日蝕 (新潮文庫)

著者 : 平野啓一郎
  • 新潮社 (2002年1月発売)
3.21
  • (36)
  • (78)
  • (222)
  • (35)
  • (16)
  • 868人登録
  • 121レビュー
  • Amazon.co.jp ・本 (212ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101290317

日蝕 (新潮文庫)の感想・レビュー・書評

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  •  史上最年少で芥川賞を受賞したデビュー作。その文体や文学的探求で「三島由紀夫の再来か」とまで言われたという。当時は興味がなかったのでタイトルを知っている程度だったが、平野啓一郎という作家を知りたくて読んでみた。

     どこのレビューをみても、難解な言葉を振り回して知識をひけらかしているとか、平易な言葉にすれば読みやすくなるというような批判がある。三島は彼の文学的センスから溢れ出るものだが、平野は無理に難しくしているというものだ。しかし私はそうは思わない。これは平野のスタイルであって、表現方法の一つだ。それを読みにくいからと批判するのはちょっと違うように私には思える。

     この『日蝕』には途中からぐっと引き込まれ一気に読んだ。言われている難しい表現など、ほとんど気にならなかった。さすがに三島の再来とまで言われ、芥川賞受賞作品だと思った。難解だと批評しているレビュアーさんたちは、そうは言いながらもきちんと読んでいる訳で、やはり平野のファンなのだろう。もしかしたら彼の才能に嫉妬しているのではないのか。

  • いつのことやら。
    数ページで挫折。
    これほどの圧倒的挫折は初めてだった。
    頭が良くなりたいと思った。

    いや、頭よりも根性の問題かもしれない。
    わからない、知らない言葉を、
    こつこつ辞書をひきながら、頑張ってよみすすめることで、
    教養を得るのだろう。
    最初から、なんだこの圧倒的語彙不足・教養不足を痛感させてくる高尚でイヤミな芥川賞受賞作品はこの野郎、などと卑屈にならずに、
    もう少し、くらいつけばよかったのかもしれないが。
    そんな教養と根性がなかった。
    というわけで、決して本書と著者が悪いわけじゃない。


    正直、この作品のイメージで
    平野啓一郎=私には無理、と思ってた。
    その後、モノクロの表紙がエヴァ的な「決壊」を本屋さんで見つけて、あれからどんなもの書いてるんだろう、とちら見してみた。
    ら、なんてことない、普通に読みやすい文章で書かれていた。
    読みやすかった。
    違う作品を、また読んでみたい。

  • 15世紀頃、キリスト教の敬虔なお坊さんが
    信仰書籍を求めてフランスからイタリアに旅に出る物語。

    読了までにめちゃくちゃ時間がかかった。

    独特の擬古文的文体は決して読みやすくはないが、
    本作で描かれている「人間の求める聖性と業の表裏一体」は
    確かにこういった文体でなければ表現できないところとも思う。

    京大在学中に発表し芥川賞を受賞した当時は賛否両論だったようで、
    大きな「否」の論拠は作品が衒学的である、という点。

    確かに物語全体を通して訴えたいことは理解できたが、
    それが作者の真に言いたいことなのかどうかは判然としない。

    その意味で、衒学的と言われてしまうのかもしれないが、
    濃淡の差はあれど、人間の表現活動全般に
    衒学的要素は内包されるのであって、そこだけを論われるのは
    論評としてフェアではないと思う。

    登場する敬虔なお坊さん、研ぎ澄まされた寡黙な錬金術師、
    錬金術師に使える畸形の下男、下男の妻は村の堕落した司祭に孕まされ、
    生まれた子供は唖、更には洞窟に囲われる謎の生物と設定はド変態の極み。

    人間の業が聖性を生み、聖性が新たな業を生むというスパイラル。
    そのスパイラル自体の業性と一気にすべてを破壊する奇跡。
    衒学的だろうが、ここまで描ききれば見事と思う。

  • 一昔前の文豪のような言葉遣い、美しさを意識した文字の羅列。作者の意気込みが何よりもすごいと思った。デビュー作とのことですがかなり賭けていたのではなかろうか、と。

    前半は思索の杜をうろうろとする主人公に気怠さを感じておりましたが両性具有者登場後は焚刑と日蝕のエクスタシーを頂点にぐいぐい惹き込まれましたが、人間のえげつなさと信仰の恐ろしさと集団心理の怖さと、何だか怖い本でした。

