ギリシア神話を知っていますか (新潮文庫)

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  • / ISBN・EAN: 9784101255040

感想・レビュー・書評

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    言ってしまえば、ギリシア神話の中でも読み応えがあって面白い話ばかりが集められている。
    小説家 阿刀田氏のユーモアに溢れた脚色や考察も入ってはいるけど、入門書としては最高に面白いと書評にあっただけにビンゴだった。

    ほぼ全ての自然現象は科学的に説明がつくのに、何故未だに神話が語り継がれ愛されるのか意味が分からなかった。(バリバリ文系なのに矛盾したことを言う…) 神々の領域に足を踏み入れたばかりで、正直のところ読後もまだ分かりきっていない。

    ギリシア神話は様々な伝説の複合体として長い時間の中で成立したものだから、辻褄が合わなかったり中には「ノアの方舟」のような”よそ”の神話と酷似した話があったりする。その辺も含めて最終的に物語として楽しむ余裕が出ていたのは、まさしく本書のおかげとしか言いようがない。

    更に科学が未発達の時代だからこそ絶対的なものへの想像力(あるいは妄想力?)がとことん豊かなので、シンプルに続きが気になる。それにあやかった著者の執筆力というか妄想力も達者で、我ながら久々に良い選書をしたと思った。

    最高神ゼウスがとてつもない遊び人だったりと、ギリシア神話には「神のくせに…」と軽蔑したくなるような神々がわんさかいる。そのため本書の物語群もほとんど救いようがなく、読書中は著者のユーモアとバッドエンドのアップダウンを何度も喰らった。

    『パンドラの壺』もその一つで、開けるまでの経緯(開けた後の結果だけは知っていた笑)や前・後日譚に至るまで、幸と不幸の間を行き来するハメに…。知恵者の兄プロメテウスがゼウスをおちょくったせいで、地上に壺を持った美女が弟エピメテウスの元に派遣される。幸い壺を開けても二人に不幸は訪れず無事子供も生まれたが、やがて当事者の兄にお咎めが下り、別の場所では災いの種が蒔かれて…。
    …まぁ著者の思惑通り、こちらも読み応えがあって面白おかしく読ませていただきましたが笑

    以前は神話をおとぎ話のように認識していたが、時折現実世界とリンクしていると錯覚する事実があるからたまらない。
    牛頭人身の怪物ミノタウロスが閉じ込められていた迷宮や、英雄ペルセウスが石にした海獣によく似た岩塊が、当地に実在していたり。岩の件はともかく、ミノタウロスの迷宮は実在しないと近年アメリカの研究チームが結論づけていたが、きっと他にもどこかで繋がっていると半ば信じている。

    最終章の「古代のぬくもり」でも伝説と思われていたトロイア遺跡を発掘したシュリーマンのエピソードが取り上げられている。そこに著者自身がギリシア神話への個人的体験を添えられているから、彼もまた少なからずロマンチストだったのかもしれない。

    裏表紙の内容紹介にある「ギリシア神話通」には及ばなかったが、神話への通用門にはなったはず。神話の迷宮に飲み込まれそうな時は、またここに戻ってこよう。

  • 10歳の次男が、ギリシア神話をモチーフにした児童文学「パーシージャクソンとオリンポスの神々」シリーズを学校で借りてきて今も読み進めている
    ギリシア神話について知りたいというので、子供にも分かりやすい本をいくつか借りてみたんだけど、せっかくなので私も読もうと阿刀田さんの知っていますかシリーズを。
    なお、次男にもちょっと読ませてみたが「子供が読んじゃいけないことが書いてあった~~。(><)。」と言っていた(笑)まあゼウスが○○に変身して女性を妊娠させ~とか、戦争で負けた女性は敵国に連れ去られて…とかそういう描写は多いですからね。


