ひとり暮らし (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 1593
レビュー : 145
  • Amazon.co.jp ・本 (237ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101266237

作品紹介・あらすじ

結婚式より葬式が好きだ。葬式には未来なくて過去しかないから気楽である-。毎日の生活のなかで、ふと思いを馳せる父と母、恋の味わい、詩と作者の関係、そして老いの面白味。悲しみも苦しみもあっていいから、歓びを失わずに死ぬまで生きたい。日常に湧きいづる歓びを愛でながら、絶えず人間という矛盾に満ちた存在に目をこらす、詩人の暮らし方、ユーモラスな名エッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • これも、無印良品店舗の拘り本棚で見つけた一冊。詩集ではなくエッセイ集。文章は80年代から15年間ほどに書き溜められたものだけど、何ひとつとて古びていない。

    その中で「これを読んだから、後の文章はお腹いっぱいで読めない」と思う一文があった。

    「恋は大袈裟」(作品社『恋歌1』はしがき1985)。
     初め私は母親のからだの中にいた。私のからだと母親のからだは溶け合っていた。
    ‥‥と始まる。確かにそうだよね。

     私は母親のからだから出て、私自身のからだをもったが、そのからだはともすると、母親のからだの中へ帰りたがった。
    ‥‥と続く。ここまでは、マザコンの文章とも言えなくはない。

     母はひとりの人間であるとともに、自然そのものであった。
    (略)母と一体になりたいという欲望は、自然に溶け込みたいという欲望と区別できなかった。
    ‥‥ここまで来れば、それは最早不平等社会を批判して「自然に帰れ」と謳ったルソーを彷彿させる。だが、やがて母親は自分の身体の死などを以て人間社会のしきたりをも教えるのである。そうやって、子供は親離れをして「母親に代わる存在を求める」。

     恋とは私のからだが、もうひとつのからだに出会うことに他ならない。
    ‥‥ここで初めて「恋」の文字が出てくる。壮大なのである。

     心とからだの矛盾に満ちた関係は、人間と自然の矛盾に満ちた関係から生まれた。矛盾を生きることで、調和を見出そうとする欲求も両者に共通なものであるとすれば、恋もまた、人間同士の戦いであるとともに、人間の自然との戦いのひとつと見ることもできる。そこでの平和がいかに得難いものであるかは、誰もが知っている。
    ‥‥山極寿一さんは『暴力はどこからきたか』の中で、人類をサルから人間に変えたものは、直立歩行と、もう一つは「家族」だと喝破しました。家族という共同体を守るために人間は進化したのであるが、その共同体を守らせるために、人間は暴力装置(=国家)を作りました。その国家は、「戦争」という矛盾の固まりを発明しました。しかし、戦争は40万年の人類の歴史の中で、まだ1万年以下の日にちしか経っていません。これからが、改善過程なのだ。恋をして、平和な家族が可能なように、平和な国家関係はきっと可能なのに違いない。

    谷川俊太郎さんは以下の様に最後の行を書きます。あまりにも要約し過ぎて意味が通じないかもしれませんし、ちょっと大袈裟に紹介し過ぎたかもしれませんが、私が「もうお腹いっぱい」と言った気持ちだけはわかってくれたでしょうか?

     ひとつのからだ・心は、もうひとつのからだ・心なしでは生きていけない。その煩わしさに堪えかねて、昔から多くの人々が荒野に逃れ、寺院に隠れたが、幸いなことにそんな努力も人類を根絶やしにするほどの力はもてなかった。
     恋は大袈裟なものだが、誰もそれを笑うことはできない。

  • なぜかとても心が安らいだ。
    一語一語が私に寄り添ってくれているかのような、とても心地よい時間。

    特に「自分と出会う」が好きだ。
    「自分のこころはもしかすると他人のこころよりも分かりにくい。」
    という言葉を読んで、そうなのかと驚いた。
    というより、私は自分のこころも、他人のこころもよく分からない。
    でも少しずつ自分のことが見えてきたかなとも思っていたのだけど、この先にはさらなる混沌があるのだろうか。
    「ほんとは誰でも自分とつきあうのは大変なんじゃないか。」
    という言葉には、嬉しくなった。
    私だけじゃないんだ、という情けない喜び。

