ぐるりのこと (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101253381

感想・レビュー・書評

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  • はあ。やっと読み終わった。1か月半以上?くらいかかった。
    わたし、小説と比べてエッセイって苦手なのよ。これ読んでて何でかちょっと分かったわ。この小説の作者ってこーいう人物やったのか、と興醒めするのが嫌なんやわ。
    梨木香歩はいくつか読んだ小説が好きやったし、このエッセイの章題も興味深くて面白そうやったけん買ったけど、面白げな章題からは想像もつかんよーな社会派やったわ。

    うーん…考えてみれば、「西の魔女が死んだ」とか「からくりからくさ」とか、しれっとフェミニズム的な思想ぶっ込んでたし、うん、まあ、そーいう人なんやね。
    私はそーいう、素敵ないい人でしょう!ていう…

    エッセイって言うからには自身の経験が元なんでしょう。よく自分の言動をああいう綺麗なことばで飾って表現できるよね。

  • 友達が昔、この本の話をしていた。ほとんど意味を解さず、確かに聞き流してしまった。しかし、どこかに薄っすらと記憶が残っていたのだろう。同じ音を聞いた時、それを思い出した。

    ぐるりのこと。身の回りのこと。何気ない日常に現れる風景、情景、人、事件。それを歴史や芸術、政治に繋げ、語る。どこか物憂げな語り口調でもあり、直截に導入されぬ核心からも、日々日常における関心事の比率が伺える。ぐるりのことは同じでも、感じたものが繋がる先は、その人の興味なのだ。

  • 矛盾を抱えて、生きていこう。考え続けて、生きていこう。

    梨木香歩が好きだ、と思った。この前読んだ『沼地のある〜』を構想していた頃のエッセイ。あの話に至るまでの思考の流れ、渦巻きを知って、より『沼地のある〜』が気になってきた。

    単純には割り切れない。違和感を感じる。だからといって、それを声高に叫ぶこともない。物語の力とは。「心を動かす」ことの危険性。「泣ける話」「全米が泣いた」という文句が嫌いなので、梨木香歩のとまどいが自分のことのように感じられた。梨木香歩の描く、「優しい冷たさ」は、私にとって心地よい。全員がわかってくれるなんて、怖い。でも、閉じこもらず、理解を得られるよう、働きかけること、考えることは、止めないでいたい。人と関わることはエネルギーがいるけれど、敬遠せず、さらっとしたことばだけを語って過ごすのではなくて、きちんと傷つくことばから逃げずにいたい。

  • 大切な本。
    人との諸々の付き合いや、時代の大きな流れで自分を見失いそうになると、この本に帰ってきてすとんと自分の足下に落ち着く。
    静けさに包まれ、それでいて開いている。
    その生き方に、憧れをもった。

    しかし生垣的な、ダルな境界を保とうとするからこそ、「そと」の流れは自分の近くまでに影響して、自分の足下はたやすくぐらつく。

    開かれたまま、自分のぐるりのことに足をつけて、生活する方法を、自分のもとに手繰り寄せようと、繰り返し開く。

    「春になったら苺を摘みに」の「夜行列車」で描かれたモンゴメリは、その方法を手にすることができず、境界をクリアにし、自分を守ったのであろうか。

    わかる。人との境界をクリアに区切ったほうが、ずっとラクだ。
    だけど、なぁ。

    この「ぐるりのこと」と、「春になったら苺を摘み」を読んで、その境界をあいまいに。
    クリアなものと、あいまいなもの。
    二つの別方向のベクトルをなんとか、使い分けてみたくて…

  • ☆4 水無瀬
    咀嚼に物凄く時間をかけるととても美味しい、実にスローフードな名エッセイ。甘くない。が、渋くない。昨今流行りのレモンジーナではないが、「土の味」がします。

  • 「ぐるりのこと」とは身の回りの事。九州、イギリス、トルコ等で出会った出来事を綴ったエッセイ。トルコ編は「からくりからくさ」で著者が見せたキリム等への造詣もうかがえます。著者の作品を読むたびに、自分も梨木さんのように、真摯に周りを見なければと反省させられます。

  • 再読。なかなか生垣の中から出られないわたしに梨木さんの言葉は沁みました。

  • 言葉にしづらいことを丁寧に自然と結びつけるように書いているエッセイだなあーと。
    ディテールがとてもクリアだとかんじる。こういう話ってすごくぼんやり書く人もいるけど、輪郭がくっきりしてる気がした。
    でもクレヨンとかじゃなくて、あくまでも細いペンみたいなかんじ。
    潔く落ち着いた知性みたいなもの?しんとした雪原とか、暖かな日差しのなかとか、そんなかんじ
    よみかえすといいな

