- Amazon.co.jp ・本 (346ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101252285
作品紹介・あらすじ
「いじめ」や「不登校」が増えているという。これを乗り越えるには子どもの「生きる力」を鍛えねばならない。その力はどうしたら育つのか?悪いと知りつつ「悪」をやって、それをどう解決しようかと悩むことにより、子どもは鍛えられ「生きる力」が身につく。まわりの大人は手を出すのを我慢して、それを見守ってやらねばならない。この困難な時代を生き抜くために、今こそ聞きたい河合隼雄の言葉。
感想・レビュー・書評
-
やはり河合さんという感じ。
心に残っている話はいくつかある。
こうなってほしい、これはダメという評価の目がある所は子供の居場所になり得ない。だから今、学校での最後の拠り所は保健室になっている。保健室では子供は評価されないからという話。
表層的な悩みがより深層にある根元的な悩み、苦しみからその人を守っていることがある。
だから衣食住満たされた現代人の悩みは、以前より深くなっていて、もはや悩みを自身でも言語化出来ないほどだという話。
子供が悪さをするときは、大人に対して本人も気づかないうちにサインを発している意味があるという話。 -
著者が亡くなってからも新刊が出る。もちろん、これは文庫本で、10年前に単行本として出版されているわけですが。本書に収められている講演会の記録や対談は、だいたい阪神大震災後、神戸の連続児童殺害事件があったころ。9.11よりかは前です。テーマとしておもしろかったのは子どもの悪について。思春期に一過性のものもあり、それにどう対処するかが後々効いてくる。私自身の体験から。一つ目はカンニング。小5男子。数回連続で満点。本人の力と内容から考えるとありえない。本人に問いただしたところ、すべて自分の力だと言い張る。そして、母親からのクレーム。自分の子どもを信じていないのかと。そのときは確かに手続き上、私の方に落ち度はあったと思う。結局、何が原因で子どもがカンニングしてまで点数にこだわるのか、そのことを追究することもできないまま、信頼をなくし、その子は私のもとから去っていった。二つ目。盗み。中1女子。その生徒がいる教室で、何かがなくなる。シャーペン、筆箱、財布、ケータイ・・・完全になくなってしまうのでもない。ゴミ箱から出てきたり、トイレにあったり。何日か後に出てくることもあった。私は何もする術がなかった。証拠はなかった。疑ってかかることがどうなのかという思いがあった。しかし、彼女にしてみると、何かのサインを出していたのかもしれない。結局、彼女は転校し、転校先でも同じようなトラブルを起こしていた。思春期の子どもたちと付き合っていると、日々いろんなことがある。本書を読んで、しっかり立ち向かっていかなければいけないと、あらためて感じた。
-
昔の暴力がテリトリー内に入った他校の生徒に向けられていて、むしろその方が健康的だったというようなお話が、藤田紘一郎さんの首狩り族の話と似ていて興味深かった、
-
いじめと不登校を中心に家庭教育や学校教育についての講演、対談をまとめたもの。結構昔の講演、対談であるが、それほど古さを感じさせない。
-
隼雄くんの数ある名言の中でも、特に私が大好きな言葉!!
「教育とは教と育という字からなっていますが、どうも教えることが好きな人が多すぎるのではないでしょうか。私は育師のつもりでおります。」
個性を育てるには、
①教えないこと
②見守ること
③振り回されること
④何もしないということ
⑤居るということ
_
いじめと不登校というタイトルだけど、この世の子どもと関わる全人類が読んだらもっと子どもたちの世界が広く明るくなるのになって思う -
(子供に対して)
指導しない。
言って聞かせない。
何もしない。
しかし、
ちゃんと そこに居ること。
世の熱心な先生たち
世の熱心な父、母たち
世の熱心な、教育に一家言ある人たち
その人たちに対して
心してかみしめて欲しい「思想」です
あなたは、どうですか? -
どういう風に学校での問題を捉えていいか分からなくて、河合隼雄さんに頼ってみよう、という感覚で手に取りました。色々考えさせられたけど、すぐに誰が悪い、とか原因を追求していくのとは違うやり方を、というような言葉が心に残りました。
-
昨日いじめについて、あらためて考えていく必要性を実感していた所、ふと立ち寄った本屋で初めて河合隼雄さんの本と出会った。今、私たちに必要な言葉が次々と…まだ途中だけど…感動中…
わけですよ。。。みたいな喋り方をされていましたね。
わけですよ。。。みたいな喋り方をされていましたね。