裏庭 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (412ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101253312

感想・レビュー・書評

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  • 率直に感動した。大作だった。
    己の傷と対峙することのどれほど険しく難しいことか。傷との融合の話でもあったのかと思う。印象に残る文が多くて、それぞれの箇所について感想を言い合いたくなる。
    日本の家庭って、家に庭って書くんだね。その庭をどう手入れし育み作り上げていくかは庭師次第なのだと。
    エピローグ後の展開も気になるけど、それはそれぞれ私たちの中でまた育てていくものなんだろう。
    最後に河合隼雄氏の解説があるのもよき。

  • 一日中のんびりと本を読みました。梨木香歩「裏庭」です。児童文学ファンタジー賞を受賞した作品です。大作という感じで読み込むのにかなり力が必要でした。ファンタジーの部分が多く、この前に読んだ「西の魔女が死んだ」の方がシンプル(一つ一つの心情などはすごく深いですが)で素直に心の中に入ってきました。

  • 中学時代に梨木さんの「西の魔女が死んだ」を読んで、他の作品も興味を持ち購入。
    家族旅行の際にこの本を持っていき、夜ホテルで読み始めると、先が気になって、ページを捲る手が止まらなくなり、ほぼ徹夜をして読んでしまったことは今でも覚えています。
    学生時代の私に良い読書体験をもたらしてくれた、かけがえのない作品です。近々、再読したいです。

  • 私にとって世界観に違和がない作品。のみならず変化や導きを感じる作品。誘導される際の抵抗感は全然ない。きれいな丸みを帯びた、すべすべした鉱物を一個ずつ世界に配置したら、こんな物語になる気がする。それを一個ずつ指先で押さえるような嬉しさ。ときに拾い上げて掌に収めるときの安堵感。いつの間にか、私にとっての地図を広げている。

    石の持つ、硬さ。清潔さ。冷ややかさ。沈黙。

    それなのに、描写は木々や花々を追う。土くれ。そして風の感触。水辺も。ときに火が上がる。

    そのときに、その炎がどれほどのものか、水の決壊がどれほどのものかと、なぜかその感情が真に伝わってくるようだ。

    石、という自分の本質を横に一度置いてでも、この世界の鮮やかさを語りたいと願うその切実さに息を飲む。それほどの献身に胸が震える。母だ。物語を産む母なのだと思う。この子のためなら、と宝を差し出す母。

    母は何を差し出すか。梨木香歩が、母が、母を語る。祖母から母へ。その母から娘へ。贈り物の内容を語る。

    贈り物は「私は誰?」という問への「教えよう、君に」という応答だった。物語のはそもそもの始まりは、主人公である孫娘に祖母が授けた名前。照美。「Tell me」なのだ。

    祖母が最後に渡そうとする物は、磨き上げられた鉱物。たくさんの研磨を、傷を受け入れて輝く魂。「こんなにきれいに仕上げてくれた」と祖母が主人公に労いのことばをかける。
    美しい抽象化を書き綴る、その淡々とした調子に不思議なほど冷静な私がいた。でも、やっぱり「これはママへ」は衝撃だった。がつんと後頭部を殴られたような驚きだった。梨木香歩はすごい。絶対ニヒリズムに屈しない。素朴な感情の愛しさをこんな風に書いてしまうのか。すべてを兼ね備えた直球。ここでも鮮やかなコントラストが際立っている。

    確かに、戦争を始めようと決めた人間は、宣戦布告の当事者は、民間人にはいないだろう。でも、名指しはされないはずなのに、当事者だって「自分じゃない」と言いかねないというのに、戦争は私たちの中でこそ起きた。起きている。戦争で犠牲になった祖母とレベッカの女性性は浄化の道を歩み始めた。両国の女性性が共に、その道を。

    舞台となる町を覆い尽くした大空襲の炎の因縁さえ、レベッカの裏庭で、クオーツアスの炎が制していく。

    子孫は、生命の更新として、生まれたとき何もない地平に立たされるようだけれど、やっぱり幽霊たちは期待している。願いを込めている。そしてそのために生まれたいと思う子供たちもいる。照美は裏庭から帰ってから悟る。誰の役に立たなくても、もういいんだ、と。だけど、それは照美が課題をこなしたからだ。