    私にとって身近でないテーマも、すんなり受け止められたように思う(錯覚かもしれないけれど)。
    それはきっと、的確なのにやわらかい言葉で綴られているからじゃないだろうか。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「私だけじゃないんだ、という情けない喜び」
      詩人谷川俊太郎だから、判らない自分を、判らないなりに大事にしよう・・・と言って呉れてるのでしょう...
      「私だけじゃないんだ、という情けない喜び」
      詩人谷川俊太郎だから、判らない自分を、判らないなりに大事にしよう・・・と言って呉れてるのでしょうね(未読なのに断定しちゃった)。
      2012/07/18
    • takanatsuさん
      「判らない自分を、判らないなりに大事にしよう・・・」
      自分のこころが分からないのに生きていることについて、「大胆だ」と書かれていました。
      確...
      「判らない自分を、判らないなりに大事にしよう・・・」
      自分のこころが分からないのに生きていることについて、「大胆だ」と書かれていました。
      確かにえらく綱渡りな状況だと思った次第です。
      2012/07/19
  • このひとの手にかゝれば、日々のあらゆる出来事が「詩」となる。
    生きること。そのことに対する心からの驚きと敬意。頭で考へられた、脳みそ的な人生ではない。谷川俊太郎の生活を示す情報としてのエッセイではない。等身大のひとりの人間が生きることを感じ、考へてゐる、そのひとつの生きた存在であると思ふ。
    生きてゐれば、身体は衰へるし、頭もぼけてくる。大切なひとは徐々に死んでゆき、気づけば子らも成長し家には自分ひとり。
    ことばは、概念といふ形のないものであると同時に、確固たる輪郭をもつたひとつの形である。その狭間で揺れ動き、どこまでも考へると同時にその実体に触れる時、存在といふものを知る。詩とは、さうした詩人(ひと)の歩いた印だと思ふ。茨木のり子さんが数年もの間、次のフレーズが書けずにゐたこと、リルケが存在を前にして、ことばが尽きてしまつたこと。さうして詩の一粒がはらりとこぼれ落ちる。
    生活のあれこれを綴つてゐるやうにみえるこの詩たちも、どれほど丁寧に生活を詩としてゐるのかの現れではないか。自分の詩に対して迷ひのない解説が加へられ、確かな声で朗読ができるといふのは、単にそれが対価を貰つて成される仕事であるといふこと以上に、詩が彼自身であるからではないか。
    ”さびしさ”を「さびしさ」と呼べるやうになるまでに一体どれほどひとは選び、そして捨ててきたのか。捨ててきたもの、ことばにはならないもの、それも含めて”さびしさ”であることには変はりない。それを切り捨て、忘れていくのではなく、共に抱へていくことこそ、愛といふものだと彼は信じて今日も生きてゐる。

  • そもそも氏の詩を全然読んだ事が無いので、エッセイだけを読んで判断するのも不遜な話ではございます。なるほど氏の生き方を少しだけですが垣間見たきがします。次は詩を読んでみようと思います。

  • 恋は大袈裟 にとても深く、自分の中でずっと解けないわだかまり、謎、いごこちの悪さ、不安、そんなもの達の、原因につながる糸口を見た気がします。長い文章で書かれても、詩だなあと感じる文章がいくつかありました。
    詩の朗読会のチケットを申し込んだのですが、出張に重なり、結局見れなかった。次こそは

  • 小学生の頃から、谷川俊太郎さんの書く詩に親しみを感じ、大人になっても何となく好きな詩人。
    その人が書くエッセイってどんなものだろうと、わくわくしながら手にとった。

    詩人というと、哲学的で高尚なことを常に考えている人をイメージするが、このエッセイにも書いてある通り、「普通のおじいさん」なんだなぁという感想を持った。
    宣伝郵便物の多さに辟易し、多忙な仕事をこなし、仲の良い友人たちと旅行にいったりする、普通のおじいさん。
    でも、そんな飾り気のない文章の合間に、時折見せる「言葉」への想いは、やはり詩人だなぁと思う。

  • 谷川俊太郎…敬称をつけるべきでしょうか…小学生の教科書に載っていたぐらいだから、とっくにいなくなっていたかと思いきや、まだ生きてるんですよね?ここ数年で検索したら、結婚、離婚を繰り返し、随分好き勝手やってる、飄々としたオトコなんだな…と。

