ギンイロノウタ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (284ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101257112

作品紹介・あらすじ

極端に臆病な幼い有里の初恋の相手は、文房具屋で買った銀のステッキだった。アニメの魔法使いみたいに杖をひと振り、押入れの暗闇に銀の星がきらめき、無数の目玉が少女を秘密の快楽へ誘う。クラスメイトにステッキが汚され、有里が憎しみの化け物と化すまでは……。少女の孤独に巣くう怪物を描く表題作と、殺意と恋愛でつむぐ女子大生の物語「ひかりのあしおと」。衝撃の2編。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、子供だった頃、親に知られたくない秘密の場所がありましたか?

    子供時代は好奇心に満ち溢れた時代です。大人にとっては何のことはないようなことにも敏感に心が反応していく時代でもあります。一方で、それは大人の世界の扉を開く、もしくは大人の世界を覗き見するようなことでもあります。

    そんな中では、親に内緒にするという感覚自体に気持ちが昂りもします。両親の『廊下の足音に用心し』ながらも秘密を自分の中で大切にしていく、そんな場面もあるでしょうし、そんな秘密の隠れ家のような場所も愛おしくなってもいくものです。

    さてここに、『銀色の扉から「大人の国」へ行けば、闇の中で全ての目玉が一斉にこちらを向くのだ』という思いの先に、押入れの下段を秘密の場所にする一人の少女が主人公となる物語があります。『自分の身体』の変化を意識し、『どこから膨らんでくるのだろうか。乳房だろうか、お尻だろうか』とその日を待ち続ける主人公が描かれるこの作品。そんな先に、『男の人の瞳にむしゃむしゃと食べられる』ことを『待ち遠しい』と感じる主人公の心の内が赤裸々に描かれるこの作品。そしてそれは、「ギンイロノウタ」という書名の奥深さに読者が感じ入る他ない、”村田沙耶香ワールド”の極みを見る物語です。
    
