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Amazon.co.jp ・本 (192ページ) / ISBN・EAN: 9784101289540
作品紹介・あらすじ
死に至る病に冒されたものの、奇跡的に一命を取り留めた男。生きる意味を見出せず、全ての生を憎悪しその悪意に飲み込まれ、ついに親友を殺害してしまう。だが人殺しでありながらもそれを苦悩しない人間の屑として生きることを決意する――。人はなぜ人を殺してはいけないのか。若き芥川賞・大江健三郎賞受賞作家が究極のテーマに向き合った問題作。
感想・レビュー・書評
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主人公が体感した悪意というもの
その性質を何とか把握したいという手記をつづった物語
主人公は難病を患い、絶望が憎悪を育て、悪というものに吸い込まれ飲み込まれていき、親友を殺してしまう
キラキラ小説の間に挟んで読むとあまりの陰鬱さにへこむけど
悪とか悪意とか殺人とかテーマは重圧なんだけどページをめくる手が止められない
ミステリーではないのにグイグイ引き込まれて
後半の展開ではスピードが増して手に汗を握った
緊迫した空気をずっと感じながら読んでた
悪意に全て染まるかと思ったけど
そうとも限らない
後半の展開が良き詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
逆説的ではあったけれど、真摯に命の重さや尊さを説いた秀作だと思う。
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人を殺してはいけないのはなぜかというテーマを作者がじっくりと丁寧に考えて執筆したことがよく伝わる。一つ一つの言葉に真実味があって入り込めた。この作者の文章は好きだなと改めて思った。
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最近、中村さんの本を読んでいない事に気付き、読み逃していたこちらを拝読。
ご本人もあとがきで書かれていましたが、中村さんがよくテーマにされている「悪」というモノにどっぷりと浸かれます。
なので、気分が落ち込んでいる時には読むのを控えられた方が宜しいかと思います。
読書、たのしー!ひゃっほー!のテンションで読み始めた私ですら、引き摺られそうになりました。
流石だなあ…。 -
少年と青年の狭間の衝動を突き詰めた作品。命あるものを殺める衝動の仮説は迷妄とした感情を順序立てながら表現する心理描写で数学の証明問題を解説しているような感じを受けた。手記の形をとった青年の独白にはリアリティがある。何かよからぬことに手を染めた経験があるのではと思わせる表現力は相当な体力と想像力を働かせていたに違いない。
不道徳に相当する行為の原理のあらゆるものが、不安・恐怖・絶望 →弱さ・甘え→虚無→狂気→破壊・自壊
という心理の順で成立してるかもしれないと読書後半から何度も思った。
不安や恐怖を感じて急には気が狂ったりはしない。理性や共感性が必ず反応する。ただ正しく作用しているはずの理性や共感性が現実に負けてしまう時がある。あるいは解決できないと萎えてしまうときがある。自分の弱さに気づき甘えてしまう。実際の現実は毎日がその連続だ。
そして楽になるためにはと魔が刺す瞬間がある...。
殺人をしてしまう悪意がどう生まれて、どう付き合うかがこの小説のテーマだが、悪意の頂点を殺人だとして、それより小さな悪意の発生まで範囲を広げて考えてみると自分にも思いあたることが多くてゾッとする。
自分たちは小さな悪意がデフォルトな世界で生きている。そんなことを思わされた読書でした。 -
中村文則さんの作品を文庫版の出版順で読んだので、これが4冊目になるけど、実際には土の中の子供の方がこれより後に書かれたようだ。銃、遮光、土の中の子供と比べて、悪意の手記の方が個人的に完成度の一番高い作品だ。ページ数的に初めての長編になるかもしれない。とても素晴らしい作品だった。
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人を殺してしまった青年は、常に死と罪に囚われている。死を考えるほど生と向き合うことになり、犯してしまった罪を突きつけられる。死を望みながら生きたがってる。人殺しに相応しいクズ人間として生きることを決意しながら、周りの人の幸せも願う。
