からくりからくさ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (447ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101253336

作品紹介・あらすじ

祖母が遺した古い家に女が四人、私たちは共同生活を始めた。糸を染め、機を織り、庭に生い茂る草が食卓にのる。静かな、けれどたしかな実感に満ちて重ねられてゆく日々。やさしく硬質な結界。だれかが孕む葛藤も、どこかでつながっている四人の思いも、すべてはこの結界と共にある。心を持つ不思議な人形「りかさん」を真ん中にして-。生命の連なりを支える絆を、深く心に伝える物語。

感想・レビュー・書評

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  • 大人なあなたは、同世代の友人の家で食事をしようとなった際に、そこに『人形』のための席が用意されていたとしたらどう感じるでしょうか?

    人はさまざまな価値観をもってそれぞれの毎日を生きています。それぞれがこれが正しいと思うことを信じて生きています。しかし、表面的な付き合いの中では、そんな価値観はある意味オブラートに包まれて見えにくくもなっています。一方で関係が深くなればなるほどに、そんなオブラートの内側が垣間見えるようになってもいきます。それぞれの住まいを訪れるという行為は、訪問を許した側が、そんなオブラートの内側への侵入を許すことでもあり、そんな訪問はその人の、より素の姿を見ることのできる貴重な機会だと言えます。さらに一歩進んでその人と共同生活を送るようなことになったとしたら、素と素のぶつかり合いの中に関係性はより深まっていく、もしくは深めていくことのできる機会が生まれたと言えます。

    そんな場において、テーブルを囲むのは『計六人になるはずなのに』、何故か『しつらえられた席』が七人分だったとしたら、”何故?”という思いが浮かぶのは当然です。そんなあなたが、そのプラス一人分の席が『人形のためのもの』だと知ったとしたらそこに何を思うでしょうか?あなたが抱く疑問に対して、『小さいときからこれが我が家の習慣』と言われたとしたら…。

    この作品は、あることがきっかけで一つ屋根の下に暮らすことになった四人の女性の暮らしを描く物語。そんな四人の暮らしの中に一体の『人形』が確かな存在感を放つ物語。そしてそれは、そんな四人の暮らしの中に、『人はきっと、日常を生き抜くために生まれるのです』という言葉の意味を噛み締めることになる物語です。

    『今日は祖母が死んで五十日目だ。昨日が四十九日だった』という日に、祖母が暮らした家の鍵を開け、掃除を始めたのは主人公の蓉子(ようこ)。『久しく人気のなかった家の畳はうっすらとほこりを積んでいた』という中、雑巾もかける蓉子は、一通りを終え、『さあ、次はりかさんだ』と、二階にある『祖母が「お人形部屋」と呼んでいた』部屋に入ります。『長持のような桐の箱を引っ張り出し』、『りかさん、起きて。開けるわよ』と、蓋を開けると『柔らかい羽二重の生地に包まれて』『りかさんは眠ってい』ました。『いやだ、りかさん、どうしたの、人形みたい』と声をかけるものの何の反応もないのを見て『りかさんはまだ帰ってきていないんだ』と蓉子の心は沈みます。そして、『祖母の家からりかさんを抱えて帰』った蓉子に『何も変わったことなかった?』と母親の待子が話しかけます。そんな待子は『いつまでもあのままにしておくわけにはいかない』と祖母の家のこれからのことを話します。『女子学生の下宿はどうかしら』と言う待子に『いいわ。私もその下宿人の一人にしてくれるんなら』と提案する蓉子。そして、父親の了解も得られ、『蓉子の独立』が決まりました。『昔から染めものが好き』という蓉子は、『二階を下宿人の個室に、一階の一部を蓉子の工房にすれば両方のニーズが満たせる』と考えます。一方で『あの古い日本家屋に喜んで来てくれる若い娘さんがいるかどうか』を心配し、ため息をつく待子。そんな母親に、『アメリカから鍼灸の勉強のため日本に来てい』て、蓉子とは、英語と日本語を教え合っている仲のマーガレットのことを提案する蓉子。下見をしたマーガレットはすぐに住むことを決めます。そして、残りの二人も『案外早く見つか』ります。『蓉子の通っている染織工房』に通う美大生の内山紀久(うちやま きく)と、佐伯与希子(さえき よきこ)です。『機を織る音』と『織機を置くスペース』に困っていた二人。そして、『四月に入って大学が始まる前に引越しをすまそう』と、相次いで引っ越してきた三人。そして、『荷物も運び入れて一段落した夜』に、『蓉子の両親がささやかな歓迎の宴を開』きました。『蓉子とその両親、下宿人の三人で、計六人になるはずなのに』、場となる居間のテーブルに『しつらえられた席』は七人分であることを不思議に思う『紀久と与希子』。そんな残りの一席は『蓉子の人形のためのもの』でした。『蓉子が小さいときからこれが我が家の習慣』と言い訳する両親。そして、席に座った人形を見て『りかさんっていうの?このお人形』と訊く紀久に『そうです』と『生真面目に答える』マーガレット。そして、『最初にりかさんがきたのはね…』と、蓉子が『りかさん』との出会いを語り始めました。そして、そんな女性四人と『りかさん』が一つ屋根の下で暮らす日々が描かれていきます。