    『その夏の日、私は小学校の二年生でした』と過去を振り返るのは主人公の古島誉。『明日から夏休みで騒がしい学校を終えた』誉は、『駅を出てすぐ目の前の広場に設置された』『「ニュータウン完成予定模型」と札に書かれた長さ二メートルほどの大きな模型』へと近づき『精密な模型を覗き込み』ます。そんな時、『背後から近づいてくるもの』を感じた誉が振り返ると『そこには不可解なものが立っていました』。『巨大な花のつぼみに見え』る『怪人』に『恐怖で後ずさり』する誉。そんな中に『イウコトヲキケ…』、『ススメ。ススメ。ススメ』と音声が流れてきます。そんな時『布越しにワンピースの胸元を摑まれ』た誉は、『怪人』に『強い力』で『見たことのある公園』へ『連れてこられ』ます。そして、『公衆トイレ』の個室へと『押し込まれ』た誉は、『開けて。開けてください』と『擦れた声をだ』すも返答はありません。しゃがみこんだ誉の耳に『ピジイテチンノンヨチイクン』と『不可解な言葉が聞こえてきて』、『とめどなく繰り返され』ます。『祈れ。これは呪文なんだよ。繰り返せ…』と『誰かが急にそう叫び、笑い声がはじけ』、『耳をふさいで目を閉じ』る誉。『どれほどそうしていたの』か、ようやく外が静かになっているのに気づいた誉はドアを開けたものの『子供の笑い声が聞こえたような気がし』、『猛烈に走り出し』、『やっとの思いで家にたどりつき』ました。そして、『誉、どうしたんだ?…』と『呑気な父の声』に迎えられた誉は、一方で『いつもと違う道をお散歩してたら、道に迷ってしまったの』と言う母の姿も目にします。『行っても行っても、知らない道なの。誰もいないし…』と言う母、『おまえのお母さんは、すごく大変な目にあったんだぞ』という父。場面は変わり、『ねえ、先週、この講義出てた?』と『側に座っていた女の子』に訊かれたものの『目もあわせずに鞄から筆箱とノートを取り出』す誉。『さらに何かを言おうと』する女の子を『連れらしい髪の長い女の子』が連れていった後、『あの人、なんか、気持ち悪くない?』という声が聞こえます。『大学というのは不思議なところ』と思う誉は、『少し不気味がられても、それはこの騒がしい空間にすぐに溶けてなくな』ると思います。『小さいころは、「岩」というのが私の渾名』だったという誉は『ふと、横の席に目をや』ると、そこにオレンジ色の服を着た男の子が『腕に顔を半分埋めて、目を閉じて眠ってい』るのに気づきます。急に身体を起こした男の子は『紙袋から取り出したハンバーガーに、身を乗り出して大きくかぶりつ』きます。そして、『ねえ、一年生?次、後期の説明会あるよね』、『おれ、場所がわかんないんだ』と訊かれた誉は『春に入学式をやったところです』と答えます。そんな中に『廻ってきた』『プリント』に誉が名前を記入すると『あれ?それ、おれの名前と似てる』と言う男の子。『なんて読むの?』と訊かれ『… ほまれです。古島誉』と言うと、『読み方も似てる。ほらね』と言う男の子のプリントには『太い字で「芹沢蛍」と』書かれていました。『誉と蛍という名がそれほど似ている気』がしない誉ですが、『男の子は満足そうに』しています。そして、『講堂まで一緒にいく』と『前から友達だったみたいに気軽に尋ね』られるも『…私、行かないですから』と言う誉は、『いそいで携帯を開き』、『今日、説明会さぼります。二時には行けそうです』とメールを打つと『校門の前で待ちなさい。迎えにいく』とすぐに返信がありました。『真面目そうなのに、度胸いいんだなあ。面白いね。ばいばい』と芹沢蛍に言われる中、『荷物をまとめてすぐに教室を飛び出し』た誉。校門には『待った?』と声をかける『隆志さんの車』がありました。『友達を作るのはあれほど下手なくせに、私は恋人を作るのがとても上手』という誉。『ピジイテチンノンヨチイクン』という声が聞こえてくる誉の日常が描かれていきます…という短編〈ひかりのあしおと〉。なんとも難解で不思議な雰囲気感に支配された好編でした。

    “少女の孤独に巣くう怪物を描く表題作と、殺意と恋愛でつむぐ女子大生の物語「ひかりのあしおと」。衝撃の2編”と内容紹介にうたわれる通り、短編二つが収録されたこの作品。表題作の〈ギンイロノウタ〉の方は2009年に第31回野間文芸新人賞を受賞しています。その一方でこの作品は”村田沙耶香さんの作品の中でも一番難解”とも言われる作品でもあります。村田沙耶香さんはやがて「コンビニ人間」で芥川賞を受賞をされますが、芥川賞作家さんの作品には難解と思える作品はつきものです。読書は学校の勉強ではないので無理に難解な作品を選ぶ必要はありません。しかし、それでもそこに見え隠れする独特な世界観に惹かれて私は難解と言われると読みたくなってしまいます。この作品の難解さは、金原ひとみさん「AMEBIC」に似たところもあるようにも思います。それは二編ともに極めて危うい女性が主人公として登場するところでもあります。しかし、金原さんの作品が”らりった”女性であるのに対して、村田さんのこの作品に登場する女性は思春期ならではの危うさを秘める少女という点の違いは大きなものがあります。また、文章表現の不気味さがそんな雰囲気感を演出してもいきます。

    まずは、そんな不気味な文章表現を見てみましょう。せっかくですので全編に渡って頻繁に登場する『目玉』という言葉に注目してみましょう。

     『父の背の後ろで、目玉を取り出して唾液でぬらしてからまたはめ込んだのではないかと私は思いました。目の周りが乾いているのに、目玉だけが水まみれになっていたからです』。