    西洋文学、映画、美術を読んだり観たりするに当たり、聖書やギリシア物語やシェイクスピアはある程度分かっていないと理解しづらい。
    シェイクスピア悲劇が「人間個人が生み出した悲劇」だとすれば、ギリシア悲劇は「人間個人ではどうにもできない宿命としての悲劇」だとかいう考察を聞いたような。
    たしかに「オイディプス王」なんて運命の所為というか、本人は(そんなに)悪くないだろう、とは思う。

    ギリシア神話には、
     神様だけの話
     人間だけの話
     人間と神様が混在した話
    がある。
    神様の騒動が人間に被害を及ぼすものだと「神様同士で話を付けてくれませんか?!」と思ってしまうんだが、
    トロイ戦争のように実際の人間の歴史に神々をエピソードとして配置したものだと不謹慎ながらよくできているなとは思う。そして神様が絡む分まあ他人事と言うかソフトな印象にはなっているが、実際にはもっと凄愴だったのだろうとも思う…。

    『トロイアのカッサンドラ』
    トルコ領の北の端、海湾に位置するトロイアの町。小さいけれど地理的に好条件で、大国ギリシアとも渡り合えるくらいの力を持っていた。

    時の王はプリアモス王。息子の一人にパリスがいた。国を破滅させると予言され、殺されるはずだったところを部下により密かに育てられたパリスは、家畜の世話をしながら気ままな日々を送っていた。
    ある日三人の女神、大神ゼウスの妻ヘラ、知恵の女神アテネ、愛の女神アフロディテとの間の美女争いの審判を委ねられる。
    パリスは交換条件として「世界一の美女」を約束したアフロディテを選ぶ。
    ギリシア神話に置いて「産まれた時不吉な予言をされた子供が殺されるはずだったところを助かり…」というパターンでは、その予言は必ず実行される。

    中国古典では預言された息子が父を説得し、ますます栄えたみたいな話になることもあるんですけどね。ギリシア悲劇は「本人ではどうしようもない根本的命運的悲劇」なのだからここは国が滅びないと。

    この章のヒロインのカッサンドラは、プリアモス王の娘の一人。
    カッサンドラは、アポロンから口説かれたときに予言の力を授かるが、それを得て逃げ出してしまったというある意味契約不履行に怒ったアポロンが「必ず当たるが誰にも信じてもらえない予言」となってしまう。ヤル事だけヤリたかったアポロンからか弱い娘さんが逃げ失せたんだから「よくやった!」といいたいが…神を怒らせて倍返しされてしまいましたね…。

    さて。色々あって王子と認められたパリスは父プリアモス王の使いとしてギリシアに行くことになる。
    そしてその強国ギリシアには絶世の美女ヘレネがいる。母のレダは、白鳥に化けた大神ゼウスにより身籠った。
    このパリス、そしてその使いを果たさなかったばかりか、世界一の美女ヘレネを連れ去ってしまうんだから全くお気楽者だ。
    こうして10年に及ぶトロイ戦争が起こった。
    ギリシア悲劇が「個人ではどうしようもない悲劇」だとしても、このパリスはあくまでも「個人が悲劇を招いた」だろう…。

    現代でも心理学用語で「カサンドラ症候群」という用語がある(医学用語ではない)。
     「夫または妻(あるいはパートナー)と情緒的な相互関係が築けないために配偶者やパートナーに生じる、身体的・精神的症状を表す言葉」
     「世間的には問題なく見えるアスペルガーの伴侶への不満を口にしても、人々から信じてもらえない。その葛藤から精神的、身体的苦痛が生じるという仮説」(wiki写しました)

    人から信じてもらえない、正しい予言を繰り返したカッサンドラは、トロイ陥落に際し悲劇的最期を迎える…。

    映画「トロイのヘレン」を見たことがあります。
    トロイ敗戦後にヘレネがギリシアに連れ戻されるところで終わり。彼女はギリシアで居心地が良かったのか悪かったのか。
    http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=16339
    カサンドラは、最初はヘレネに対して不吉な予言をして警戒しますが、何かのきっかけで「悪い運気は消えた」とか言って和解していたような。彼女は燃え盛る神殿で敵兵に拉致される場面で出番は終わり。

