呪いの時代 (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (339ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101260617

作品紹介・あらすじ

「私には言いたいこと、言わねばならぬことがある」――哲学者レヴィナスの言葉を反芻するように、内田樹は「呪詛の時代」と真正面から向き合い、生き抜く叡智を語り続ける。アイデンティティーの崩壊、政治の危機、対米戦略、ネット社会の病理、そして未曾有の震災・・・・・・。注目の思想家・武道家が、身体に即して問い、他者への祝福を鍵に現代を論じる、今を生きる人びとへの贈り物。

感想・レビュー・書評

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  • いつものことだけど、また、たくさんのことをならったような気がする。
    相手の知性に対する敬意。説明しようとしないのは不遜なんだな。わかって欲しければ汗水たらして、情理を尽くして語りましょう。わかる人はわかってくれるだろう。
    個人的には日本の太平洋戦争が戊辰戦争の犠牲者たちの呪いによるものだったという説にじんわりと納得。呪いはバカにできません。

    Mahalo

  •  三年前に刊行された本が文庫化されたので手に取った。内容は先生が出演なさっている『辺境ラジオ』でも語っておられるものと重複している内容が多々あり、既視感はいつにもまして高かった。

     けれども、はたと膝を打つ考察もあります。たとえば、「あらゆる呪いは記号的」すなわち「抽象的で、一般的で、反復的」だとした上で『源氏物語』の六条御息所の例を引き、葵の上に対する嫉妬心を自分の固有名において引き受けることを拒絶したために、嫉妬が記号化し葵の上を取り殺す結果となったことを指摘しています。この指摘に目から鱗が落ちるのはもちろんですが、日本文化という文脈に限定されはしますが、普遍的な形で「呪詛」の構造を物語にビルトインした紫式部の並外れた慧眼には感服せざるを得ません。いまさらか。

     他にも興味深い指摘はあります。「努力することへのインセンティヴを傷つけるというのが社会的差別のもっとも邪悪かつ効果的な部分なのです」という指摘です。前述の『六条セオリー』とも関係しますが、昨今のヘイトスピーチ的言説がはらむ呪詛的な性格をうまくいい表してるのではないかと思います。

     というのも、対象物への呪詛は、それを見聞して溜飲を下げている人々に対しても、「既得権益を持ってる連中がその権益を手放さない限り、努力しても無駄だ」と思わせ、社会への積極的コミットメントを損なわせようとする力を持つからです。「人を呪わば穴ふたつ」と申しますが、最近は「呪うひと」「呪われる対象」の他にも「呪いで溜飲を下げるひと」さえもが呪詛の対象になるようです。恐ろしい世界になったもんです。

     誰をも賦活させない言説を呪いとするならば、匿名の掲示板に書き込まれる多くの文言が、呪いとして機能している世界に我々は生きているということを、まざまざと実感せざるを得ません。

  • 現代は呪いの時代。
    悪口、評論、貶める。代替の案は提示せずただ否定する。
    呪いをやめるには、祝福しかない。
    まず自分を愛そう、そこから始まる、だそうだ。

    原発が荒ぶる神という考え方が面白かった。
    (強いエネルギーをもつ、近づけない存在)
    汚いもののように扱うのではなく、成仏してくださいという気持ちで接すると作業する人の心持ちもかわってくるだろうということだ。

  • 「人を呪わば穴二つ掘れ」

    一つは呪った相手の墓穴。
    これは「呪い」が確実に効くことを意味する。

    もう一つは呪った自分の墓穴。
    「呪い」の言葉を吐くような人間に輝かしい未来はないという示唆だろうと思う。

    「責任者出てこーい!」
    という言葉が笑いになる時代ではなくなったのだろう。
    「責任者」なんていない、ということが通年であった時代から、「責任者」がいて当然という時代へ。
    その中で言葉は「責任者」に「責任」を押し付けてすべてを解決しようとする。
    そんな言葉は必ず誰かを責めることになる。
    責められた人間は傷つき(当然だ、だって身に覚えがないのだから)、責めている人間はそれと自覚のないままに自分という人格を損なっていく。

    現代の「呪い」は「呪っている」当の本人が、その自覚を持っていないという点において中世の世界よりもよほど質が悪い。

    安倍晴明が活躍した時代の文学作品を見ると、当時の人々の言葉に対する感覚の鋭さに驚く。
    それはそれだけ「言葉の力」に対して自覚的であったことを意味するのだろう。

