- Amazon.co.jp ・本 (493ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101263915
作品紹介・あらすじ
「おにいちゃん、遊んでいってや」客引きのおばちゃんの手招きで、男が一人、また一人と店に上がる。大阪に今なお存在する「色街」飛田。経営者、働く女たち、客、警察、ヤクザらの生の声に耳を傾け、「中」へと入り込んだ著者が見たものは、人間の性むき出しの街で懸命に生きる人々の姿だった。十二年にわたる取材により、一筋縄ではいかないこの街を活写したルポルタージュの傑作。
感想・レビュー・書評
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御堂筋線「動物園前」駅のごく近くに存在する飛田新地について著者がその関係者からの聞き取りをメインに綴ったノンフィクション。
ネットの書評ではかなり酷評されているケースが目につきますが、私はそれほど嫌な印象は受けませんでした。そもそも正式な広報窓口があるわけでもなく、そこで営まれている活動が法律に抵触するかどうか際どいたぐいである事を考えれば、一人のフリーのライターさんがここまで情報を聞き出して一冊の本に仕上げたというだけでも称賛ものではないかと思います。
読む前は本書が扱う題材が題材だけに暗く、重い雰囲気の本かと思いました。しかし、著者の突撃ルポ的な部分も多く、次々とアイデアを出して取材を進める様子には「そこまでするか」と感心させられますし、そこに登場する関係者の方が話す言葉が当然のことながらコテコテの大阪弁であることがちょっと明るい目のバイアスになって、読むのが辛くならない一面もあったように感じます。
決して「風俗店の裏側の暴露本」といったような薄っぺらい内容ではなくて、真面目にそこで生きている人達の人間模様を描いている本だと感じます。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
数年前、わたくしの仲間数人が何を考へたか「飛田ツアー」を企画いたしました。わたくしも勧誘されましたが、清廉潔白にして公明正大な自分としては、やんわりお断りしました。といふのは嘘で、単に予定が塞がつてゐたからなんですが。
しかし好奇心も強く、やはり行けば良かつたか喃とも思想しました。そんな訳でもありませんが、せめてこんな本を読んでみやうかと。
実は発売当時から話題になつてゐたので、その存在は知つてゐました。文庫化の際に購入もしました。しかし評判がイマイチで、上から目線だとか、取材が雑だとか、構成力がないとか、そもそも執筆趣旨が不明だとかで、何となく今日まで放擲してゐたのであります。
第一章の「飛田へ行きましたか」で、飛田で遊んだことのある男性にインタヴューしてゐます。その動機や「中」の様子、女の子の特徴、行つた感想など。インタヴュアーが女性だからか、中中取材に応じる人がゐないやうです。
第二章「飛田を歩く」で現在の飛田の概観を井上節で綴ります。しかし「中」の人たちは質問しても口が重い。といふか、完全なる拒否であります。この町のことはヨソモンがなぶつてくるな、何も話すことはないぞ。そんな時に出会つた飛田のヌシ、「原田さん」と出合ふ幸運に恵まれます。
「飛田新地料理組合」にも取材を申し込みますが、完全に拒否モード。粘り強く交渉するうちに相手も少し軟化してきて、何とか話を聞けるまでになりました。
第三章は「飛田のはじまり」。飛田の立ち上がりから現在に至る歴史であります。「あいりん地区」の命名が、警察側によるものだとは知りませんでした。
第四章「住めば天国、出たら地獄」では、飛田のシステムといふかメカニズムについて述べます。女の子はどんな境遇の子が多く、どんな経緯で飛田へ来て、どんな人々が支配してゐるのか。彼女らは大概借金を抱へてやつて来ます。貧困の負のサイクルを断ち切らないと、人身売買だの売買春はいかんとか叫んでも詮無いものです。搾取する側は、寧ろ女の子たちを救つてやつてゐると嘯くのです。
第五章は「飛田に生きる」。実際に著者が求人に応募して、どんな感じか探るのが面白い。かういふ世界で、暴力団が関与してゐない筈はないと調べるが、飛田の組合は全力で文字通り暴力団を排除してゐたさうです。しかも警察とさへタッグを組んでゐるフシがあります。うーむ。
第六章は「飛田で働く人たち」。友達付き合ひになつた「原田さん」が、突然飛田から去つてゐたといふ事に、著者は衝撃を受けます。「まゆ美ママ」の哲学はとてもついていけないが、飛田で生きる上での処世術なのでせう。我々の善悪の尺度は通用しません。
著者はかかる世界を、戸惑ひながらも否定はしません。無論人権上の問題などに目を瞑る訳ではないが、表面上の事象のみを見てあれこれ論評するのは無意味であるからでせう。
レヴューの中には、著者は心の底では飛田を馬鹿にしてゐるので、愛情が感じられぬといふのがありましたが、わたくしは十分に「愛」を感じました。単にこの人は極端な天然なのだらうと思ひます。
また、取材時に嘘を言つて話を聞くのが怪しからんとの声も聞きますが、何が問題なのかと思ひます。目的を果す為には、誰だつて様々な手段を講じるだらうに。その昔鎌田慧さんが『自動車絶望工場』を発表した時、工場の内実を探る為に自ら期間工に応募し働いて、その体験を書いた事に批判があつたのを思ひ出しました。
個人的には、飛田の雰囲気を伝へてくれる良い一冊だと感じましたよ。
デハ御機嫌やう。 -
12年にもわたり、飛田を取材した著者に拍手。
