- Amazon.co.jp ・本 (513ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101290423
作品紹介・あらすじ
戦慄のバラバラ殺人-汚れた言葉とともに全国で発見される沢野良介の四肢に、生きる者たちはあらゆる感情を奪われ立ちすくむ。悲劇はネットとマスコミ経由で人々に拡散し、一転兄の崇を被疑者にする。追い詰められる崇。そして、同時多発テロの爆音が東京を覆うなか、「悪魔」がその姿を現した!'00年代日本の罪と赦しを問う、平野文学の集大成。
感想・レビュー・書評
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感想を書くのが難しい、多面的な視点と展開。途中の緊張感は圧巻で、そのあとには緩和があり、そこそこの精神的負担があるが、読み進めないわけにはいかなかった、といった読了直後の感想。
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他人のことを本当に知るというのは難しい。そもそも本当に知ることなど出来るのか。本当に知るとは何なのか?
そういうことを考えさせられる。
平野さんの分人という考え方が随所に出てきて、深掘りさせる。
すべては分からないけど、信じるということ。これを何度か伝えたかったのかな。
信じることで相手を救うこともできる。
p.202ページ辺り
信じることは、事実がどうとか関係ない。結果ではない。間違っていたとしてもいい。それが問題ではない。
よって、信じること=事実を信頼するではなく、その人を受容するということ。
読んでいく中で崇を信じきれない自分がいることにも気付かされる。
自分も群衆と一緒なのか。物語の中に自然と引き込まれる。
ただ、読みながらなかなかこたえる内容でもあり、重たかった。
本当に疲れる一歩前に読む方がいい一冊。 -
上下巻一気に読みました。
特に何か細工があるわけではないんだけど、いったい誰が犯人なの?そう思いながら読み進めました。
それは、本に出てくる登場人物たちも抱えていた疑問なのではないのかと思います。
犯人は誰なのか、悪いのは誰なのか、もしかして自分自身が一番ひどいことをしたのか?
信じていたあの人は、自分の思っていたような人ではなかったのか?
そのような思いが、少しの出来事でどんどん変化していきます。
なのに、疑う心だけは、とめどなくあふれていく。
そしてその先にあるのは憎悪です。
お話の設定が特別リアルであるは言いません。
ミステリーですが、そこを突き詰めて作られた作品ではないと思います。
突き詰められたのは、人の人格(平野氏の言葉でいうと分人)。それはそれは、気持ち悪くなるくらい、人格に焦点を当てて書かれています。
人から見える自分、自分の思う自分がずれてしまっていること。
自分から見たあの人と、周りから見たあの人がずれてしまっていること。
本当の自分て?本当の相手って?
考えても考えても答えが出なくて、ずれに対する絶望が疲労感を生んでいきます。
合う人の分だけ人格はある、分人という考えを理解する第一歩の作品です。 -
「悪魔」の一打が下され、取り返しのつかない決壊へ。
責めるか?共感するか?赦せるか?進めるか?
徹夜で一気に読んでしまったので、頭の中が忙しく興奮してろくな感想は書けそうにありませんが・・
読み終わった瞬間に、タイトルの「決壊」という字が、ドンドン!っと一文字ずつ脳天に降ってくる。挙句、物語がじくじくと心を蝕んで眠れなくなる。
何の救いもないまま。何も取り返せず。状況は悪化するだけ悪化して。その救いのなさに、著者の強固な意志を感じました。
凄惨な描写は読んでいて気分が悪くなることもあったけれど、読み終わった今、今夜見る夢に影を落としそうなのは事件そのものや犯人の凶悪性ではなくて、
被害者の兄・崇が、弟の不在と過ごす日々。
許されない罪を、赦すしかないことの持つ意味。空虚です。
その空虚を書ききったという意味で、他の同様な作品からは距離があるように感じます。
次の作品の「ドーン」にも引き継がれている「自身と言葉の不一致」という考えについては、本作の方が実感しやすい。
ちょっと話がそれますが、「私って幸せ者です」とネットでわざわざ書いている人を見ると、そう書かなければ確かめられない幸せの不在と闘ってるんかなぁ・・・と思ってしまうことがある私。そこには少し嘲笑的な色合いもあったなぁと自覚して、自分の内なる醜さに居心地が悪くなりますが
例えその人がそうであったとしても、本作中の被害者・良介のように、自身と言葉の一致を後から確認することもできるし、そもそもその不一致があったから何なのだ、と今感じます。
私自身が、自身と言葉の不一致だらけの人間だからこそ、自分自身の多面的なあり方を思うと同時に、そういう人と出会ったならば・・・と思うと、より一層、著者の言葉の一つ一つを考えてしまう。
