いまも、君を想う (新潮文庫 か 67-1)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (199ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101271613

作品紹介・あらすじ

家内あっての自分だった。一人きりで迎える静かな時間の中で、とめどなく蘇る君在りし頃の思い出。手料理の味、忘れられない旅、おしゃれ、愛した猫や思い出の映画…。夫婦二人だけで過ごした35年間のささやかな日常には、常に君がいてくれた。いい時も悪い時も、7歳下の美しく、明るく、聡明な君が-。文芸。映画評論でつとに知られる著者が綴る、亡き妻へ捧げる感涙の追想記。

感想・レビュー・書評

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  • 単行本刊行時以来、13年ぶりに再読。
    映画「赤ひげ」の二木てるみの井戸の底に向かって叫ぶシーンの引用で、泣けてしまった。

  • こういう本は苦手だけれど、川本三郎さんということで読んでみた。

    ここ数年、色んなことで友を亡くした私にとって、一番心に残ったのは
    「通夜の席の酒も嫌だった」から始まるところで「…酒が入るうちに場所柄もわきまえずに笑い声が起きたりする。
    喪主の方は客への礼儀として「故人はにぎやかなのが好きでしたから」と酒をすすめるら、それをしたくなかった。
    家内がやつれ、そして静かに息を引き取っていった姿が目に焼きついている人間には「故人はにぎやかなのが好きでしたから」と決まり文句を言う気にはどうしてもなれなかった」
    と言うところだ。

    ある意味、流行病で、ここ数年家族葬が多い。

    実はこれが一番理想なのかもしれないと、最近よく思うのだ。

    そして「大事な人間が次々に去ってゆく。年齢的に仕方がない」
    この「仕方がない」という、黙って受け入れると言う行為は、人を大きなものにするとも思う。そしてこの悲しみは決して癒えることはない。
    しかし日常は、残酷にも普通に何も変わっていないように過ぎていく。

    「歳をとるって言うのは残酷だ」と私が子供の頃、父がふと呟いたその言葉は、ずっと心の言葉の引き出しにあって、自分がそのくらいの歳になると、実感としてどーんと重みを増す。

    よく、歳取ると子供にかえるのよと言われることもあるが、私は昔から違うと思っていた。それは確信へと変わる。子供にかえるのではなく、たくさんを知り得た人が、それを残酷なまでに静かに受け入れて時を過ごしていくと言う、人とは共感できない個人のものを積み抱えていっている経過だと思う。

  • 長年連れ添った糟糠の妻が先立つ。妻と過ごした月日を綴った本です。葬儀は、静かに送りたいと書中にありました。その気持ちに似た想いで読み終えた気がします。

  • 7歳年下の愛妻を57歳で喪った夫、35年間の夫婦生活を振り返る追想記。

    妻は夫に先立たれると元気になるが、夫が妻に先立たれると大変。そんなイメージそのまま。たくましい妻、朝日新聞を解雇され評論家生活、ずっとそばで支えてきた妻。子もなく愛猫や旅行などの思い出。

    闘病生活も含め、涙なくして読めないエッセイ。

  •  2008年に食道ガンで世を去った著者の夫人、川本恵子さん(ファッション評論家)の思い出を綴ったエッセイ集。

     私はファッションにはまるで興味がないのだが、川本三郎さんのファンなので「奥さんの著書も読んでみよう」と思い、『ファッション主義』(ちくまブックス)を読んだことがある。もう四半世紀ほど前のことだ。その本のカバーそでに載った、女優のように美しい著者近影が印象に残った。
     本書のカヴァーにも、若き日の美しい川本恵子さんのポートレイトが用いられている。

     アマゾンの内容紹介には、次のようにある。

    《三十余年の結婚生活、そして、足掛け三年となる闘病…。家内あっての自分だった。七歳も下の君が癌でこんなにも早く逝ってしまうとは。文芸・映画評論の第一人者が愛惜を綴る、感泣落涙の追想記。》

     「感泣落涙」という大仰な言葉に、違和感を覚える。本書はそのような大仰さから遠い、静謐な印象のエッセイ集であるからだ。
     涙を誘う一節もなくはないが、著者はむしろ、ありきたりの「泣ける本」にすることを注意深く避けている印象を受ける。

    《家内が逝ったあと、画家の西田陽子さんから手紙をいただいた。
    「幸せだった思い出を語るのが、亡くなられた方にとっていちばんうれしいことではないかと想っています」とあった。
     いま、なるべく「幸せだった」頃のことを思い出すように努めている。》