    これは、〈ひかりのあしおと〉の中で主人公の誉の母親・愛菜が登場する場面で使われる表現です。要は涙ぐんでいるという表情を表現しているだけども言えますが、『目玉を取り出して…』といったホラーとしか思えない表現の登場には思わずギョッとさせられます。

     『枯れた向日葵は崩れた目玉に見えます』。

    こちらは、ある展開の中で誉が芹沢蛍を『庭に設置された古ぼけた物置』へと導く場面で登場します。『枯れた向日葵』を『崩れた目玉』に比喩するという感覚には驚きます。そもそも『崩れた目玉』って何?という疑問がわきもしますが、わざわざ『目玉』を比喩に登場させるのは、『目玉』という表現の畳みかけの意図あってのことと思います。いずれにしても間違いなく不気味です。そしてもう一つは〈ギンイロノウタ〉から抜き出しましょう。『同じ階に住むおばさん』に話しかけられた主人公の有里という場面です。

     『身体はこわばり、目玉だけがせわしなく上下左右に動き始めた。重い瞼の肉の隙間を、私の淀んだ黒目は湿った便所の隅で逃げ回っている虫の背中そっくりに這いずり回った。その動きが、相手に靴の裏で踏み潰して動きを止めてしまいたい衝動を与えていると思えば思うほど、目玉の上下は激しくなり、私は気づかれないように可能な限り深く俯いた』。

    『住民同士の交流は薄』いという緊張感の中にいる有里を描写したものですが、そんな緊張を『目玉』で表していきます。『玉』をつけずに『目』だけでも良いように思いますが、『目玉』とすることで印象が別物になるのを感じます。これ以外にも『目玉』という表現がこの作品には多数登場します。特に二編めの〈ギンイロノウタ〉ではこの『目玉』が指すもの自体が大きな意味を持ってもいきます。

    そんなこの作品は上記した通り極めて難解です。レビューするのも一苦労というところですがそうも言っていられないので頑張って二つの作品をもう少し細かく見てみたいと思います。

    まずは、一編目〈ひかりのあしおと〉の冒頭をまとめてみます。

     〈ひかりのあしおと〉: 『小学校の二年生』だった時、『怪人』に『公園の隅にある公衆トイレ』の個室へと『押し込まれ』た主人公の誉は『ピジイテチンノンヨチイクン』という『不可解な言葉』を聞きます。大学生になり『あの人、なんか、気持ち悪くない?』と言われるのを聞く誉は『小さいころは、「岩」という』渾名で呼ばれていたことを思い出します。そんな中にオレンジ色が印象的な男の子・芹沢蛍から声をかけられた誉ですが、『友達を作る』のが苦手なこともあり、誘いを振り切って恋人である『隆志さんの車』に乗り込みます。『私は恋人を作るのがとても上手』と認識する誉。『それじゃあ、シートを倒すよ』と言われ『二人力をあわせて白濁液を出すのが私達に課せられている義務』と行為を進める誉…。

    まず一編目の〈ひかりのあしおと〉では、主人公で女子大生である古島誉の日常が描かれていきます。そこには、『小さいころは、「岩」という』渾名で呼ばれ、大学生の今も居場所なく閉塞感の中で生きる誉の姿が浮かびあがります。一方でそんな誉は『レンアイ』をする中に違う姿も見せます。

     『私のような、いつも閉じて押し黙っている人間が少しでも気を許すということは、それだけでほとんどボタンを外してしまっているのと同じ意味を持つのです』。

    そこに描かれるのはまるで壊れたかのような姿を見せる性描写の場面です。教室で芹沢蛍に見せた姿からは思えないような姿を隆志の前で見せる誉。一方で『恋愛』でなく『レンアイ』と表現されるそれは、

     『どのみち、光への恐怖が増してくると同時にいつもレンアイは終わるのです。少し早まったところで、レンアイが使い捨ての救命道具であることに変わりはありません』。

    そのような現実も見せます。女子大生としての描写がリアルな側面を見せることもあって、逆に半端ない閉塞感が伝わってもきます。そんな中に壊れていく誉の姿が痛々しく描かれていくこの短編。上記した『目玉』の表現など不気味さがそんな彼女の見るもの、聞くもの、感じるものを描いてもいく物語は表題作〈ギンイロノウタ〉よりもリアリティがある分、強く響いてくるものがありました。

