ヤノマミ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 586
レビュー : 57
  • Amazon.co.jp ・本 (375ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101281919

作品紹介・あらすじ

150日間、僕たちは深い森の中で、ひたすら耳を澄ました――。広大なアマゾンで、今なお原初の暮らしを営むヤノマミ族。目が眩むほどの蝶が群れ、毒蛇が潜み、夜は漆黒の闇に包まれる森で、ともに暮らした著者が見たものは……。出産直後、母親たったひとりに委ねられる赤子の生死、死後は虫になるという死生観。人知を超えた精神世界に肉薄した、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

感想・レビュー・書評

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  • アマゾンの奥地で暮らす民族ヤノマミ。1万年前から変わらない生活を続けていると言われている彼らと150日生活を共にして、その生活をテレビカメラに収めた副産物の本です。
    強烈な本で、よくあるいい話のような異文化交流ではありません。所謂善悪のような物では仕分けする事が出来ないような事が沢山出てきます。命の在り方が我々とは違う為に、それを受け止めようとした国分氏が、神的に変調を来してしまうような衝撃があります。
    どんな事があるのかは是非読んで確かめて頂きたいですが、情愛というものの前に、生きていく為に切り捨てて行かなければならない事。これは日本でも昔似たような事が絶対に有ったと思います。
    そして、急速に文明社会に取り込まれて行ってしまう民族たちの中で、彼らは従来の生活を堅持しようとしています。そんな中に入って彼らの事を記録するが故に、彼らを文明に近寄らせてしまうジレンマもあります。
    特に若者は便利で享楽的な方を選ぶに決まっているので、早晩彼らの世界観も資本主義に染め上げられていく事でしょう。
    もうこの本の中の彼らは存在しないんだろうなと思うと、非常にやりきれない想いで一杯です。
    とても素晴らしい本で、人間って何だろうと考えこんでしまいました。

  • ――――森に産まれ、森を食べ、森に食べられる

    以前NHKで放送されたドキュメンタリーを今でもよく覚えている。
    わたしにはとても衝撃的なもので、正直鑑賞後どのように理解すればいいのか戸惑った。
    「ヤノマミ」はブラジルとベネズエラにちょうどまたがる地域に住んでいるそう。食料はほぼ狩猟と採集で調達しており、古くからの生活を今も続けているひとたちだ。ヤノマミとしてひとつのグループとなっているのではなく、小さな集団が100以上もあり内紛状態にあるらしい。
    この作品はそのヤノマミのひとつの集団に180日ほど断続的に滞在したドキュメンタリーだ。できるだけ個人的な感情を挟まず、淡々と出来事が書かれている。

    この冒頭に書いた「森に産まれ、森を食べ、森に食べられる」というのはNHKのなかで出てきた言葉で、彼らの人生を現している。特に「森に食べられる」というのは穏やかではない。これは出産したときに母親に突きつけられる選択に関わる。出産したとき、へその緒がまだ付いた赤子はまだ人間ではない。母親はこのへその緒の処理をして「人間」にするか、それとも「精霊」として森に返すかを決断しなければならない。母親にしか決定権はない。食料のこと、家族のこと、いろんなことを考えてそれを決める。もし決めたらだれもその意志を覆すことができない。…そしてもし、「精霊」に返すとなったら、彼女はそっと、まだ人間になっていない子供をバナナの葉で包み、シロアリの巣に置く。シロアリが食べつくしたころ、そのシロアリの巣を焼くのだ。衝撃。わたしにはその風習自体を理解できない。でも理解できないといって、否定もできない。ドキュメンタリーで観たとき、悲しくはないのか、と疑問だった。この本のなかにもある。ある日子供を精霊に返した女が(男勝りでめったに泣かないような女性だったのに)泣いていたという。シロアリの巣を焼くときも、涙をこぼしていた。悲しくないわけがないよね…。

    感情としては納得できないのだけど、文化というものはそういうものなのだなあと別の意味では納得した。外から見ていくらそれが許せなくても、そのひとたちにとってみればそんなのは「押し付け」だろう。未開の地や野蛮…などという言葉はどうしても陳腐だ。いくら切なくても、納得できなくても、「それが文化だ」という理解はできる。かつて幕末の昔、野蛮だと日本人も思われていた、というのを考えると「野蛮」という言葉は使いたくない。そういう人たちがいる、とそれだけでいい。