    “古い祖母の家。草々の生い茂る庭。染め織りに心惹かれる四人の娘と、不思議な人形にからまる縁。生命を支える新しい絆を深く伝える書き下ろし長篇”と内容紹介にうたわれるこの作品。すべて平仮名で「からくりからくさ」と書かれた書名が和の雰囲気感を強く醸し出しています。では、そんな内容紹介に上げられたポイントを順番に見ていきましょう。まずは、蓉子たち女性四人が暮らすことになった家の”草々の生い茂る庭”です。『町中ではあるけれど…ほら、庭がわりと広いじゃない』という蓉子に『ジャングルみたいよね』と与希子が茶化す庭にはさまざまな野草が繁茂しています。そんな『野草のアクのとりかたや料理』のコツを掴んできた四人は『タンポポ、ノゲシ、ヨメナなど』『多分キク科と見当がつくだけの名も知らぬ雑草でも、平気で食べてしまう』ようになります。『カラスノエンドウ、スズメノエンドウなどのマメ科の植物』は、『あえ物にでも油いためにでも使う。菜飯にもする』と利用します。一方で『てんぷらは一番おいしいけれど、結局その野草の持つ風味が薄くな』ると思い至り、『次第に面白味がなくなった』と繰り返し食べるが故の感覚も生まれてきます。そんな風に庭の植物を食用に楽しむ中で『全部摘んじゃうのは、惜しいくらいね。根っこごとひっこぬく、なんて蛮行はできないわ』とまさかの感覚が生まれる一方で『さすがに野草園にしておくつもりもない』と意見が分かれる四人。結局、『庭を四等分してそれぞれの管轄に』することを決めました。この植物に対峙する感覚は梨木さんの代表作でもある「西の魔女が死んだ」にも感じられるものです。とても梨木さんらしい雰囲気感がよく出た場面だと思いました。

    次に”染め織り”です。そもそもが『染めもの』が好きで、その工房を設けたいと引っ越してきた蓉子、そして美大生の紀久と与希子が暮らす中では、『染めもの』の話題が出るのは必然と言えます。幾つもの場面が登場しますが、『植物園で、桂の大木が切り倒されることになった』というその木をもらって染めていく様はその工程が素人にも分かりやすく表現されています。『枝葉を払って車に詰め込んできた』という桂を手にした三人。『枝葉をざっと洗い、細かく切り刻む準備にかか』り、『割合に早く事が進み、大鍋に煮出すところまでい』きます。そして、『ステンレスの大鍋の様子を見、染め棒でかきまわす』蓉子は、タイミングを見計らい『火から鍋を降ろし、ざるにあけた。漉した染液に、糸束を浸け、ゆらゆらと染め棒で染み込ませる』と工程を進めます。そして、『鉄媒染で、多分、紫黒色』という『媒染液を用意』し、布を浸け、引き上げます。しかし、それを見て『ああ、どうも、これは…』と落胆する蓉子は、『紫黒というよりは、闇に近い、迷妄のような紫だった』という染め上がりを見て『おかしいわ、前、桂でやったときは…。これだから植物は…』と思います。そんな言葉の後に『あてにならない』と続けようとしたところを、その場にいた神崎に『こたえられないね』と言葉を括り上げられる蓉子。そんな会話の中に、思わず『にっと笑って神崎を見た』蓉子…と続くこの場面。『染めもの』の難しさと面白さを読者に絶妙に垣間見せてくれる場面だと思いました。

