歌に私は泣くだらう (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (222ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101263816

作品紹介・あらすじ

その時、夫は妻を抱きしめるしかなかった――歌人永田和宏の妻であり、戦後を代表する女流歌人・河野裕子が、突然、乳がんの宣告を受けた。闘病生活を家族で支え合い、拐復に向いつつも、妻は過剰な服薬のため精神的にも不安定になってゆく。凄絶な日々に懊悩し葛藤する夫。そして、がんの再発……。発病から最期の日まで、限りある命と向き合いながら歌を詠み続けた夫婦の愛の物語。

感想・レビュー・書評

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  • 本書の副題は、「妻・河野裕子 闘病の十年」である。筆者の永田和宏と妻・河野裕子は、いずれも有名な歌人である。河野裕子の場合には、歌人で「あった」というのが正しい。河野裕子は、2000年に乳がんが見つかり手術。それが2008年に再発、そして2010年に亡くなられている。副題にある「闘病の十年」は、乳がんの発見から河野裕子が亡くなるまでの10年間のことである。本書は、「波」という雑誌に、永田和宏が2011年6月号から2012年5月号にかけての1年間連載したものを書籍化したものだ。河野裕子が亡くなったのは2010年の8月のことなので、妻が亡くなってから、おおよそ1年後から、更に1年間をかけて書かれたものである。
    永田和宏と河野裕子は、愛情の通い合っていた夫婦であったが、それでも、この闘病記は、愛情と悲しみだけで構成されている訳ではない。もっと生々しい。乳がんの手術後、河野裕子は、過剰な睡眠導入剤の服用により、時々、精神の平衡を崩すようになる。実際には、平衡を崩すというような生やさしいものではなく、毎日毎日、夫の永田和宏を罵倒し続ける。それは、永田和宏にとって、ほとんど恐怖の日々であったことが、本書に書かれている。しかし、幸いなことに、良い精神科の医師に診てもらうことが出来、また、再発を告げられてからの河野裕子は、逆に精神の平衡を取り戻す。そのような凄絶な日々でもあったことが、記されている。

    2008年に再発し、その後、抗がん剤治療を続けるが、病状は良くならない。ある時点で(というか、実際には再発を医師に告げられた時点で)、2人ともに、残された日はさほど多くないことについての覚悟を持つ。そのような、「最後の日々」の中でも河野裕子は短歌の創作を続ける。

    書名にも引用されている永田和宏の短歌は、そのような日々の中で生まれたものだ。

    歌は遺り(のこり)歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る

    妻の河野裕子は、日に日に重くなっていく病状の中で必死に短歌を作り続ける。やがて妻が亡くなっても、それらの歌は残る。そして、自分(永田和宏)は、妻が亡くなった後、その歌を詠んで泣いてしまうだろう。それは、いつか来る日であるが、その日が来るのが怖い。強烈なインパクトのある短歌だ。

  •  新潮社の「波」に連載されていた、さて、なんと呼べばいいのでしょう?
     エッセイ?、回想記?、追想起?・・・
     まあ、なんでもいいのですが、20代、30代の頃であれば途中で放り出していたかもしれないということを感じますが、最後まで読み終えました。
     よく知りませんが現代短歌の世界では河野裕子も永田和宏も知られた人なのでしょうが、妻である河野裕子との最後の10年の暮らしは、やはり胸をうちますね。
     シマクマ君のひびというあほブログでも、少し詳しく書きました。覗いてみてください。
      https://plaza.rakuten.co.jp/simakumakun/diary/202403090000/

  • 今思えば私は、子どもの頃から短歌には興味があったんだと思う。最初に覚えたのは、菅原道真か崇徳院のものだったか?
    (覚えたきっかけは『いちご新聞』や『はいからさんが通る』ではあったが・・。)
    短歌はふとした時、心にそっと寄り添って、自分ですら言葉にできない思いを気づかせてくれることが度々ある。