    さて。
    トロイ戦争と言えば、トロイの木馬、アキレウスとヘクトルの闘い、なかなか帰れないオデゥッセウス、などなどの数多くのエピソードがあり、それぞれが別の物語を紡ぐ。
    ギリシア神話は、神々の神話であると同時に、現代にも繋がる人間たちの辿った道のりでもある。

    『嘆きのアンドロマケ』
    十七世紀フランスの演劇ルールに「三・一致の法則」というのがあるそうな。
     ・時の一致⇒一つの芝居が始まってから終わるまで、二十四時間以内の出来事であること
     ・場所の一致⇒芝居が始まってから終わるまで、場面は一つの場所でなければならない。
     ・筋の一致⇒芝居が始まってから終わるまで、一つの筋を中心にして他のエピソードを交えてはならない。
    ラシーヌが書いたギリシア古典「アンドロマク」はまさにこの三・一致を守っているということ。
    そして私は劇団四季の「アンドロマク」を見たことがあったのでした。

    トロイ戦争でアキレウスに殺されたトロイの王子で智将のヘクトルの妻アンドロマケは、トロイが滅びてギリシアに連れ去られる。
    彼女を望んだのはアキレウスの息子のピュロス。だがピュロスには婚約者も同然のヘルミオネがいた。絶世の美女と言われトロイ戦争の引き金となったヘレネの娘であるヘルミオネは気位も高い。自分の物にならないなら愛するピュロスを殺そうとする。そしてヘルミオネに熱烈に想いを寄せる勇将オレステスにピュロスを殺害をさせる。

    要するに誰も報われない四角関係。
    ラストでは、ピュロスは死に、自分が望んだこととはいえ愛する男が死んだことを嘆くヘルミオネはオレステスを激しくなじり自害する。女心に振り回されたオレステスの嘆きで終幕。

    劇団四季で観た感想は「命も望みも保ったアンドロマク、望みは叶ったが命を喪たピュロス、命も望みも失ったヘルミオネ、とりあえず命は助かったねのオレステス」という感じだった(笑)
    しかし実際のアンドロマケの幼い息子は殺されている。大殺戮の痕跡の残るトロイで、城壁から突き落とされる幼い息子と略奪されるアンドロマケ。
    https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/91/Andromaque_Rochegrosse.jpg

    なお、オレステスの父は、トロイア戦争でも活躍したアガメムノンであり、こっちはこっちで別のエピソードにつながる。
    ギリシア神話の中でも「人間の物語」である。

    『貞淑なアルクメネ』
    ヘラクレスの母となったアルクメネ。
    父はゼウス。アレクメネの夫であるアンフィトリオンに変身してアルクメネと交わる。
    アンフィトリオンは、妻の”浮気”を叱らずむしろ大神の子供ということでヘラクレスを喜んで育てたらしい。
    ゼウスの浮気は大迷惑だが、女にとっては「だって夫に(または雨垂れに、白鳥に、雄牛に)変身されたんだからしょうがないじゃない」と言えるし、男にとっては「大神ゼウスの息子を我が子として授かったなら栄誉」だといえるし、人間にとっては案外都合が良かったのか。

    この章ではこの後ヘラクレスの冒険の解説となり、そしてヘラクレスの死後も母アルクメネは生きていた、と語る。

    『恋はエロスの戯れ』
    エロスの母は美の女神アフロディテ。エロスの持つ矢で胸を付かれた者は、たちまち恋に落ちてしまう。
    女神のアフロディテは美少年アドニスに、アポロンはうら若き乙女のダフネに…。
    それは本人たちにとっては大変迷惑な話だが、恋とは無邪気で残酷だということを「永遠に年を取らない無邪気な幼い神の気紛れで弓を得られたのだから人間は恋に苦しむかない」ということで表現したのだろう。(と、阿刀田さんは解析する)