    そして、そんな物語で欠かすことのできない存在、それが、”不思議な人形”という『りかさん』の存在です。『りかさんは、もともと蓉子が昔、祖母から貰った人形だ』と紹介される『りかさん』。その経緯は「りかさん」の中で存分に堪能できますが、面白いのは「りかさん」単行本の刊行が1999年12月にも関わらず、この「からくりからくさ」単行本の刊行はそれに遡ること7ヶ月前。1999年5月という点です。刊行順に読まれた方はこの作品の衝撃的な結末を先に読んだ後、『りかさん』の過去を遡るように、蓉子との出会いを読むことになり、何とも不可思議な読書を体験されたことになります。また、「りかさん」文庫本の後半には〈ミケルの庭〉という短編が収録されていますが、これは実はこの作品の後日談になっています。この辺り、説明なしに順不同で読むと全く意味がわからなくなります。この辺りなんとかならないものかと思いますが、これから読まれる方のために、ここに読む順番を記しておきたいと思います。

    ①「りかさん」: 幼き蓉子(ようこ)がおばあちゃんから『りかさん』をプレゼントしてもらう物語。

    ②「からくりからくさ」: おばあちゃんの死後、おばあちゃんの家に友人等三人と四人で暮らす蓉子の物語。『りかさん』も一緒。

    ③〈ミケルの庭「りかさん」に同録〉: 一歳になったミケルを置いて”中国に短期留学に行ってしまった”母親の代わりに育児をする蓉子たちの物語。

    ④「この庭に ー 黒いミンクの話」: 〈ミケルの庭〉のさらなる続編。

    ということで、流れからするとこの作品は『りかさん』四部作?の中間にあたる物語となります。そんな物語では、前作「りかさん」と大きな違いをもって『りかさん』が存在します。それが、『りかさんはまだ帰ってきていないんだ』と、蓉子の心が沈んでいく様が描かれるように、前作「りかさん」と異なり、会話をしない、蓉子と心を通わせることのない『りかさん』の存在です。前作を読まれていない方には何を言っているのか意味不明かもしれませんが、実は人形の『りかさん』は、主人公・蓉子と会話をするのです。そして、「りかさん」での会話の光景がこの作品ではこんな風に説明されます。

    『りかさんの声は、耳からではなく、蓉子の目と目の間、つまり顔の正面から入ってくる。父母はりかさんの声が聞こえないようだった』。

    「りかさん」の中で二人が会話をする場面は幾度も描かれますが、その情景を詳述するこの記述は、「りかさん」を読んだ読者に、そういうことだったのか!と貴重な”解説書”の役割りも果たしてくれます。

    『りかさんと祖母と蓉子は、秘密結社のような濃密な時間を共にした』という蓉子の幼き日々。そして、『蓉子の学校生活が忙しくなるに連れてその濃密さは薄れていったが、それでもりかさんの存在は蓉子にはかけがえのないものだった』と補足されていくそれからの蓉子と『りかさん』の関係性の描写はとにかく貴重です。そして、そんな『りかさん』が今作でしゃべらない原因がこんな風に語られます。