    いつからか、新聞の『折々の歌』や毎週月曜日の短歌のページには目を通すようになっていた。
    その選者である永田和宏氏(講評が特に好き!)を先に知ったのか、河野裕子氏を先に知ったのか今では思い出せないが、恐らく彼女の闘病が語られるようになってからは、双方ともに注目するようになった。
    新聞にも特集が載り、TVでも取り上げられ症状も思わしくない様子が淡々と語られていた。
    その河野氏の最期の一首。

      手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

    永田氏の口述筆記によるものという。
    また、永田氏も彼女が亡くなる前に妻亡き後の日々を思って読んだ。

      歌は遺こり歌に私は泣くだらういつか来る日のいつかを怖る

    詳しく知らなかった私は、長く連れ添った夫婦の間に流れる2人の時間が、歌人としてお互いを尊び、穏やかに労わりあうものだと安易に考えていた。
    しかし本書を読めば、それはものを作らぬ自分の、勝手な想像でしかなかったことがわかる。名人と呼ばれる人は様々な経験を経て、無心でものに相対するような枯れた味わいを持っているのではないかと都合よく思い描くのと似ていた。

    河野氏が乳がんの診断を受け亡くなるまでの10年間の闘病生活を夫・永田氏の回想と短歌によって語られていく。
    ものを作らず、物書きでもない私には想像つかない日常。診断を受けたその日、衝撃を受け打ちのめされた自分を客観視する自分がいて、それを歌に詠む。
    先に夫がその状況を知り、本人は淡々としているつもりでも、普段との様子の違いからすべてを悟ったと詠んでいる。
    また、手術は成功を収めながらも再発の不安を抱え、家族との均衡が崩れていくことにナーバスになっていき、また、睡眠薬の副作用か、精神のバランスも破たんをきたしていく。

    それでも、読む。ときに前後不覚に見えても、どこか冴え冴えとし自分を客観視して。
    辛く哀しいきっかけさえも歌に化学変化をもたらし、歌は至高に向かって研ぎ澄まされていく。
    もちろん永田氏の歌も、妻の闘病の中で、自らの弱さをさらけ出し、変化を余儀なくされる。

    創作する人、アーティストはどれほど身を削って、傷跡から赤い血が流れ出しても止めもせずつくり続けるのか?
    誰にも止めることはできず、むしろそうすることでしか生きていかれない。
    我々から見たら、破たんとしか思えないほどだ。
    今までゴッホや太宰に対して特別だと思っていたことが、当然のことのように思われる。
    それほどに、辛く厳しい作業が何か自分を奮い立たせ、人には見えない景色を見せてくれることを彼らは知っているに違いない。

    河野氏と、やはり歌人の息子・淳さんや娘・紅さんと関係についても書かれており、この10年間の家族の記録にもなっている。

    読み始めたら、本を閉じるのが惜しくて、一気に読んだ。短歌に興味がなくても、一家で病と闘った記録として読むこともできるだろう。それでも、知ってほしい。
    歌人・河野裕子を。
    いや、読めば気にならないはずはないか・・・。

    • vilureefさん
      こんにちは。

      私は短歌にも無知でこのお二人のことも存じ上げなかったのですが、たまたま図書館で手に取った「たとへば君」を手に取りました。...
      こんにちは。

      私は短歌にも無知でこのお二人のことも存じ上げなかったのですが、たまたま図書館で手に取った「たとへば君」を手に取りました。

      おっしゃる通り普通のご夫婦とは違って、最後まで歌人であり続けた河野さんのお姿とそれを見守る永田さんの様子には非常に感銘をうけました。

      あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言い残すことの何ぞ少なき

      この歌で思わず号泣でした。
      こちらの本も読んでみたくなりました。
      素敵なレビュー、ありがとうございます。
      2015/01/26
    • nico314さん
      vilureefさん、こんにちは!コメントをいただき、ありがとうございます!

