木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (616ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101278124

作品紹介・あらすじ

牛島辰熊と袂を分かち、プロレス団体を立ち上げた木村政彦。ブラジルやハワイ、アメリカ本土で興行ののち帰国し、大相撲元関脇の力道山とタッグを組むようになる。そして、「昭和の巌流島」と呼ばれた木村vs力道山の一戦。ゴング――。視聴率100%、全国民注視の中、木村は一方的に潰され、血を流し、表舞台から姿を消す。木村はなぜ負けたのか。戦後スポーツ史最大の謎に迫る。

感想・レビュー・書評

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  • 【感想】
    「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」
    タイトルにもなっているその問いについては、実は本文中ではっきりと明言されているわけではない。何といっても木村自身の証言が、時が経つにつれコロコロ変わっていく。「あれは紛れもない真剣勝負だった」「台本があったのに、力道山が約束を破った」「勝負にはどんなことをしてでも勝たなくてはならない」「スポーツである以上ルールは守らなくてはならない」……。
    木村はずっと、真剣勝負とプロレスの間で揺れていた。自身の汚名をそそぐため、力道山に再戦を申し出るも、ヤクザに刺されて先に逝ってしまった。やり直しのチャンスを失われた木村は、拳の下ろし場所を見つけることができず、晩年に渡って恨みごとを言うだけだった。

    恥を抱えながら生きるぐらいであれば、直接力道山を襲撃し、その後自刃すればよかったのではないか?筆者はそう思い、この本を書き始めた。しかし、木村本人もいなくなった今、その真意を確かめる術はない。

    ここからは私の想像だが、木村はとうの昔に「鬼の木村」を降りていたのではないか。
    それは師匠牛島から解放されたために、帯を締める相手がいなくなったからかもしれない。もしくは、頂点を極めたがゆえのシンプルな驕りなのかもしれない。いずれにせよ、「武道に生き、武道に死ぬ」という心構えは、とっくのとうに失われていた。それが木村の闘争心を削ぎ、恥を忍んで生きる道を選ばせた。

    木村ほどの男が二度と世に現れないのは、時代が違うからだ。木村の全盛期は戦前~戦中であり、その時代に武道で負けることは死を意味した。木村はその時代性の中で、自らを死に追い込む強さを身につけ、最強へとのし上がっていった。
    しかし戦争が終わったことで、木村を取り巻く世界も変わった。柔道のみに専念できなくなり、あらゆることに金が必要になった。そして何より、命を賭ける必要もなくなった。

    もし木村が全盛期の気概を持っていれば、「負け=死」という覚悟で戦いに臨んでいれば、決戦前夜に泥酔することなどあり得ないはずだ。スタミナ切れを起こさないよう練習に打ち込むはずだし、力道山の不意打ちにも見てから対応できたはずだ。

    何より、「自分にも甘いところはあった」という思いを木村自身も抱いていたと思う。「真剣勝負だ」と自ら言っていたのに、「これはブックだから」と油断したせいでマットに沈んだ。だから力道山をいくら憎もうとも、負い目を感じて刃を向けられなかった。そして、その刃を自分に振り下ろすこともできなかった。
    「力道山を殺して、自分も死ぬ」。そんな覚悟も時代が失わせた。いかに自分が日陰に置かれようとも、そのために復讐を選ぶ時代ではなくなっていた。

    時代が、「鬼の木村」を終わらせたのだ。

    本書は上下巻合わせて1,000ページ近くにおよぶ超大作だが、内容は抜群に面白く、あっという間に読み終えてしまった。何より、時代の敗者だった木村と牛島をここまで見事に掘り起こし、再び「木村政彦伝説」を世に広めてくれたことに感激を覚える。格闘技に詳しくない人にもぜひ読んで欲しい、おすすめの一冊である。

    上巻のレビュー
    https://booklog.jp/users/suibyoalche/archives/1/4101278113

    ――――――――――――――――――――――――
    【まとめ】
    1 悪童力道山
    暴力、猜疑心、傲慢さ、金への執着……。力道山を知る人は必ず、彼の素行の悪さや破綻した人間性を語る。
    力道山は朝鮮半島から日本にやってきた。二所ノ関親方(玉ノ海)に弟子入りし相撲の道に進んだが、戦争が終わる十両時代までは、練習熱心で素直な人間だったという。
    しかし、昭和20年8月15日の終戦、朝鮮人にとっての解放の日を境に、力道山の内面で何かが変わっていく。
    二所ノ関親方は愛弟子の変化をこう嘆く。「入門から敗戦時までの力道山はとても素直で稽古熱心でした。だが、敗戦後は気持ちが変わったのか性格も一変した。彼の戦後の生き方は先輩も師匠もありませんでした。周囲の者を踏み台にして、自分の野心だけを満足させていく…..…..」
    出羽海部屋の元力士、小島貞二もこう語る。「自分は朝鮮人だというようなことは口にはしないけどね、その稽古ぶりを見ればわかったよ。日本人力士に対して、威圧的になるというか、態度が違うんだ。戦勝民族としての誇りなのかね。まるでそれまでの鬱憤を晴らすようだった」
    力道山は相撲界のなかで孤立していった。

