新約聖書を知っていますか (新潮文庫)

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  • 新潮社
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レビュー : 129
  • Amazon.co.jp ・本 (295ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101255217

作品紹介・あらすじ

新約聖書の冒頭で、マリアの夫ヨセフの系図を長々と述べているのはなぜでしょう。処女懐胎が本当ならば、そんなことはイエスの血筋と無関係のはずです。ところで、聖書の中に何人のマリアが登場するか知っていますか?ではヨハネは?そして、イエスの"復活"の真相は?永遠のベストセラー『新約聖書』の数々の謎に、ミステリーの名手が迫ります。初級者のための新約聖書入門。

感想・レビュー・書評

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  • 阿刀田さん「知っていますかシリーズ」を読んだだけで分かったつもりになっている個人的読書企画(笑)
    今回は新約聖書。

    新約聖書は二十七章から成り立つ。
    ❐マタイによる付近書、マルコによる福音書、ルカによる福音書、ヨハネによる福音書
    ⇒それぞれの語り手が、イエス・キリストの言動と教えを伝える物。イエス本人のそのままの姿というより、神学的な見解から伝道したい神の子イエスのイメージ像。
    ❐使徒言行禄
    ⇒イエス十二弟子や、イエス死後使徒になった人たちの言行禄。
    ❐○○人への手紙
    ⇒イエスの死後使徒となったパウロから各地へ送った手紙と、その他の手紙各種。
    ❐ヨハネの黙示録
    ⇒神から直接的に得た啓示。異教の神を信じるものには罰が下り、人間の世界は終わり、復活したキリストと真のキリスト者により、新たな神の国が顕われるとの予言。
    黙示録だけの解説本も。
    https://booklog.jp/item/1/406292496X


    新約聖書に描かれているイエスの言葉などは、
    「比喩が多くてわかりづらい。だからどうとでも解釈できる」といいつつ、阿刀田さんとしての解説を丁寧に載せている。
      …それを読んでもやっぱりよく分からない。(ーー;)
      私は子供の頃近所の日曜学校(市の集会所でやってた)に行ってたはずなのになーーー

    さらに聖書に描かれているイエスの生涯を追い、そして阿刀田さんの作家としての思考が書かれる。
     イエスはいかにして自分が”神の子”と自覚していったのかその心理的道のりは? 
     自分の運命を知りながら逮捕前夜にゲッセマネの丘で激しく動揺した”人間”イエスがその後にどのような心境を辿ったのか?
     逮捕されたイエスのことを三度「あんな奴知らない」と否定したペテロの慟哭、一度は故郷に帰ったペテロが布教に戻り、死ぬと分かっている道を引き返したのは?
     キリスト教徒最大の布教者パウロは、生きていた頃のイエスを知らずそれまではキリスト教徒を迫害してきた。そのパウロがなぜ「パウロなければキリスト教なし」といわれるほどの布教活動を行えたのか?
     十字架のイエスを埋葬したアリマタヤのヨセフは、そのような重要なことをしたにもかかわらず彼の功績が書かれていないのはなぜだろう?
     ユダが”裏切った”のは、宗教的世界観の違いや布教の方向の違いもあったのでは?

    聖書では「イエスは神の子」というエピソードが沢山あるけれど、
    阿刀田さんは「人が何かを成し遂げるにおいて、信じることが本人にも信者にも必要だったのだろう」という目線で聖書の記載を読みとっている。
    さらに聖書に出てくる人物の心境などを考察します。その阿刀田さんの人間への目線は優しい。
    確かに聖書の話を「なんか一部の人が信じてる信じがたい話」だと思うよりは、「実際の人間はどのように考えたのだろう?」と考えると、実に身近な物語として感じられる。

    ちょっと面白かったこと。
    宗教画などで有名な「受胎告知」は、4つの福音書のうち2つにしか取り上げられていないということ。それなら後世に作り足された話なのか?と考えられる。
    さらにマリアの夫のヨセフは、ソロモン王にも遡る確かな血筋だとも書かれている。
    …イエスが人間の父不明とされているのは、父は神だからってことでしょうけれど(宗教画で、マリアと結婚した時のヨセフは老齢に書かれていて「子供を作れません」みたいに描写されているものもある。…しかしそれだと弟たちはどうやって生まれたんだろうとなるけど)、この聖書の記載からでヨセフの由緒正しさを強調しているなら、何も処女懐妊でなくて普通にヨセフが実父だっておかしくないような…。