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手記の書き手である私は、十五の時、酷い病気をします。八〇%が死に至る、という病でした。私は死の恐怖から逃れるため、生それ自体を否定し、全てのものを憎悪するようになります。しかし、死を覚悟していた状況から、私は助かりました。
その後、私は退院しますが、憎悪が私の中の大切な何かをひねり潰しており、虚無を感じます。死ぬことも考えていました。
そんな頃、私はロープで首を吊って死のうとS公園に行き、なぜか親友だったKに出会います。そして、Kを池の中へ突き落とし、殺してしまいます。
私は“人殺しであるという事実を受入れながらも、それに苦悩しない人間になること(p59)”を目指します。
でも、私は悪魔になりきれず、悩み、苦しみ続けていました。
それでも、どんな自分でも最後まで抱えていくしかないのだと、最後は力をもらえました。 -
殺人罪を犯した人の独房に置いておくべき一冊……というと聞こえは悪いかもしれないけれど、めちゃくちゃ誉めてます。
この人の作品は以前も読んだことがあったけど、読者に対して善悪を問いかける力が尋常じゃないので、頭の弱い自分だと「なんか物凄いものを読んだな…!!」ぐらいの感想しか絞り出せない悲しみ。疲れてるから、という言い訳をさせてくれ。
弱さゆえに誰かの命を奪ってしまった人は、残りの人生をどう生きるべきなのか。そもそも生きることが正しいのかどうか。その答えが気になる人は是非。 -
中村文則が好きな同僚から勧められた。
と言っても、私も10冊くらいは既に読んでいて、好きか嫌いかというと、普通、という作家だった。
今まで読んだ中で一番好きなのは『何もかも憂鬱な夜に』。だから、この『悪意の手記』にも繋がる部分があって、とても良かった。
何より、「悪意の手記」を私たちが読めているという、メタ的だけど、そのことに最後の救いを感じている。
よく、ドキュメンタリーで人が口にする死を覚悟する、というのは瞬間的な言葉なのかもしれないと思った。
継続的に死を見つめようとすると、人は良くも悪くも「どうでもいい」にならなくては、耐えられないのだろうか。
古来、日本人は死を見つめてきたけれど、限りなく透明に「どうでもいい」という無私、無我を目指してきたことと、15歳の「私」が目指した世界との断絶は、同じではなくとも、紙一重と言えないか。
病気が治ったとしても、いつか死ぬことの宿命からは逃れられない。
けれど、彼はきっと生きることをもう一度見つめようとして、だからこそ苦しむことになったのだと、私は考える。
死を受け入れて死んでいくことより。
死を受け入れて生きていくことの、難しさ。
彼がKを喪って尚、Kに親友という冠詞を付け。
自分を心配してくれる周りに、ひたすら頭を下げ。
考え、考え、考え果てて。
そうして手記が尽きる。
救いのない結末だろうか、これは。
円環の物語ではないからこそ、胸に響いた。 -
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大学に通っていた頃、当時俺が悩まされていた家庭の問題だったか、或いは精神状態の話だったか、何かは忘れたが、唐突でくだらない、しかし自分だけが刺されているのではないかというようなテーマで講義が進むことが度々あった。自分の研究成果を嬉々として語る教授には強烈な憤りを覚え、それに喰らいついて意見を述べる熱心な学生には虫唾が走った。一応の健康を取り戻した今、あそこでうまくやれていればというやりきれない思いが毎日波のように押し寄せる。何はともあれ進んでいくしかないのだけれど。この春から大学生になる弟には、悔いのない学生生活を送ってほしい。
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ミステリーに近い純文学という印象を受けた。
主人公の序盤での殺人からの心理的な様子、そして終盤でのそれを抱えてなおも生きて償うという姿勢がなぜだか人間らしく感じた。
少なくとも殺人者という現実は変わっていない。善良である訳が無い。
ただ、暗いだけではなく、少年犯罪というテーマに即した物語だったと思う。