    ちょっと、正直、本当にショックだったのはもう仕様がない。

    ただこの本を読んでいると、圧倒的な生命力にびっくりする。美しいとさえ思う。力強いひとたち。

    • mkt99さん
      こんにちは。

      テレビもこの本も未見ですが、渾身の力をこめたブリジットさんのこのレビューは素敵ですね!
      森に生きる「ヤノマミ」のあり方...
      こんにちは。

      テレビもこの本も未見ですが、渾身の力をこめたブリジットさんのこのレビューは素敵ですね!
      森に生きる「ヤノマミ」のあり方が、切実に伝わってきました。
      2013/11/26
    • ブリジットさん
      こんにちは!

      完全に夜中の勢いで書いたので、今読むと熱いですね…。笑
      色んな文化があるのだとは分かっていても、なかなかに衝撃的でした...
      こんにちは!

      完全に夜中の勢いで書いたので、今読むと熱いですね…。笑
      色んな文化があるのだとは分かっていても、なかなかに衝撃的でした。15やそこらで出産し、命を決断するということの厳しさ…。
      わたしの衝撃が少しでもお伝えできていたなら、意を決してレビューを書いた甲斐がありました。ありがとうございます。
      2013/11/26
  • ブラジル森林地帯の先住民、ヤノマミ。彼らと暮らした150日間。これは心の内奥を抉ってくる良書であり怪書です。2009年にテレビで放送された番組の文庫化とのこと。ノンフィクション、ドキュメンタリー系の本は普段読まないゆえに面食らった感もあります。終わらない思索と焦燥感。
    私たちが当然であるとして疑わないもの、常識と呼ばれているものが、常識ではないということを追体験せざるを得ません。科学や経済、法規や倫理、統治や民権といった観念は人工物に他ならないのだと気づかされます。そんなものはなかった。死生観も違う。ものさしも違う。むき出しの生と死があり、善悪という尺度もまた括弧に入れられる。生き物がいて、精霊がいる。

    一万年前からほぼ変わらぬ狩猟採集生活を営む彼らと、ほんの数十年前まで「殺し合い」をしていた私たち日本人。文明人とは過度に着飾った非文明人を意味するのでしょう。
    特に、新生児を人間にするか「天に返す」かの大決断をその都度迫られているヤノマミの女性の風習は筆舌に尽くし難いものがあった。私たちの度量衡に当てはまらない知がそこにはあるように感じられます。

    http://cheapeer.wordpress.com/2013/11/14/131114/

  • 今まで読んだノンフィクション本の中でもベスト5には入る良作。読み進めながら、読み終わった後、色々なことを考えさせられた。
    我々の現代社会とは、物、生き方、考え方、死生観などありとあらゆるものがあまりにも違いすぎる。母親が堕胎することすら何ら「悪」ではない。
    しかし、そもそも今ある善悪とは誰が決めたのか?それは本当に正しいのか?そもそも正しいって何だ?とすべてが分からなくなる。人間の文化、進歩は果たして「良い」ものだったのか?それすらも疑ってしまう。
    作者が中立的な書き振りだからこそ、読む人によって感じることも違うと思う。価値観を押し付けない書き振りも非常に好感が持てる。どちらが良い悪いではない。
    ただ、「知る」ということは、経験値が増え、夢が広がる「幸せ」のスタートでもあり、同時に「不幸」につながる道なのかもしれない。そんなことを少し考えさせられた。

  • ここ数年、小説・ノンフィクション・ドラマ・漫画・アニメに関わらず、自分の価値観(善悪とか幸せの形とか)を揺さぶられる作品を観ることが楽しいと感じるのだけれど、この本もその一つ。

    ■内容
     数年前NHKスペシャルで放送された、ブラジルとベネズエラ国境のジャングル奥地に住む原始的な生活を保ち続けている、ヤノマミという民族を密着取材したTVドキュメンタリーを書籍化したもの。
     出産後に母親が産んだ子供を森に返すという風習や、文明が徐々に伝わって部族の文化が消えつつある状況を通し、何が正しくて何が間違っているとかの答えが無い問題は世の中にいっぱいあるんだということを教えてくれる。この本によると、「人間が解決できない問題を提示することこそドキュメンタリー」とのこと。