    ボルゲーゼ・コレクションの眠るヘルマフロディトスが読んでいる最中、頭から離れてくれませんでした。この不均衡な美しさが両性具有者には必要不可欠なのでしょうね。

  •  思ったよりファンタジーだったのでびっくりした。もっともっと主人公が思索に耽るばかりの話かと思っていた。イヤ、十分耽っているわけですけれども。
     難しい文章、といわれることが多いけれども、明治時代あたりの小説を読み慣れていれば普通に読めるし、読み慣れてなくてもちょっと頑張ればすぐ慣れる。むしろ、どうしてそう同じ熟語を連呼するんだ! もっと違う言葉を出してくれ! と思った。個人的には、平野啓一郎は説明が上手な人だと思っている。ニコラの思索にみられるような難解で抽象的な話も、かなり分かりやすく書いてあると思う。
     ただ、そういった思索が非常に面白かったのだけど、最後のアレでパーンしてしまった。え、ええと、何が書いてあったんでしたっけ?

     以下、蛇足ながらこの作品について佐藤亜紀が自作『鏡の影』からの盗作疑惑をウェブ上で発言したことについて。
     私は『鏡の影』は未読なので、どうして佐藤亜紀がそう思ったのか分からない。『日蝕』が盗作で書けるようなものだとは思えないが、盗作である証拠もそうでない証拠も、提示しようがない。佐藤亜紀も提示できなかったようだ。
     にも関わらず他人の小説を盗作だと言う、これは創作をする人としてあるまじきことだし、普通ならば絶対にしないことだと私は思う。『鏡の影』絶版と『日蝕』発表等々が重なり、精神的に落ち込んだために生まれた邪推だろう。
     ただ、佐藤亜紀が何か自分の作品に通じるものを、この『日蝕』から感じとったということは確かなのだろう。少し心持ちが違っていれば、佐藤亜紀は平野啓一郎という新人作家にとって良き理解者となれていたかもしれないし、またお互い良い刺激を与え合うことができたかもしれない。それなのに、一度言われた盗作疑惑は晴れぬまま延々と残り続け、平野啓一郎は佐藤亜紀なんか知らんしこれからも読む気はないとか言ってしまう。
     どちらも素晴らしい作家なのに残念だ。とりあえず、佐藤亜紀は『天使』しか読んだことないので、そのうち『鏡の影』などの作品も読んでみようと思う。

  • 第120回芥川賞。
    15世紀フランスの話。
    パリ大学の学生がリヨン近郊の村を訪れ、謎の錬金術師と逢う。魔女狩りが行なわれ、両性具有者が火刑に遭う。その瞬間、太陽が月にむしばまれる。思いがけない日蝕に村はパニックになる。
    とにかく文章が難解。「~せられむ」「~せむとする」などの文語体、「抑(そもそも)」「辺幅(へんぷく)を脩(おさ)めぬ」などの難読漢字にかなり手こずる。ルビも豊富で、どのページもすみずみまで文字だらけだ。

  • この本を読んで、私は悔しさのような絶望感のような哀しさのような気持ちで涙が出た。
    物語の表層にではなく物語の内容とは別とでも言うべき深層に在るものに、文章という表現方法の中に垣間見られる、形の無い、例えば絵画を見て何かしらを感じる時のようなものが、私を涙させた。

    解説を読むと、私の感想は全く本質を捉えておらず、作者の意図や記されたメッセージを汲み取っていないらしいのだが、別に解説通りに読まなければ(感じなければ)いけないということはない。

    平野啓一郎氏の小説をいくつか読んで共通して感じることは、語り手となる主人公に、苛立ちのような不快感のような嫌悪感のような類の感情を抱かせられるということだ。
    そういった感情を抱くというのは、実は統ての人間の本質にある黒い塊を実に正直に顕しているからに他ならない。
    しかしながら人間は綺麗事が好きなのだ。真正面から自分の本質など見たくなんてないのに平野氏は平気で抉り出してしまう。圧倒される程の才能を持って、その美しい文章と毅然とした文体と緻密に構築された流れとで抉り出す。
    不快でありながら清く潔く美しいという相反する感情を抱かせる。
    そんな風だから、後味は決して良くなくて、心に重く苦しく行き場のない感情が残る。

    それでも私は平野氏の小説を手に取ってしまうのは、現代のくだらない情報が氾濫する中で、平野氏は人間に対して嘘偽りなく真正面から文章で向き合っているように感じるからだ。