      期待をさらに超えた内容で、とても心に残る1冊となりました...
      vilureefさん、こんにちは!コメントをいただき、ありがとうございます!

      期待をさらに超えた内容で、とても心に残る1冊となりました。

      短歌はなんとなく感じていながら言葉にできなかったことを鮮やかに切り取ってくれ、共感する楽しみがあるように感じます。

      命の期限を告げられるとは、どのようなものなのでしょう。想像もつきませんが、だからこそ輝きが増すような、当たり前すぎて気づかなかったことを再認識できるような、辛い中でもそのような思いを永田氏は繰り返し語っているように思います。

      特に、恩師との今生の別れとなる瞬間。
      とても考えさせられました。

      お読みになられたら、是非感想をお聞かせください。私も「たとへば君」探してみます。
      2015/01/28
  • 歌人河野裕子さんを私はこの本で初めて知りました。
    著者の妻である河野さんが胸のしこりに気づいた夜から亡くなるまでの記録。その闘病の過程にはあまりにも生々しい著者との葛藤もあり、読んでいて辛い部分もありました。それでもだんだんと自らの死を受け入れて心の均衡を取り戻していく河野さんの姿の美しいこと。
    最後の数日間は鉛筆を持つ力すらないながらも河野さんが口にする歌を、ご家族が口述筆記されたそうです。
    河野さんの最後の一首は

    手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

    妻として母として娘として、そしてなにより歌人として、最後までほとばしるように歌を詠みながら生きた河野さんの姿に心を打たれます。

  • 河野裕子という歌人、というより、筆者の妻であり母であった女性が乳癌になったこと。そして、数年後(10年未満)他の臓器に転移が見つかり、家族と共に死を迎えるまでの日々が描かれている。

    女性が乳房を失うかもしれない、と思ったとき、自分の体や気持ちがどうにもならないとき、パートナーにどう寄り添ってほしいと感じるのか、どんなふうになるのか、受け止める周りの様子も含め、赤裸々に書かれている。

    夫であり、歌人である永田によって出来事は回想される。永田の苦しい述懐に、ああ、男の人ってこうなんだよな、と私が思ってしまうのは、私自身が同じような経験をしているからかもしれない。病を抱えた河野の感じた苦しみを想像するしかないのだけれど…私は、河野の怒りを制御できない様子を知り、怒りの裏にある深い絶望感、悲しみに思いをはせるしかない。

    自分がある意味、闘病記のたぐい、家族が看取るまでの物語があまり好きではないんだな、と改めて気づいた。

    私が現代短歌を身近に感じることができたきっかけはアンソロジーで知った河野裕子の短歌のおかげだ。斎藤史を介して知ったのが最初かな。
    そのことだけはこの本を読んだあとも変わらない。これからも私の好きな、大切な、歌人のひとりだ。

  • 戦後を代表する女流歌人・河野裕子氏が永眠したのは8月12日。
    乳癌だった。

    その発症から亡くなるまでの歳月を、同じ歌人であり科学者でも
    あり伴侶である永田和宏氏が赤裸々に綴ったのが本書だ。

    最愛の人が病に冒される。それも癌である。一般人でも辛いことだ。
    永田氏は科学者、しかも癌の知識のある人。河野氏が左脇の大きな
    しこりに気付いた時、既に科学者としての知識で、それが癌であろう
    ことを理解していたのだろう。

    悪いことが重なる。娘の心臓疾患の発症、息子の会社の倒産。そして、
    術後の河野氏の心のバランスの崩れ。

    体の不調を訴えているのはよくあることだと思う。だが、河野氏の
    場合は徐々にエスカレートして行く。矛先を向けられるのは当然の
    ように夫である永田氏だ。

    永遠に綴家と思われるような罵詈雑言。時には畳に包丁を突きつける。
    「ここまで書いていいのか」と思うほどの修羅場である。ただ、それ
    さえも振り返ってみれば、河野氏にとっては永田氏が最愛の人だった
    からと綴ることに、凄みと、おふたりの、家族の絆の強さを感じた。