    九月場所で東関脇に上がれなかったことを「民族差別」と捉えた力道山は、相撲界から決別。昭和27年に、プロレス修行のためアメリカにわたった。


    2 木村政彦と力道山のタッグ
    昭和29年2月19日、蔵前国技館を初日とし、プロレスの14連戦ロングラン興行がスタートした。この日は後に「プロレスの日」に制定される。メインは木村・力道山タッグvsシャープ兄弟の61分三本勝負だ。
    初日の国技館の入りは6、7割だったが、テレビの前は大盛況だった。家庭にはまだ1万7千台しかテレビが普及していなかった時代である。街頭テレビの前には数千人、数万人の群衆が詰めかけ、ショーウインドウが割れたりデパートの床が抜けたりの大騒動となった。また、2日目以降には本物を観たくなった客が国技館に詰めかけ、チケット価格に1万円の闇値がついた。

    試合の内容は、木村は徹底して「負け役」、つまり力道山の「引き立て役」だった。14連戦での全戦績は、木村政彦4勝8敗2分け、力道山12勝1敗。タッグでのシャープ兄弟戦の戦績は、木村政彦1勝8敗、力道山10勝1敗である。プロレスには筋書きがあるとはいえ、あまりにも露骨だ。それは力道山の異常なまでの権勢欲と自己顕示欲、そして猜疑心からくるものだった。
    このシナリオに木村は怒りを覚える。自身でプロレス新団体を結成し、力道山から離れていった。


    3 木村政彦vs力道山
    11月27日、木村は調印式で正式に力道山に試合を申し込む。決戦は一ヶ月後の12月22日だ。
    両者の間で揉めたのは、この試合を真剣勝負かプロレスにするかだ。
    もしこの試合が殺し合いになればプロレスは非難を浴びて、ここで頓挫するのは必定である。だからショー的要素を入れて観客が喜ぶように試合することで両者納得した。そして興行上の意味から、この一試合で終わらせることなく、まず今回の蔵前での試合は引き分けにし、第二戦、第三戦も行うことが確認された。

    しかし、木村の意図と力道山の意図は異なる。木村はこの戦いをあくまで「普通のプロレス」として受けた。だから一ヶ月近くの間大して練習することはなく、試合前の晩も酒をあおって泥酔した。対する力道山は本気だった。道場でスパークリングを行い、体重も絞っていった。

    試合のゴングが鳴る。
    最初はある程度ブックに沿っている試合展開も、時間が経つにつれ力道山のボルテージが徐々に上がっていった。トップギアに入った力道山は突如木村の胴をめがけて蹴りを入れ、それを木村が前蹴りで応酬する。力道山が蹴りの当たったあたりに目を落とし、右手で押さえる。そして、顔を上げて何か怒鳴り、木村に殴りかかった。右ストレートや張り手を繰り出し、木村は戸惑ったような表情で受けた。木村がレフェリーに反則を訴えるも、クレーム中に力道山が横から殴りかかる。木村ががくんと来て座り込むと、その顔面をシューズで蹴り上げた。木村にはもはやまともに動ける力はなく、意識を失い、動かなくなった。
    試合時間15分49秒、ドクターストップによる決着だった。

    試合終了後、力道山はマスコミに「木村が試合中に引き分けでいこうと言った」と発言する。それを聞いた木村は愕然とした。いったいどこまで話していいのか。「もともとプロレスはあらかじめ勝敗が決まっている」とは明かせない。しかしそれを前提に話さないかぎり、彼らを納得させることはできない。どうしても話に矛盾が生じる。

    木村はブックが成り立っている、つまり一本目は力道山が取り、二本目は木村、そして三本目は引き分けになると信じてリングに上がっていた。だからこそ試合が始まっても肩に力の入る力道山に「引き分けでいこう」と何度か落ち着かせようとしたのだ。一本目は力道山が取るという約束が、力道山のラッシュが始まったときに木村の一瞬の判断を遅らせた。

