旧約聖書を知っていますか (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101255194

感想・レビュー・書評

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  • 旧約聖書を理解するにはいくつかの道筋がある。初心者向きはアブラハム事績から辿ってゆくことだろう。
    アブラハムの子がイサク、イサクの子がヤコブ。ヤコブの子がヨセフ。
    それでは胸いっぱいに空気を吸い込み「アイヤー、ヨッ」と彼らの頭文字を叫んで旧約聖書山を登ってゆこうではないか。

    …というような書き出しで始まり、最後までこの調子(笑)
    西洋文化や芸術、現在の世界情勢をある程度理解するためには、聖書が分からないと難しい。とりあえずちょっとずつ。
    阿刀田高は中高生の頃結構読んでいて、この「知っていますか」シリーズも読んでいた。
    しかし改めて読んでも面白くてわかりやすい。
    聖書の流れを分かり易く解説し、現在にも通じる人間心理を読み取ってゆく。
    聖書の話を「なんか昔の超人が行ったすごいお話で、現代の自分とは関係ない」と受け取ってしまうとつまらない。「現代だとストレス過労死だな」「彼はノンキャリアから若くして抜擢された遣り手社員だな」などと考えると十分身近に感じる。

    神は依怙贔屓であり、理由を求めてはいけない。神は“在って、在り続ける者”であり、絶対的に存在して名前さえ聞いてよいものではない。人間の為したことは人間の意思と力のみでなく神様のお陰で成し遂げることができたのだ。
    旧約聖書とは「古い約束」であり、ユダヤ教、イスラム教にとっては旧約を付けずにただ「聖書」と呼ばれる。
    新約聖書はイエスの福音を伝えるもの。

    以下自分メモでとにかく長いです。。

    ❐アブラハム
    まずはアブラハム。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、世界三大宗教の開祖。
    ある日アブラハムは“唯一絶対神”のお告げを聞き、「約束の地カナン」を目指す。
    アブラハムと異教徒ハガルとの間に生まれた子供がイシュマイル。アラブ人開祖でマホメッドの祖先となった。
    正妻サラが生んだ7人の子供、長男がイサクで、サラの死後の後妻が6人の弟たちが生まれている。
    キャンプファイアーの「アブラハムには七人の子♪一人はノッポであとはチビ♪」…の、ノッポが長男イサク、ず~~っと年下の六人の弟がチビたち、という意味だったのか(笑)

    アブアハム時代の有名エピソードが「罪の町ソドムとゴモラ崩壊」「塩の柱となったロトの妻」「割礼の始まり」「イサク生贄未遂」など。

    ❐イサク→ヤコブ
    イサクの時代はあまり波乱万丈はない。子供の頃生贄にされかけたんだからもう良いか(笑)
    イサクの息子が、荒々しいエサウと、思索的なヤコブ。
    ヤコブがうまく立ち回りイサクの跡継ぎとなった。
    家族制度の強いこの時代、誰が相続するかは神の意思であり重要ごとだったのだ。

    ヤコブは親戚の姉妹、レアとラケルを娶る。
    ヤコブは妻たち(レアとラケルの他にも数人)との間に男児12人を設け、彼らが イスラエル十二部族の開祖となる。
    そんなヤコブの元に神が現れる。そしてヤコブは「神と戦って不屈なる者」という意味の“イスラエル”と改名する。
    なお、ヤコブの兄エサウは、長男でありながら長子権を失ったわけだが、彼は草原を駆け巡る方が性に合っている…と、ヤコブとあっさり和解。聖書には争う兄弟やら皆殺しやらの話は沢山あるが、エサウの場合は財産も権力も必要ない自分の生き方を(かなりヤクザで乱暴な生き方なので周りは相当迷惑したと思うが)手に入れたので、適材適所がうまく利いた稀有な例だろう。

    ❐ヨセフ
    イスラエル(旧ヤコブ)の息子たちの中でも知恵が回ったのはヨセフ。幼い頃から機転も口も回る生意気小僧で、長じてはエジプトの王の側近となり政治的にも力を発揮する。
    スッタモンダの末、ヨセフの一族(父イスラエルと兄弟たち)はエジプトで暮らすことになる。
    カナンは「神から与えられた約束の地」だが、エジプト移住については「それも良かろう。いつか時が来たらお前たちをカナンに呼び戻そう」ということで許可を出したらしい。
    そう、何かというと「神の御神託」を戴き、その御神託がどんなに理不尽でも依怙贔屓でも、人間はただただ神を信じて従うのが彼らの生き方だ。