    次に、二編目〈ギンイロノウタ〉も同様に見ていきましょう。

     〈ギンイロノウタ〉: 『あら、有里ちゃん、ママとお買い物?いいわねえ』と『同じ階に住むおばさん』に話しかけられ『顔を伏せ』るのは主人公の土屋有里。『本当に、有里ちゃんは大人しい子ね』と続けるおばさんに『そうなんですよ、陰気な子で…』と返す母親。家に入り『魔法使いパールちゃん』というアニメを見る有里は『鏡さん、鏡さん、このステッキと同じ色の、魔法の扉になあれ』と『ステッキを振』る『パールちゃん』のことを凝視する有里。『テレビが終わ』り『子供部屋へ戻った』有里は『色鉛筆のケース』から『一本の銀色の棒を取り出し』ます。『あのう。このステッキと同じ色の扉になってください』と『真剣に襖に話しかけ』ますが変化はありません。そんな有里は押入れへと入り『ステッキ』を振ると、そこに『銀色の光沢』が…。

    二編目の表題作〈ギンイロノウタ〉では、『魔法』という言葉が登場します。村田紗耶香さんというと、「魔法少女ミラクリーナ」をはじめ「地球星人」でも『魔法』という世界観が登場します。まさに村田さんは『魔法』と相性抜群という気がしますが、この作品ではテレビアニメに影響を受けた主人公の有里が『魔法使いパールちゃん』の真似をする先に物語が展開していきます。と、そのように書くと明るい、夢のあるような印象も受けますが、実際は真逆です。一作目同様に内へ内へとひたすらに籠り孤独の先に突き進んでいくかのような主人公の姿が描かれていきます。そのきっかけこそが次の言葉にあるものです。

     『私は、強烈な磁力で一瞬のうちに大量の男性を吸い寄せたパールちゃんを、初めて憎らしく思った』。

    この引用では意味不明かもしれませんが、この場面はアニメの中で『パールちゃん』の服が脱げてしまい、そこに男性の視線が集中する様子を描いています。子供の純真さがあるが故にさまざまな情景を冷静にみてしまう感情がそこにありますが、上記引用のような感覚を描く村田さんの鋭さが光ります。そして、物語はその先に大きく展開していきます。

     『私は涎を垂らして見つめられる、完成された食べ物になる。それを食べるのは男の人の見開かれた瞳で、私は瞬きで何度も咀嚼されながら、男の人の瞳にむしゃむしゃと食べられる。私はその日が待ち遠しい』。

    物語は少しずつ大人になっていく有里の姿が描かれていきます。そして、

     『自分があの目玉の部屋でしていることが「じい」であることもこれらの本で知った』。

    そこには、書名の〈ギンイロノウタ〉にも繋がる描写がなされていきます。そこに象徴的に登場する『目玉』のインパクトが物語を不気味に、一方で強い意味を持ってもきます。そんな中に物語は限りなく重々しさを増していきます。この世はこれほどまでに生きづらいものなのか、この世を生きるには生きづらさとの葛藤を超えていく他ないのか。壮絶としか言いようのない物語展開は読むものを一瞬たりとも活字から話すことを許さないレベルの密度感で読者に迫ってきます。そう、そこには思春期の苦しみを生きる一人の少女、孤独の中に彷徨いながらも光を求め続けもする一人の少女の生きることへの葛藤が、ひりつく様な感覚の中に描かれていました。