同じ女性として、ときに嫌悪を、ときに情けをにじませて語る文章から飛田の現実が炙り出されてくる。
自由恋愛が発生する、それは見事な屁理屈。法律も警察も、利害のもとでいたちごっこをしていて、遊廓は完全につぶされはしない。
なぜそうまでして、存在する必要があるのか。
納得はできないが、簡単に性商売を断罪できないワケを見た。
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この本に出会って初めて飛田のことを知った。最初手に取ったときは 昔の話なんだと思ったのに 実は現在もあるってわかってほんとにびっくり。表紙の写真も いつの時代?って感じで まるで時代劇の遊郭だし。
お部屋は昭和初期って様相だし。
長い時間をかけて丁寧に取材しているので 読みごたえあり。内容も驚くことばかり。
1番衝撃受けたのは やっぱりトイレの描写。
いつの時代だよー。シャワーつけようよ。
場所がないなら せめてビデつけようよ。
あり得ない。そこで働いてる若い子たちが それを受け入れてるって信じられないんですけど…。
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最初はらちが明かないルポという感じだったけど、少しづつ面白い話が出てくる。
ある程度こういう世界の裏側のことがわかったけど、まだ表面的な感じもする。
いろんな世界。こういう街。 -
渾身のルポ。といっていいと思う。
エロ系ドキュメンタリーかと思って読んだら違った。
いわゆる底辺の色街の話。流れ着いた女の子たち、経営者、組合員たちの街への愛憎が切ない。
それにしても体当たりの取材がすごい。400枚の手製のビラまきだの、ヤクザに一人で乗り込んでいくだの、「もしやられそうになったら私がやるから」っていって友人に協力してもらうだの。何もないところから、海千山千の組合員の信頼をよく勝ち取っていったなあと思う。
関係ないが、「売る女」「仲介人」の気持ちは、いわゆる従軍慰安婦の気持ちを理解する手がかりにもなると思った。明治期以降、東北などの田舎から売られてくる女の子たちの話は哀しい。
進歩的な女性が売春防止法を成立させようとするが、なくなって一番困るのは女性、という図式とかね。
ソープランドやヘルスより、このほうが男女とも手間いらずでいいんじゃないの?って思ったり。
街の歴史とともに、女性の意識変化、貧困の連鎖など社会的なことも考えさせられる作品だった。
そして、解説桜木紫乃か!で笑う。すごく好きそうだもんなあ。井上さんと感性が似ている気もする。ふたりの会話を、ファミレスの後ろの席で聞いていたい。
桜木さん、いつか、ここを舞台にした、したたかな女の小説書いてください。 -
女性筆者から見た飛田。歴史、社会構造などとヒアリングに基づく人間の心情に迫っていてとても興味深かった。
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2000年から2011年にわたる取材によるルポルタージュ。
飛田の経営者、働く女たち、お客、警察などに取材したきわめて真面目な記録。
女性であるが故、大変な取材だったと思う。
ただ出版までが長すぎた。
飛田の様子は動画、写真がネットで見られるようになり、体験談も多数。元経営者の本も出版され (杉坂圭介「飛田で生きる」「飛田の子」)、しかもこれが面白い。
新鮮味がなくなってしまった。 -
非合法地帯をテーマにしているにも関わらず、そこに暮らす人々の息遣いが聞こえ、人生の深淵を覗くようなルポルタージュだった。女性ルポライターが飛び込み取材を行うのは厳しいテーマであり、様々な抵抗があった事が読み取れる。
タイトルに『さいごの色街…』とあるように古き日本を知る事の出来る色街は次第に喪われつつあるのだろう。明らかに非合法であるのだが、何故か消えて欲しくないように思えたのは、著者の真摯な姿勢のためだろうか。
文庫化に当たり、ボリュームのある文庫版あとがきを収録。解説は、作家の桜木紫乃。鋭い視点で、果敢に斬り込んだ桜木紫乃の解説も秀逸。 -
何だか想像していたのと違う感じのルポだった。飛田だけを追っていたわけじゃないだろうけど、足かけ10年以上の取材で関係をつくり果敢に飛び込んで色街だけじゃない飛田の姿が記されている。
色街でない飛田とは、いろんな意味での貧困や障害を抱えた人たちが生きている街だという一面。女の子からおばちゃんになった人が「満足度0%」と話したり、店をもつママさんが「楽しかったことなんてない」と言ったり、そんな人たちがいることをどこかでわかっていながら、ここで満足しながら働いている人も、割り切って働いている人もいると思いたい、そういう文章を読みたいと思いながら、結局そんな話はまったくなかった。飛田のみんなで底なしの井の中の蛙のように生きているイメージ。そこがやっぱり10年通ったからこそだろう。考えずに、あるいは考えながら飛び込んでいって、後で何となくわかってきたといった感じの書きぶりで、著者が飛田を知る過程につき合いながら素人目線で飛田のいろんな面を見ていける。お上手にまとまったルポより正直で素直……っぽい感じがする。
とはいえ、文庫版あとがきでは取材時、執筆時とはだいぶ変わった飛田の姿が少しだけ紹介されている。少しだけなのにだいぶ変わっている様子。飛田も変わっていないようで変わっているのだなと思った。著者が通ってた10年より、上梓前後から文庫化までの数年のほうがドラスチックに変わった感じ。いろんな意味で飛田って予想や想像が追っつかない街に思える。