- Amazon.co.jp ・本 (181ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101274522
作品紹介・あらすじ
雪とけて村一ぱいの子ども哉/天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも/白鳥はかなしからずや空の青海の青にも染まずただよふ。誰が詠んだか知らなくても、心が、体が覚えている――。誰もが教室で親しんだ俳句、和歌、短歌をそれぞれ百、集めてみると、とても愉しい本になりました。音読してもよし、お子様に読み聞かせてもよし。創刊百年を迎える新潮文庫ならではの一冊をお届けします。
感想・レビュー・書評
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このような文学を持つ国に生まれて触れる機会があることに喜びと驚きがある。
しかし,その世界に浸ることができないのは認識の主体である自分の力不足(知識や感性)だろう。そもそも上手に読めない。リズムが取れないといってもいいかもしれない。とてももどかしいが,その分憧れが募る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
近代短歌のラストが穂村弘さん。
シャボンまみれの猫が逃げだす午下り永遠なんてどこにもないさ
校庭の地ならし用のローラーに座れば世界中が夕焼け
歌集以外の本は読んだことあったけど新鮮でした。 -
また本を買ってしまいました。
「教科書で出会った 名句・名歌300」(石原千秋・新潮文庫)です。
これで「教科書で出会った・・・」シリーズ3冊揃ったことになります。
この文庫の最初の句は
雪の朝二の字二の字の下駄のあと 田捨女(でん・すてじょ)
でございます。下の注意書きを読んでびっくり、
この句は田捨女がなんと6歳の時作った句だとか!!!
で、彼女のことを調べてみました。
『1634年、丹波国氷上郡柏原藩(現在の兵庫県丹波市柏原地域、当時の藩主は織田信勝)に、
柏原藩の庄屋で代官も務めた田季繁の娘として誕生した。
氏名は田ステで、「女」は名の一部ではなく女流歌人の名に添える接尾辞である。』
それにしても、我が子を「捨て」とは~
でも私らより上の世代には「捨造」「捨吉」といった名前をみたことがあります。
詳しい理由はわかりません。
最後に、このシリーズの監修者・石原千秋があとがきで次のような事を言われています。
『和歌・俳句の歴史は「自然」から「ひとり」へと変遷している』と。
でも、万葉集には
父母が頭(かしら)搔き撫で幸(さ)くあれて言ひし言葉ぜ忘れかねつる
(防人の歌)
憶良らは今は罷(まか)らむ子泣くらむそれその母も我を待つらむぞ (山上憶良)
といった句が多く見られます。なぜでしょう?
素人の私には判然としません。 -
春過ぎて夏来たるらししろたへの衣干したり天の香具山。
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この本で、久しぶりにあの時のあの句に出会えます。そしてついでに、あの時の情景やら、思いやら、感情やら、なにやらかにやらと再会できます。
これを、ノスタルジーと言うのだなぁ。
読み終われば、ちょっと遠い目をしているかもしれませんよ。 -
万葉集から現代短歌まで、小さな小さな型の中にぎゅっと凝縮された豊かな世界。
俳句や短歌を読むと日本人に生まれてよかったとしみじみ思います。