    ❐モーセ
    ヤコブの四代あとに生まれたのがモーセ。
    このころイスラエル人はエジプト王から迫害されていた。
    そんななかで、モーセは本当はイスラエル人だが諸事情により身元を隠しエジプト王宮で成長していた。
    ある日モーセの前に神が顕われて告げる「イスラエル人の苦しみの声を聞いた。おまえはイスラエル人をエジプトから救いだし、約束の土地カナンへ行け」この後は有名な「モーセの出エジプト」になる。多くの奇跡、多くの厄災、長年の放浪、「十戒」を受け取ったり、海を割ったり。
    カナンに入る前にモーセは死ぬ。
    阿刀田高が参考文献的にあげている、チャールトン・ヘストン、ユル・ブリンナー共演映画は見ましたよ。モーセが手を挙げる紅海が割れ、イスラエル人が海を渡ると海が戻りエジプト王の軍隊が飲まれてゆく…まさに大スペクタル映画。

    ❐ヨシュア
    モーセの後を継いだのはヨシュア。指導力も、戦いも、知能も、宣伝も、人心盛り上げ方も、かなり遣り手。
    有名エピソード「エリコ(ジェリコ)の壁の崩壊」はこの時ですね。
    まあ彼の指導により、イスラエル人はカナンの地に入る。

    旧約聖書はあくまでもイスラエル人の神だから「カナンは神から与えられた土地だから、自分たちに所有権はある!」としているが、しかしヤコブの時代から100年は経て、カナンにはすでに別民族が住んでいる。
    結局このころからの争いが、現代中東戦争にいまだに続いている。

    ❐士師たち
    聖書では、モーセとヨシュアによりイスラエル人がカナンに戻った後は、「士師記」の記述に入る。
    士師とは裁判官みたいなもので、大衆の指導に当たった人たち。
    イスラエル人が神への敬いを忘れると、神からの罰が当たり、イスラエル人は気持ちを引き締める、それを伝えるのが士師。
    有名なのが「サムソンとデリラ」のサムソン。
    「サムソンとデリラ」はオペラでの曲が有名ですね。昔映画でも見たような気がする。聖書の中でも数ページのエピソードがオペラや映画になるのはやはり美女で悪女のデリラが映画で映えるからだろうか(笑)

    ❐サウル王→ダビデ王→ソロモン王
    また年月が経ち、イスラエルには「王」が必要となった。
    預言により選ばれたイスラエル最初の王はサウル。最初は戦いで力を発揮したが、徐々に権力と疑心に溺れる。
    次に王に選ばれたのはかのダビデ王。
    ダビデを主題とした美術品いろいろあり。
     シャガールは、サウルからダビデの流れを連作で描いていた。
     ミケランジェロが彫ったのは巨人ゴリアテに石打を持って挑むダビデの銅像。
     巨人ゴリアテの首を持つダビデは、ルーベンス、カラヴァッジョを始めとして多くの画家たちが描いてきた。

    ダビデ王は施政としても人心は悪としても特出していたようだ。しかしその人生は栄光もあったが犠牲も多かった。多くの息子たちのうち、跡を継いだのはソロモン。彼も知力体力に優れ統率力があり経済力を持ち近隣諸国との交易も盛んに広げて神の加護もあり…。
    有名エピソードは「ソロモン王の指輪」(動物と話ができるというのは誤訳)、「シバの女王」など。

    ❐イスラエル分裂
    しかしソロモン王の後、イスラエルは乱れる。
    ヤコブの十二人の息子たちを開祖とする、イスラエル十二部族も分裂する。
    イスラエルの南側は、エルサレムを首都としたユダ族の土地。北イスラエル王国の首都サマリアは他の部族たちの土地。
    しかし強大な勢力を持つ周辺諸国に常に脅かされ、北イスラエルは完全に陥落して歴史から消え、南イスラエルはバビロニアに攻められ崩壊する。大勢のイスラエル人がバビロンにつれていかれたのが「バビロン捕囚」であり、この五十年後にいったんは帰国を許されたが、結局イスラエル人の土地は分裂を繰り返して完全に拠り所となる国を失ってしまう。
    聖書のサブエピソード的な「黙示録」ではこの「バビロン捕囚」の恨みを晴らすがごとき記述がある。イスラエル人にとってはまさに忘れられない酷い歴史だったのだろう。