    誰かを助けるために得た、銀色の両腕。彼女は裏庭でそれを見た。

    その課題は、誰の役にも、の誰、が誰なのか。他人と自分の境界線を見極める力を得ること。そのあるようで、ないような境目、を知ること。

  • 読み始めて5ページで「この話好きかも!」と思った
    。一人の女の子が古鏡から裏庭に迷い混むお話。『鏡の国のアリス』のような『オズの魔法使い』のようなファンタジー。梨木さんの世界観は好きだ。
    人は心の中に裏庭を持っている。裏庭を育てるにはエネルギーが必要で、時には傷付く事もあるけれど、それを恐れてはいけない。支配されてはいけない。大事に育んでいく。裏庭って結局、自分自身(人生)なのかなと思った。

  • この愛すべきファンタジィの感想を、未だ書いていなかったことに驚いている。梨木香歩さんの本は、どれも「しみじみと」沁みるけれど、この「裏庭」も私たちの感性(普段意識しないかもしれないけれど、確かに体が感じているもの)と地続きに感じられる。届きそうで届かない、或いは取りこぼしている物語をひたひたと寄せてくるのだと思う。その水は(私の鼻には)淡水のにおいがする。
    絡み合って行く、いくたりものひと。ひとが持つ記憶ーー物語。テルミィが餓鬼をゆるすシーン(と、その餓鬼の正体がわかるところ)がいちばん、父さんが泣くシーンが次点で好き。もちろん、そこまで運ばれてくる重層の織りなしがあってこそ、だけれど。ああ。感想をしたためていたら、私も私のファンタジィを書きたくなった。

  • もう随分昔に読んだ本で、細かいことは忘れているのだけれど(汗)
    英国ファンタジーにハマっていた頃に「日本にこんなファンタジーが書ける人がいるなんて!」と驚いた記憶だけがやたらと残っている。
    もうそれだけでワタシ的には☆5つ。

  • 読書好きの友人から貰った本。いい本を頂きました。ありがとうございました。
    1995年の第1回児童文学ファンタジー大賞の受賞作。文庫版は2001年1月の発行から20年間で37刷のロングセラー。そんなことは知らずに、友人から貰ったというだけで、内容も全く知らずに読み始めましたが、一気読みでした。

    戦前、英国人一家の別荘だった荒れ果てた洋館。現在、その裏庭は近所の子どもたちの絶好の遊び場。そこで双子の弟を死なせてしまったという辛すぎる思い出を持つ13歳の少女、照美。ある出来事がきっかけで照美は裏庭の奥に入り込みます。照美の冒険が始まりました。

    この小説の中盤まで、この物語の主題は「死」であり、「再生」の物語かと思っていました。大事な人を失った場合、「死」は死んでしまった人だけでなく、残された我々にも大きなダメージを与えます。その手の物語は多くありますが、「裏庭」は「再生」で完結するような単純な物語ではなく、現世で生きる人間、死んでしまった人間をも巻き込む照美の「魂」の冒険譚です。
    本書は照美が「裏庭」の世界で繰り広げる冒険ファンタジーのパートと現実の世界のパートが並行して展開されます。2つの世界の中で家庭、孤独、団欒、優しさ、冷酷さ、安心、不安、友情、信頼など、感情における矛盾が渦巻きのように描かれます。物語は荒唐無稽。しかし、最後はこれ以上ないような座りの良さになっています。最後の2行では、不覚にも泣いてしまいました。

    著者は「西の魔女が死んだ」の梨木香歩さん。本書の中でも色々な仕掛けが組み込まれています。その仕掛けの数々が物語の中枢部分に絡んできます。小説の技巧が楽しめました。
    この複雑な物語は、やはり「再生」の物語です。ただ、それに気づくのは最後の方で、ストーリー展開は決して気持ちのいいものではありません。それでも、読んで良かったという満足感を本書は与えてくれ、読書っていいなぁと改めて感じさせてくれました。