    ■感想1:出産の風習について
     本の前半は、狩りや畑で自給自足する小さな村の部族の生活の描写で、浮気が奥さんに見つかって追い出される夫とか、駆け落ちに失敗した少女とか、都会にあこがれる若者とか、文化が違っても、人間の本質的なところは僕らの社会と変わらないんだなあと感じさせられる、ほのぼのとした内容。

     でも中盤以降、我々との絶対的な価値観の違いを思い知らされて衝撃を受ける。それは、彼らが常に死と隣り合わせに生きていることから来る「死生観」の違い。

     そして、特にTV放映時も問題作として議論の対象となったのが、出産後の風習。彼らの風習では、生まれたばかりの子供はまだ人間ではなく精霊であり、母親が出産後の数時間で、人間として育てるか、精霊として森に返すかを決断する。ここで言う「森に返す」とは、具体的には白アリの巣に赤ん坊を生きたまま入れて白アリに食わせて、最後は巣ごと燃やすという儀式のこと。外の世界では残酷な殺人である。しかし、彼らは何千年もその風習で、生まれすぎた子供を減らす人口調整をしてきたのだ。はっきりとそれが目的だとは誰も言わないけど。
     著者ら(TVディレクター)は、その光景を目の当たりにしてショックを受ける。そこでは、外の世界の常識が全く通用しない価値観が存在し、著者たちこそが非常識で異質な存在だったのだ。

     僕がこれを読んで感じたのは、21世紀の現代でも世界の中にはこれだけ価値観の異なる民族がいて、そちらの世界に行くと善悪の判断が逆転するということを知ることで、自分の今持っている価値観も本当は現代日本の狭い世界でしか通用しないことなんじゃないか、という視点を持つことが出来るのではないかということ。そうすると、これまで培ってきた自分の価値観を変えることは出来ないにしても、異なる価値観を持つ人たちに対する許容範囲を広くすることができるのではないかと思う。

    ■感想2:文明について
     ヤノマミたち部族の住む地域は、ブラジル政府に先住民保護区に指定されている。彼らに接触できる文明人は、医療団などの限られた者たちだけだが、文明は徐々に伝わりつつあるらしい。最初は言語・薬・ナイフ・下着などから、そして最近ではお金・サッカーボール・ラジカセ・DVDプレイヤーなども手に入れている。文明を一度知ってしまったら、好奇心や欲望を止めることはできないのだ。特に若者たちにとっては。
     政府の使節団が、先住民保護区を存続させるかどうか調査しに来た時、文明の臭いのする物や、著者ら取材班をあわてて隠そうとしたというエピソードには、笑ってしまうような物悲しいような、複雑な感情を持ってしまう。
     あと数十年以内には、彼らも文明に取り込まれ、今の文化風習も消えていかざるを得ないのだろう。そしてそれは、誰にも止められないし、止める権利など誰にも無いことなのだと思う。

  • ブラジルとベネズエラ国境周辺の「緑の悪魔」アマゾンの密林に居住する先住民ヤノマミの人びとと約150日間、生活をともにして調査にあたったノンフィクションです。中盤まではヤノマミの特徴的な生活を描き、終盤は文明に触れた彼らがどう変わりつつあるかを伝えてくれます。

    ヤノマミたちの生活のなかでもっとも目を見張らされた風習はやはり、「精霊として生まれてきた子供は、母親に抱きあげられることによって初めて人間となる」ところで、善悪ではない彼らの生き方が凝縮されているように見受けられます。

    そして筆者が取材して生活をともにした「ワトリキ」の村については、彼らの長であり村の創始者であるシャボリ・バタの存在の大きさが印象的です。シャボリ・バタという一個人があったからこそ文明からも適度な距離を取ることができ、「ワトリキ」という共同体が繁栄したことは間違いなさそうです。彼の半生は筆者が取材中に読む『百年の孤独』の物語をも想起させます。シャボリ・バタなしでは彼らと同居するこのような取材自体がありえなかったのではないでしょうか。