    そして、この本を読んで分かったのですが…、私は「マグダラのマリア」と「ベタニアのマリア」を一人の人間かと思ってました…orz。
    だけどイエスを描いた映画でも二人を同一人物扱いしてるよねーー(と言い訳してみる)
    ❐マグダラのマリア
     ⇒以前は娼婦だったがイエスにより悪霊を取り払われた。イエスの恋人では?とか言われてる(映画とかではそのように描かれることも多い)。十字架のイエスを看取り、復活したイエスに会う。
    ❐ベタニアのマリア
     ⇒イエスが蘇らせたラザロの姉。マリアの姉のマルタがイエスを歓迎する準備に追われていた時になにもせずにただただイエスの話を聞き、イエスからは「私の一番望むことをした」と言われる。イエスに高価な香油を使って「無駄遣い~」とかいちゃもんつけられたのも彼女。

    イエスを描く映画メモ。
    ●「ベン・ハー」
    https://eiga.com/movie/49232/
     ⇒皇帝ネロ時代のローマ帝国。主人公の軍人ベン・ハーは不幸な事故から追放されて奴隷に落とされる。道で倒れたベン・ハーを助け起こし水を飲ませた男がいた。
    数年後、奴隷から身分を回復したベン・ハーは、自分が架けられる十字架を担ぎゴルゴダの丘へ歩かされる罪人を見た。彼こそが自分を助け起こした男、イエス・キリストだった。ベン・ハーは倒れたイエスに水を飲ませる。
    ●「キリスト最後の誘惑」https://booklog.jp/item/1/B000E6GB12
     ⇒イエスが人間として苦悩する姿。
    悪魔がイエスに「ただの人間として生きたなら平和な暮らしができる。神の子など辞めてしまえ」と誘惑し、イエスはマグダラのマリアとの間に子供ができて平穏な人生を送る自分を妄想する。
    製作時に「イエスの性行為を描くとは!」とかなり反対運動が起きた…と、高校の先生が言っていたので劇場で観てきた。
    この映画では、イエスはユダを信頼していたから神の使命として裏切らせた、とかそんな感じですが、
    この映画で上映反対運動が起きたということは、おそらくこれより前は「イエス・キリストは神の子で、ユダは裏切り者」としか書けなかったのだろうか。
    しかしイエスはウィレム・デフォーで、ユダはハーベイ・カイテルなんだが、こんな強面師弟が神殿で暴れたらそりゃーローマも警戒するよとはちょっと思った(笑)
    監督マーチン・スコセッシで、音楽はピーター・ガブリエルの「パッション」
    https://www.youtube.com/watch?v=yvjA25SPsK8
    ●ミュージカル「ジーザス・クライスト・スーパースター」略してJCS
    ⇒キリスト最後の7日間の苦悩。感想はこちら。
    https://booklog.jp/item/1/B00005EV5V

  • 阿刀田高さんの、古典紹介エッセイシリーズ。
    旧約聖書に続いて、新約聖書編。
    新約聖書は、多分まったく読んだことがなかったです。
    いつもどおりトニカク解りやすく、楽しめるように読ませてくれました。

    イエス・キリストってどんな人だったのか。
    その頃のイスラエルあたりってどんな状況だったのか。
    なんで殺されたのか。
    キリスト教ってなんなのか。
    キリスト教とユダヤ教の違い。
    旧約聖書と新約聖書の違い。

    みたいなことが、少なくとも読む前より、ぼんやり風景が見えてくる感じがしました。
    少なくとも、イエスや新約的世界を題材にした芸術とかを、
    読む前よりかは味わいやすくなりますね。より、楽しめるようになります。

    ただ、「じゃあ、いつ頃どうして、どういうきっかけで、少なくとも西欧社会でキリスト教が支配権力宗教にまで上り詰めたの?」という興味が残りました。
    そういうことの楽しい本があったら読みたいですね。

    以下、また個人的な備忘録として、印象に残ったこと。ラフに箇条書き。

    #########################################

    ●新約聖書っていうのはつまり、イエス・キリストさんのお話ですね。
    キリスト教というのは、基本的に旧約聖書の上に乗っかってます。
    だから、イエスさんは、旧約聖書に書かれている、
    ダビデ王の子孫がいつか、救世主として現れてくれるよ、という記述の「救世主」にあたる、ということになります。
    まあ、これはこれで、何の証拠も無いわけですが。
    そこに分かれ道があって。

    #イエスさんは、旧約聖書で言うところの、救世主さんだ、と信じる=キリスト教=旧約聖書&新約聖書、両方が大事。

    #そんなことはない、まだ救世主は現れていない=ユダヤ教=旧約聖書だけが大事。

    ということになります。こういうと失礼ですが、ユダヤ教、というのは、4000年近く?残ってるだけでもすごいんですけど、まあ、ユダヤ人という民族グループのローカル宗教、という感じですね。ユダヤ人のためのユダヤ人による宗教っていうか。そこがイエスは違うんですね。