    再びイスラエル人が国を持ったのは、1948年のイスラエル国建設。ほとんど二千年の間、イスラエル人は各地に散らばらざるを得なかった。
    中東紛争は「ここはイスラエル人が神に与えられた国」という主張と、「それは二千年前の話であって今はアラブの領土だ」という主張のぶつかり合い。

    ❐実存主義と神
    ここで聖書の始まり「天地創造」に話は戻る。
    神が天地、生命を作った。人間も、モラルも、社会の掟も、全て神が創った。人間とは神の意思により神の意思を実現するためにこの世に存在したものだ。
    しかし最初に逆らったのが「知恵の木」を勝手に食べたことで、「失楽園」となる。

    さて、ここでサルトルの「実存主義」が語られる。(実存主義とは何かとは初めて読んだので間違えていたらゴメンナサイ)
    何のためにあるかの本質、定義が先に決まり、その後に作られて存在している。という「本質主義」に対して、
    「人間とは、個人が偶然にこの世に存在し、その本質や定義は人間自らによって選ばれ決定している→人間においては実存が本質に役立つ」としたのが実存主義。ある意味神に逆らっている。
    宗教という物の多くは「人間はこういう物で、こうならなければならない」という思想の出発で、
    それに対して「もともとの本質は関係ない。人源が選んでゆくものだ」とした実存主義は、当時には営利で斬新で挑戦的な主張だったのだ…

    この後は、カインとアベル→ノアの方舟→バベルの塔へと旧約聖書の話を辿ってゆく。

    ❐逃亡者ヨナ
    神のお告げを嫌がって逃げ出したヨナは、大魚に呑みこまれて神からは逃げ出せないと知り、結局そのお告げに従うことにした、というお話。

    ❐試されたヨブ
    敬虔に神を信じるヨブに対して、神と悪魔が「ヨブからすべてを奪ってもそれでもまだ信心を捨てないのか?」を実験することに。
    財産、家族、健康、全てを喪い、友人と思っていた人たちから「このような目に合うのは君に信心が足りないのだろう」と責められるヨブ。このヨブ記では、神への信心とは何か!というやり取りがメインと言うことらしい。
    さて、ヨブはそれでも神への敬意を持ち続けたために、喪ったと同じ数の家族、財産をまた与えられる。
    …現代感覚からすると、「息子のA君、B君、C君を殺しちゃったけど、代わりにD君、E君、F君が生まれたからいいよね」と言われても、死んだABCという個人はどうなるんだ…と思うんだけど、
    この当時の「失って当たり前」であり死ぬことが身近であった頃ならば「神が与えてくれた運命は人間が選べない。ただただ存在に感謝。与えてくださったものに感謝」として納得するのか。。

    ❐預言者
    旧約聖書に当たっての「預言者」は、神の言葉を預かって伝える者。

  • 著者の少し口が悪いところが私好みで、読みやすい。今までほぼ全く知らなかった旧約聖書について、基礎の基礎程度の知識は得られたと思う。出てくる人物が100歳を優に超える点や、なぜそのように判断し、行動したのか等、著者の解説がなければ予測もつかないことばかりだ。特に面白かったのは、旧約聖書に出てくる初期の者たちは、なにかまずいことが起こるたびに、嫁探しや訓練のため等もっともらしい理由を付けて別の土地へ逃げるという点。旧約聖書と新約聖書はまったく異なる物であるということも知ることができて、旧約聖書についてさらに勉強したいと思えた。