    「呪いの時代」とは、だから言葉の力に無関心になってしまった時代と言い換えることもできるだろう。
    だから「呪い」に対抗しうるだけの有効な「祝い」の言葉を口にできる人が少ない。

    一人の親として、「言葉の力」に敏感な人間に育てたいと切に願う。

    が、どうやってそれを実現していけばいいのか。
    この「呪いの時代」に。
    このネット社会のなかで。

    そのなかで内田樹先生の著作は、とりあえず進むべき方向性を示してくれる北極星のようなものだと思う。

  • 現代は呪いの時代とも言える
    ネットでは呪詛の言葉で人を殺し
    その全能感に酔い、自らを壊していく

    それに対抗するには祝福しかないのだが
    僕らはもうそのやり方を知らない

    そんな難しい事柄を解説し
    どうすれば生きやすくなるのかを
    色々な角度から書く、
    この本をぜひ今から読んでみて下さい

    あなたに祝福があらんことを祈っています。

  • 3.11の時の危機管理(デインジャー管理)についてはコロナにも言えることでは?
    内田樹の文章は一見厳しいことを書いているように見えるけど、その裏にある優しさに惹かれてしまう。
    誰にも注意されなくなったら人間終わりと良く言われているけど、内田樹はきっと見放さずに声を上げ続けると思う。
    注意してくれる人にはしっかりと応えないと…。

  • 「呪い」とその対概念である「祝福」というキーワードによって、現代の日本が直面しているにもかかわらず、多くの人びとに気づかれることのないまま進行している問題を浮き彫りにしている本です。

    前著である『日本辺境論』(2009年、新潮新書)の枠組みを引き継ぎつつ、日本文化や日本語についての議論がなされており、おもしろく読みました。著者の日本文化論は本書でも明言されているように、梅棹忠夫や岸田秀の議論を継承するもので、個人的にはこれらの議論はすでに破算していると考えているのですが、それでもおなじような枠組みから出発して新しい議論をみちびいていく著者の手腕には目を引くところがあったように感じています。

    また、養老孟司にならって身体の復権を説いているのも、いつもの内田節です。これにかんしても、著者の議論の枠組みにおいて「無垢なる身体」という審級が設定されており、そこから現実の身体に向けて批評のことばが紡ぎ出されていることに、個人的には違和感をおぼえていますが、著者の考えが率直に提出されており、いずれにせよおもしろく読みました。

    レヴィナスの他者論や、「それは言わねばならぬことである」という主題をレヴィナスそのひとから語りかけられた著者自身の体験も含めて、リーダビリティについて独自の考察を引き出してくるところは、著者ならではの観点ではないかと思います。また、最終章で展開されている「場の判定力に対する信認」についての考察も、おなじところに帰着するテーマのような気がします。これらについても、興味深いと感じました。

  • 自分を愛さなきゃ人も愛せない。で、自分を愛するとはどういうことか?自己評価よりも低い評価を下した他者を恨むのではなく、全能感の幻覚に踊らされるのではなく、できない自分を受け入れること。「ありのーままのー」というのは、ありのままのできない自分、大したことない自分も含まれる。

    たとえバッシングを食らったとしても、教師は「君たちには無限の可能性がある」と「身の程を知れ」を同時に言わなければならない。

    婚活や草食系男子、適職がどこかにあるかもしれない幻想など興味ある話題も。
    映画「ハートブレークキッド」「アパートの鍵貸します」

  • 単行本の方を読んだのが
    もう 8年も前のことになるのだ…

    もう一度読み直そうと思っていた一冊
    こうして「文庫」が出てきてくれるのは
    ありがたい

    そうそう そうだった
    へぇーっ こんなことも綴られていたんだ
    おっ ここはますますそのとおりに

    「現代」を考える時の
    一つの指標的読み方を
    させてもらえる
    そんな愉しみ の 一冊でした

  • 強烈なタイトルをネタに注目をあつめ、言葉を巧みにして読者に持論を刷り込む。
    一見、口上はキレイで倫理的に見えるから、気を配って読まなくてはいけない。
    根拠に乏しく極論も目立つ。

    なんのことはない、この人こそ、世の中を呪っている。

  • 38 やはり、レヴィナスの話が非常に面白かった。ホロコースト以後に信仰を捨てたユダヤ人たちに対して「あなたが信じていたのは稚拙な神なのか。何か悪いことをしたらそれに対して処罰を下し、良いことをしたらほめてくれるような神なのか。真に完全な神が作り給うし人間であれば、人間は人間だけで生きていけるのではないか。人間が自立して社会を構築できるように、神は人間を作ったのではないか」という呼びかけに非常に感動した。この話は、非常に様々な話に通づるものであると目からうろこだった。