    ●信仰心抜きで新約聖書を読み込んだ阿刀田さん曰く。
    イエスは恐らく、マリアさんが別の男と作っちゃた私生児。
    それを承知で、ヨゼフはマリアさんと結婚。
    イエスと、種違いの弟たちが生まれた。
    ヨゼフはでも健気にイエスもちゃんと、愛したんじゃなかろうか。イエスが大人になる前に亡くなります。
    きっと、イエスはどこかでその自分の運命を知って。
    家督は弟たちに譲ろうと、家出蒸発した。

    ●そう解釈して見ていくと、人間ドラマとしてイエスと、母マリアって泣けるよね。。。
     イエスの死後、その遺体を抱くマリアという、芸術の題材=ピエタ、とかは、感慨深く味わえる、と。

    ●で家出青年、イエスさん。多分、ユダヤ教の何かの派で修行を積んで、どこかで自分なりの独立宗教?を始める。
    というか、恐らくイエス的に言うと、旧約聖書の自分なりの解釈、ということなんでしょう。
    で、歴史の表舞台の活動は恐らく2年半くらいなんですね。

    ●逮捕処刑前のイエスが、ゲッセマネで山に登って、「やっぱり怖いよ。なんで俺こうなるの」と苦悩するのが、
    ゲッセマネの祈り。
    でも最後には、「これが俺の運命」みたいに、すっきりと落ち着きを取り戻す。
    このゲッセマネのイエスが、とても人間味があって、好感が持てる。

    ●で、なんでそもそもイエスは磔になったのか。
     その時代、1世紀前半で言うと、まず前提として政治と宗教っていうのは全然分離していませんでした。
     そしてイエスが活動した、今で言うところのイスラエル近辺は、南ユダヤ王国だったはずですね。
     なんですけど、実はローマ帝国にもう支配されていました。
     日本で言うところの幕府と藩みたいな上下関係・・・というより、戦後日本とアメリカGHQみたいな感じだったと思えばいいんでしょうね。
     で、南ユダヤ王国藩、というか、そこにはマッカーサーというか、ローマの提督(だったかな)が君臨してるわけです。

     なんだけど、一応、南ユダヤ王国。そこはユダヤ人の国。それはユダヤ教の支配。
     で、ユダヤ教はもう何千年とある訳です。
     そこで、なんとなくもう、インテリのモノになってる。小難しい教義論争、既得権の支配者層の玩弄物的なかんじ。
     なにしろ、まだ印刷技術もなかった遠い昔ですからね。庶民はまあ、おいてけぼりの、戒律で縛るだけの支配宗教になっていた。(と、思う)。
     そこに出てきたイエスは、「とにかく神を信じれば細かいことはいいの、救われるから」とまでは言わないけど・・・きっとわかりやすかったんでしょう。
     これは個人的なイメージですが、親鸞=浄土真宗みたいな・・・とにかくある種簡単、解り易い。
     なんで、一部庶民に受けた。
     今の感覚ではわかりづらいところで、ユダヤ教からすれば、怪しいケシカラン新興宗教だったんですね。
     何しろ、多分、最大のツッコミポイントは、イエスは、「神にしかしてはいけない、許す、とか、そういう行為」をしてたんですね。
     何しろ、「私は神の子である」わけですから。まあ、存命中に、そうハッキリ言ったのか。それとも、そうであるってことに後年、布教者が確信を持って思ったからそう言ったことにしたのか、は、ともかくとして。
     多分、イエスさんはユダヤ教を勉強し尽くして、現行のユダヤ教の、狭隘な教義主義がいやになったんでしょう。
     世直し、したかったんじゃないかなあ。可愛そうな人に救いを、みたいな。
     何かしら宗教的な使命はあったんでしょうね。
     イエスは生存中、一部民衆に支持されてただけで、教団も何もないわけです。
     その片のゴロツキみたいな人を12人したがえて、汚い身なりであちこち回ってたんでしょう。
     そのくせ、信念覚悟があってユダヤ教から逸脱してる。(根源的には踏まえてるんですけどね)
     それぁ、既得権益権力宗教であるユダヤ教からしたら、気に食わない。
     だから、弾圧、処刑。
     だから、ローマの提督、マッカーサーの役回りのピラトさんは、そのへんのユダヤ教的云々には、別に身を切るような興味はないんですね。
     積極的にイエスを殺したい訳じゃなかったんでしょうね。でもまあ、ユダヤの権力層がそういうなら、いいよ死刑で。って感じじゃないでしょうか。
     
    ●イエスは、その時代に別に、圧倒的な大衆に人気があったわけじゃないんですね。はっきり言えば、田舎でけっこう話題呼んで人気だっただけです。
     今みたいに報道があるわけじゃないし。ネットがあるわけじゃないし。今よりはるかに、お上、権力が横暴でコワかった時代。
     大都会エルサレムに乗り込んだイエス一行、ぜんぜんエルサレムでは人気なんかまだ、ない。
     で、エルサレムですぐに捕まって、磔。死刑。そのときは沿道の市民ほとんどが嘲って石を投げたわけです。