     そんな一節があるとおり、大半を占めるのは、結婚生活の中から拾い出された幸せな思い出の数々である。闘病などの悲しい思い出の記述は、必要最低限にとどめられている。

     そして、幸せな思い出を語ることを通じて、その行間にはおのずと亡き妻への哀惜と深い悲しみが流れ通う。悲しみをことさら強調するのではなく、言外に漂わせる形で、抑制の効いた表現がなされているのだ。

     私は、川本さんの著書の中では、『朝日ジャーナル』記者時代の青春記『マイ・バック・ページ』がいちばん好きだ。
     本書の一部には、“もう一つの『マイ・バック・ページ』”という趣もある。『朝日ジャーナル』記者時代、武蔵野美術大学の学生だった恵子さんと出会い、つきあい始めたころの思い出を綴った文章も収められているからだ。

     印象に残った一節をメモ。

    《フリーの物書きになった三十代のはじめの頃、ある雑誌に匿名の映画コラムを連載で書いていた。匿名をいいことに、よく映画の批判を書いた。エラソーでいま思うと恥ずかしくなる。
     ある時、家内が言った。
    「匿名で人の悪口を書くなんてよくないわよ。あなたいつも言っているじゃない。西部劇の悪人は、丸腰の相手を撃つって。それと同じじゃない」
     これは西部劇の好きな私にとって痛烈な批判だった。その通りだと思った。それから、気に入った映画、好きな映画のことだけを書くようになった。》

    《最近、甲州には、こんな言い伝えがあることを知った。「死んでから七日以内に雨が降ると、その人は天国に行ける」。家内が逝ったのは六月十七日。日記を見ると五日後の六月二十二日に雨が降った。》 

  • 序章、歴代の飼い猫と野良猫について淡々と綴られる。妻についての記述が少ないのにも関わらず在りし日の彼女の面影が強く印象に残る。この章だけで独立した短編小説のよう。冬枯れの井之頭公園を歩くような、慣れた穏やかな寂寥感。夫婦の来し方、行く先々が他人事とは思えず冷静に読めない。涙で文字が滲む。すっかり感傷に浸ってしまった。

  • 淡々と奥さんとの日々、そしてお別れのときが綴られている。微笑ましく、うらやましく夫婦の姿を思い浮かべて、こうやって夫婦って作り上げられていくものなんだなあとうれしく思った。
    決して、古風な奥さんではなかったけれど、川本さんをそっと支え、引っ張ってゆく姿は、私にはまったくないもので、なんだかとても憧れる。子どもがいない夫婦だからか、恋愛要素の強い2人のようにも感じられて素敵なんだ。
    まだまだ先だと思って、想像すらしたことのないだんなさんとの別れを想像してみて、そわそわと落ち着かなくなる。もっと優しくしておけばよかった、なんて思わないよう、日々生きて行けたらいいな。だけど、それでもきっと最後はそう思ってしまうんだろうな。

  • 映画評論家・文藝評論家の川本三郎の愛妻喪失の記。

    さりげない過去の妻との日常を書き綴っているが、淡々としたその文面から、亡き妻への愛情が、ヒシヒシと伝わってくる。
    特に著者は、全共闘関連の取材で逮捕留置され、朝日新聞を懲戒免職されており、その直後の結婚から、影で支えてくれた妻への想いが行間から滲み出ている。

  • 川本三郎さんによる、亡くなられた奥さん、恵子さんの追想記。

    やさしい表現を使っていることや、フォントが大きいことから、一つ一つのエピソードをとてもあたたかく感じる。場面の切り取り方が鮮やかで「古き良き映画」のような雰囲気。

    病院へ行った帰りに、ある食堂で一人で行ってほっとするところが、とても感覚的にわかる気がした。

    書くことで自分の魂を慰撫する、ということはあるのだろうなと改めて思う。

  • 静かで、暖かで、かなしくないはずなのに、涙の出て来るお話。

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著者プロフィール

川本 三郎(かわもと・さぶろう):1944年東京生まれ。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」記者を経て、評論活動に入る。訳書にカポーティ『夜の樹』『叶えられた祈り』、著書に『映画の木漏れ日』『ひとり遊びぞ我はまされる』などがある。

「2024年 『ザ・ロード アメリカ放浪記』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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