    『オイディプスの血』
    テーバイのライオス王は「長じて父を殺す」と予言を受け、産まれてきた男児殺害を命じる。
    ギリシア悲劇ではこの予言が下された場合、その男児は密かに助けられ、長じてその予言を敢行することになる。まさにそれが「自分では避けようのない運命の悲劇」。
    さらにこの章では、オイディプスが国を出た後のテーバイの状況、オイディプスが死んだあとの子供たちにも降れている。
    この章の後半で語られてるのは国を出たオイディプスの世話をした娘のアンディゴネ。殺し合った兄弟を悼み葬ろうとしたことで罰せられる娘。芝居としての役割は、「現実的政治を行う姿勢者に対して、人間社会本質の矛盾を示唆する者」ということらしい。

    オイディプス王の物語は相当有名で、心理学用語でも、父を憎んで母を愛する男性心理を「エディプスコンプレックス」と名付けられている。
    ギリシア神話由来の「○○コンプレックス」は他にも多々ある。ギリシア神話は現代にも通じる人間心理の真相を描いている。

    そいえば私は蜷川秀樹演出、野村萬斎主演のオイディプスを観たことがあった。
    蜷川さん舞台は3作品しか見てないけれど、上からなにかがボタッと落ちてくる、出演者脱がせる、客席巻き込む、などなどなんかシュール。
    私が観た舞台では全体的に白を基調としてちょっと現実離れした感じになっていました。

    『闇のエウリュディケ』
    竪琴の名手オルペウスが死んだ妻エウリュディケを求めて黄泉の国へと赴く。「決して振り向いてはいけない」という教えをあと一歩のところで破ったため、エウリュディケを永遠に失ってしまう…。
    日本神話でも伊邪那岐の尊が伊邪那美の尊を求めて黄泉の国へ行くが叶わないという話がありますね。国が隔たっても人間の語る話の内容が似通うのは面白い。

    オルペウスは芸術家で妻を愛する優男のように感じてしまうが、昔はアルゴー船にも乗船してヘラクレスやカストールとポルックスのような勇者たちと共に冒険に出ていたのだから、彼自身も勇敢で人付き合いもうまかったのだろう。アルゴー船乗組員たちは、船長イアソンも含めて悲劇的な最期を遂げる者が多い(まあ悲劇的な者たちだけが語りつがているんだろうけど)。

    『アリアドネの糸』
    クレタ島の迷宮には、牛頭人身の怪物ミノタウロスが住んでいた。アテネの王子テセウスは、人身御供としてささげられるアテネの少年少女たちに交じってミノタウロス退治を目論む。
    テセウスを手助けしたのは、クレタの王女アリアドネ。テセウスに糸玉を渡し、それを辿り道標とさせた。
    首尾よくミノタウロスを倒して手に手を取って逃げ出したテセウスとアリアドネ。しかし酒と収穫の神であり暴れ者のディオニュソスの支配する島に立ち寄ったところ、アリアドネはディオニュソスに差し出されてしまう…。
    テセウスは一人アテネに帰った、そして別の姫を迎え、死んだ父の跡を継いだんだそうだ。
    いい気なもんであるが、まあ成功者の成功物語ってこんなもんさ。

    この話の枝別れの部分で、イカロスの失墜の物語がある。

    『パンドラの壺』
    知恵者のプロメテウスは、暗闇を恐れる人間に火を教えた。
    神々は人間が力をつけすぎることを望まず、この挑発者プロメテウスのもとに蠱惑の美女パンドラを送り込む。
    しかしパンドラと共に送り込まれた罠に嵌ったのは弟のエピメテウスの方だった。パンドラが持ってきた箱の中から飛び出したあらゆる不幸、しかしそれでも失われない希望。
    プロメテウスはその後、岩にくくりつけられ鷲に肝臓をついばまれ続ける罰を受けるが…、その後神々と和解。晩年はオリンポスの神々の助言者として平穏に暮らしたそうな。”平穏”という言葉はギリシア神話では聞きなれない(笑)