    ヤノマミを含めた先住民が文明と出会うことで引き起こされる変貌を通して、豊かさや安全や便利さと引きかえに私たち失くしたものが何だったのかを垣間見せてくれます。ここには漫画家・水木しげるが戦地ニューギニアで出会い、親しみを込めて「土人」と呼んだ人びとの暮らしとも重なるところがあります。水木氏は彼らの生活こそ本来の人間の生き方であると述べていました。

    著者自身が語る通り、仮にこれ以降に彼らを再訪しても従来のヤマノミたちの生活が残っているかの保障はなく、この取材は結果として、ヤノマミが文明に取り込まれてしまう直前のわずかな期間に、いろいろな偶然が重なって残すことができた比類ない貴重な記録となるのかもしれません。

    本書を読むことで、謙虚に取材にあたった著者の国分氏を通してヤノマミたちの「アハフーアハフー」という朗らかな笑い声が、あたかも自分で聴いたもののように響きます。

  • 『ピダハン』や『密林の語り部』は読んでいたのだが、これはテレビディレクターが書いた本なので、ちょっと面白半分みたいなところがあるのではないかと読まずにいたのだが、『シャガクに訊け!』に出てきたので読んでみた。
    『密林の語り部』は小説だし、『ピダハン』はキリスト教伝導師(で言語学者)が書いた本だが、これは日本人が書いているだけに、よりわかりやすく、心に迫るものがあった。
    映像でも本でも一番話題になったのは、生まれてすぐの赤ん坊は精霊であり、人間の子どもとして育てるか、精霊の世界に返すか(嬰児殺し)は母親の一存で決める、というところだが、読む前は、医療や福祉のない社会だから、障害があったり、小さすぎる子どもや仮死状態の子どもを殺すのではないかと思っていた。が、読んでみるとそればかりとは言えない。
    父親の役割は狩りをして家族を食わせることだが、父親が分からない子どもだと、その子を育てる負担は祖父にかかってくる。過酷な狩猟生活で、潤沢に食糧があるわけではないから、一人の子どもを育てるのも大変だ。祖父であれば、若い父親ほど狩りの成果があるわけではなく、娘は家族の状況を考えて決断するという面もある。
    精霊の世界に返すと言っても、誰からも責められなくても、産んだ女は苦しむ。本当は育てたかっただろう。愛情を注ぎたかっただろう。しかし、家族全員を飢えさせることはできない。
    この行為で村の人口調節が行われていることを考えると、避妊や堕胎の方がまだ良いのではないかと思うが、それをすれば彼らの宗教や伝統が否定されてしまう。安易に私たちが善悪を決めることはできない。
    シャボリ・バタと呼ばれるシャーマンの老人の体が衰え、彼が「私の精霊が死んでしまった!」と悲痛な叫びを上げるとき、読者も「精霊」が彼の中に確かにいたのだと感じる。
    それだけにポルトガル語を学んだ若い世代が、ブラジルの文化に馴染み、医療に助けられれば、彼らの中の精霊は消えていくだろう。
    私たちもかつてはそうだったろう。弱い者は死に、怪我や病に斃れれば、生死は運命に任される。それは日常であり、そこで長いあいだ悲嘆に暮れるわけにはいかなかっただろう。働かなければ食べられなかったのだから。
    科学や医療や福祉など、私たちがあって当然と思っているものも、人間の歴史の中では最近できたものであり、今ではそれ無しには生きていけないが、じゃあ無い頃より幸福になったかと訊かれれば、即答はできない。
    この本で書かれたヤノマミの人々の足るを知り、日常の些事に喜びを見出す日常が、幸せではないとは決して言えないように。
    著者の思いもまさにそこにあると思う。もしかしたら、この本に書かれているような生活をしている人々はもういないのかもしれない。
    しかし、学者でもなく政治家でもない、心を痛める普通の人である著者がこの本を書き残したことには大きな意味があると思う。

  • 非常に興味深い世界。
    自分の日常と掛け離れすぎていて、もはやファンタジーのような気さえするけど、日本の裏側に実在してる。

    毎日が単調であまりにも何も起こらないから、同じような日常が描かれている小説とか映画に、あまり刺激を覚えなくなってきてる。もちろん、おもしろい作品はたくさんあるし、そのほとんどは非日常なんだけど、なんというか、少し想像がつくというか。
    フィクションより、ノンフィクションの方がよっぽど刺激的で、想像を掻き立てられるし非日常を体験できる。
    こういう見方はよくないのかもしれないけど、すごくおもしろかった。