    そういう真摯な姿勢で小説を書く若い作家はそういないだろうと思う。

  • 自分の知識不足もあり、
    一読目としてはあまり楽しめなかったので☆2

    出版年のより新しい『決壊』を先に読んだばかりで、平野啓一郎氏の作品はある程度の暗さを覚悟の上で、と読み始めたのだが、早々に明治・対象の文豪がごとき文体と宗教思想のような或る程度の知識が必要な内容とが掛け合わさり、なかなか頁が進まなかった。

    よっぽど途中でやめてしまおうかと思ったが、大長編ではないので、飛ばしながらでもとにかく最後までいってみようと流し読みしていたはずが、終盤は引き込まれる箇所が多かった。

    「難解でつまんない」と、二度と手に取らないかと一度は思ったが、他の方のレビューを拝見し、作者やその文体について様々な意見が綴られているのを読むと、もう一度丁寧に読み直してみたいような気分にもなってきた。

  •  芥川賞受賞作。
     ネットでこの作品のレビューをいくつか読んでみると、衒学趣味という単語で批判されていることが多い。
     確かに「オレ、頭いいんだぜ」的なニュアンスはチラチラっと漂ってくるけど、それほどに難しいことは書いてはいない。
     読んでいて全然理解できない、というほどではないし、全然理解できない作品は他にもいっぱいある。
     とはいっても、いくつか知らない単語はその都度調べながら読んでいたので、通常よりもかなり読破するのに時間はかかってしまった。
     ただ、それは物語や書かれている内容が難しいのではなく、馴染みのない日本語の単語が使われている、ということである(例えば「陽物」とか……意味は各々調べてください)。
     懐古的な文体にしても、作品世界に雰囲気を持たせる手法としては、これでいいんじゃないかと思う。
     外来語をあえて漢字で書きしるし、しかもそれにカナでルビを振る、といった手法も、同じように雰囲気を持たせるには必須の方法のようにも思える。
    「阿婆擦」なんて漢字をここで初めて知ったので、漢字の勉強にもなるかも(あばずれと読む。実際には「阿婆擦れ」と振り仮名が必要とのこと)。
     物語もそれほどには複雑ではないし、深みのある内容でもない。
     アンドロギュノスであるホムンクルス、つまり両性具有である人造人間が登場するに及んで、これは一種のファンタジーなのだろうな、という結論に達した。
     と同時にどことなく漫画チックな内容になったなぁ、という印象も受けた。
     また、このアンドロギュノスの説明がなされる箇所は僕としてはかなり疑問。
     洞窟の中で、ピエェル(錬金術師)の持つ蝋燭の光だけを頼りに、ピエェルに気が付かれないように遠くから覗き見しているにも関わらず、すべてを目前に晒されているようにそのアンドロギュノスの肉体を詳細に記述している様は、突っ込みどころ満載で白けてしまう。
     書き忘れたけれど、この作品は主人公の一人称で記述されている。
     よって、このアンドロギュノスの肉体を詳細に説明する箇所も主人公の一人称、つまり主人公の目で見たものが説明されている。
     そんなに詳しく見えたのか? という疑問がどうしても湧いてしまうのだ。
     そういった突っ込みどころは他にも結構あるのだけれど、総じて面白く読み進めることが出来た。
     特にこのアンドロギュノスが登場してから、読むスピードが加速されていったように思う。
     とまぁ、好意的に受け取っているように書いているけど、実は時々、読んでいてたまらなく嫌になってくることもあった。
     とにかく何を説明するにも、何を表現するにも、文体がもったいぶっていて、回りくどいのだ。
     美しいと感じる文章(例えば魔女の焚刑の直前『縄の編まれゆくように~』から始まる一節など)も随所にあるのだが、衒学的、とは思わないまでも、「やりすぎじゃね?」と思ってしまう箇所もやはり随所にあるのだ。
     それと、やはり内容が漫画チックで幼い、ということそのものよりも、その漫画チックで幼い内容を、知的な文章で飾り繕おうとする態度が 幼いと思えてしまうのだ。
     なんとういか「純文学」に与えられるのが芥川賞だと思っていたのに、この作品は「エンターテインメント」性が非常に高い作品だと思う(もちろん、「純文学」と「エンターテインメント」のどちらが優れているか、といった話はナンセンスである)。
     ということで、褒めているんだか貶しているんだか、よく判らない感想になってしまったけれど、結局は面白かったのだ。
    「愛憎相まみれる」といったところであろうか。

  • 三度目で遂に読破。抵抗が無くなって読めてみると、あーなるほどー。って感じの作品だった。旧字体のウォーミングアップにも最適な本。読んでみると内容もそれなりに面白かった。

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