    『狂恋のメディア』
    コルキス王アイエテスの娘メディアはある若者に目を奪われた。
    青年はアルゴー船船長のイアソン。イオルコスの王位継承のために、コルキス王の所有する金色の羊の毛皮を獲らねばならなかった。
    敵の若者に目を奪われる娘が、父を裏切り若者の手助けをしてそのまま駆け落ち…というパターンは多々あるが、このメディアの場合は狂想っぷりが桁違いだった。
    彼女は父を裏切り弟を殺し、イアソンに王位を返そうとしないイオルコス王を謀殺する。さすがに彼女を怖れたイアソンが別の女性と親しくなるとその女性と父も殺す。
    メディアのその後はイアソンとは離れ、別の国の王妃になったようだが、策を弄するのは相変わらずで、ミノタウロス殺しのテセウスも殺そうする。最期は不明だが、彼女が殺せなかったテセウスが自国の王になった以上穏やかに過ごせたとは思えない、ということ。

    アルゴー船の冒険は、ギリシア神話の中でも英雄達の冒険談として有名ではあるが、関わった男も女も碌な死に方をしていない。

    『幽愁のペネロペイア』
    この章の冒頭では、男と女の恋愛観の違いなどを考察している。それは敵方に略奪された女性たちの心境を慮るためだ。
    そしてこの章のヒロインのペネロペイアは、珍しくも敵方には決して略奪されずに済んだ女性。
    夫はオデュッセウス。十年続いたトロイ戦争の勝利後、さらに十年間故郷に帰れなくなった。女性にとって夫がいないことは不安定だ。自分を狙う求愛者たちは好き勝手する、経済的にも困窮、このままでは息子のテレマコスの命も危うい。
    オデュッセウスが帰ってきたのは、ペネロペイアがついに求愛者たちの中から再婚者を選ばざるを得なくなったその日だった。冒険譚の大団円として、勝手な求婚者たちはオデュッセウスにより皆殺しになる。
    このエピソードがわざわざ残されるということは、女が夫を待ち続けるということが本当に難しかったのだろう。待ち続けた女の心と、略奪されつつ新しい暮らしに決して慣れようとしなかったり、または順応しようとした女たちの姿。

    『星空とアンドロメダ』
    星座の名前にはギリシア神話由来のものが多い。羊を飼いながら、海を旅しながら、星に物語を作ったのだろう。
    生贄のアンドロメダを助けたペルセウスの話も英雄譚の一つで、メデューサの物語など有名エピソードを含んでいる。
    ペルセウスとアンドロメダの物語が有名になった要因の一つとして、やはり星座になった人物が多いということもあるだろう。
    アンドロメダの母であるカシオペアなど、エピソードとしては「姫の母」というだけだけれど、冬になると非常に探しやすい星座としてついつい探してしまいますからね。


    『古代へのぬくもり』
    阿刀田さんのギリシア神話語りと、古代を感じることについてでこの本を締めている。

  • とても面白かったです。
    子どもの頃、星占いとか花言葉とか妖精とか好きだったので、ギリシア神話もその流れで児童書で読んでいたことを思い出しました。恋多きゼウスとか、敵の国の姫と駆け落ちするような勇者とか、その頃どう思っていたのか思い出せないけど、それでも魅力的な神話の世界に心ときめかせていたことは覚えています。
    その時の想いがぱぁーっと蘇りました。阿刀田さんのわかりやすい説明や、クスリと笑えるセリフなどのおかげで難しい神々の名前も、覚えられないまでも(笑)そうそうこの神のことね!とストーリーの中で理解することが出来ます。
    品行方正な神々よりも、人間味溢れるどちらかと言えばなんて奴だぁと呆れるくらいの神々の方になんでかな、惹かれますね。
    あと、シュリーマンの伝記はぜひとも読んでみたいです。