  • 2015.8.26旧約聖書に書かれていることをダイジェストにまとめたエッセイ。前半は旧約聖書の歴史的部分、カナンを目指したアブラハム、その息子で殺されかけたイサク、またその息子で兄とトラブったヤコブ、またその息子でエジプトにとばされエジプトで偉くなったヨセフ、海を割ってエジプトから脱したモーセ、その片腕であり、アブラハムからの念願のカナン入りを果たしたヨシュア、イスラエルの国の王となるダビデ、その息子でありイスラエル全盛期の王となるソロモンについて。後半は神話的部分で、神の生んだ初めての人間であるアダムとイブ、その息子兄妹であり神の愛の贔屓の象徴であるカインとアベル、人類滅亡計画のノアの方舟、神に辿り着こうとしたバベルの塔などについて。そしてあとはイザヤとかダニエルとかバビロン捕囚あたりの預言者の話や、信仰や試練の思想を読み取れるヨブの話、神に逆らい嵐にあうヨナ、日本の古事記でいうスサノヲ的な匂いを感じるサムソンなど、様々な説話が解説されている。エピローグでこの旧約聖書の構造がするめに似てるというのは何ともわかりやすいなと思った。聖書は、世界で一番読まれている本ではあるが私には信仰もないし古典で読みづらいしでとにかく取っ付きにくい。でも聖書の世界、一神教を理解することが教養にもなるし西洋文明による近代化のベースでもあるしこの旧約聖書=ユダヤ教の世界とイスラム教の世界の対立は現代のリアルタイムでも起こっていることであり、世界を理解する上で絶対に欠かせない世界観である。興味はある、でも取っ付きにくくて、、、そんな人にはこれ以上に勧められる本はないだろう。わかりやすく、おもしろく、信仰のない小説家の著者が、信仰もなく小説のように聖書の世界を知りたい人のために書いた、聖書物語である。

  • 旧約聖書は、イスラエル民族の建国史として読むことができる。そして、その歴史の初めに立つ英雄がアブラハムである。

  • エッセイ的に旧約聖書の概要をざっくりと説明した本。
    それでも何も知らないより知っていた方がいい。とっつきやすくてわかりやすく、おもしろい。


    旧約聖書は39巻。構造はするめ。
    大まかには以下の順に続く。

    ■神話的 するめの頭
    天地創造
    アダムとエバ
    カインとアベル
    ノアの箱舟
    バベルの塔

    ■歴史的 するめの胴体
    アブラハム 英雄 本書はここまら始める
    イサク
    ヤコブ 二人の妻と大勢の子供
    ヨセフ エジプトに売り飛ばされるが、そこで頭角を表す。 ここまで4代で「アイヤー、ヨッ」
    モーセ ヨセフの4代後。奇跡をおこす。エジプトを出る。十戒。
    ヨシュア 有能
    サムソン 怪力無双 妖艶な悪女デリラ
    ダビデ 末っ子からのし上がる
    ソロモン 大岡裁き エチオピアのシバの女王 ダビデ王からソロモン王の80年間が古代イスラエル王国の黄金時代

    ■枝分かれ するめの足
    歴史
    詩編
    箴言
    雅歌
    預言書

  • 聖書の世界を知っていると、西欧文化に触れる時に便利だ。でも、私には原典を読み通す時間も根性も知性もない!そんな私が読むのに最適な本だった。
    信仰を持たない著者が、普通の人の感覚で解説したところが良かった。
    キリスト教徒や、ユダヤ教徒、イスラム教徒が解説すると偏りが出て来るだろうし。
    宗教って、どれも同じようなものだな。人間の深層心理を突いて人を動かす手段のようなものなのね。と思った。
    アイヤー、ヨッ! この合言葉が秀逸。
    後書きが最高。共感を覚えた。
    引き続き 新約聖書も齧ってみよう。原典は無理だから、阿刀田編を味わおう。

  • 2015.8.12.Wed
    阿刀田氏の解説本シリーズ。基礎の基礎を面白く説明しているシリーズであり、『新約聖書を知っていますか』を筆頭に全ての作品に目を通したい。
    神話に近い初期。アダムとイブ、バベルの塔、ノアの箱舟。
    歴史観を形作る中期。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨゼフ、モーセ、ダビデと続くユダヤ教の預言者たちが出てくる。
    カトリック教との繋がりを押さえるにはやはり、新約聖書について知る必要があるだろう。
    イスラム教とユダヤ教がエルサレムを巡って今でも争っている理由の一端を垣間見た。この土地を巡って、バビロン捕囚があったり、モーセの海割があったりと歴史的に興味深い争いがある。現代に生きる歴史観と教養を学ぶことができたので、中東地帯の争いを客観的に見ることを心掛けたい。