    ●で、じゃあ、イエスの教えってなんなのさ。

     結局は、「神を信じろ」ということ。これは一応、ユダヤ教的な神な訳です。
     でもこれは、ユダヤ教でも同じ。

     あとは、「汝の隣人を愛せよ」というのはつまり、
     <あなたが、こうされたら嬉しいなあ、と思うことを、ヒトにしてあげなさい>
     という極めて解り易いこと。今で言えば、ほとんど、あいだみつおレベル。

    ●あとは、「剣を持つ者は剣に滅ぶ」という、ある種、憲法九条的な無抵抗平和思想。
     まあ、大まかそれくらいだったんですね。
     あとは、例え話やアジテーションや演説が上手かったんでしょう。

    ●あとそれから、ユダヤ教は当たり前ですがユダヤ人用なんですけど、
     イエスはそこのところあまり拘らなかった。ユダヤ教を信じてない人でも布教したし、助けた。らしいです。
     枠組み超えちゃったんですね。
     ユダヤ教の厳正な視点からすれば、いかがわしい罪深き汚らわしい人々とも付き合った。布教した。
     ここのところ、ひょっとすると、ヘレニズムとかローマ帝国とかアレキサンダー大王さんとか、そういうこともあって。
     モーゼやらソロモン王の時代に比べると、グローバル化が進んでいたのかも知れませんね。人の交流。
     そういう実情に、「辛い浮世でヒトが救われるための考え方、言葉、宗教」というのものをイエスなりに確立したのかもですね。
     以前は、「辛い浮世でユダヤ人が救われるための考え方、言葉、宗教」だった訳です。

    ●きっと、ブッダもそうだったんだろうなあ、と思うんですけど、
     たったそれだけのことが、それだけ一部で人気が出るというのは、つまり。
     「その時代の庶民さんっていうのは辛いことがいっぱいあったんだろうなあ」と、僕は想像したりします。

    ●で、イエス死して後。
     直弟子のペドロに出会ったのがパウロ。パウロ、ユダヤ教ゴリゴリ原理主義者で、むしろイエス一派弾圧の急先鋒だったそうです。
     なんだけど、奇蹟とか見ちゃって、劇的に寝返り。イエス教団入り。
     で、このパウロさんが、確かギリシャだったか、そっち方面が近かった人だったりしました。違ったかな?・・・
     要は、どローカルイスラエル地方だけじゃなくて、ヘレニズム的にあちこち、他国へ伝手があったのか、情熱があったのか、布教する。
     この段階で、例えば、「割礼」が必要かどうか、みたいな論争が、イエス一派内である。
     パウロは頑強に「そんなのどうでもいいの。そういうの、もう古いの。イエスが生きて、我々はイエスを信じることで、神様と新しい契約結ぶんだからさ。小難しい条件つけずに、イエス信じる!それでOK!」という自説を押し通しちゃう。そして、どうやら物凄い迫害を各地で受けつつも、布教する。イエスを救世主(キリスト)と信じる新興宗教を。これがキリスト教。
     神様との新しい契約。だから新約。
     で、「パウロなくしてキリスト教なし」と言われる。どうやら、キリスト教を、イスラエルローカル、ユダヤ人ローカルの「ユダヤ教の異端一派」という位置づけから、「普遍的に誰でも救われる易しい宗教」に変換したのは、パウロさんだったんですね。

    ●マグダラのマリア、って名前だけ有名なんですけどね。
     どうやら元娼婦さんで、イエス存命中から信者さん。
     どうやら割と近かったらしい。恋人なのでは?という邪推も。
     この人は、イエスの死後の復活、という劇の中で、
     「遺体に香油を塗ろうと墓に行ったら、墓が空っぽだった、そしてあたしの前に現れたのよ、見たのよ」という役どころ。

    ●これをはじめとして、イエスの復活伝説というのはいろいろあります。
     阿刀田さんは、信仰心で書いてないので、それがほんととか嘘とかという判定はしませんが、
     色々想像されていて面白い。
     つまりは、生存中の奇蹟伝説もそうだけど、
     「奇蹟も、復活も、そうでなければ、イエスという人の信念を現し、伝え、その教えを信じる勇気を広めるためには不可欠だったんだろうなあ。
      だから、イエスは奇蹟を起こしたし、復活した・・・というか、そうだったことに、なっているんだろうなあ」
     ということですね。

    ●そして、書物としての新約聖書ですが、イエスの死後何十年かして、何人かの弟子(多分孫弟子か曾孫弟子)たちによって、語られた?伝えられたものが福音書。これはつまり、イエスの伝記ですね。
     それから、パウロさんがあちこちに布教連絡のために書いた手紙。
     それから、キリストの弟子たちがどんなこと頑張って布教したか、みたいな内容。
     それから、黙示録。つまり終末の予言のようなもの。キリスト教が権力から迫害される現実に基づいたのか。神の国は近づいているんだから。ちゃんとしなよ、というコトなのか。
     そんな内容で200年代くらいできて、400年くらいに現状に近く整理されたようですね。