起きてしまった事件に対して本当に償うこと・責任を取ることなど誰にもできないと感じた。
だからこそ、日頃人間が生活する中で小さな殺意が生まれたときにこの話を思い出したい。
手記という形式だからこそ心に刺さるものがあり、リアルに感じた。 -
主人公が体験して行くそれぞれに、生々しい手触りがあり、遠い出来事のようでも自分の生活の延長に感じる事が出来ました。
要所要所で、主人公がなぜそういった行為に及んだか、の理屈による説明が欠落している部分も、こういった状況にある人間の心理の動き方として、妙なリアリティを感じてしまいました。いつも理屈があるとは限らない。
自分から遠いはずの主人公の生活を追体験している様な恐ろしさがありました。 -
罪を犯した人間はその後どう生きればいいのだろうか。個人的には償う方法などないのだと思う。なので本作の主人公のように真正面から罪に向き合う人間は生きていけないほど苦悩するし、何事もなかったかのように日常に戻る人間は根本から何かが違っているのだろう。
人はなぜ人を殺してはいけないのか。
このように出口の見えない苦悩に通常人間は耐えなれないから。それがこの問いに対する一つの答えだと思いました。 -
手記の形で進行する小説。
ある少年が死ぬかもしれない病になる。死への恐怖を他者への憎悪に置き換えて、病を乗り越える。
退院後、親友である少年を殺してしまう。その後、少年がどうしたかと告白はつづく。
所謂普通の少年が、死の恐怖に立ち向かい、他者への憎悪へと恐怖を変換させることなど、少年の心の動きとして上手く描けているように感じる。
大きな病と闘うひとを、とかく美談にしたがるが、実際のところはこんなものではないかと思う。
誰でも、どうして自分がと嘆き、幸せそうに暮らす人々を憎み、やり場のない怒りをもて余すものではないだろうか。
キューブラー・ロスの「死ぬ瞬間」でも否認、怒り、取り引き、抑うつ、受容と感情は変遷するものと書かれている。
その怒りが長くつづくひともいるだろうし、そんなことばかり思っても仕方ないと早めに考え方を変えられるひともいるだろう。その違いが大きいのだけれど。
本書では、何故ひとを殺してはいけないのかという答えの出ないテーマにも触れている。
わたしも考えたことがあるが、納得のいく答えは見つけられなかった。
本書でもあるが、理由をつけるとそれを否定しようとするひとが必ずいる。そして、誰かによって必ず論破されてしまう。そうなると、その理由に見合っていればひとを殺しても良いことになってしまう。
理由などない。駄目なものは駄目。これが答えなのかもしれない。
また、ひとを殺したらどうすればいいのかについて書かれている。
ひとを殺したら、自首すればいいのか、自分も死ねばいいのか、とにかく謝罪すればいいのか、慰謝料を払えばいいのか、いつまでも罪を背負って怯えればいいのか、いつまでも逃げればいいのか、何か善行を積めばいいのか、無かったことにすればいいのか、わからない。
これも、殺した側に選択肢などない。これが答えなのかもしれない。
本書には、解説にかえてと作者の言葉が記されている。
どうもこの作家は、自分は変わっているという自負が強くあるようだ。
こういう、わたし変わってるでしょと言ってくるひとが苦手だ。
変わっている、ひととは違う、自分は特別という結局は我儘な思考が苦手。
いや、たいして変わってないよ、普通じゃない?と答えると大抵不機嫌になるのが面白いので、そう答えることにしている。
最近、作者の言葉でいいものに当たらないなあと愚痴で纏める。 -
憂鬱な日が続くようなコンディションで読むと
悪意に取り憑かれるから元気な時に読んで -
親友を殺してしまった男性の手記として話が展開していく。
男性は死亡率の高い、治る確率も低い病に罹っていたが、奇跡的に助かった。
ただ、死の恐怖と日々闘っていた精神は疲弊していた。
それで親友を殺してしまったのかもしれず、ただ親友は自殺で片付けられた。
しかし、ずっとその事実に苦しめられていた。
殺人者には種類があるのかもしれない。
殺してしまったことをずっと背負って生きて行く人と全て忘れて生きていける人と…
どちらも決して幸せではない。
2023.2.25
著者プロフィール
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