- Amazon.co.jp ・本 (138ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101290133
作品紹介・あらすじ
カッコウに姿を変えた観音菩薩がブッダの最も貴い知恵について語り、鶴、セキレイ、ライチョウ、鳩、フクロウなどの鳥たちが、幸福へと続く言葉を紡ぐ。20世紀初頭に存在が知られるようになったこの経典は、チベットで古くから読み継がれてきた、農民や牧畜民など一般の信者に向けられた書物です。はじめてチベット語から翻訳される、仏教思想のエッセンスに満ち溢れた貴重な一冊。
感想・レビュー・書評
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わかりやすく伝えることを考える。それはひとがどういうふうにものごとをとらえているのか、ということを考えることにつながる。自分ではないひとたちが自分とはちがうもののとらえかたをしていることを認めること、それが自分の思うことを伝えるのに役に立つということ。それが鳥の姿を借りているだけのこと。という本。なのか。
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解説:高木正勝、挿絵:木部一樹
鳥のダルマのすばらしい花環◆人間圏の仏教から生命圏の仏教へ -
2011-6-25
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チベットに伝わる、特に庶民に読み継がれた仏教の入門書ともいうべき仏典なのだそうだ。
これがとても魅力的だった。
観音がカッコウに姿を変え、鸚鵡先生をはじめとする鳥たちに、仏陀の教えを語る。
鳥たちは真摯に教えを受け取り、それぞれの鳴き声で語る。
ここが面白いのだ。
例えば、雁は「ゲントゥ」と啼く。
これはチベット語の聞きなし(日本語でいうなら「天辺欠けたか」みたいなやつ)なのかな。
「ゲントゥ」はチベット語では「(真理から)どんどん遠ざかる」という意味なんだそうだ。
そして、雁は、こう囀る。
「生まれてから死ぬまで、ダルマの教えに出会えないなんて、ゲントゥ!」
こんな本なら、仏教に親しみがわいたことだろう。
森でさまざまな鳥の声を聴くたびに、さまざまな教えを思い出すことだろう。
この世で築いたあらゆるものが幻。
財産も、人間関係さえも、いつかは失われ、死に際して意味をなさない。
中沢さんの解説によれば、原始仏教的な、現世否定の教えだそうだ。
無常ということが、観念ではなく、感覚として理解できつつあるこの頃だけれど…教えを実践する気にはまだなれない。 -
正式な経典ではなくて、チベットで一般の人たちに読み継がれてきた物語のようなものを中沢新一氏が翻訳した本です。カッコウに姿を変えた観音菩薩がブッダの知恵について語るという内容。道元の「正法眼蔵」の動物や植物の文字で書かれた経巻というのと通じるものがあります。
あとがきの文章が美しくて、高木正勝さんという音楽家のことを知りました。映画「おおかみこどもの雨と雪」のあの印象的な音楽や耳に残っているCMソングを手掛けられているそう。この本のBGMにピッタリきます。 -
近世チベットで作られヨーロッパ等でも広く読まれている仏教の入門書のようなもの。中沢新一がチベット留学の際に僧に薦められ愛読していたものとのこと。鳥の挿絵が美しく今まで読んだ何より仏教についてわかりやすかった。仏陀は聖なる鳥とされるカッコウの姿で語っている。特にへこたれていた時期に読んだのですごく静かに浸透してきた気がする。
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2013/4/6購入
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手塚治虫のブッタのような話でした。
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中沢新一の著書という体裁になっているが、中身はチベットの何者かが書いた仏教のテクストの翻訳が中心になっている。
このテクストは書かれた時代がよくわからないようだが、そんなに古いものではなく、近世、あるいは近代のものかもしれないという気がする。
大乗仏教的な思想を、童話のように平易な口調で、民衆的なわかりやすさで説いたもの。
易しい言葉だが、なかなか味わいがある。
130ページほどの、本当に薄い文庫本で、おまけに鳥のイラストがたくさん入っているから、文字は少ない。あっという間に読んでしまった。 -
表題と読み始めに多少の戸惑いと誤解は生じると思う。
何が書かれているのだろうか・・・というのが正直なところ。
人間の世界を鳥の世界に模したというのではなく、そもそもアニミズム的思想においては、人間と他の生物との壁はなく、ごく自然に、鳥たちもまた語り、思索すると考えるのは当然かもしれない。
現代人の視点で解釈してはいけないということでしょうか。
著者プロフィール
中沢新一の作品