    木村は負けたのだ。例え力道山のだまし討ちがあったとしても、木村が万全の体制で勝負に挑んでいれば、鬼の木村の気概を残していれば、不覚を取ることはなかった。勝負の世界とは、そういうものなのだ。


    4 木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか
    晩年になればなるほど、木村の言葉には整合性がなくなっていく。一方でさんざん「勝負には命を賭けなければいけない。どんなことをしてでも勝たなくてはならない」と言いながら、力道山戦のことだけは「スポーツだからルールを守らなければならない」と言っている。
    力道山戦でKOされた理由を創作し、自身を納得させようとすればするほど、木村は苦しんだ。それは木村が人並み外れて自分に厳しい男だったからである。だからこそ自身の心に向き合おうとした。しかし、だからこそ向き合えなかった。だからこそ苦しみ抜いた。
    木村の魂の安息はリベンジマッチで勝つことによってしか取り戻すことができなかった。しかし力道山はそれを拒み続け、しかも先に逝ってしまった。それによって、木村の魂は行き場を失ってしまった。
    世間は、木村を「敗者」として扱い続けた。大勢のプロレスファンが業界を守り、柔道家の声など誰も聞いてくれない時代だった。木村の力道山への怨嗟、プロレスへの怨嗟は、歳をとるにつれさらに強くなっていった。木村はそれでも生きた。生き続けた。柔道界からもプロレス界からも排斥され、ひっそりと生き続けた。

    しかし、最期まで強く見せたいという思いから自刃を選んだ猪熊の生き方がすなわち柔道というならば、老残をさらした木村の生き方もまた柔道であろう。
    あそこまでの高みに登った男を評することは、誰にもできないのだ。

  • 歴史にたらればはないが、力道山にあんな負け方をしなかったらどういう後世になっていただろう。プロ柔道をはじめた時点でいちど踏み外しているし、木村の人格には大きな心と、間違いなく令和の時代だったらあっという間に干される酷い悪童が同居している。それでも彼がしてきた信じられないほどの努力と、自身の驕りとも取れる一時の気の緩みがあの悲惨な敗北を招いたことをおもうと、深く同情せずにはいられないのはやはり増田氏の文章によるところも大きいのだろうが、木村政彦という人の天性の魅力なのだろう。

