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Amazon.co.jp ・本 (240ページ) / ISBN・EAN: 9784101253411
作品紹介・あらすじ
ふとした日常の風景から、万華鏡のごとく様々に立ち現れる思いがある。慎ましい小さな花に見る、堅実で美しい暮らし。静かな真夜中に、五感が開かれていく感覚。古い本が教えてくれる、人と人との理想的なつながり。赤ちゃんを見つめていると蘇る、生まれたての頃の気分……。世界をより新鮮に感じ、日々をより深く生きるための「羅針盤」を探す、清澄な言葉で紡がれた28のエッセイ。
感想・レビュー・書評
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2007年から2009年までの三年間、雑誌「ミセス」に連載されたエッセイ集。
随所に梨木さんらしさが出ている。
動植物
への深い知識、人間としての大きさ、深い愛情。。
特に最後の「どんぐりとカラスと暗闇」は梨木さんの思いが詰まっている。
この本もまたずっと一緒にいたい一冊になりました。
最近 良い本ばかりに巡り合い、とても充実しているように思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
※単行本を読みましたが、ブクログでは文庫しか出てこなかったです。
2007年から2009年にかけて雑誌「ミセス」で連載されていたものをまとめたエッセイ集。
身の回りの色々な物事をご自身の感覚で観察され、それを何かにつなげて深く考えておられる姿勢に驚嘆と尊敬しかありませんが、これは梨木香歩さんのエッセイを読むたびに感じることです。
梨木香歩さんの作品としてはたぶん一二を争うくらい有名で、私も大好きな「西の魔女が死んだ」についての記述もあり、その中で「西」が象徴するものが何だったか示されており、「そうだったのか」とすごく腑に落ちるものがありました。というか、それ以前に、「西」について全く考えを巡らせなかった自分に呆れました。
これまた大好きな「春になったら苺を摘みに」のウエスト婦人も出てきて、なんだか昔からの知り合いを偶然見かけたようにうれしくなりました。
どのエッセイも一見つながらないようなことが、梨木香歩さんの思考の末にゆるやかにつながって着地していきます。あぁ、梨木香歩の目と心を通してみたら、物事はこんなふうにつながるんだと、ひとつひとつのエッセイを読み終わるたび、自分の心もふわっと着地するかのようでした。
と、ここまで書いて、「ゆるやかにつながる」というタイトルのエッセイが良かったなーと思い出しました。”人間も群れで生きるものであるから、ある程度の倫理や道徳は必要だが、同時にその人自身の魂を生かすものであって欲しい。ちょっとぐらい自分たちと違うところがあるからといって、目くじらたてて「みんなはこうだ」と詰め寄り、排斥にかかることがないように”、と書かれていました。あぁ、なんて的確に、そして誰を責めるでもない優しい文章で、すごく大事なことを指摘してくれているんだろうと思いました。コロナ禍でよく聞かれた「同調圧力」や教育現場での「全員同じに右向け右」的なものに息苦しさを覚えることもあり、そのモヤモヤを愚痴のようにしか表現できない自分との格差を感じるエッセイでした。
また、ところどころ私も好意をもって尊敬している方たちが出てきてうれしかったです。
江戸風俗評論家の杉浦日向子さん(そんなに詳しくないのですが、昔テレビでお見掛けして、すごく素敵な方だと思っていたので、これを機に少し杉浦さんについて知りたいです。若くしてお亡くなりになったことに今更ながら再び驚きと悲しみがこみ上げてきました)や、大好きなエッセイ「日日是好日」の森下典子さん、「私の部屋のポプリ」の熊井明子など。
梨木香歩さんもこの方好きなんだな、と、少しは同じ感性を持っているのかも、と内心小躍りするくらいうれしかったです。
「梨木香歩作品を全て読む」はまだまだ続きます。 -
日常のふとしたことから、梨木さんが徒然に思いを馳せてゆくエッセイ。
「ゆるやかにつながる」では、ツルの群れの話から私たち人間もまた群れる生き物だという話へ。
「できるならより風通しの良い、おおらかな群れをつくるための努力をしたい。個性的であることを、柔らかく受け容れられるゆるやかな絆で結ばれた群れを。傷ついたものがいればただそっとしておいてやり、異端であるものにも何となく居場所が与えられ生きていけるような群れを。ちょっとぐらい自分たちと違うところがあるからといって…(略)…詰め寄り排斥にかかることがないような群れを。」
これにはとても共感した。
