。 -
「昭和41年春、日本の空は異常だった・・」
と背表紙にある概要のとおり、本書は昭和41年(1966年)3月・4月に発生したジェット航空機の3件の事故について、その事故原因の追求へと迫る柳田邦男のノンフィクション作品である。
あわせて300人を超える人命が失われた航空事故の原因に迫る内容ではあるが、良質のドキュメンタリを見せられるように、ぐいぐいと引きつけられ、就寝前にもかかわらず495ページを一気に読みきった(結局就寝は4時ころになったが)。
この本を読んで思ったことは、
・少なくとも事故の解明には、「なあなあ」ですませてしまう調整型は論外で、「科学の不備」「人の不備」を見つめられる徹底追求型が望まれる
・「科学技術の安全神話」なんてのは原発も含め、砂上の楼閣なのだから、きちんとした安全マージンを取った対策を取らなければならない
・奇しくも韓国船沈没事故が起こって潜水技術の話になっていたが、半世紀前と変わらず深度20メートル以上というは厳しい環境である
・航空機事故もだが、列車事故や医療事故とかについてなんでも警察が捜査するというのは、根本的技術的・知識的に不可能である
ということ。
こういった事故原因の追求が次の事故を防止または減らす効果があるならば徹底して行うべきだろう
その点、3件の事故のうち、中途半端でいい加減な内容になった1件については憤りを覚える
これがきちんと行われていたのであれば多数の人命が助かった可能性があったのであれば、殺人にも等しい愚行であると言わざるをえない -
1960年代の航空機事故を追ったノンフィクション。初めてノンフィクションの面白さを知った作品。航空システム、監視が行き届いた現在と違って、当時はアナログの世界だった。原因究明も事故機、レーダーの航跡と無線による音声記録だけが手掛かり。そういう状況において、どのように原因分析が進められたかがよく判る。
当時は航空ノンフィクションとして読んだが、今では航空事故の歴史書だ。日本の航空事故の歴史について知りたければ、一読の価値はあると思う。 -
ノンフィクションではあるが、客観的なものではない。
取り上げた事故に対して筆者は特定の見解を持っており、
その見解が「真実」であるかと思わせるように構成されている。
そのうえ、叙情的な創作と思われる部分を目にし、
ぼやかされている部分に引っかかりを感じ、
「書かれていないこと」は何かを考えると、
社会の木鐸を自負し、大衆を誘導するためなら
捏造をも辞さないマスコミの姿が透けて見える気がする。
また、被害者や目撃者の住所や勤務先の役職などまで記載しているので、
プライバシー意識のなかった当時の雰囲気を感じられます。 -
航空機事故の原因を追ったノンフィクション作品。現在の柳田氏に対する印象とは違い、自らの足でエビデンスを追い続けた作品だと感じた。
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昭和41年に起こった悲劇「全日空羽田沖墜落事故」および羽田空港における「カナダ太平洋航空機墜落事故」、その翌日富士山で起きた「英国海外航空機空中分解事故」を取材し、記者という立場から真実のあり方や事故調査の背景などを描き出したノンフィクション作品。
既にハードカバー・文庫版とも絶版となってしまっている本著、ずーっと読みたくてうーうー言ってたら、なんと図書館にあることが分かった。図書館って、本当に素晴らしい!
柳田氏も当時はNHK社会部の記者であり、企業の一員として他のたくさんの事件を抱える中で、個人の信念からこの事故調査を最後まで見届け、本著として世に送り出したことは非常に大きな意味のあることだったと思う。今は誰もがインターネットで様々な情報を入手したり、関係者を探し出してコンタクトを取ったりできるけれど、その当時は一般の人が表ざたにならない情報を掴むなんて本当に容易ならぬことだったはず。
事故の発生から調査、そして報告書をまとめて結論づけるところまでの流れを、関連する国内外の事例を絡めながら書かれていて、私は飛行機事情に明るくないけれど時間をかければ大枠を掴めるよう分かりやすく書かれていて、読んでいても結構ショックなことも多く、思ったより時間がかかりました。
個人的に、科学的な証明を目指して現物に立ち返り、最後まで墜落のの真実を追い求め続けた、最後の報告書にお名前の出なかったお二人…航空局航務課のエンジニアさんと、明治大学教授(当時)の山名正夫氏には本当に頭が下がります。科学的な立証を無視し、国際的・政治的・社会的な体裁を整えざるを得なかった当時の日本の立場というものも、理解できないわけではない…けれど、科学的に原因を究明し、再発防止に生かすことができたのではないか、という思いが拭いきれず、最後本当にいたたまれない気持ちになった。
記者の志向で結論ありきに取材を仕向けていくような作品ではなく、取材に基づいて真実を探り出そうとする正当なドキュメンタリー。40年以上も昔に書かれた本ですが、是非今の人にも読んでほしいと思える作品でした。
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第3回(1972年) 大宅壮一ノンフィクション賞受賞。
昭和41年春、日本の空は異常だった。2月4日に全日空ボーイング727型機が羽田沖に墜落し、3月4日にはカナダ太平洋航空ダグラスDC8型機が羽田空港で着陸に失敗、炎上した。翌5日にはBOACボーイング707型機が富士山麓に墜落し、わずか1カ月の間に300人を超える人命が失われた…。巨大技術文明の中での連続ジェット機事故の原因を追究した、柳田ノンフィクションの原点。 -
航空機事故における事故調査のノンフィクション。ひたすらに事実を追求していく姿勢がすごい。読んでよかった。
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羽田沖の日航機事故を中心に、作者の取材をまとめたノンフィクション。作者も事故原因については断定はしていないが、事故調最委員会の報告書の作成における様々な仮定は、恐らく事実であろう。
もしそうであるなら、いや、過去から現在にいたるまで、様々な事故調ができ、その報告書が、何らかの形で事実を隠蔽、もしくは、歪められた形で作成されているとしか思えない現実から考えると、恐らく本書は正しいのであろう。
政治的な圧力、外交、など様々な圧力により、科学的な真実が歪められ、その結果として、事故という不幸な出来事が、科学的な発展につながらない現状に対して、とても悲しい事だと感じる。
最近の福島の事故を見ても、感情的・政治的な話ばかりで、科学的・客観的な話が無く、とても判断ができない。
私は、原発に対して賛成でも反対でも無いため、余計にバイアスのかかっていない、「真実」を求めたい。
ただし、ひとりのエンジニアとしては、その通りなのだが、ひとりの企業人として、果たしてそれを貫けるのか?自信が持てないのも事実である。