    ##################

  • 劇団四季のミュージカル「ジーザスクライストスーパースター」を観るにあたって、予習の意味で読みました。
    もう随分前からAmazonで購入してたんですが、自分の読書ペースを考えると一週間あれば充分かなと公演日間近に読書するに至りましたが…、ほんとにギリギリになってしまいました。

    キリスト教について知っている事といえば、イエス・十字架・聖母マリア…と、ほんとに単語がいくつか出てくるのみで、全くの無知な私。
    読み慣れない、聞き慣れない言葉ばかりでなかなかページが進みませんでした。

    信仰している人を否定もしませんが、いざ自分に宗教の話を持ち掛けられると胡散臭く感じてしまうんですけど、この著者は信仰を持たない方らしく、客観的に新約聖書の説明がされていて割と素直に読む事ができました。

    読み終わって、ぼんやりとですがキリスト教の全体像が見えてきた様な気がしました。

    私の様な初心者には読みやすいのではないでしょうか。

    肝心のミュージカルの方ですが、この本を読んでいて本当に良かったと思いました!
    この本で読んだままが出てきて(当たり前かな?)、細かい部分も楽しめました。

    マグダラのマリアがイエスの足にキスしたり、香油をかけたりとか、イエスが祈っている間に弟子たちが眠りについている様子とか。
    読んでなかったら???の連続だったと思います。

    • mattun08さん
      こんな本があるんだ~。私も読んでおけばよかったかも…。客観的に説明されているところがいいね。
      こんな本があるんだ~。私も読んでおけばよかったかも…。客観的に説明されているところがいいね。
      2014/12/04
  •  旧約聖書を知っていますか、に引続き、新約だ。

     イエスの言葉は、たとえ話であったり、質問に対する断片的な回答であったり、戒めであったりして、真正面から教義の中核を語っているものは思いのほか少ない。イエスは、教義についてはむしろモーセの十戒など旧約聖書の中にそれを求め、そこから選び抜き、新しい意味を与えるといった方法をとっている。その根底にある規範は神への完全な愛であり、そして実践的には隣人を自分自身のように愛することである。また、人間には出来ないことも神にはできる、と、言われた。イエスの教えの中枢には神は人知を超えた存在であり、だから、ただひたむきに、ひたすら神に対してすがり求めること、神への完全な信頼があれば必ずよい答えが得られると述べている。隣人愛の具体的な指針として、”人にしてもらいたいことをあなたがしなさい”と記している。やさしい言い方だが、この倫理の包容する範囲はとても広い。殺人はどうか、姦淫はどうか、親切はどうか、おのずと答えが生まれる。一つ一つの行動について、これは自分にして欲しいことだろうか、してほしくないことだろうか、と問いかければ、おのずと選択の目途が立つ。それを厳密に考え実践することが神の心にかなうことである。

     イエスはいくつかの啓示を得て、自分が神であることを確信した。この確信の背景には当然のことながら、神の存在への確信がある。”私は神の子としてこの地上に遣わされたのだ”という思いが徐々に確信にかわって言ったのだろう。なにしろ全知全能の神を背中に背負っているのだ。ならば、神がいかなるものか、その説明は無用である。どのみち神がいかなるものか、人間などに分かるわけがない。小ざかしい疑問を抱くより、ただひたすらに信じる方が寛容である。なにしろ相手は人間を愛して、愛して、愛してやまない神なのだから。福音書には、教義に属すること、私はこういう神ですよ、といったことが余り記されていない。そんなものをいちいちいう必要は無い、それが福音書の方針なのだろう。神は全知全能だから、疑いを持たずに神を信じなさい、ということだ。だから『求めなさい、そうすれば与えられる。探しなさい、そうすれば見つかる。門を叩きなさい、そうすれば開かれる。だれでも求め続ける者は受け、探す者は見つけ、門を叩くものには開かれる。あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか。このようにあなたがたは悪いものでありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして、あなたがたの天の父は、求める者に良い物をくださるに違いない』なのである。人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい、なのだ。

     あとは、神の存在を、具体的にはイエス自身が神の子であることを証明すれば、このように言っていることがきっと信じられるだろう。その証明が明確で、力強ければ、そのぶんだけ、私は神の子である、というテーゼが明確に、力強く裏打ちされることとなる。とにかく信じなさい、わるいようにはしない、神なんだから。という主張は、そのよりどころを”本当に神かどうか”にかけているといってもよい。神の子であるという強い確信を持ったイエスは、その証明方法として、人間の原罪を一身に背負って十字架にかかり、死後に復活して見せるという道を選んだ。これもまた、なにかしらイエスの中に啓示があったのかもしれない。