  • かなり丁寧にゆっくり読みました
    ギリシア神話は色々と物語の前提となっていたりするので、勉強しておこうと思った次第です

    神々の人物紹介的な最後の章の「古代へのぬくもり」を最初の章にしていないところに、
    著者の、神話を物語として楽しんでほしいというような気持ちを感じました

    • りまのさん
      あつしさん
      フォローに答えて頂き、ありがとうございます!
      阿刀田高は、好きな作家さんで、この本も、楽しく読んだのですが、本箱のカオスの中に、...
      あつしさん
      フォローに答えて頂き、ありがとうございます!
      阿刀田高は、好きな作家さんで、この本も、楽しく読んだのですが、本箱のカオスの中に、紛れ込んでいます。あつしさんの本棚を見て、思い出しました。
      それでは、これからどうぞよろしくお願いいたします♪りまの
      2021/01/23
    • あつしさん
      りまのさん
      コメントありがとうございます
      こちらこそこれからもよろしくお願いします
      本棚を参考にさせていただいて、世界を広げられたらなと思い...
      りまのさん
      コメントありがとうございます
      こちらこそこれからもよろしくお願いします
      本棚を参考にさせていただいて、世界を広げられたらなと思います。
      2021/01/23
  • 平易な文章であり、作者独自の切り口でギリシア神話を紹介するエッセイ本。ギリシア神話に興味がなくとも、楽しめる一冊である。しかし男性目線でそうなってしまうのか、女性が蹂躙されている説話の取り上げ方か気になる。バッカスとアリアドネなんて、これではただただアリアドネが気の毒で、神話として残す理由が全く分からない。中野京子先生とは180度違う取り上げ方なので、しかも中野先生の方が運命的な恋という形だったので、気持ち悪さが増してしまった。少々気になるところもあるが、とても読みやすくてGOOD。

  • 5年前にギリシア神話を読まずにエーゲ海に浮かぶ島々を訪ったことが悔やまれる。でも当時ではなく、今だからこそこんなに興味を持って読めるのかもしれない。ギリシア神話ってなんとなくむずかしそうと思っていたけれど、武勇伝と一目惚れの話ばかりだし、なにより阿刀田さんの文章は読者を飽きさせない。神と王と王妃がたくさん登場するのと、浮気癖のあるゼウスのせいで親族が多いので、相関図を描いたらすごいことになった(笑)

    p42
    女は自分を恋している男に対して、その愛を受け入れるつもりはさらさらないくせに、それでもなおなにほどかの媚態を示すものだ。そこに女の本質的なコケットリイがある。残酷さがある。

    p56
    神がーこの世を作った創造主がーどうあろうと、人間は人間の判断に従ってこの世を引き受けて行こう、という強い姿勢がうかがわれる。その判断は、はかない錯誤にしかすぎないかもしれないが、人間はそれを頼りに人間として生き抜くよりほかにないではないか。少なくとも二十世紀はそういう考え方の支配的な時代である。われわれの世紀ではすでに"神は死んだ"のである。

    p101
    アヌイの中のアンチゴーヌはクレオンに対してーひいてはこの人間社会そのものに対して、「ノン」と言い続けるために存在する。
    この「ノン」は、否定の理由をたやすく説明できるしろものではない。
    あえて説明するならばー人間の社会が続いて行くためには、クレオンが説くような良識ある秩序が必要なのは本当だろう。アヌイの描くクレオンは、古い神話やソフォクレスのドラマに見られるような"悪い"統治者ではない。浮世の常識に従えば、充分に納得の行く為政者だ。しかし人間社会が本源的に矛盾を含んだものであるならば、どこかでつねに「ノン」と叫び続ける者がいなくてはならない。それがアンチゴーヌの役割であった。
    かたくなに「ノン」と叫び続ける理由がなんなのか、アンチゴーヌ自身さえわからない。もとより古典的な兄弟愛や死者への敬いからではない。彼女はただ「ノン」と叫ぶことを役割としてこの世に現われ、その役割を全うして死んで行く。
    それがアヌイの戯曲の変らぬテーマであり、実存主義文学の特質であった。人間存在に対する、理由の説明できない疑問符を投げかけること、それがアヌイのモチーフだった