  •  総合格闘技発祥の地ブラジル。下巻はそのブラジルへの木村政彦の進出で幕を開ける。ブラジリアン柔術の三角締めは実は日本の高専柔道が起源であるという興味深い事実が上巻の末尾で語られているが、そのブラジリアン柔術の担い手であり現在でも活躍するグレイシー一族のエリオ・グレイシーが、ブラジルでも無敵の木村に挑戦状を叩きつける。最初は相手にしていなかった木村も、実力者加藤幸夫がエリオに絞め落とされるに至って重い腰を上げる。日本が戦争に勝ったのか負けたのかで大論争が起こっている敵地ブラジルのマラカナンスタジアムで、大勢のブラジル人と少数の日系人が見守る中、木村はエリオ・グレイシーの腕をへし折って勝利する。木村の世界最強が証明された瞬間である。
     ここで物語の舞台は日本に移り力道山が登場する。朝鮮人の力道山は日本の相撲部屋にスカウトされ大相撲にデビューするが、病気を機に負けがこみ始め、番付が上がらないのを民族差別ととらえて力士を廃業し、日本では黎明期のプロレスに転向する。アメリカ(ハワイ)での修行中に木村政彦とのファーストコンタクトがあったらしい。そのアメリカでも無敵だった木村は日本に帰国し力道山とタッグを組むことになるが、弱い木村を力道山が救うという台本に則って進行する試合で木村は完全に負け役を演じさせられ、その不満が「真剣勝負なら負けない」という発言につながり、「昭和の巌流島」決戦へと二人を導いてゆく。
     自分は格闘技の素人であり何も言う資格はないことは承知の上で、著者が触れていないことをあえて二点指摘してみたい。
     一つ目はもちろん「なぜ木村政彦は力道山に負けたのか」ということについてである。
    「いや木村は負けてはいない」と筆者は言いたかったのだろうし、その想いは何よりも本書のタイトルが代弁している。「木村政彦はなぜ力道山に負けたのか」ではなく「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」というタイトルにあえてしたのは「負けた」という言葉を使いたくなったからだろう。「負けた」と認めたくなかったからだろう。
     確かに力道山は卑劣であり、あの闘いはアンフェアだったと思う。木村だけに念書を書かせ、序盤はプロレスのように見せかけて木村を疲れさせ、突然リング上で約束を破って木村を叩き潰した。プロレスでもなく真剣勝負でもない、だまし討ち以外の何物でもない試合だった。
     だからこそ著者は言う。最初から真剣勝負だと分かっていれば、木村は負けるはずがなかったと。柔道関係者をはじめ木村の信奉者そして多くの読者もそう思っているだろう。
     しかし個人的に気になる点が一つある。
     試合が決まってから当日までの約一ヶ月のあいだ、木村はなぜろくに練習もせず、前日には大酒を飲んで二日酔いで試合に臨むという失態を演じたのか。
    「試合は真剣勝負でなくプロレスであり、結果は決まっていると木村は思っていたからだ」という反論があるかも知れない。しかし著者自身も書いているとおり、試合前から二人のあいだにはきな臭い匂いが漂っており、木村もその匂いに気づいていたはずだろう。まして相手は念書を渡そうとしないのだ。何が起こるか分からないと警戒するのが当然ではないだろうか。
     それを「油断」という言葉で片付けるのは簡単だ。しかし思い切って言わせてもらえば、そこには木村の「不安」もしくは「怯え」があったのではないだろうか。すなわち真剣に闘ったとしても勝てないかも知れないという一抹の不安が。
    「真剣に闘ったとしても木村は勝てなかった」と言っているのではない。「勝てないかも知れない」と、だれよりも木村自身が怯えていたのではないかと思うのだ。そしてその怯えは、あまり指摘されていないが二人の年齢差に起因するものだったのではないか。
     決戦のとき木村は三十七歳、力道山は三十歳であった。七歳という年齢差は決して小さくはない。少なくとも三十七歳の木村がすでにピークを過ぎていたことは明らかだろう。エリオ・グレイシーとの死闘からも三年が経過している。そして何よりもプロレスのリングでは柔道着を着ることができない。
     その不安、怯えが、鬼の木村をして練習に向かわせるのではなく、現実からの逃避を選択させたということは考えられないだろうか。「練習していれば、酒を飲んでいなければ勝てたのだ」という言い訳を用意しておくという逃げ道を。
     おそらく大ブーイングが起こっていると思うので、それを静めるためにも二番目の指摘に移りたい。
    「昭和の巌流島」決戦で力道山に敗れた木村は、表舞台から姿を消した。その後の二人の人生は明暗を分けることになる。実際のところ力道山の名前はだれでも知っているが、木村政彦の名前はだれも知らない。
     しかしそれは「昭和の巌流島」決戦で木村が力道山に負けたからではないと思う。
     こと知名度に関していえば、木村は力道山に負けたのではなく、テレビに負けただけなのではないか。
     日本のプロレス黎明期とテレビの黎明期は見事に重なる。テレビの普及と共に見世物としてのプロレスは大人気を博し、力道山は国民的ヒーローとなる。一方木村政彦の全盛期にはテレビなどというものはなかった。柔道家としての木村政彦の現役時代の動画は一枚も残っていない。
     どれほど強かったとしても、その勇姿を見ることができなければ、国民的ヒーローとしての記憶は刻印されづらい。木村政彦は世界最強だったと思うが、その実体は活字による記録というあまりにも実感しづらい泥濘の下に埋もれてしまっている。
     力道山との知名度の違いは、結局のところそこに尽きるのではないだろうか。もしも木村の全盛時代にすでにテレビが普及していたならば、たとえあの試合で木村が敗れていたとしても、全く違う評価が下っていたはずである。
     それゆえこの大著の末尾にひっそりと明かされる、木村政彦の愛弟子岩釣兼生の、だれにも知られていないエピソードは感動的であると同時に象徴的である。木村政彦は一般大衆には縁のない孤高の王者であった。その木村を歴史の泥濘から救い出し、この途方もない大著を木村への情熱によって書き上げた著者に拍手を送りたい。

  • 相当分厚い文庫上下巻。
    全然苦にならず、どっぷり惹きつけられ続けるとは。
    それだけ、著者増田俊也さんの筆力の高さと正当な評価がされていないことに対する怒り、「鬼の木村」の人生の数奇さ、彼の人間的魅力が相当なものだったということ。
    上巻の最初に「あ、ついでに触れとくけど」くらいにさらっと、関係者が割腹自殺、とあるのに度肝を抜かれた。なんて世界。
    解説にも書かれていたように、私も著者の増田さんに感謝をせずにはいられない。「木村政彦」を知ることができてよかった。知らないまま逝くことがなくてよかった、と心から思える。
    格闘技は嫌いじゃないけどマニアほど詳しくない自分にとって、なんとなく知っている桜庭和志さんのアレのアレがアレで、とグレイシー柔術からの木村政彦ハンパねえっぷりが伝わる妙な感じは、読み手によって違うんだろうなと思う。
    柔道を始め、格闘技がそれまでと違って見えてくるはずの一冊。というか上下巻。
    木村の前に木村なく、木村の後に木村なし。
    鬼の木村を私は忘れない。