     あとは、キリスト教を体系立てて世界的な宗教に、ユダヤ教の一派ではなく、それとは違う宗教に仕立て上げた最大の功労者、パウロのことである。パウロの考えは、まずはイエスキリストを信じることだった。律法を守るかどうかは次の話でありイエスを信じなければ、はじまらないということだった。割礼より先にイエスを信じろと。旧約聖書に記されたアブラハムから、イスラエルの民はモーセを仰ぎ、ダビデを敬い、ずっと律法を神の掟として過ごしてきたが、機が熟したところで神は救世主であるイエスを地上に遣わし、イエスの血により人間の犯した罪をあがない、イエスを信じることによって人間が救済されるという道をお示しになった。これらはみんな神の眼から見れば、あらかじめ決められていたことであり、イエスの顕現を経た今日では、古い律法を守ることより、イエスを救世主として信じることの方がよほど重要であるという。ただ、やっぱり律法もちゃんと守らなくちゃいけない、という人も多かっただろう。でも、それではキリスト教はユダヤ教の一派に成り下がってしまう。そのため、パウロは、割礼などの律法は守らなくてよい。イエスを救世主として、しっかり信じることだ。十字架にかかり、復活した意味をきちんと理解することの方が重要だ。といって、パウロは精力的に布教活動を行った。あなたが受けた割礼も、盗むな、姦淫するなという律法を守ってこそ意味があり、律法を破れば、それは割礼を受けていないのと同じだ。だから割礼を受けていない者が、律法の要求を実行すれば、割礼を受けていなくても、受けたものとみなされるのではないかと言った。そして、体に割礼を受けていなくても、律法を守るものがあなたを裁くでしょう。あなたは律法の文字を読め、割礼を受けていながら、律法を破っているのだから。外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではなくなる。内面がユダヤ人であるものこそユダヤ人であり、文字ではなく、霊によって心に施された割礼こそが割礼なのだ。(ローマの信徒への手紙第2章)

     旧約聖書の方はイスラエルの建国史と読める部分が多くあるが、新約は、徹頭徹尾信仰と結びついている。美術館を巡るときも、西洋美術は特に聖書と結びついている。演劇も映画も、音楽もだ。そんなときに、聖書の知識があるとないとでは理解の深さと面白さが全く違う。皆さんも信じる信じないというより、しっかりとキリスト教を勉強すべきだ。

  • 2015.8.27新約聖書の内容をわかりやすく、著者の私見やエピソードも交えながら、信仰もなくキリスト教についてもよくわからない人に向けて書いたエッセイ。旧約聖書が、日本の古事記に近く、神話と歴史という流れでイスラエルの民族のアイデンティティを証明するような書物であるのに対し、新訳聖書はイエスキリストの誕生から亡くなるまでの言行録というか、その言行を伝え、解釈した4つの福音書がメインであり、さらにパウロなくしてキリスト教なしとまで言われる、パウロによる布教の記録を手紙を通して知ったり、つまりイエスキリストを中心に書かれている。旧約聖書とは思いっきり違う内容構成になっている。小学生の時に学校の図書館でイエスキリストの伝記を読んだのを今でも覚えていて、有名なエピソードはその時読んだ記憶と本著を読んだ記憶にさほど違いはなかった。個人的には、新約聖書に書かれていることの真偽より、それを書かせるだけのインパクトのある出来事と人物が実在したこと、そして故にキリスト教は現代において世界最大の宗教となっている、そこが大事なのではないかという著者の私見もおもしろかった。イエスキリストを始まりとしたストーリーも興味深いものだったが、改めて、信じるとはなんだろうかと考えさせられる。この時代は、現代よりもずっと、信仰が身近であり、人生に必要不可欠なものだったに違いない。科学は、存在しないことを証明することはできない。神は存在するという証拠は乏しいが、同時に存在しないとも言えないのである。明確な根拠のある事実に対し信仰は不要である、だって目の前に根拠あるんだから。根拠がないからこそ、信じる力が試される。昔は今より、この力の試された時代だったんだろうなと思う。これは宗教に限った話ではない。科学のできることは存在の証明までであり、存在しないものを存在しないということはできない。それを信じるのも、人間の力である。その力を我々は失ってきているような気もする。無根拠でも信じる、それは時に生きる強い原動力、情熱である。そんな根拠のない自信的なものが必要な人生の局面ってあったりしますよね。例えばそれは自分の夢に対する信念とか、そんなものとも言えるかもしれない。日本は特に、宗教というか意識的な信仰を持つわけでもなく、寧ろ宗教にマイナスイメージのある国である。でも、根拠がなくても何かを信じることも人間の在り方だし、根拠がなくても何かを信じることの偉大さ、大切さを、この本を読んで感じることができた。私は神を信じないし、寧ろキリスト教は昔勧誘された時から大嫌いなのだが、著者と同じように、根拠もないし、奇蹟なんてアホらしいし、復活もあり得ないし、でもそういう無根拠なあり得なさを信じることが、一体どれだけの人間を救って、その結果キリスト教含め宗教がどれだけの影響力を世界に与えてきたか、その結果としての事実はしっかり受け止め認めるべきだと思った。イエスさんすごいね、というより、人間の信じる力ってすごいな、という感じである。最後のヨハネの黙示録はもう漫画とかアニメとか映画の世界のような気がして、でもそう思わせるだけの非現実感と凄惨な感じが伝わってきたのはすごいなと。比喩だろうけど、結局人類はそういうエピソードに向かいつつはある気もする。新約聖書について知りたい人にはもちろん、宗教とかなんか怖いし阿保臭いし意味不明ですよねなんて思ってる人に読むことをお勧めする一冊。唯一学べた教訓的なのは隣人愛、自分のしてほしいことを相手にしなさい、という教えくらいかな。