     『暗闇は私の身体に魔法をかけてくれる。この中では、自分の未熟さを忘れて大人の肉体になることができた』。

    『自慰を繰り返すたびに身体の中に現れる銀色の星屑』に強い思いを抱く主人公の有里が大人になっていく中でもがき苦しむ様を描く表題作〈ギンイロノウタ〉と、幼き頃に『公園の隅にある公衆トイレ』で聞こえた『ピジイテチンノンヨチイクン』という言葉のことを思う主人公の誉の大学生の日常を描く〈ひかりのあしおと〉の二編が収録されたこの作品。そこには、村田紗耶香さんならではの振り切った描写の連続に、10代の脆い青春を生きる二人の少女の心の叫びが赤裸々に描かれていました。不気味な表現の数々に独特な雰囲気感が形作られるこの作品。『性』の描写が重々しさをもって迫ってくるこの作品。

    読み終わった後もどっしりと何かに押さえつけられるような感覚がいつまでも尾を引く素晴らしい作品でした。

  • 「ひかりのあしおと」
    女子大生の「私」の家族は、少女の様な純真さと幼女の様な不確実さを持ち合わせる母親と、その母を溺愛し慈しむ父親。母親の狂気の純真さ(最近あみ子でもこのフレーズ使ったかも)から逃げられない。
    彼女は恋人達に依存していくが、徐々に殺意と狂気に支配される。

    「ギンイロノウタ」
    少女の家族は、愛を感じない厳しい父親と、それに従う母親。従順な妻から、少女曰く“アカオさん”にめくり上がる様に変貌する事がある。少女のその鬱積から逃避する手段としてのセクシャルな感覚と行動。早く大人の女性になりたいという願望。そこに自由を夢見る。

    少女達が成長過程で受けた家庭の違和感の蓄積が、自身の破壊願望へと導いていく。どちらも、母親の描写が許せないほど、気持ち悪い。それは誇張された自分でもあるかもしれないから許せないのよっ。
    何書いてんのか、もう、わからないわ。村田さんの作品は、思考機能を低下させるのだと思う。

  • 村田沙耶香氏の『授乳』『マウス』と続く3作目の中長編小説。本書『ギンイロノウタ』で村田沙耶香氏は2009年、野間文芸新人賞を受賞している。
    本書は『ひかりのあしおと』『ギンイロノウタ』といずれも思春期特有の不安定な少女の心情を綴った珠玉の中編作品2篇で構成されている。

    僕は『コンビニ人間』『消滅世界』で村田沙耶香の虜になり、そして処女作『授乳』から時系列順に本書まで読みすすめてきた。
    村田沙耶香作品の割には読みやすかった前作『マウス』とは打って変わって、本書はまさに「クレイジー沙耶香」節が炸裂している2篇が収録されている。

    僕にとって本作は5作目の村田沙耶香作品となり、だいぶ「クレイジー沙耶香」への耐性が付いてきたので、この作品にも何とか、かろうじてついていくことができるようになったのだが、全く村田沙耶香について知識のない読者がいきなりこの『ギンイロノウタ』を読んだら、普通に

      「・・・この作者、頭おかしいね・・・」

    と一言で終わらせてしまうくらい本書は狂気に満ちている。
    そういう意味においては、本作品はかなり『難易度の高い』村田沙耶香作品であることは間違い無い。

    この二つの物語のあらすじだが、

    一作目の『ひかりのあしおと』は、小学生のころに女子トイレに閉じ込められた経験がトラウマとなり、周囲の人たちと馴染めずに自らの価値観で生きている女子大生・誉とその前に現れた同じ大学に通う男子大学生の蛍との奇妙な交流を描いている。

    二作目の『ギンイロノウタ』は、幼稚園児の頃に手に入れた金属製の指示棒(学校の先生が授業などで使う伸縮するアンテナみないなヤツね)を魔法少女が使うステッキに見立てて、中学生になってもそれを大事にしている有里。そんな彼女が中学生の担任の先生を殺すことに興味を持ち始めるまでの狂気の過程を描いている。

    という感じだ。

    どちら小説も『若者のさわやかさ』や『若者の特有のはち切れるような元気さ』とは全くかけ離れた、思春期の少女の狂気の内面をドロドロと、そしてデロデロと、はっきり言ってビチョビチョと描く、あまりにも気持ち悪い作品である。