  • 表題は、自分の「ぐるり」(周縁)のこと、という意味なのだが、筆者の想いは自分の身近な範囲から、時にはイギリスへ、そしてまたアメリカへ、アフガンへと拡がっていく。あるいは、彼女の出身地である鹿児島(薩摩藩)が背負っていた歴史的な構造を語り、さらにはそこから西郷隆盛論へと展開する。そして、最終的には「ぐるり」の中心にある『私』(個)へと帰着してゆくのである。それはまさに、銀河の渦のように回転しながら中心に収斂していくかのごとくだ。

  • 久しぶりりエッセイが読みたくなって手に取りました。

    普段読むエッセイと違って重かった…と言うか、頭使いました…が、家守綺譚の梨木さんの見る世界はこうなのか、と思い巡らせることができました。

    ヘジャーブが纏わされるものではなく、個を主張するために自ら纏うもの、と言う意見は初めて知りました。
    見られることでオブジェ化されることを拒む…考えたこともなかった…

    また、ジプシーは「知らない」ことこそがアイデンティティとなるとか。
    自分の出自を知らなければ、誰でもなくなる。
    誰でもない集合体が流浪する。音楽と共に。
    (定住すると音楽に関心を持たなくなるらしい)

    もう一つ、刺さったのは、明晰性と、対する単純化、幼稚化について。
    私は前者に憧れて、前者を持つ人を好むけれど、今の自分は後者だろうなぁ…と。

  • 身の回りの出来事から社会問題へ、社会問題から身の回りの出来事へ、作者の物事の感じ方がよくわかるエッセイ
    自分もこんなふうに感じたなという共感と、こんなふうに感じる人がいるんだという発見がありました

  • 映画の「ぐるりのこと」の原作かと思って手にとってしまったら、全く関係なかった(^^;
    梨木香歩さんのエッセイ、身の回りのこと=自分のぐるりのこと、に関しての梨木さんの思考の足跡。
    最初は読むのがとても大変で、梨木さんの思考になかなか入っていけなかったのだけど、ゆっくり丁寧に読んでいくと、じわじわと入り込め、いろいろなことに立ち止まり、深く考え、自分の言葉を紡いでいく様子に舌を巻く…。
    梨木さんの小説「沼地のある森を抜けて」誕生のための思索とも言える…と、解説に書いてあって、そう読むと、すごくわかりにくく、消化不良になってしまった「沼地のある森を抜けて」がちょっと身近になったので、今度また読み返してみようと思う。

  • ほっこりするエッセイではない。梨木さんの苦悩する、祈るような魂に触れ、こちらも触発される。声高に糾弾するのではなく、ぐるりのことに関わって行く姿勢に共感を覚える。特に西郷隆盛分析には深く反省させられた。

  • 梨木さんのエッセイは、とても聡明で思慮深く、梨木さんのお人柄がうかがえる。そして情緒もあって、思いやりも感じられる。

    “聞いていて、私はその場を動けなくなった。白状すると、女性の「心からの感嘆」に打たれていたのだ。私ときたら、初めてあの美しいアクセサリーたちを見たとき感じた思いに、今に至るまで、きちんとした言語化の手間をかけてやることすらしないできたのだった。自分の感動に等級を付けて意識せず軽んじていたのだった。”

    こんなふうに感じることのできる人。
    梨木さんの考えは深く、情も深く、そして誠実。
    浅はかな自分の愚かさを感じながら読んだので、なかなかすんなりと読み進めることができませんでした。

  • 静かだけれど、密やかな情熱を秘めたこの著者だけが持つ独特の静謐な文体。石粒が落ちて湖面に水紋が広がっていくように、一つのテーマをきっかけに様々な出来事、考えが現れかつ一つに織り上げられていくので、物語の全体、要旨を自分なり把握するのに慣れと時間が必要。でもそんな風に少しずつその人の時間で味わいながら読むのが合っているのかも。境界を行き来するの章の『開かれている』と題名にもなった『ぐるりのこと』という言葉が私にも深く印象に残った。このエッセイを連載中に執筆していたという、沼地のある森を抜けてを読むのが楽しみ。

  • 一歩一歩確かめるように、感じることを考える。身の回りは世界に通じていて、世界は身の回りに通じていることを、あらためて、想う。そのように、きちんと自分の頭で考えて、自分の心で感じたい。

  • 読み終わるのに4ヶ月もかかってしまった。

  • 読了断念

  • 深くかんがえる、深く思う。人の頭の中をのぞいてしまったような、そんな随筆。

  • 「春になったら苺を摘みに」のほうが正直好き。
    でも、このエッセイも良作でした。
    アクセサリーに関する話で感情を素直を表現する婦人に対する見解に私もハッとなった。
    どちらかというと私も「次郎ちゃん」のような反応を示すと思うのですが婦人の感情の表し方がとてもうらやましい

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著者プロフィール

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『沼地のある森を抜けて』『家守綺譚』『冬虫夏草』『ピスタチオ』『海うそ』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』など。エッセイに『春になったら莓を摘みに』『水辺にて』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』『やがて満ちてくる光の』など。他に『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』がある。

「2020年 『風と双眼鏡、膝掛け毛布』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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