  • テーマでまとまってるので、読みやすい。
    そして、東日本大地震後の世界について書いてあるところがいい。

  • ばらばらな話をまとめた感じ
    ところどころ面白いけれど。

  • なんというか、各論では違和感あるけど言いたいことはわかる、という相変わらずの感想なんだけど。
    ネットで呪詛を見ない日はないという意味で、今読んでも面白いのでは

    人を呪わば穴二つ、とはよく言うけど、ニーチェの名言を暗記して喜ぶ中学生みたいに、この警句を扱ってはいけないという信念は、頷くところがある。

  • 呪いは生身の人間が起こすもの。
    時事問題を筆者の目線で説いていくのが、とても新鮮で面白かった。
    神社仏閣というもの、神というものが与える何かしらの力が自分の中で、ふんわりしていたのだが、この本を読んで少しスッキリした。
    いつだって魔物は生身の人間なのだろう。

  • 本屋でジャケ買い。直感がまるで物を言うようにそれが必要なのだ、というのを度々感じるがこの本も全くその通り。買って正解。
    前半を読み進めながら、何度も耳が痛いなーと思うところもあったが、辛抱強く読み続けているうちにこの人の言いたいことが段々わかってきて、最後には全体的に、なるぼどそうですねーと納得させられることになる。
    とくに最終章にかけては、現代日本の科学立国化と日本の太古からのアミニズムから来る霊性の対比の論説は、ながく感じていたけど、自分自身ではうまく言い表せられない事柄を、この著者はうまく書いておられる。
    何かを変えなくてはならない状況にあり、それを実際に変えるためには、まずやってきた痛みやつらさを感じて、それを受け止ることが必要となる。そのために何か必要であり、それは何かを信じる力だという。そこで著者は時代を遡のぼり太平洋戦争下の日本人は敗戦後にそれまであった社会構造、信仰、信条などが一辺にガタガタと崩れ去り、そのとき日本人の多くが「何も信じない」ことを信じる、という信仰を選んだのだろうといっている。このことが第二次世界大戦後に科学立国の日本、経済力の日本という神話へむかって何かに駆り立てられるように突き進んで行ったと語っている。そしてそのことは東日本大震災後の原発事故における問題にもその影響が及んでいるのだと話を進めている。確かにあれだけの被害を被ったにもかかわらず日本総体として、原子力というパワーを手放せない理由は、意識している部分以上に無意識下での影響からきているのかもしれない。
    時代は点ではなくて線でつながっており、要は今必要なのは日本人が共有する全時代的に大事にしてきたことは何かというとことを見直すこと、そのバランス感覚の再認識だということだと思う。

    にしても理屈っぽいと思う。女性にはうとまれそうな本だ

  • ちょっと久しぶりに読んだ感のある内田節です。相変わらず舌鋒は冴えまくってて、”呪い”っていうおどろおどろしいタイトルに基づいて、でもいつも通りの論旨が繰り広げられます。ちょっと走りがちに読んでしまったのもあって、十分な内容咀嚼が出来てない感があるけど、また読み直して理解を深めたいと思います。

  • 呪いは破壊することを目指す。
    破壊することが創り出すより簡単だから優先的に選択される。

    新しいものを創造するというのは個人的であり具体的なことです。その者は匿名性にも忘却にも逃れられない。自分が作り出したものがそこにあって自分がどの程度の人間であるかをまるごとしめしてしまう、それが創造の怖さだ。

    自分がどれほど無知で非力か知ってからこそその無限の可能性を開花させることができる。君には無限の可能性があるという、言明と、君には有限の資源しか与えられていないという、言明は同時に告げられなければならない。

    この呪いの時代を生き延びるにはーーー
    それは生身の、生活のうちに捕らえられたあまりぱっとしない正味の自分をこそ、真の主体として続けること。このようなものでしかない自分を受け入れて、愛すること。

    p81〜から濃い

    我が国(政治家)に欠けているのは、自説の反対者と生産的な対話をなす能力。これこそが日本の政治的危機の核心をなしている。

    p154 ペルソナーー
    全ての他者を受け容れるとはただの我慢。そんな忍耐は長くは続かない。それは共生で、他者を構成する複数の人格特性のうちにいくつか私と同じものを見出し、この他者は部分的には私自身であると認めること。
    それは感情移入ではなくもっと断片的なこと。
    自分と同じような推論の仕方、感性的反応、生理的過程を切り出していって、それを共有すること。その共有部分は、自分自身を細かく割ってゆくほど増えてゆく。