  • (2014.06.26読了)(2013.06.28購入)
    【6月のテーマ・「聖書の周辺」を読む】
    旧約聖書は、「創世記」「出エジプト記」「ヨブ記」と入門書、関連書などを読んでいるので、阿刀田さんの「旧約聖書を知っていますか」とりあえずスキップしてこの本を読みました。
    新約聖書を読んだことはないのですが、キリストの生涯については、映画や物語である程度知っていますし、絵画でも見ています。
    この本を読んでみると、知っているようで、まだ知らないことが多々ありそうです。聖母マリアのことについては、聖書には書いていないけど、別立てのものがたりがあるようです。映画や関連する物語にも触れながら、新約聖書について紹介してくれているので、楽しく読めます。この本を書くことを口実にキリストやその弟子たちにゆかりの地にも脚を運んだようです。うらやましい限りです。

    【目次】
    第1話 受胎告知
    第2話 妖女サロメ
    第3話 ガリラヤ湖
    第4話 十二人の弟子
    第5話 イエスの変容
    第6話 ゴルゴタへの道
    第7話 ピエタと女たち
    第8話 クオ・ヴァディス
    第9話 パウロが行く
    第10話 黙示とエピローグ
    解説  大塚野百合
    阿刀田高 文庫分類目録

    ●系図の不思議(14頁)
    「マタイによる福音書」の冒頭にマリアの夫のヨセフの系図が書いてあることについて
    系図は、マリアの夫ヨセフが、いくつかの曲折や疑義があるにせよ、アブラハムからダビデを経た一族の血を繋ぐ末裔として(多分、誇りを持って)記しているのである。そのヨセフの本当の息子がイエスであるならば、この系図の意図は十分に汲み取れる。こういう正統な血筋からイエスが誕生したこととなり、首尾は一貫している。
    ところが、系図に続く記述が、イエスはヨセフと関係なく、マリアは聖霊によって受胎しイエスが誕生した、というのだから、
    ●四つの福音書(28頁)
    新約聖書の中核をなす四つの福音書、すなわち〈マタイによる福音書〉〈マルコによる福音書〉〈ルカによる福音書〉〈ヨハネによる福音書〉の内容は何か、
    「イエス・キリストが神の子であることを伝えるフィクション」
    ●イエスの父(31頁)
    マリアの相手はほかにいる、ローマの兵士、パンテラという名前だ、という指摘が早い時期からあるにはあった。心根の正しいヨセフはそれを承知でマリアを引き受け、成長したイエスは、その事実を知って早く家を出た。家督を正当な弟たちに譲ろうと考えたわけである。
    ●洗礼前のイエス(51頁)
    はっきり言えるのは、イエスは少年期を終える頃までナザレの父の家にいて父の仕事を習っただろうこと、四人の弟と、二人あるいは三人の妹がいたこと、そして父ヨセフは比較的早い時期に死んだこと、そしてイエスが若くして家を出たこと、くらいであろうか。
    ●病気(78頁)
    当時、病気は神に対する罪に由来すると考えられていたから、罪が許されることと病気が治ることとの間には、イコール記号が通用したわけである。
    ●奇蹟(85頁)
    奇跡のエピソードは一つの比喩であり、イエスの偉大さを大衆に伝えるためには、こうした伝達方法が適していた、ということだろう。事実の報告だけが伝達の手段ではあるまい、小説でしか伝えられない事実というものが現代でもあるではないか。
    ●イエスのレトリック(104頁)
    「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」
    ●ピエタ(182頁)
    ピエタはイタリア語で〝敬虔な心、慈悲〟を表す。日常会話でも使われているが、美術用語としては、聖母マリアがイエスの亡骸を抱いて悲しむ構図を意味している。
    ●伝道(213頁)
    福音書の二百余頁が過ぎると、新約聖書は新しい部分に入る。イエスの亡き後、直弟子やその他の弟子たちがイエスの教えをどう伝えたか、キリスト教がどう成立して、そこにどんな困難があったか、どんな励ましがあったか、記述のポイントが大きく変わる。
    〈使徒言行録〉は、その名の通り、複数の使徒の言行を記したものだが、ペテロとパウロに咲かれたページが圧倒的に多い。
    ●ペテロ(236頁)
    ペテロは叫んだ。
    「ドミネ・クオ・ヴァディス?」
    主よ、どこに行かれるのですか、の意である。イエスは答えた。
    「あなたが私の子等を見捨てるならば、私がローマへ行き、もう一度十字架に懸ろう」
    ●弾圧者パウロ(242頁)
    どこかにキリスト教徒が隠れていると聞けば、大祭司の命令を受け、わざわざ出向いて行って捕縛連行するなど、徹底した弾圧者だったのである。
    ●ヒエロニムス(283頁)
    原語はギリシア語だったろうが、五世紀の初めにヒエロニムスという学者が長い苦難の日時をかけてラテン語訳を編集完成した。ウルガタ(一般的なもの、の意)と呼ばれる聖書であり、その名の通り聖典として後世に大きな影響を与えた。