  • 自分をいつの間にか息苦しくさせてしまう衣装のようなもの
     
    その存在に気付き、それを使いこなすようになっていく そういう印象

    自分を取り巻く世界にはどうしようもないことが多い
    どんな親の元に生まれてくるか、ということからして
    その親だって生まれてくるところを選ぶことなどできず、その人の人生を生きていた
    どうしようもないこと、の中で自分が生きやすくなるには自分で選んだ衣装を精一杯使うこと、使いこなせれぱいいよね
    香歩さんの作品が心に引っ掛かるのは、そのどうしようもないものに対してどうこうしないこと
    おせっかいもしないし、怒りを感じても責めるでもない
    そのものとの関係のなかで自分はどうか、どうしたいか考える
    ぜんぜん読んですっきりはしないんだけど、埋み火のような熱を感じる

  • キャロルもボームも、たぶんエンデですら、ここまで現実世界とファンタジー世界を並行して見せ、なおかつ現実での死者がファンタジーでは誰、と厳密にイコール関係を結んだりはしなかった。
    そういう意味でこれは童話ではなく、童話の形式を借りながら、「喪の仕事」を全うする現代小説、にアップデートされている。
    ただし古き良き児童文学を好む人には、あまりにも図式的な寓話、言葉遊びなどの不足、いわば息苦しさが物足りないのではないかと忖度したりもした。
    個人的には童話ではなく小説としてロジカルに読んだ。

    各個人の不思議な体験が表明され、それがひとつの裏庭に端を発し、世代を経て裏庭も更新されていくという推移が描かれるが、
    通底するのは、人の死をうまく悲しめない状態だとわかってくる。すなわち傷。
    これはファンタジックな舞台を使わなければ、たぶん何年何十年かかるし、ちっとも劇的でなく、
    忘れたように受け容れているのか忘れているのか見ない振りをしているのか、極めて不分明な状態になる。
    まあ現実における喪の仕事とはそういうものだ。

    ここにおいて、大人が見て見ぬふりをした傷を、最も年若い者(照美)が自分の傷に向き合うことで「他者の傷への向き合い」を促す。
    それが創作でありファンタジーであり小説の効果だ。
    親子という負の遺産・元凶を断ち切る旅は、創作物でしか成し遂げられまい。

    個人的に最も感動したのが、失踪した照美を探してバーンズ屋敷に入った照美の母幸江が鏡を見て、鏡像に自分の母の姿と自分の娘の姿を見出す場面。

     第1世代。バーンズ夫妻。水島先生。
     第2世代。レベッカ。レイチェル。丈次。夏夜。君島妙子。マーチン。マーサ。
     第3世代。幸江。桐原徹夫。
     第4世代。照美。純。綾子。

    と整理されるが、母娘二代ではなく三代を網羅しなければ、ここまで重厚な感動は得られなかっただろう。
    双子の弟を死なせたという特殊な設定があるが、なぜ死んだのは自分ではないのか、死んだ人に対して生きている自分は何なのか、生きている自分に罪はあるのか、と読み替えていくことで特殊な経験をしていない自分に置き換えることができる。
    きっと他者の死に向き合うという生の根源的な問いがあるのだ。

    それにしても「双子であることが当然の世界」という設定は、彼女の心をどんなにちくちく痛めつけたことだろうか。
    弟と一緒に私がいる、現実の状態ではなく鏡を経ることで、すでに死んだ弟としての私がいる、という状態で、冒険をしなければならない。
    こんなアクロバティックな経験をしたあとの少女が、「自分を取り返」さなくて、何が自己実現といえるのだろう。よかったね。

    父母が死児を思い涙を流すことで裏庭の世界に水が流れるという終盤は、巧み。
    というより、少女ひとりの内面が人類全体の内面と通じているというユング式の世界観は、憎い。

    少女は照美の冒険を、大人は照美の母の生活を、さらに年を重ねればすべてを包括して、読める。
    きっと毎回違った味わい方ができる、とってもおいしい小説。

著者プロフィール

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『沼地のある森を抜けて』『家守綺譚』『冬虫夏草』『ピスタチオ』『海うそ』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』など。エッセイに『春になったら莓を摘みに』『水辺にて』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』『やがて満ちてくる光の』など。他に『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』がある。

「2020年 『風と双眼鏡、膝掛け毛布』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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