  • 阿刀田さんの知っていますかシリーズ、読破2冊目
    例によって 宗教信者ではない目線で、旧約聖書のダイジェストを開設。旧約聖書の構成はするめだそうな。アブラハムから始まり、ソロモンまでが 以下の胴体。そのあと創成期に戻り、頭、さらに預言書等が足。

    胴体:アイヤー、ヨッと覚えると、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフが覚えられる。イサクは神にいけにえとして捧げる話で有名、だが、異母兄イシュマエルがアブラハムによって砂漠に追いやられ、アラブ人の祖先となりマホメッドの祖先とされる。ヤコブは兄と確執したが やがて和解、ヨセフはエジブトに売られたが出世して一族をエジブトに迎える。モーセは一族がエジブトで虐げられているため、出エジブトを敢行。カナンに戻る途中 シナイ山で十戒。そのあとがヨシュアでカナン平定。サムソンとデリラの逸話がある士師記のあと、ダビデ、ソロモン王へと続く。ソロモン後はユダ族とイスラエル王国に分裂。諸国に攻められ、ユダ王国はバビロン捕囚。一旦は再建されるが西暦70年に崩壊、1948年までイスラエルの民は国をもたずに世界各地に分散された。

    頭:アダムの肋骨からエバがつくられた。6日目に男と女が一緒につくられた。矛盾はあるが読み飛ばせ。カインとアベル、神様は不公平で依怙贔屓、天の不合理を感じるがそういうことは確かにある。その後 ノア、、バベルの塔。サルトルは説く、人間においては実存が本質に先立つ。

    足:逃亡者ヨナ、ヨブは泣き叫ぶ(ジェンセニスム=神はすべてをなす祈っても意味がないが祈らなければいけない)、預言者イザヤ、ダニエル

  • ☆☆☆☆☆「まず初めに胸いっぱいに空気を吸い込み、『アイヤー、ヨッ』と叫んでほしい。」…ん?これから何が始まるんだ?という冒頭である。イスラエルの神は嫉妬深いとか、イスラエルの民は二千年近く祖国を失っていた時期があるとか、旧約と新約のちがいはイエスを救世主として認めているか否かなど、知っておけば宗教や世界情勢を理解する上で役に立ちそう。大学生の頃は理解が及ばなかった聖書。その概要が相当分かりやすく書かれていた。このエッセイがイスラエルの神の逆鱗に触れるんじゃないかと阿刀田さんが心配している様子もおもしろかった。

    p9
    アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ……。
    そこで四つの頭文字を取って並べて「アイヤー、ヨッ」となる。この四人より前に、有名なアダムとエバ(イブ)の物語がある。ノアの箱舟も浮かんでいる。四人のすぐあとにモーセが登場する。やがてダビデとソロモンが威風堂々とやって来る。これで旧約聖書の主要な部分がおおよそ明らかになる。

    p30
    聖書には旧約と新約の二つがある。旧約聖書はユダヤ教の聖典である。だかユダヤ人は新約のほうは自分たちの聖典として認めていない。旧約とか新約とかいう呼び名からして、これはキリスト教の名称である。

    繰り返して言うが、ユダヤ教では旧約聖書とは呼ばない。ただ聖書でよい。まぎらわしければタナクと呼ぶ。旧約聖書とタナクは完全に同じものではないが、たとえば中身の配列などにちがいが見られるが、大ざっぱに言えば、よく似ている。
    タナクの内容は律法(トーラー)、預言書(ネビィーム)、諸書(ケトゥビーム)の三部から成っており、その頭文字を取って母音をつけ、タナクとしたのである。

    p76
    「一、私はあなたたちの神、唯一にして、全能の神である。あなたたちは、私以外のどんなものも神としてはならない。
    二、偶像を作って神としてはならない。私は嫉妬深い神であるから、私を憎む者には子孫にまで罪を問い、私を愛し私の戒めを守る者には末代まで慈しみを与えよう。
    三、神の名をみだりに唱えてはならない。
    四、週の七日目を安息日とし、いかなる仕事もなしてはならない。
    五、父母を敬え。
    六、殺してはならない。
    七、姦淫してはならない。
    八、盗んではならない。
    九、偽証をしてはならない。
    十、隣人の家、妻、奴隷、家畜など
    いっさいの所有物をむさぼってはならない」
    これを石版に刻んで"十戒"とした。