    p107
    (前略)一つの哲学を具体的に表現するために、それぞれの人物がそれぞれの役割を委ねられただけのことだ。

    p116
    カミュの哲学を簡単に要約するのはむつかしいが、あえてそれをおこなうならば、カミュは従来の神話では無償の労苦と考えられていたシシュポスの行為を肯定的なものとして捉え、"人間のおこないはどれもこれも突きつめて考えればシシュポスの行為同様に無償のものではないか。その無償性に向って無償と知りつつ努力を続けることが人間の尊厳さを保つことだ"
    と、解明したわけである。
    平たく言えば、この世界は矛盾だらけに作られている。そうである以上、人間のやることなんか、どれが善でどれが悪かわからない、どの道シシュポスが岩を山へ運ぶのと同様に意味のないことだ。ただ、その努力そのものの中には人間の価値がある、と、まあ、こう言いきっても当たらずとも遠くはあるまい。

    p132
    十九世紀の哲学者ニーチェが人間に芸術的意欲を起こさせる原動力として、ディオニュソス的なものとアポロン的なものがあると言ったのは、こうした伝説を拠りどころにしたものであった。すなわちディオニュソス的なものとは、陶酔の世界に属し、激情的に、衝動的に芸術作品を創造するタイプであり、また、アポロン的なものとは、調和を重んじ、知的に芸術世界を構築するタイプである。芸術家の伝記などを読むとき、それぞれがどちらのタイプとして出発したか、その結果として創造されたものがどう異なっているか、作品を理解するための一つの手がかりとなっているのは本当である。

    p148
    壺の中のものは、あらかた飛び散り、その底にたった一つのものが残っただけだった。パンドラの壺から飛び散ったものは、病気、悪意、戦争、嫉妬、災害、暴力など、ありとあらゆる"悪"であった。
    かろうじて壺の底に取りとめたのは"希望"であった。
    それまでの地上には、なにひとつとして邪悪なものはなかった。人間たちはいとも穏やかに、幸福に暮らしていたのだった。だが、いったん壺の中から諸悪の根源が飛び散ってしまったら、もうこれを取り押さえることはできない。さながら処女地に広がる伝染病のようにさまざまな悪は地上に広がり、人間たちは不幸に身を晒さなければいけなくなった。
    ただ一つ、かろうじて"希望"だけが残った。数々の不幸に苛まれながらも、私たちが希望だけを拠りどころとして生きていけるのは、このためなのだ、とギリシア神話は教えている。

    p202
    東北に旅して磐梯高原の五色沼にほど近い民泊に泊まったことがあった。
    夜半にふと目醒め、障子のすきまから夜空を覗くと、射すほどに鋭い星の光が見えた。
    わたしは立ち上がって窓を開いた。
    満天に降る星たちの輝き。夜の静寂の中で何かを囁くように光の眼を凝らしている。私は夜空にこれほど数多くの星が宿っていることを久しく忘れていた。

    p221
    もともと発生の異なる物語が融合されて出来たものだから首尾一貫しないところがあるのは当然のこと。しかもいろいろな変形がある。どこからどこまでが"本当のギリシア神話"なのか断定しにくいところもある。と言うより、紀元前八世紀の詩人ヘシオドスが書いた"神統記"、ホメロスの"イリアス物語""オデュッセイア物語"、さらに古代ギリシアの三大悲劇作家アイスキュロス、ソフォクレス、エウリピデスの戯曲などを中心に、その他多くの古い文献を資料として"多分古い時代にはこんなふうに語られていただろう"と推定して作り上げた物語群、それがいわゆる"ギリシア神話"と呼ばれるものの実体だ。決定版とも言うべき一書が存在しているわけではない。
    複雑多岐にわたっているギリシア神話ではあるが、大まかに分けてみると、次の五つの物語群にくくることができるだろう。
    1オリンポスの神々の伝説
    2アルゴー丸遠征隊の伝説
    イオルコスの王子イアソンが黒海の果てまで金の羊毛皮を探しに行く冒険譚であり、狂恋の女メディアの悲劇がこれに続く。
    3英雄ヘラクレスの伝説
    ゼウスの子にしてギリシア神話中第一の勇者ヘラクレスの十二の冒険譚が軸となっているもの
    4テーバイの伝説
    あの名高いオイディプスが生まれ、統治し、のちに追われた国がテーバイであった。
    5トロイア戦争の伝説