    人は、どんなにわかりにくいメッセージであっめも、そこに自分に対する敬意が含まれているなら聴き取り、理解しようと努める。
    だからもし難しいメッセージを誰かに届けようと願うなら、深い敬意を込めてそれを発信しなさい。

  • 中身はいつもの話しではあるけれど、タイトルがすごい。『呪いの時代』と言い当てるセンスが光る。特に原子力発電所を「祟らないように祀り畏れる」ように扱うべき、というところ。(第10章 荒ぶる神を鎮める)
    そして文庫版あとがきの、「さきの戦争での絶望的な敗戦」は戊辰戦争の呪詛の結果であり、今日の混乱は太平洋戦争の呪いの結果仮説。確かに、初めて聞くとそんなバカなと思うものの、聞けば聞くほど腑に落ちる。
    願わくば、呪いではなく祝いを。両者は表裏一体なのだから。

  • 「呪い」をキーワードに現代社会を見る。
    必要なのは呪詛ではなく祝福であり、贈与の経済である。
    と説く。
    個別に仰ってることはとてもよくわかりますが、
    まだまだ血肉化できてないのが現状。
    2回読んだのにね。
    これからを生きる上で必要な1冊。
    なにって装丁が可愛い。
    もう一度落とし込みたい。

  • p229からのレヴィナスのことば、森田真生さんの解説が印象的。

  • これぞ内田樹さんというような内容。
    少し前の著作だと思いますが、彼が書いている
    述べている内容は今と変わらずぶれない内容
    だと思います。悪く言えば使いまわしですけど
    この本に書かれてあるすべてについて、
    ものすごく大事なことばかりだと思います。

  • やはりこれは、いつ読んでも名著。
    頷けるところもあるし、そんな考え方をするのか、と新鮮なところもあり、読んでいて飽きない。
    呪いの時代、読むのは三度目やけど、今回読んでみていつもとはちがうところに心が動かされるところがあったりして、そういう変化も含めて楽しく読めた。

  •  文庫で読み始めたら、ママヨさんが単行本で読んでいた。学生と接していた研究者だけに、自己評価と外部評価、自分らしさへの言及が興味深い。

  • 難しいこと、伝わりにくいことをこんなにまとめて書いてくれるのはすごい

  • 内田さんの言説は、なるほどな~と思うことが多いんだけれども、それはちょっと言い過ぎちゃうかーと思うこともある。「呪いの時代」という言い方はちょっと違和感があるけど、言っていることには同感する。

    マスコミをはじめ、ツイッターなどのネットメディアでも、他人への批判や悪口であふれている。顔の見えないところから他人を攻撃するのは卑劣な手段だ。そしてそういう輩は、何かに文句をいうことはあっても、何かを提案したり、創りだしたりすることはない。文句を言うだけ、攻撃をするだけ、バッシングをするだけ。

    最近もそれで科学者が一人なくなった。
    そういう「空気」は僕は本当に嫌いだけど、どうしてそういう空気が蔓延する国になってしまったんだろう。

  • 戦後日本の呪い的諸状況を書き表す。
    「自分探し」という呪い。
    教育の産んだ「受験生マインド」。

    ノイズ、兆しを察知しようとすることを忘れた日本人(現代人)。

  • 深い洞察に敬服。
    安易な(とはご当人達は思っていないのであろうが)英語教育の導入が日本の社会・政治・経済に及ぼであろう影響を指摘する。また、そもそも英語でのコミュニケーションを前提とするという意味について、英語文化圏の者を勝者として固定化することであり、その背景にある戦争勝者への従属であることを理解せよ、と説く。

  • 2008年から震災後にわたって不定期に『新潮45』に寄稿されたエッセイを中心に編んだ本。
    内田樹らしく、いちいち腑に落ちる話がぎっしり。
    呪いと祝福、日本における英語と翻訳文化、就活・婚活というビジネスモデル、草食系男子という戦略、交換経済から贈与経済へ、炭鉱のカナリアたるには、達意のための姿勢、原発=荒ぶる神の鎮め方、科学と身体、など。

  • 「もっと自分を愛そう。そして、他人にも祝福の言葉を贈ろう。」

    新潮社のPR
    http://www.shinchosha.co.jp/book/126061/
    「呪いと祝福」茂木健一郎 書評(波 2011年12月号より)
    http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/330011.html

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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