    p77
    石版を収めた箱は聖なる箱であり、このあとイスラエル人の信仰のシンボルとして鄭重に扱われる。

    p94
    イスラエル十二部族と言われるが、その数は時代により、区分の方法により流動的である。ゆっくり数えてみると、十一であったり十三であったりする。もとはと言えば、ヤコブの子十二人から発している。

    p175
    「ソロモンの子レハブアムは、神をないがしろにし、もはやイスラエルの王たる資格はない。十の部族はヤロブアムを王として従え。レハブアムにはユダ族のみを残そう」
    イスラエルの十二部族のうち十部族はヤロブアムを王とし、レハブアムの出身であるユダ族だけをレハブアムの支配に委ねる、これが神の意志であった。
    ー数があわんなー
    と思われるかもしれないが、レビ族は祭司の血筋なのでこんなときには除外されるのである。
    このときの神の裁きについては、少々釈然としないものを私は感じてしまうのだが(このあと栄えるのは、むしろユダ族のほうなのだから)それはともかく、これが年表などにも載っている紀元前九二六年のイスラエル王国の分裂である。南のユダ王国はエルサレムを首都とし、ダビデ王の血筋が王となった。北のイスラエル王国は、しばらくは首都も定まらず政情も不安定であったが、やがてサマリアが首都となる。
    ダビデ王からソロモン王までの八十年間が古代イスラエル王国の黄金時代であり、分裂以降はアッシリア、バビロニア、ペルシア、アレクサンダー大王のギリシア、ローマ帝国などとてつもなく強大な勢力が周辺に興り、イスラエル人にとっては苦難の連続となる。まず紀元前七二二年にサマリアがアッシリアに攻められて没落、北王国は滅亡し、二度と史上に姿を見せなかった。南王国はバビロニアに攻められ紀元前五九七年と紀元前五八六年と二度にわたってエルサレムは炎上し、神殿は崩壊する。南ユダ王国の滅亡であった。大勢のイスラエル人がバビロンに連れて行かれた。いわゆるバビロン捕囚である。
    五十年後にペルシア王キュロスの手によって捕囚は解かれ、イスラエル人は帰国を許される。エルサレムの神殿も少しずつ修復され、第二神殿が作られ、ヘロデ大王の紀元前四〇年にいったんはイスラエル人の王国が再建されるが、これも分裂ののち西暦七〇年に第二神殿が炎上崩壊し、イスラエルの民は拠りどころとなる国をまったく失ってしまう。
    ふたたび彼等が国を持つまでには、一九四八年のイスラエル国の建設を待たなければいけなかった。つまりイスラエル人は第二神殿の崩壊以降、ほぼ二千年の長きに渡って世界の各地に散り、それぞれの土地で血筋を連綿と残し続けた。

    p183
    このエッセイでは、三つを全部含めたような概念で……つまりすこぶる曖昧な意味あいてまイスラエル人(あるいはイスラエルの民)と使ってきた。アブラハムを先祖とし、主としてヘブライ語を用い、ユダヤ教に強い関心を抱いている人たちの謂いである。
    ヘブライというのは、カナンに住んだ半農半牧のグループを(実はアブラハムの末裔だったのだが)周辺の人たちが漠然と指して呼んだ言い方であり、階級的なニュアンスも加わって古代を語るときにはとても使いにくい。
    ユダヤ人は、ユダ族の血を引く者の意であり、南北分裂の頃には、北がイスラエル人、南がユダヤ人と区別されていた。十二部族の中の一つがユダヤ族なのだから、それ以前のことを語るときにはユダヤ人はまずかろう。ところが北イスラエルは壊滅的に滅びてしまい、それ以後はユダ族の末裔が歴史上の主たる登場人物となるために、アブラハムの末裔がすべてユダヤ人であるような言い方もされるようになったわけである。