    p228
    「私はこのとき必要にせまられて、外国語習得法を一つ見つけたが、この方法を用いると、どんな外国語でもひじょうにらくに覚えられる。このかんたんな方法というのは、なによりもまずこうである。声を出して多読すること、短文を訳すこと、一日に一時間は勉強すること、興味あることについていつも作文を書くこと、その作文を先生の指導をうけて訂正し暗記すること、まえの日に直されたものを覚えて次の授業に暗誦すること」

  • ギリシア神話は有名だがほんの少ししか知らないので、本書を手に取った。
    この本は非常に読みやすい。神話の全てではなく、人気エピソードをいくつかピックアップしたものだ。
    読んだ感想は、ゼウスは奔放だと聞いていたが、アポロンもクソ野郎が過ぎる。気に入った女性は人妻だろうが相手が嫌がっていようが、どうにかしてやろうとする。基本的に女性の立場が低いらしく、「ジュピテルと一つのもの(この場合妻)を共有するのは、不名誉ではない。」と表現されてもの扱いだ。パンドラも「すべての贈り物」という意味だし、全ての悪いものは女性が原因、とされるあたりも男性目線なのを感じる。

    次にミュルラの話も興味深かった。ミュルラは実の父と悲恋をした王女が変身した樹、没薬の木の樹脂という意味。親子婚を辞さないエジプトでミルラ(没薬)が珍重される訳だ!と妙に納得。

    他にはアキレウスの女装やヘラクレスが男色家なこと、イアソンの冒険など有名人の意外なところが知れたような喜びがあった。
    パンドラの壺と衆議院解散を結びつける辺りは著者のセンスに唸ってしまった。プロメテウスとエピメテウスの「プロローグ・エピローグ」からの「先見の明と下衆の後知恵」も面白かった!

  • すばらしいギリシア神話入門書。
    これがあればどんな作品なのかは
    ざっとではありますがつかめるはず。

    しかしながら神々は実に勝手!
    特にゼウスの勝手ぶりはあきれ返ることでしょう。
    でもゼウスもヘラもよくよく考えれば
    きちんと人間の男女を如実に表現している
    のですよね…

    一番ときめいたのは
    やはりシュリーマンの出てくるところでしょう。
    まさかトロイアの裏側には
    いろいろな事実があったとは…

  • 主要なエピソードを分かりやすく解説している。
    自然と情景が浮かび上がる

  • ・感想、気づき
    ギリシャ神話は多くの文学や芸術に影響を与えている。
    神々の話だが人間味の溢れる話が多く、文学として面白い。
    女好きで浮気性のゼウスをはじめ、酒好きの神様がいたりもする。
    ギリシャ神話は登場する神の年齢等、あまり細かいことを気にしない。
    なんとなく聞いたことのあるエピソード(例えば迷宮ラビリンスに怪物ミノタウロスが閉じ込めてあり、倒しに行ったテセウスが退治した後アリアドネの糸を手繰って迷宮を脱出する等)はギリシャ神話の中の話ということが分かった。

著者プロフィール

作家
1935年、東京生れ。早稲田大学文学部卒。国立国会図書館に勤務しながら執筆活動を続け、78年『冷蔵庫より愛をこめて』でデビュー。79年「来訪者」で日本推理作家協会賞、短編集『ナポレオン狂』で直木賞。95年『新トロイア物語』で吉川英治文学賞。日本ペンクラブ会長や文化庁文化審議会会長、山梨県立図書館長などを歴任。2018年、文化功労者。

「2019年 『私が作家になった理由』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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