    『人形は傍らに人間がいなくなると、「冬眠」のような状態になるのだそうだ。今回はどうだったのだろう。そういえばりかさんは「お浄土送り」をするとは言ったが、帰ってくるとは言わなかった。けれど別れの挨拶もなかったのだ…』。

    おばあちゃんの死により『りかさん』に起こった大きな変化。その先に描かれていく物語は、『りかさん』という存在がただの人形にすぎない現実を見る物語が描かれているとも言えます。しかし、それを読む読者がそこから感じるのは『りかさん』の確かな存在感です。『りかさんは人形だけれど、命がある』というその存在はおばあちゃんの家で暮らす三人にとって、そして当然ながら蓉子にとって、一人の人間の存在同等の大きさで語られていきます。そして、この存在感の大きさこそがこの物語の読み味を決定付けます。世界観は全く異なりますが、四人の女性が一つ屋根の下で暮らす物語というと、三浦しをんさん「あの家で暮らす四人の女」が思い浮かびます。そんな物語にも人ではない”カラスの善福丸”が登場し、この存在が物語の印象を間違いなく決定付けていました。人間四人という安定感のある構図ではなく、人間四人+αの構図が物語を面白くしていく、そんな構成の妙をこの作品にも同様に感じました。

    そんな物語は、上記した、庭の植物を食す、染めものに執心する、そして存在感のある『りかさん』についてさまざま場面で言及がなされるという構図の中に一つ屋根の下に暮らす四人の女性の日常生活が描かれていきます。それで結末までいけばこの作品はある意味書名の和の雰囲気感の上に平穏な四人の女性たちの日常が描かれた物語となるのだと思いますが、実際には後半に進むに従ってどんどん不穏な空気が差し込み始めます。どの点を衝撃と捉えるかは人によると思いますが、私が呆気に取られたのは、

    『トルコ政府がクルド人に対して彼らの言葉の使用の禁止をはじめ… 民族アイデンティティを抹殺し去ろうとしている…』

    唐突に登場するまさかの『クルド人』問題が俎上に上がる衝撃的な展開です。それは、ある人物の手紙の中に登場するものですが、その手紙全文がひたすらに続くその後に『長い手紙だった』という一行から次のパラグラフが始まる通り、それまで読んできた作品の世界観を一気に変えてしまうだけの文章量をもってこの『クルド人』に関する物語が全体の雰囲気を支配していきます。その一方で、物語は、これまた予想だに出来ないまさかの展開をもって、不穏な空気感の中にスピードをどんどん上げて一気に幕を下ろします。この幕の下ろし方は衝撃的であり、これには度肝を抜かれました。ネタバレになるのでこの詳細に触れることはできません。しかし、この作品のブクログのレビューを見るとその評価は完全に二分しています。もちろん人によって受け止め方は異なるとは思いますが、少なくとも私には特にこの『クルド人』問題の登場は、広い意味で作品のテーマに結びついているとわかった上でも、それでも最後まで異物感が拭えませんでした。

    『人は何かを探すために生まれてきたのかも。そう考えたら、死ぬまでにその捜し物を見つけ出したいわね』と言う紀久の言葉に『本当にそうだろうか。それなら死ぬまでに捜し物が見つからなかった人々はどうなるのだろう』と思う蓉子。そんな蓉子が『私が探しているのは、隠れているりかさんなのだろうか』と自問する姿が描かれていくこの作品。そんな作品では、蓉子を含め、おばあちゃんの家で暮らす四人の女性の日常が描かれていました。前作「りかさん」の強い印象から読者もそんな『りかさん』の姿を物語の中に探してしまうこの作品。

    さまざまな要素が盛り沢山に書き記されていく物語の中に、『人はきっと、日常を生き抜くために生まれるのです』という梨木さんの拘りを強く感じた、そんな作品でした。

  • 素晴らしい梨木さんの世界。

    「りかさん」という本の続編だと、読み終わってから知りました。

    祖母の遺した家に住む蓉子とアメリカから日本の鍼灸の勉強をし蓉子とランゲージエクスチェンジをしているマーガレット、機織りをする紀久、テキスタイルの図案を研究している与希子の4人の女性の共同生活。