    村田沙耶香作品の特徴でもあるのだが、この作品でも女性の『性』の部分が極めて異質かつ特異に描かれている。もう僕たち男にはちょっと理解できない範疇にまで達している。
    ここまで描写されると「男性だから興奮するだろう」とか「女性の内面を見れて嬉しいでしょう」とか・・・・・・はっきり言って全くない。できれば知りたくなかったという気持ちの方が強いかもしれない。

    特に表題作の『ギンイロノウタ』の主人公・有里が「初潮」を心待ちにし「初潮」を迎えることによって、少女を脱却し「大人の女」になることをごく当たり前に期待しているのだが、それが自分の期待通りでなかった時の彼女の落胆を描いている描写は、僕たち男にはちょっと想像が出来ない女性心理である。

    そして『娘と母親』との関係のいびつさが描かれるのも村田沙耶香作品の特徴である。
    一作目の『ひかりのあしおと』で描かれる主人公の誉とその母親「愛菜ちゃん」の関係は典型的であろう。

    娘からも夫からも『愛菜ちゃん』と呼ばれる母親。
    この『愛菜ちゃん』を形容する言葉はもはや「可愛い」という言葉しかなく、この『愛菜ちゃん』に勝てる可愛らしさを持ったものといえば、ふわふわの毛皮をまとった小動物くらいしか見当たらないというその異常性。
    誉が「初潮」を迎えたとき、母親の『愛菜ちゃん』が娘に向かって「誉ちゃんは大人になったんだね~。私はまだなんだ~」というセリフが当然のことのように思えてしまうくらいの存在である母親。あまりにも倒錯的な世界である。

    村田沙耶香作品を読んでいると、もはや同じ人間の営みを見ているというよりも、読者である自分たちが、まるで異星人か地底人かなにかで「地球に住んでいるという『人間』と名付けられた生物」の生態を高性能カメラで撮影したドキュメンタリー作品を見せられているような気分になるのである。

    では・・・、毎度同じことを自分に問うのだが、
      じゃあ、村田沙耶香作品は嫌いなのか?
    と問われれば、
      ・・・嫌いじゃない。むしろ大好きである
    と自信を持って答えられる。
    それほど、村田沙耶香作品の魅力はある特定の人間の心をドラッグのように蝕んでいくのだ。
    そう、まさに当てはまる言葉は『中毒』だ。

    この美しい村田沙耶香の文章によって紡ぎ出される、この異常な世界。
    この倒錯した世界観に丸ごと取り込まれる、この快感・・・。

    ・・・・・・そして僕はもう後戻りのできないところまで進んでしまったに違いないのである。

  • ここまで怖いと思った作品はありませんでした。
    ホラー的な怖さではなくて、人間の狂気の部分が
    ここまで、生々しく描かれていることに恐怖を感じる自分もいれば、どこか、自分と重なる所もあるなと感じました。「コンビニ人間」にも通ずる部分も
    あると感じました。藤田香織さんの解説も素晴らしかったです。

  • 中編2作品収録
    2作品とも著者の独特の世界を感じさせる内容でした
    主人公はいずれも女性
    ひとことで言ってきもこわ系な感じでしょうか
    他にない世界観が好きです

  • 鬱屈した狂気、毒親、歪んだ性...。この世界観にどっぷりと飲み込まれ圧倒される。生きづらさを抱える人たちがいることは想像できるのが、周囲にはいないと思っている時点で、無意識に目を背けているだけなのだろう。でも見てみたい衝動を満たしてくれる一冊。