    そうして、病さえもおふたりから歌を詠むことを奪えなかった。
    手術から8年後の再発。死期は確実に近づいている。そんな時でさえ、
    河野氏は歌を書きつけ続け、自身に書く力がなくなれば家族が口述
    筆記を行った。

    担当医から勧められた痛みを緩和する為のモルヒネの使用。永田氏は
    それを即座に断った。それもこれも、河野氏が最期の時まで歌が詠め
    るようにと…だ。

    手をのべてあなたとあなたに触れたきに息が足りないこの世の息が

    亡くなる前日に河野氏が詠んだ歌だ。これ程までに切なく、哀しく、
    静かな情熱がこもった歌を私は知らない。

    壮絶なれど、美しい10年を読ませて頂いた。

    尚、文庫版では「解説」があるのだが、これは私にとっては
    少々邪魔だった。

  • 伸子さんリリース

  • 河野裕子さんを夫として支えた最期の10年間が描かれていて、涙なしには読めない。

  • 歌人・永田和宏が、同じく著名な歌人で配偶者の河野裕子の生と死を見つめる一冊。乳がん発症と闘病、その間の苦悩、再発後、晩年に至るまで、まさに、生と死を見つめ、悲嘆から再生への道行きが綴られた一冊。最後の一首、「手をのべて」のくだりは心が揺さぶられます。

    悲嘆が恐怖に近しいということがほんとうだと感じられるかもしれない。
    寂しい人間にとっては、身を分けたと思える、孤独を癒し続けた伴侶と引き剥がされることが、そして1人残されることが、死ぬほど寂しいのだと思う。それを思うと、恐怖以外の何ものでもない。

  • 「歌に私はなくだらう」は、歌人河野裕子がなくなってまだ生々しい1年後に夫永田和宏によって書かれたもので、哀切きわまりない。同時にすさまじいというか凄い内容です。
    癌になってから、河野は 薬の影響もあったのか、精神の変調をきたし、「なぜ自分だけがこんな目に合う」と家族、特にご主人を詰問し、えんえんとなじることがあったそうで、それが続くとご主人も逃げ出したくなる、それがまたよけい河野を傷つける、特に乳がんということで妻として女性として夫に捨てられるのではないかという恐れがあったかもしれなくて、嫉妬が病的になり、ついには娘にまでのろわしい言葉をはくようになったそうです。連日の妻のののしり、ぶちまけられる不満に耐えきれなくなった永田が 椅子を振り上げて窓ガラスを割る、娘が、父永田が迢空賞受賞のための外出先のエレベーターの中で狂ったような母親に「張りて」をかませるという状態。家出騒動もあったそうで、 およそ闘病記らしくない闘病記かもしれません。しかし、そういう時期を経て、癌の再発後、河野は精神の高みに達したかのように違う面を歌にみせ始め、
    みほとけよ 祈らせ給へあまりにも短きこの世を 過ぎゆくわれに
    手をのべて あなたとあなたに触れたきに 息が足りない この世の息が

    という歌を口述筆記で残しています。
    亡くなる前日には、高熱の中で、
    「今晩、ごはんは? 何食べるの?」と 夫に聞いています。
    永田が
    「魚の味噌漬け いただいたのがあるし、きゅうりも漬けようか」
    と答えると、
    「それでいいね」
    と安心したようだったそうです。亡くなる前日も夫の食事を気にするなんて、と違和感を覚える方もおられるでしょう。
    歌人であり、妻であり、夫に対して母親的側面もあった昭和の女性。その恋人であり夫だった人との激しい関係に圧倒されます。

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著者プロフィール

永田和宏(ながた・かずひろ)京都大学名誉教授、京都産業大学名誉教授。歌人・細胞生物学。

「2021年 『学問の自由が危ない』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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