    p188
    ペーパー・ナイフや原子爆弾や、つまりこの世のほとんどのものについては、まず本質が、定義が先にあり、しかるのちに存在している、と言ってよい。それに対して、少なくとも人間は、まず偶然この世に存在し(これが実存の意味である)、しかるのち、それがどういうものか、つまり本質が、定義が人間みずからによって選ばれ決定される。そういう仕組みになっている、これが"実存が本質に先立つ、少なくとも人間はそうである"の中身である。
    人間はまっ白い紙のようなものであり、そこに何を書くかは人間みずからが決定していくことであり、それゆえに自由であり、それを自覚することがなにより大切である、とサルトルは主張しているのである。

    p196
    つまり、世界とは、人間とは、社会とは、天地創造には細かい本質規定は示されていないけれど、神の意志によりすべてが創られた、ということは、それだけですべてをカバーする。サルトル流に言えば、創世記はその初めの数節を読んだだけで、この世界も、人間も"本質が実存に先立つもの"として読めるのである。人間はけっして偶然この世に投げ出されたわけではなく、神の意志により神の意志を実現するためちこの世に誕生したのであった。

    p204
    ノアの箱舟のあとに、もう一つ、著名なエピソードに触れておかなければなるまい。
    その頃、地上の人間たちは同じ言葉を話していた。人々は町を作り、塔を立て、塔を天にまで届かせようとした。神に近づこうという試みであった。
    神はこれを知って、
    「このまんまじゃ、人間たちはなにをやりだすかわからんぞ」
    つまり、神は人間たちがこぞって団結して神に近づくことを恐れたのだろう。その傲慢さを危ぶんだのだろう。
    突然ら人々の話す言葉が乱れ、言葉が通じなくなってしまった。これでは共同作業は続けられない。人々は作りかけの塔を残したまま四散し、こうして世界のさまざまな言語が生まれた。この塔はバベルの塔と呼ばれたが、バベルというのは"乱れる"という意味であった。

    p206
    旧約聖書はアブラハムの登場を境にして神話から歴史へと変った、と私は思っている。

    p277
    エッサイというのはダビデ王の父であり、"エッサイの株からひとつの芽が萌えいで"というのは、ダビデの血筋から救世主が現れるという予知である。この種の表現は、ほかのところにもさまざまな形で記されているが、なにを隠そう、これがイエス・キリストの登場を預言する重大な指摘であった。
    旧約聖書はユダヤ教の教典であり(厳密に言えば、少しちがうが)バビロン捕囚前後の苦しいと現実を前にしてイザヤ書のみならず多くの預言書がしきりに救世主の到来を預言している。
    それに応えて、
    ーさあ、現われましたよー
    と登場したのがナザレの人、イエス・キリストであり、そこから新約聖書が始まる。旧約と新約の接点はそこにある。
    一方、ユダヤ教は救世主の到来を預言しておきながら、イエスについては、
    「うんにゃ、この人じゃない」
    と、イエスを救世主として認めていないのである。それから二千年、もう二十一世紀を迎えようとしているのに、ユダヤ教の見解では、まだその人は現われていない。そこがイエスを救世主とし、新約聖書を尊ぶキリスト教とのちがいである。

  • 聖書とはなにか。というより、どんな事書いてあんねん。ちったぁ読んでみっかという方におすすめ。非常に読みやすく、多少の脚色誇張、ツッコミを交えておっさんが読み解いてくれる。

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著者プロフィール

阿刀田 高(あとうだ たかし)
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学科に入学し、結核を病む。大学卒業後は国立国会図書館に司書として勤務。『ころし文句』を長崎寛と著し、これがデビュー作となる。兼業しながら著作を刊行していたが、『ブラックユーモア入門』がベストセラーとなり、作家一本に。
1978年『冷蔵庫より愛をこめて』が直木賞候補。1979年『来訪者』で第32回日本推理作家協会賞、1979年『ナポレオン狂』で第81回直木賞、1995年『新トロイア物語』で第29回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。2003年紫綬褒章を受章。2018年文化功労者に。
古典に親しんでいたことから『ギリシア神話を知っていますか』などのエッセイも著名。
2007年から日本ペンクラブ会長。直木賞、新田次郎文学賞、小説すばる新人賞選考委員、講談社『小説現代』のショートショート・コンテスト選考をそれぞれ務める。

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