「世界は生きている」では、清里の森から様々に思いを巡らす。
『西の魔女が死んだ』にちらりと触れられているのも嬉しいところ。
(特別編として、「『西の魔女が死んだ』の頃」という章もある)
「刻一刻と様相の変わってゆく「生き物の現場」を、きっと「世界」と呼ぶのだろう。」という結びの文章が好きだ。
ここで言う「生き物の現場」とは森のことだ。
カッコウやホトトギスの托卵という習性に目を向け、梨木さん独特の、どこか飄々とした風情で「生き物の現場」を捉える。
「「スケール」を小さくする」での切手を買いためてしまうお話にも共感する。
あの方へは、このレターセットが似合いそう。
そしてこのレターセットには、こちらの切手がぴったりだ。
などと、選ぶ作業はとても楽しいものだが、このご時世、殆どがLINEとメールで済むようになってしまった。
「忙しさのあまり便利さを選ぶ心に、風流の棲みつく場所はない」と梨木さんも仰有る。
実際は寂しいことなのだけれど、この表現、素敵だなーなんて思ってしまった。
次の章「金銭と共にやり取りするもの」にも、小さな共感や素敵な表現が潜んでいた。
新聞の集金だけは、口座引落しをやめ、集金に来て貰うことを選んだ梨木さん。
通信販売には対人の煩わしさがないかわりに人の気配が足りないと仰有る。
対人で支払う瞬間には、ただの金銭のやり取りだけではない、「ありがたさ、(ときには)恐縮、会えたうれしさ、細やかな感情のやり取り、ささやかなあるいは(その人にとっての思いがけない)重要な情報の交換」が含まれているという。
だからこそ、「やり取りすることに金額の持つ以上の価値がある気がする」と。
動植物にお詳しい梨木さんであるからか、このエッセイは、まるでマイナスイオンを発しているかのようだった。
透明度の高い、澄んだ感じ。
清涼感を感じるような。
また、梨木さんの文章から、自分らしく慎ましく暮らすことの美しさを感じた。
そして、人は、群れる生き物としてどうあるのが好ましいか。
どんな距離感を保つのが好ましいか。
日常の小さな物事も丁寧に経験し、考え、深く味わうこと。
それは案外難しい。
けれど、なるべくそうありたいと思った。
好きな章
「近づき過ぎず、遠ざからない」
「金銭と共にやり取りするもの」
「ご隠居さんのお茶と昼酒」
「夢と付き合う」
「百パーセント、ここにいる」
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ブルーナの切手は切手シートでしたか。
それは可愛らしいでしょうね!
保存されていた気持ちがよく分かります。
私が保存している切手シートは仏像...ブルーナの切手は切手シートでしたか。
それは可愛らしいでしょうね!
保存されていた気持ちがよく分かります。
私が保存している切手シートは仏像です 笑
ちょっと渋すぎですかね。
私も季節の切手などを買い揃えていたのですが、今は自粛してます。
せっかく可愛らしい季節の切手を用意していたのに、郵便代が値上げになってしまったのも理由の1つです(|||´Д`)2025/05/18 -
傍らに珈琲を。さん
こんばんは(^^)
マイナスイオンを感じるようなエッセイ、
すごく読んでみたくなりました。
私も色々と共感することがあり...傍らに珈琲を。さん
こんばんは(^^)
マイナスイオンを感じるようなエッセイ、
すごく読んでみたくなりました。
私も色々と共感することがありそうです。2025/05/18 -
フリージアさん、こんばんは(*´∇`*)
梨木さんのエッセイは『ぐるりのこと』と本書とでまだ2冊目なのですが、
私は本書の方が読みやすかった...フリージアさん、こんばんは(*´∇`*)
梨木さんのエッセイは『ぐるりのこと』と本書とでまだ2冊目なのですが、
私は本書の方が読みやすかったです。
機会がありましたら是非♪2025/05/18
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庭に植えたクリスマス・ローズ、道端で咲くスミレ、今読んでいる本、お世話になった人たち。
日常で接するものや事柄から、人と人との関係や社会問題について思いを寄せる梨木香歩さんのエッセイ。
梨木さんの本は、小説とエッセイを数冊ずつ読んだ程度だが、自然と人間社会、リアルと虚構が境界なく溶け込んだような、独特な世界観だな、と思っていた。
このエッセイもまさにそうで、庭の草花たちの話から人との接し方の話になったり、野菜のアクの話からベトナム人の友達の悲惨な戦争体験の話になったり、自然と話が広がっていく感じだ。
この方は非常に感性の鋭い人なのだな、と思う。日常生活の中で触れるもの、事柄について、深く感じ、掘り下げ、そこから世界を広げていく。