    草木染め、機織り、紬、能面、人形と日本の伝統文化とクルド人の背景も交えながら生きることの意義を教えてくれる。

    これも大切にしたい一冊になりました。
    手元に置いていて何度も読み返したい一冊です。

  • 作者さんの作品、今回も難しかったです。
    本のカバーに書かれているのを読んでこれならと思いましたが。
    女性4人の共同生活の物語です。
    この作品にも沢山の草花について書かれていて、そのつど調べながら読みました。
    知らない言葉についても同様に。
    読んでいると彼女達の過ごす家が浮かんできます。けれども共同生活の物語としてだけではなく、世界情勢まで話は広がります。
    それだけではなく…次々と。
    きちんと理解出来て読めたかはわかりませんが、読んでいる間は心地良かったです。

  • 表紙が津野海太郎だったので手に取ったら、、、
    きゃー
    【新連載小説】梨木香歩/猫ヤナギ芽ぶく 第一回 続 からくりからくさ

    波 2022年4月号 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/nami/backnumber/20220328/

    梨木香歩 『からくりからくさ』 | 新潮社
    https://www.shinchosha.co.jp/book/125333/

  • 『りかさん』から数年経て、主人公の蓉子は染色を仕事にするようになっていた。祖母が遺した家で3人の下宿人を置き、共に暮らすこととなる。
    鍼灸を学ぶためにアメリカからやってきたマーガレット。美大の学生で、機織りをしている紀久とテキスタイルを研究している与希子。
    4人の共同生活の日常と人間関係の機微を梨木さんらしい筆致で描いていく。

    この作品の発表の方が『りかさん』よりも先なので、こちらから読んだ方がよかったのだと思う。というのは、『りかさん』に収録されている『ミケルの庭』が本作の数年後を描いており、私には状況がわかりにくいところがあった。ようやく今になって、背景はこうだったのかとつながった気がする。後で読み返しておこうと思います。

    それにしても、梨木さんの書く小説は、登場する人たちの配置が絶妙だといつも思う。何らかの弱さや苦しみ、傷ついた過去を抱え、自分を解放できないつらさを常に味わいながら生きていく人。人との距離感を上手にとれなくて迷っている人。自由で無邪気な子どもっぽいところが見え隠れする人。穏やかでありながら、しっかりとした芯を持ち、いろいろな困りごとも淡々と受け止められる不思議と頼りになる人。
    どの人も決して一面的な良し悪しを切り口にすることはなく、弱さと強さを併せ持ち、互いを補いあうような関わりを見せている。
    読んでいると、「誰にでも、あなたの中の良さを見つけ、大切にし必要としてくれる人が必ずいるのですよ。」と梨木さんが語りかけてくれているように感じられる。人や人に起こるすべてのことをあるがままに見つめて、そのまま肯定してくれる世界が広がっているように感じるから。

    この作品の登場人物も、家族関係の中で感情のすれ違いを解決しないまま今日まで持ち越していたり、自分のありったけの時間と労力を費やして書き上げた研究成果に対して横槍を入れられたりする。自分の感情を持て余すことも。。読者が苦しさを共有し、一緒になって腹を立てることでしょう。
    それでも、4人の女性たちは考え方の異なる仲間の存在に大いに影響を受けて、また自分自身で考えを整理しながら、道筋をつけていく様子が好ましい。

    そして、りかさんに待ち受ける結末。

    目の前で突然起こる出来事に読んでいる私も、もう今では会えない人に対して「ああ、こうすればよかった。こうしていたなら・・。」という抑え込んでいた気持ちがあったことを思い出した。

    読んでいると
    苦しいのになぜだか許されるような
    哀しいことなのになぜだかいつか癒えると思えるような
    辛いのは自分だけではないと思えるからなのか・・・。