    ☆関連図書(既読)
    「死海文書の封印を解く」ベン・ソロモン著、KAWADE夢新書、1998.05.01
    「はじめての死海写本」土岐健治著、講談社現代新書、2003.11.20
    「神の旅人」森本哲郎著、新潮社、1988.05.20
    「ローマ帝国とキリスト教」弓削達著、河出文庫、1989.08.04
    「新約聖書入門」三浦綾子著、光文社文庫、1984.11.20
    「イエス・キリストの生涯」三浦綾子著、講談社文庫、1987.11.15
    「聖書物語」山形孝夫著、岩波ジュニア新書、1982.12.17
    「ふしぎなキリスト教」橋爪大三郎・大沢真幸著、講談社現代新書、2011.05.20
    「サロメ」ワイルド著・福田恒存訳、岩波文庫、1959.01.05
    (2014年7月2日・記)
    内容紹介(amazon)
    新約聖書の冒頭で、マリアの夫ヨセフの系図を長々と述べているのはなぜでしょう。処女懐胎が本当ならば、そんなことはイエスの血筋と無関係のはずです。ところで、聖書の中に何人のマリアが登場するか知っていますか? ではヨハネは? そして、イエスの“復活"の真相は? 永遠のベストセラー『新約聖書』の数々の謎に、ミステリーの名手が迫ります。初級者のための新約聖書入門。

  • 「キリストははじめから神の子であったのではなく、様々な奇跡や過程を通じて確信を深めていった」
    「磔刑の前日には迷いがあり、執行直前にも迷いが生じる。しかし、どちらも最後は委ねる」

    といった、人間くさいイエス・キリストが描かれている。


    宗派や考え方は様々だし、そもそもキリストが人間かどうかという部分があるが、宗教を持たない身としては、一番腑に落ちる見方だと思えた。

  • ライトすぎるものは読めんぞと敬遠していたが、知識量は的確、また阿刀田氏の思い入れもあり、イエスの人間的なところが胸に迫ってくる。
    よかった。

  • 阿刀田高さんの「旧約聖書を知っていますか」は何度も読んだお気に入りの本なので、そこからの流れで読んだ。
    旧約聖書は神話的でストーリー性があるので分かりやすいんだけど、新約聖書ってイマイチ理解しにくい。
    この本は宗教的な解説の仕方をしていないので読みやすかった。
    新約聖書には、いろんな解説本があるけど、この本は抵抗なく読める一冊だと思う。

  • 和田誠さんの絵がかわゆい

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著者プロフィール

阿刀田 高(あとうだ たかし)
1935年東京生まれ。早稲田大学第一文学部フランス文学科に入学し、結核を病む。大学卒業後は国立国会図書館に司書として勤務。『ころし文句』を長崎寛と著し、これがデビュー作となる。兼業しながら著作を刊行していたが、『ブラックユーモア入門』がベストセラーとなり、作家一本に。
1978年『冷蔵庫より愛をこめて』が直木賞候補。1979年『来訪者』で第32回日本推理作家協会賞、1979年『ナポレオン狂』で第81回直木賞、1995年『新トロイア物語』で第29回吉川英治文学賞をそれぞれ受賞。2003年紫綬褒章を受章。2018年文化功労者に。
古典に親しんでいたことから『ギリシア神話を知っていますか』などのエッセイも著名。
2007年から日本ペンクラブ会長。直木賞、新田次郎文学賞、小説すばる新人賞選考委員、講談社『小説現代』のショートショート・コンテスト選考をそれぞれ務める。

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