「百パーセント、ここにいる」というエッセイがある。
世田谷美術館での舞踊とピアノのイベントに参加した体験から、森下典子さんの著書『日日是好日』で綴られる茶道の話を紹介し、最後に「五感の百パーセントをかき集めるようにして、丁寧に、例えば今、目の前にいる相手に応対してみよう、と思う。バラバラになった自分が、そういうとき、きっと焦点を結ぶ。相手を大切に思う、というその一点に。」と結ぶ。
「『スケール』を小さくする」というエッセイでは、片山廣子の『燈火節』でのエピソードを紹介し、はがきからメールに変わりつつある伝達手段について考えた後、「世界で起こっていることに関心をもつことは大切だけれど、そこに等身大の痛みを共有するための想像力を涸らさないために、私たちは私たちの「スケールをもっと小さく」する必要があるのではないだろうか。」とする。
梨木さん自身は、仕事で関西と関東を往復し、海外にもどんどん出かけていて、スケールが小さい生活を送っているわけではないが、身近なものを愛おしむミクロな視点の延長上で、世界中の様々な問題について考えておられるのを感じる。
世界中の人たちが、梨木さんのように日々の生活のなかで五感を研ぎ澄まし、そこから世界を広げていくことができたなら、この国は、この地球はもっと平和になるのかもしれない。 -
文庫で再読。
日常の何気ない一場面や片隅の植物から、生き方や在り方に想いを巡らせる梨木さんのエッセイは、読むたびに「自分はどうだっただろう」と省みるきっかけになってくれます。
近づきすぎず、離れすぎず。
誰かに頼ることも、1人で立つこともできるよう。
「ちょうどよい」を保てるバランス感覚を養っていきたいものです。
今回メモした部分と同じ箇所を、2011年に単行本を読んだときにもメモに残してありました。
自身が「こうありたい」と思っている姿が、6年経っても変わっていないことを確認できた、実り多い読書でした。 -
梨木香歩(1959年~)氏は、鹿児島県出身、同志社大学卒の児童文学作家、小説家。児童文学関連はじめ、多数の文学賞を受賞している。
本書は、月刊誌「ミセス」に「不思議な羅針盤」として2007~2009年に連載された28篇のエッセイをまとめて2010年に出版され、2019年に文庫化された。
私は、ノンフィクションを好み、小説をあまり読まないため、これまで残念ながら著者の作品に目が留まることはなかったのだが、小川洋子のエッセイ集『とにかく、散歩いたしましょう』を読んだ際に、その中で著者の『渡りの足跡』から引用していた一節に惹かれ、本書を初めて手に取った。
エッセイ集については(当然ノンフィクションなので)、これまで、須賀敦子、白洲正子、藤原正彦、沢木耕太郎、藤原新也、内田洋子、最相葉月、福岡伸一、吉田修一、穂村弘、ジェーン・スー、石川直樹など、幅広い分野の書き手による、硬軟様々なものを読んできたが、書き手の物事の捉え方・考え方、人となりが如実に表れており、とても面白い。
本書に収められた28篇のエッセイのタイトルは、「堅実で、美しい」、「たおやかで、へこたれない」、「ゆるやかにつながる」、「みんな本物」、「世界は生きている」、「「野生」と付き合う」、「夢と付き合う」、「「アク」のこと」、「百パーセント、ここにいる」、「「いいもの」と「悪いもの」」、「変えていく、変わっていく」などとなっており、いずれも、著者の造詣が深い鳥たちや草木のほか、身の回りにあるものや日常の出来事に託して、それらのテーマが綴られている。
例えば、以下のような印象に残る記述がある。
◆「煮詰まった人間関係は、当人がどんなにがんばっても容易なことでは動かない。よく、自分が変われば他人も変わる、というけれど、今の世の中ではそういう法則も働かないことがある。あまりにも複雑な要因が絡んでいるから。「シロクマはハワイで生きる必要はない」・・・」
◆「倫理的でありたい、と願う気持ちと、自分は倫理的である、と自負する気持ちは別ものだ。倫理的でありたい、と願いつつ、それができないことを自覚する人の方が、なんだか「いいもの」のように思えるのはなぜだろう。」
巻末の解説で臨床心理士の平木典子氏は、「読後にはある種の透明感が残る」と書いているが、小雨の降る午後や、静謐な夜に、ひとりで落ち着いて読みたくなるような一冊である。
(2021年5月了) -
数々のエッセイでは、植物、動物などわたしの好きなエッセンスが登場。
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程よい距離感。
梨木さんの文章は主張しない。
何かに憤慨しても心動かされても
それをそれとして
まるで自分のことも含めて
傍らで観察しているような気配。