  • 雪で外出を諦めたのでその隙に読了。
    ヤノマミ部族を取材した150日間にわたる同居の記録。

    文字の文化がないので同じ会話を幾度も繰り返して記憶する、出産をした女はその場で子供を森に返す(絞殺する)か人間として育てるため連れ帰るか選び、命の決断は女が絶対的に握っており男は介入できない、など。

    閉じられた文化に文明が入り記録するのは賛否両論あろうが、確実に失われていくものを記録しておくのは必要なのではないかと強く思う。

    それも知識欲のエゴなのだろうか。

  • 闇と密林と我。そういうものを想像しながら、夢中になって読んだ。ひょっとして自分の前世は密林に住む部族だったんじゃないか?と思うほどに惹き込まれた世界だった。
    ただそれは、外から見たものだったからなのだけれど。

    150日間、ヤノマミというブラジルの先住民族と一緒に生活をした潜入取材の記録である。潜入取材は、NHKのドキュメンタリー「ヤノマミ ~奥アマゾン 原初の森に生きる~」として結実している。私はその番組を見ていない。
    見たい、と思う反面、先に本を読んでしまった衝撃から、これを映像として受け入れることが出来るか?という疑問が湧く。恐怖かもしれない。価値観が壊されることへの恐怖、かもしれない。それはとても怖いことなので、私はこの番組を見ることはないだろうと思う。

    潜入取材の様子は淡々と描かれ、一度もアマゾンなどみたことのないこの身に置いても、筆者の筆を追って、絶望的にも思える深い森と、闇と、「アハフー」と笑うひとびとを想像する。筆者がそうであるように、読者である私も、最大限の理解と努力を以って、彼らの存在と価値観を尊重しようと試みる。ヤノマミはナプ(部外者)を受け入れない。それはそうであろうと思う反面、歯がゆく、苛々もする。しかしやはり、それはそうであろう、と思う。受け入れればどうなるのか?ネイティブアメリカンが証明しているではないか。

    ヤノマミの価値観は興味深い。生きていけるだけの獲物を狩り、余分には狩らない。生きていけるだけの働きをし、余分には働かない。性に対しては比較的開放的だが、制裁や諍いもある。独自の言語。ナプに対する態度。精霊が統べる世界。ホトカラ。
    精霊はいるのだと思う。それは、日本に八百万の神が存在するような感覚で、私はそう思っているのだけれど、ヤノマミの世界でも、精霊の役割が終焉を迎える時が来るのかもしれない。
    後半は、そんな不安感に駆られる描写が続く。

    前半の描写より、アマゾンの深い森の中に生きる人々を想像し、思い描き、分かったつもりになって、親しみさえ覚えた。自分がアマゾンを駆け巡ったような気になり、NHKのドキュメンタリーをぜひ見てみたいと思った。

    私は、母親が、たった一人で新生児を人間として育てるか、精霊としてホトカラに返すのか、という選択をするということを、なんとなくふわっと受け入れた。それが酷いこと、とか、許せないこと、とは思わなかった。それが必要であるのならば、そうするしかないと思ったからだ。私がもし生まれながらにその環境にいたとしたら、当然のようにその選択をしたのであろうと思ったからだ。・・・?現代の価値観に置いてそれは罪であるというのならば、人工中絶はどうなるだろう?結局一緒のことではないか?育てられないから天へ返すのだ。経済的な理由からかもしれない、障害の有無なのかもしれない。同じことではないか・・・?ただそれを、どの時期に、誰が行うのかという違いだけで。・・・。
    ただ、ヤノマミによるこの選別が、過去よりも現在に近づく方が増えている、という描写が酷く気になった。
    過去からずっとこの選別が行われているのだとしたら、明らかに生きていけないと分かる障害を持ったものが、天へ還されることはあったのだろう、と思う。しかしそれとはまた別に、保健所が出来、望めば新生児に栄養剤を与えることが出来るようになって、死亡率が減ったから堕胎が増えた、というのが本当ならば(限りなく本当に思える)、なぜそんな片手落ちの支援をするのか、と思う。新生児の死亡率を下げるつもりがあるのならば、避妊も教えるべきである。そうでないのならば、闇雲に嬰児の殺害を増やしているのは現代社会ということになる。
    私にはそのことがとても気になった。
    もちろん、母親が嬰児を精霊に還す、ということに衝撃がなかったわけではない。筆者が現代社会に戻ってからも自分を取り戻すことが出来ないほどに衝撃を受けた現実だ。私の想像力は、深入りすることを拒んでいる。私はこの事実に耐えきれないだろうからだ。森で生きていくということは、命と命のやりとりなのだと、とても引いた視点から傍観するよりほかにない。