  •  歪な家庭環境で育てられた主人公がその呪縛から逃れるために、いろいろともがく話。短編が二編収められているが、状況設定はとてもよく似ていると感じた。ただ解釈が様々になるように描写されていることも多く、私の読み取り不足によるところもあるかもしれない。
     似ている点としては、主人公は両方とも親から何かを押し付けられるというところが挙げられ、「ひかりのあしおと」では、大人っぽくあることを、「ギンイロノウタ」では臆病であることを押し付けられて、そのせいで孤独を強いられていた。
     大きな違いとして「ひかりのあしおと」では、主人公は自分の家庭や自身についての異常性を認識しており、それ故に普通になることを目指していたり、敢えて親と同じような状況になるようにしたりと親が求めることに反抗しようとしていた。一方、「ギンイロノウタ」では、主人公はずっと自分を守ることに一生懸命で、主人公を守ってくれるものが成長とともにステッキ、ノート、扉、ナイフという風に変化していっているだけだった。その結果、結末や話の向かう先に変化があったのがとても興味深かった。
     個人的には「ギンイロノウタ」の方が「ひかりのあしおと」より複雑でかつ表現も真に迫っていて好みだった。また、「ギンイロノウタ」でステッキをなくしてノートになった後、また自分の中に銀色の魔法を見付けるという流れも人は変わらないことを示しているようで好きだった。

  • 好き好き村田沙耶香さん五冊目。
    どの本を読んでも、印象的なことば使いやシーンが必ずあって引き込まれてしまいます。(以下、例〜)

    ・「アカオさん」←!!!
    ・愛菜ちゃんが崩壊するトカゲのシーン
    ・彼に「安全な席を確保するため」始発で学校に向かう主人公

    あとがきの人も書いてるけど、健全すぎる蛍くんも相当な人だよね。(となると、わたしの愛するしろいろ〜の伊吹くんも実は結構やばい人なのかな…)
    あと、村田さんの小説によく登場する「私だけの歌を唄う」みたいなことが、わたしにはまだ理解できずにいます。主人公たちより、ずっと歳をとっているというのに!

    あとあと、前に「本の雑誌」のインタビューで村田さんが好きだと言っていた本に空気感が似ている部分もあってそれもおもしろかった。
    小川洋子さんの「妊娠ダイアリー」の姉と、「ひかりのあしおと」の愛菜ちゃんの気持ち悪さとか。食欲に対する捉え方?とか。
    山田詠美さんの「ベッドタイムアイズ」のスプーンにとっての銀色のスプーンと、「ギンイロノウタ」の主人公にとっての指揮棒とか「授乳」の中のぬいぐるみに依存してる女の子とか。

    気づけばまわりの音が聞こえなくなっているくらいに読ませる、村田沙耶香さまの文章が大好きです!!!

  • 表題作+1の2編。2007年発表の「ひかりのあしおと」は、「地球星人」へ繋がるプロトタイプに感じた。野間文芸新人賞受賞の「ギンイロノウタ」も「コンビニ人間」とそれ以降へ続いていく重要なステップだったと思う。発表順に作品を読まなかったことを後悔してしまうほど、作家の遂げた進化が凄まじい。

  • 「ギンイロノウタ」 村田沙耶香(著)

    2014 1/1発行 (株)新潮文庫
    2019 3/5 第4刷

    2020 1/17 読了

    村田沙耶香強化月間と称して
    (名目上はラジオに向けた準備)
    読み進めて来たものの

    怖いもの見たさも此処に極まれり。

    善意も悪意も紙一重となって
    無防備な彼女たちはただ傷付き怯え

    日々戦っているのですねー。

    到底共感出来はしないはずなのに
    「がんばれ!がんばれ!」と応援したりもしているおじさん(ぼく)でした。

    この文庫の解説を書かれた藤田香織さんの書評は素晴らしいです。

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著者プロフィール

村田沙耶香(むらた・さやか)
1979年千葉県生れ。玉川大学文学部卒業。2003年『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)を受賞しデビュー。09年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島由紀夫賞、16年「コンビニ人間」で芥川賞を受賞。その他の作品に『殺人出産』、『消滅世界』、『地球星人』、『丸の内魔法少女ミラクリーナ』などがある。

「2021年 『変半身(かわりみ)』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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