何ものにも染まず染まらず。
彼女の小説が放つ強い存在感の正体は
彼女のエッセイ集を読み重ねているうちに
少しずつ分かり始めたような気がする。
ご自分の中に生まれる感情や思いを
ごく自然にこぼれ落ちる言葉に
何の違和感もなく託しているのだろう。
不自然も気負いも恣意もない
ただ言葉にしたいだけのこと。
そこに特定のベクトルが あらかじめ
用意されてからの言葉ではないので
無色透明の清々しさがあるのだろう。
だから 私たち読み手が
そんな梨木さんの小説に心動くのは
梨木さんの内面に感応するものが
私たちの中に最初からあるからなのだと
信じたい。
そんな自分なら 好きでいられる。
自然と生き物に触れる言葉は
慈愛…と呼びたくなるような
とびきりの優しさに守られて
私の心にちゃんと届く。
それが うれしい。 -
筆者の観察力や見たものを綴る言葉のセンスが素晴らしかった。
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このエッセイが掲載されたのが2007年から2009年。
10年近くの月日が経って読むエッセイ集なのに古臭さが無い内容でした。
しかし、すべてが新しく新鮮というわけでなく、「変わらないもの」と「変わった(変わってしまった)もの」があり、「変わらないもの」は「変わらないもの」として、生き方のちょっとした参考になったり、日々引っかかっていた小さな事柄とからんで賛同できたり、「変わったもの」もただ古いわけじゃない感覚があったりと、劇的な何かがある内容じゃないけれど、穏やかな気分になれる一冊でした。
植物の話や日常の風景(愛犬との共闘は笑ってしまった……)、虫や動物の生態・本能、人としての在り方・考え方が、自分には無い視点で時々怖くも感じるけど、ついつい読んでしまう魅力があります。 -
いつもの著者らしい、自然への敬意を丁寧な表現で紡いでいる静かな本。
この方らしさなのだろうが、
ちょくちょく政治的嗜好を物語に絡めるのは私は好きではない。
せっかくの美しく、清らかで静かな自然のお話が一気に泥臭くなり、物語の透明感が失われる。
せっかくの貴重な『静かな本』をしみじみ静かに味わいたいというのが本音。 -
「ウド仕事」のくだりが印象的。
ウドは下処理が大変だけど、それをしている時間が落ち着くらしい。
食材の音や調理の匂い、こっそりつまみ食いする楽しみは料理をする人だけのもので、食べるだけの人に対して申し訳なくなる、と。
めんどくさい、めんどくさいと思いながらする毎日の料理時間に、ちょっとだけ光を灯すフレーズだ。
日常生活は便利になっているはずなのに、私たちの時間は刻みに刻まれ各タスクにとられていく。
私が料理の時間がめんどくさいのは、その時間に寝たりテレビ見たりしたいと思っちゃうからなのだ。感覚がすっかりマヒしていて、他の何かに機嫌をとってもらわないと楽しくなれないのかもしれない。
でも料理のような自分とその家族が生きていくための作業にこういう小さな幸せを見出すことができたら、毎日をもう少しご機嫌に過ごせるかもしれない。 -
この本は2010年刊行。人との繋がり、時を満たすことの大切さ・・・コロナ禍にこの本を読む事は、何とも胸が苦しくなるが力づけられる読書ともなった。人と触れ合える時を取り戻してから必ず再読したい。
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梨木香歩の不思議な羅針盤を読みました。
婦人誌に連載されていたエッセイ集でした。
草木や動物たちに向き合う姿勢、庭に生えた草や木の実の料理についての話、友人や通りすがりの人とのつながりかたなど、面白く新しい発見のある内容でした。
杉浦日向子さんのご隠居さんの話題は面白く読みました。
konnokもご隠居さんと呼ばれる年齢になったけど、ご隠居さんのようなおおらかさも人間性も全然ないよなあ、と思いながら読みました。 -
プラスチック膜を破ってが印象深かった。
紹介されていた村岡花子さんの辞世の句も良かった。 -
タイトルは素敵だが、テーマは「人との距離感」だと思う。少しちぐはぐ。
植物や鳥の名前に造詣が深く、『赤毛のアン』が大好きなんだなぁと思う。ナビを彼女と読んでいる表現なんかは面白い。
ただ授乳中の母親が携帯電話をいじることに批判的な表現は不快だった。傍目の美しさはないかもしれないが、授乳は子供を育てているだけで見せ物ではない。聖母像でも求めているのか、だまらっしゃいと思ってしまう。 -
お書きになる物語と同じような生活をしていらっしゃるのだなあ、としみじみ。
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