- Amazon.co.jp ・本 (616ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101274034
感想・レビュー・書評
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紀州の”路地”を舞台にした秋幸サーガの最終話。
前作「枯木灘」で路地を離れた秋幸が三年後に戻ってくる。
時代は高度成長による土地開発が進み、”路地”は消滅していた。
開発により、秋幸の家族たちの生活も変わっている。
秋幸は”蝿の糞の王”である実父浜村龍造のもとに身を寄せる。
「枯木灘」で、土方仕事で日の下で土を掘り汗をかくことに輝きを見出していた人生はもう変わった。
変わり果てた土地と、出し抜きあう人々。
秋幸は龍造への憎しみを秘めつつ、物語は収束する。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
『岬』『枯木灘』に続く三部作完結編。本作品を読むと中上健次がフォークナーやマルケスの影響を受けたといわれるのが分かる。作中描かれる血脈や土着の世界観。修飾語や形容詞を省いた乾いた文章でありながらねっとり纏わりつく濃密さ。私生児として生を落としアイデンティティの欠如から生まれる龍造への異常なまでの執着。神聖な穢れた血がもたらす秋幸の人間的迫力と暴力。
『岬』『枯木灘』のような緊張感はないものの、「紀州サーガ」の秋幸三部作にふさわしい血と路地の総括的締め括りであった。 -
俗に言う秋幸三部作、最終巻。
600pを超える大ボリュームだが、滾る文体であっという間に消化させる。
正直ここまで広げた話を前作『枯木灘』同様のクオリティで締めるのは不可能に思われ、本作で有終の美を飾れていると思う。
ここから中上の“路地”表現法に変化が現れていく事からも、転換を示す重要な一冊。 -
前半は筆が荒れに荒れていて、普通だったら嫌になるぐらいだが、中上健次だからそれもマグマの胎動のように思えて逆にはらはらする。『枯木灘』の続編だが、見事にぶっ壊していて、秋幸はすっかり浜村龍造寄りの人間になってるし、徹は気が狂ってるし、竹村の家はすっかり悪者扱いになっている。それもこれも「路地」が消えてしまったからで、実際、ほとんどコメディばりに土地の祟りがそこらじゅうで吹き荒れ、おまけに「水は生きている」信仰や、ジンギスカンの末裔伝説、台湾の独立運動なんかもからんできて、まったく収拾がついていない。このぶっ壊れ方が好きか嫌いかで評価が分かれるだろう。
秋幸と龍造が二人で山を歩くところも泣かせるが、次男の友ーと秋幸が和解の握手をかわすところも地味にいい。あと水信仰のババアたちがなんだか間が抜けてて可愛い。 -
新潮文庫は本文を読んでから解説を読みましょう。解説は始まってすぐに強烈なネタばれがあります。
読後感は、『羊をめぐる冒険』と同じ感じ。世界が変わりつつあること、それはもう止められないこと、主人公が空回りで哀しいところが似ているように感じられました。「羊」は82年出版で本書は83年なんですね。こういうのを「時代性を感じる」っていうんでしょうか。
秋幸もの前2作に比べると、なにか観念的で、人ではなくて場所のほうが主人公みたいな感じ。噂でエピソードが積み重ねられて行って、本当のところは不明な書き方で、息苦しくて不安な状況が描かれます。
これはこれで面白いけど、『枯木灘』のほうが音楽的でドライブ感があった気がします。その上かなーり長いので星はみっつ。作者の狙いがスパっと決まった本ではないんじゃないかという感触もあり。 -
「枯木灘」で繰り返し心惹かれた壮観で細やかな風景描写などは控えめで、物語性が強く感じられた。
面白くて時間を忘れ読み耽ってしまった。
自分が誰であるか、血脈やそのルーツへの思いは、愛憎をも越えて濃く深く、また昏くも映る。
終わりであり、ここから始まるのか、という思いが静かに沸き上がってきた。 -
天井を見上げて、しばらくじっとする。
長く、深く、呼吸をする。
胸の愛おしいような重さが、いまも、消えない。