  • 面白さ文句なし。
    したたに抜かりなく生きた人間に興味は覚えない。
    迷い、挫折し、それでも生き抜いた人間に引かれる。
    最強の男が屈辱に塗れた半生を送ったことに悲しみを覚えずにいられない。木村は最強だった。間違いない。

  • なげええええ長かった!上下巻合わせて1,150ページに増田俊也の書きたい事が全部詰まってたわ。力道山戦はプロレスだと油断してるところに不意打ちの打撃食らって破れたって事なんだけど、真剣勝負だったとしても負けてたかもって書いてるのは勇気あるな。木村政彦、力道山と半生を追いかけるのはいいけど、大山倍達については章を割く必要あったか?大山は途中で木村に関わらなくなるし、別にいらなかっただろ、書きたかっただけだろ、ついでに同時代の空手の巨星を盛り込みたかっただけだろ???まあしかし読み応えあったし、著者の柔道や格闘技に対する愛は凄まじい。ラストに紹介された、岩釣兼生が地下バーリトゥード王者だったってエピソード、面白すぎだろ。刃牙かよ喧嘩稼業かよ。

  • 最近読んだ本の中で一番怖かった。
    大半が、力道山に負けた人としか理解していない「木村政彦」というヒーロー。とんでもない功績を持つヒーローが消えていき、しかもそれがノンフィクションであるという昭和の怖さ。闇すぎる。
    この本を読んで、しばらく立ち直れないほどに脳がもやもやしてる。

  • 歴史にもしは無いが、あの時もしこうならと筆者のやるせない思いや悔しさが作品全体に漂っている。なぜ殺さなかったのか。人間らしさ、自分を愛する人がいる環境が理由の一つであると思う。強い一面も弱い一面も筆者は認めていて彼に対して正直に向き合いたいという姿勢がこの作品の価値全てであると言っても過言ではない。

  • グレーシー一族が最も尊敬する格闘家と発言し、史上最強の柔道家と言われた木村政彦の人生を詳細に取材したノンフィクション。力道山に無惨に敗れた柔道家という印象しかなかったが、それは全く違っていた。勝つ、強くなることに全てを捧げ、尋常じゃない努力を積み重ねる。スポーツとしての柔道、ルールありきではなく、今で言うなんでもありの武道しての柔道を極める。それ以外のことは全く無頓着。戦争にも翻弄される。強くなることだけに真っ直ぐに純粋に取り組んできたことが、力道山戦の敗北につながる。ただ、木村にも驕り、慢心、思い上がりがあり、無条件に支持することもできない。のちにプロ格闘家が指摘するように、力道山の反則やシナリオ破りがあったにせよ、破れるべくして破れたのだ。また、この敗戦につながる背景としての柔道界やプロレス界の闇、当時の社会の闇にまで切り込んだ取材により、試合の状況、その後の経過まで腹落ちできる。とても重たいが、とてもおもしろい小説だった。

  • 下巻はいよいよ「昭和の巌流島」決戦。力道山、大山倍達ら昭和の歴史を彩る格闘家たちについて語られ、山場を迎えます。時代に翻弄されながら、それぞれの道を歩む格闘家たちの動向から目が離せなくなります。木村政彦の浮き沈みに一喜一憂しながら、伝説の人物の晩年に心をとらわれました。戦後の高度経済成長とメディアの普及の歴史とともに歩んだ本当の男たちの記録が、私の記憶にしっかりと刻まれました。

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著者プロフィール

1965年生まれ。小説家。北海道大学中退後、新聞記者になり、 第5回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞して2007 年『シャトゥーン ヒグマの森』(宝島社)でデビュー。2012年、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮社)で第43回 大宅壮一ノンフィクション賞と第11回新潮ドキュメント賞をダブル 受賞。他の著書に『七帝柔道記』(KADOKAWA)、『木村政彦 外伝』(イースト・プレス)、『北海タイムス物語』(新潮社) などがある。

「2022年 『猿と人間』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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