    もうしばらく梨木さんを追いかけていこうと思っている。

  • 「りかさん」から十数年?後のお話。
    というかこのお話があって、ようこのお話が描かれたのか。
    順番を間違えたので、最初から寂しい始まり。
    あのおばあちゃんが亡くなって、おばあちゃんのお家で共同生活を始めた、蓉子、与希子、紀久、マーガレット、そしてりかさん。
    機織りの音、草木染めの煮出す匂い、庭の野草の調理など現代社会から隔離されたような生活。
    沈黙するりかさんの謎とは。

    マーガレットの率直さ、与希子の素直さにヒヤヒヤしたり、微笑ましく思ったり。
    蓉子の無意識に物を慈しむ様子に嫉妬してしまう。
    「慈しむってことは、思い立って学べるもんじゃない。受け継がれていく伝統だ。」
    糠漬けもおいしくならない私の手。この台詞にドキリとする。

    紀久の闇の深さ、蔦を全身に絡めるような様子が他人事に思えず、それを振り払うように機を織るという行為がうらやましい。
    私の機織はなんだろう。雑巾縫い?

    能面、お蔦伝説、唐草模様、蛇、水蜘蛛、クルド人。
    蔦が絡み合うように、縦糸と横糸が絡むように話がすすんでいく。ルーツ、対立、対比、融合。
    隔離されたような彼女達の生活が外の空気に触れるとき、少しづつ平穏な日々に亀裂が入る。
    何時の間にかいろんなものが絡まって、身動きが取れなくなって息苦しいくらい。
    最後はこれしかないのかもしれない、でもとげを強引に抜かれたような痛みが残る。
    「残った部分は潰さないわ」という蓉子にホッとしたような痛々しいような。

  • 対立と協調の物語。
    うまく現せられないけど、そういうしか出来ない、宿世と輪廻物語が織り込まれた不可思議な物語でした。

    物語の核である染色と織りに例えるなら、静謐な生活という縦糸に、実に様々な対立(主人公四人の関係性であったり、それぞれの家族のことであったり、四人の生活には直接影響しない歴史的事象であったり、実に多くのこと)が横糸として織り込まれているイメージ。

    世俗から隔離されたかのような空間で日々を紡いでいく女四人の、穏やかさと充足感ある生活の中に大なり小なり様々な形で潜むもろい均衡と微妙な距離感、そこから少なからず生まれる対立に、正直なんだか怖くすらなりました。
    でも、対立だけでなく協調や連帯も確かに存在しているのです。

    多分、読み手の性質によって、全く違う印象を与える物語なのかと思いました。

  • 同じく梨木さんの「春になったら苺を摘みに」の次くらいに思い入れの深い小説。
    小学生の時に図書館で借りたハードカバー版で読んだのが最初だったんだけど、その解説に子供には分からない話、みたいなことが書いてあってすごくムカッとしたのを覚えてる。その時の私なりに感じることもたくさんあったし、でも図星であることもなんとなく分かっていた(笑)。その後年を重ねながら何度も読み返して、そのたびに新しいことを考えた。今回もまた、今自分の抱えている問題に先回りされていたような部分があって、かなわないなあという気持ち。

    受け継がれるもの、伝えていくもの。その中で否応なく変容を迫られる、その瞬間のエネルギー。植物との丁寧な暮らしも含めて梨木さんの思いのたけがぎゅうぎゅうに詰まっている、と感じる。
    紀久の帰還のお祝いの時の彼女たちそれぞれの微妙な心の機微、その空気の中でマーガレットがマーガレットらしくなる瞬間、そういう柔らかく繊細な描写が好き。でもこれは優しい小説ではなくて、同時にたくさんの女たちの「誰にも言えない、口に出していったら、世界を破滅させてしまうような、マグマのような思い」を内包してもいる。
    それらが絡み、業火の溶鉱炉と水脈とでつながり、伝わり、大きな一枚の織物になり、続いていく。