    で、この人のエッセイは初めて。初めてこの人の思ってることに触れられました。文を読んでも、やはり好き勝手やってる…という印象ですが。でも爺さんだから時代が違うから、エッセイなのにスルスル読めるようで、どこかスムーズにいかない。そこが谷川俊太郎を舐めてかかってはいかんぜよ…てことかもしれない。ゆっくりじっくり爺さんを味わいます。

  • 詩人はどんな随筆を書くのだろう、と興味があった。とある詩人のエッセイを読んだとき、やはり詩人は詩に長けているんだな……などと生意気にも思ったことがある。

    少し緊張しながら読み終えたのだけど、味わいのある一冊、さすがだなあと思った。
    これも本人曰く、実際の生活から離れていない人が書くからなのだろうか。面白い。

    死というものに対する言及が多い。
    あれこれと手を施すではなく、今の次に来るもの、といった自然さがある。
    そうして、そんな身近なものであるからこそ、折に触れて頭に描いたり、他者の死と向き合ったりするんだろう。

    人は生きることを闇雲に是としすぎだと、私は思う。どこかで必ずやって来る終止符と、どのように折り合いを付けるかは、今を歩む上では重要な心がけなのかもしれない。

    「心を動かすことのできる空間、あるいは隙間、そこにはいったい何があるのだろう。せめぎあう感情や思考とからみあって、それらを生かす意識しがたい何かがある。それもまた感情や思考のひとつかもしれないが、それはともすれば固定されようとする感情や思考をほぐす働きをもつのではないだろうか。そして名づけることのむずかしいそれを、私たちはゆとりという仮の名で呼んでいる。」

    「そのくせ犬は途方に暮れているようにも見えた。うちの中に入れて毛布でくるんでやって、獣医のところへ連れていったりするのが冒涜のように思えて、私は何も手出しはしなかった。」

    また、『思い出のマーニー』に触れて河合隼雄が少し書かれている。
    ほんの一、二ページなのだけど河合隼雄を知る人は、是非読んで欲しい、そんな箇所となっている。

    ゆっくりゆっくり咀嚼し、眠気や空腹には抗わず、そっと読み進めていこうと思えた一冊。

  • 谷川さんの頭の中を覗いて見る。
    へぇ、こんなこと考えてるのかぁ。なるほどと思うこと、そうだよな〜と思うこと、ちょっと笑っちゃうようなこと、ますます世界がおもしろいです。線でも引いて覚えておきたいような言葉がたくさん。たくさんあって覚え切れないしここにはうまく書けないので、また読むと思います。なんか、不安になったときとか、怖くなったときとかに。大切な本が増えました。

  • 1985~2001年の間に各所で掲載されたらしいエッセイを時系列にまとめている。前半はテーマや言葉に沿ったもの、後半は「ある日」と題されたもので1999~2001年の日記を抜き書きしたような体裁。
    平易な言葉で読みやすく、詩人の思考をたどるのはなかなか面白いものだ。小説家の旅行記なども好きだけど、この本のように日々思うことを書いたものもいい。谷川さんの場合、そこには当然、詩の存在がある。
    たとえば「朝」という言葉について書かれた中の、こんな一文。
    「若いころはいざ知らず今の私は朝が愉快ではありません。・・・しかし、そういう現実の私の朝の気分の単調さをそのまま詩にもちこむことはあまりありません。・・・曖昧な感情と認識の複雑さが詩句にあらわれていなければ、詩の魅力の大半は失われてしまうでしょう。」
    また、ダライ・ラマ法王が東京に来た時の話も、興味深い。

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著者プロフィール

谷川俊太郎(たにがわ しゅんたろう)
1931年、東京生まれ。父に、哲学者・谷川徹三。現在の東京都立豊多摩高等学校を卒業し、1948年頃から詩作の活動を開始。1952年第一詩集『二十億光年の孤独』出版。以後詩、エッセー、脚本、翻訳などの分野で多岐に渡る活躍を続けている。
翻訳については、ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』や『スイミー』、ゴフスタインの絵本の数多くを手がける。詩集に『ことばあそびうた』、『みみをすます』、『日々の地図』、『はだか』、 『世間知ラズ』など、エッセー集に『散文』、『ひとり暮らし』、絵本に『わたし』『ともだち』『もこ もこもこ』、詩集に『シャガールと木の葉』、『すき』、『詩の本』、『トロムソコラージュ』など。
萩原朔太郎賞、鮎川信夫賞、三好達治賞、朝日賞など多くの受賞歴がある。

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