    後半の描写で一番恐ろしかったのは、実はこの堕胎のことではなかった。(この件に関しては意思が想像と考察を拒んだからだが。)それは、現代社会の手が、彼らを変えてしまう、ということだった。
    ずっと本書を読んできて、私はヤノマミをとても大切に思っていた。それは筆者がそういう立場だったからだと思うし、自分も客人として彼らのテリトリーに入れてもらっているのだという意識があったからだ。だが、ブラジルの社会は違う。彼らは先住民など意識してはいないし、あまつさえ、現代社会よりも下等な存在として認識しているのである。考えればわかることなのかもしれなかったが、まるで違う世界のこととして受け入れていた私には、そのことは全く思いもつかないことだった。
    もし、富士の樹海に未開発の人々が住んでいたらどうだろう?我々の社会はそれらの文化を尊重し、それらと共存して生きていく術を模索するだろうか?そもそも日本ではあまり考えにくい案件だ。
    ワトリキの人々の生活を丸ごと是として受け入れていた私は、現代社会の文化が彼らの中に沁み込んでいくことが、良いことには思えなかった。じわりじわりと毒が沁み込んでいくように思えてならなかった。
    もしかしたら、言葉を覚え、学を身につけることは、死ななくてもよかった人を生かすことにつながるかもしれないし(実際そうであろう)、しなくてもよい困難を解消することに繋がるのかもしれない。でもその時、ワトリキは、ヤノマミはもう死んでいるのだ。シャボリ・バタの力が弱まり、精霊が姿を見せなくなろうとしているように、ゆっくりと、ワトリキの生活は変わってゆき、精霊は死に、いずれヤノマミ自身が死んでしまうのだろうと、そんな昏い未来しか思い描けなかった。
    ヤノマミがヤノマミで存在することを望むのは、実は現代社会のエゴなのかもしれない。しかし、彼らがそれを望むのであれば、それは尊重していくべきだと思うのだ。
    けれど、現代社会の道具は、利便性は、中毒性があり、一度手に入れてしまえば、もう戻ることは出来ない。
    一日中スマホを手に過ごしている自分なんかが、ヤノマミの未来に何の提言が出来ると言うだろう?

    彼らの生活はどこまで維持されるだろうか。
    そしてそれは、どうなるのが正しい姿なのだろうか。

    イゾラドという人々がいるという。
    ヤノマミよりもさらに現代社会から隔絶された世界。
    もしかしたら、そこが唯一の、人間の手の及ばない原初の楽園なのかもしれない。

    ヤノマミを読んでから、マサイ族の本を読んだ。
    ヤノマミの世界にどっぷりつかっていた私は、マサイの現代社会への近さに驚いた。そして、ヤノマミがどれだけ特殊な環境であったかを、初めて認識したのである。

    価値観について考える。
    どの世界においても、他人の価値観を冒すことは出来ない。けれどもそのことを私はすぐに忘れてしまう。
    他人との価値観の齟齬に苦しむとき、そっとこの原初の森の人々を思い浮かべる。人を形作る価値観というものを、思い出すことが出来るかもしれない。

    「アハフー」という不思議な笑い声と、深い森と闇が、私の中にいつまでも木霊する。

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著者プロフィール

国分拓(こくぶん ひろむ)
1965(昭和40)年宮城県生れ。1988年早稲田大学法学部卒業。NHKディレクター。著書『ヤノマミ』で2010年石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞、2011年大宅壮一ノンフィクション賞受賞。

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