    私が一番近く感じてしまうのはマーガレットで、ジェリーとピーナッツバターのサンドウィッチのエピソードは彼女の気持ちに自分の中にも心当たりがあって子供の頃から読んでいて胸が苦しかった。
    あらかじめ欠けているもの、受け継いでいないものを一生追い求めないといけないということの苦しさ。それをいとも簡単にやってのける人を目の当たりにした時の焦燥、悲しみ。
    子どもを産んで、一層そういう事が浮き彫りになっていく中で「淵」を歩いて、生きて、つなげていかなくてはならないマーガレット。

    「断ち切れないわずらわしさごと永遠に伸びていこうとするエネルギー。それは彼らの願いや祈りや思いそのものだったんだ。自分の与り知らぬ遠い昔から絡みついてくる蔦のようなものへの嫌悪といとおしさ。」

    「呪いであると同時に祈り。憎悪と同じぐらい深い慈愛。怨念と祝福。同じ深さの思い。媒染次第で変わっていく色。経糸。緯糸。リバーシブルの布。一枚の布。一つの世界。私たちの世界。」

    呪いのように身に絡みつく因縁も、怒りも苦しみもすべて飲み込んで伸びていくエネルギーへの、生きていくことへの目の覚めるような賛歌。身を焼くような苦吟でさえ、祝福を同時に宿しえる、日常の中に織り込んでいくことができる。
    変容を迫られながらも受け継いで伸びていくことをやめられない、そうしかできない私たち。

    大好きな小説です。

  • 神崎からの手紙のくだりで私が感じたことを、この物語の中で唯一の第三者と言ってよい竹田が、終焉近くで言葉にしていて、好感を覚えた。

    きっと一枚の織物なんだ。

    それはあらゆる人と時空を覆い尽くすほどの織物だろう。

    何のつながりもないはずの女性たち。彼女らは経糸。

    連綿と受け継がれてゆくもの。それは旧き因習であれ民族の歴史であれ、異端のものに触れてしまえば、変わることを避けられない。それを頑なまでに拒み切れるか、折り合いをつけて変化に身を委ねつつも変わらぬ部分を遺してゆくのか。

    そんな息が詰まるような瞬間を何度となく経験しながら、この世界を構成するあらゆる生命とモノたちが繰り返してきた、変わる時の苦闘、苦痛、苦悩。それが緯糸。

    変化のたびに避けることができない代償を払いながらも、人も人形も、民族も遺跡もそのいのちを長らえてきたのだろう。

    四人を繋いできたあらゆるものの焼失、そして一つ…いや、あるいは二つかもしれない生命の消失が、その凄絶な変化が、新しい生命の誕生に繋がってゆく。

    必然…そうして宿縁。その場に居合わせた者たちの胸をよぎる、同じ思い。そのあとに訪れた穏やかな安らぎ。

    織物は絵とは違い、用いた色が溶け合うことはない。それぞれがそのままに、しかし織りなされたものの醸された深みは底がない。

    …なんという作品だろう。私は呑み込まれてしまった。もっと早くに読むべきだったと思う。

    よき、こと、きく。りかさんとその姉妹人形に贈られた着物の紋様。この謎染は、犬神家の一族にも関わっていた。

    良きこと聞く…という縁起を担いだだけではなく、未来への暗示。

    与希子と紀久への祝福…か。

    深い物語でした。憎しみや恨みと愛は、同じマグマから産まれる情念なんですね。

  • 共同生活を送る事になった女性4人と人形1体。それぞれの奇妙な縁と、織物、染物、能面などが気持ちよく交じり合い、最終的には浄化されたような気持ちになった。
    途中、メモしないと分からなくなる人形を巡る人物関係…。

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著者プロフィール

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『沼地のある森を抜けて』『家守綺譚』『冬虫夏草』『ピスタチオ』『海うそ』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』など。エッセイに『春になったら莓を摘みに』『水辺にて』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』『やがて満ちてくる光の』など。他に『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』がある。

「2020年 『風と双眼鏡、膝掛け毛布』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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