ちなみに、私はちょっと間違えて「ドーン」の方を先に読んでしまったけれど、平野さん未読の方は、本作→「ドーン」という順番で読むことをお勧めします。
ジャンルはまったく異なる2作品だけれど、そこには確かに連続性と、希望のふくらみがある。
くどい自分哲学が苦手な方にはお勧めできないけれど、色んな意味で重くて厚い作品を読む気になったら、是非本作のご検討を。
上巻レビューにも書きましたが、主張だらけなのに押し付けがましくない、むしろ読了後沢山のまとまらない思考の中に放り出される、強い作品だと思います。えぐいからって話じゃなくてね。 -
再読。
私が平野啓一郎先生の本に嵌る切っ掛けとなった本。
2011年12月、これまで痛快娯楽小説しか読んでこなかった私が、単なる推理小説だと思い購入。
読み終わると共に放心状態に陥った。
感想は特に記録していなかったのだが、今でも覚えているのが、「この作者、天才!?」ということだけ。
それから、「ドーン」「透明な迷宮」「本の読み方」「葬送」「顔のない裸体たち」「かたちだけの愛」「マチネの終わりに」「あなたが、いなかった、あなた」と読んでここに来て再読。
初めて読んだ時は、難しい小説だなというのが正直な感想だったのだが、再読だと随分変わる。
「葬送」に比べるとはるかに読み易い。
当時も思ったことだが、これはとても深い本だと思う。このたった2冊の中に、ありとあらゆる世界が詰め込まれている。
エリート公務員とその家族、ネット、少年犯罪、被害者家族、加害者家族、あらゆる側面から緻密に物語が紡がれている。
感想は書ききれない程頭に溢れてくるのだが、文章にするのはとても難しい。
一度手に取って読んでみてほしい。
平野啓一郎先生の本は、読む順番を間違ってしまうと、これは無理だとその後諦めてしまう可能性があるが、是非この本を先に手に取ってほしいと私は思う。
私のような、娯楽小説しか読まない人間にも十分に染みたから。 -
読後には大きな徒労感、嫌悪感、絶望感が残りました。でも、もう一回読みたい。
エリート公務員(ちなみに国会図書館の司書)の兄と、平凡だけれど幸せな家庭を築いている弟。
ある日弟がバラバラ殺人の被害者になったことをキッカケに、彼らの周辺が崩れていく様子を描いた作品です。殺人犯の一人である、地方に暮らす男子中学生の姿も並行して描かれます。
物語の舞台は2002年の日本なのですが、中身が全然古くなっていないのがすごい。悪く言えば日本社会にそれだけ進歩がないということですが・・・。
物語の本筋ではないのかもしれないけど、「変わらない(変われない?)」ということが印象に残りました。殺人犯の一人が男子中学生だと分かった後のマスコミの様子とか。
別に教育の専門家でもなんでもない人がさも視聴者の代表であるかのようにテレビで喋りまくり、おきまりのように「今の教育に問題がある」、「夢を持たないと」と結論づける。
弟と最後に会っていた兄が途中まで犯人と疑われるのですが、「コイツが犯人に違いない」と警察もマスコミも考え、そのような報道が行われる。捜査もその前提に立って実施。(都合の悪い証拠は見ないふり)
事件後、苗字を変えて働く加害者の母親のところに全く関係の無い第三者が現れて、「息子があんなことをしたのに、なんで平然と生きてるんだ。どこまでも追い詰めてやる」とやって来る。
特に最後の「身内から犯罪者が出たらその家族も全員同罪であり、何やってもいい」という風潮は現実世界でもさらに強くなっている気がします。ネットで何から何まで暴かれたり。こういうことしてる人はそういう「私刑」が「正義」だと思ってるのでしょうか。長年の謎です。
とりあえず「この世は生きにくい」と改めて感じさせる作品でした。毎日を明るく楽しく、未来に希望を持って生きていきたい人にはおすすめできない苦笑 -
重いわ。
すごい筆力だけど、なにしろ重い読後感。
「決壊」というワードは、ダムを連想させる。
思えば、崇のダムははじめから満水だった。
それでも、なんとか騙し騙し、運用上の工夫で決壊せずに踏ん張ってきた。
そこへ、既に決壊してしまった者の濁流が、周囲のダムの決壊を誘発し、流量を増した急流となって流れ込んできた。
崇のダムはそれでも持ち堪えた。そして、流域の住民を避難させ、安全を確認した後、決壊した。ダムに残っていた水は、もう、無かった。
僕らはダムを決壊させてはならないルールの中で社会性を保っている。そのルールに縛られているからこそ、決壊への、破壊への欲望が頭をかすめることがある。それにどう立ち向かうか。
「国民の知る権利」「説明責任」というマジックワードを無思慮に振りかざして知性の代わりに暴力を手にしたマスメディアの挙動。
何かといえば「抜本的な改革」と言って歴史を無視した思考の浅い政策を繰り返す政府。
およそ大人の振る舞いとは思えない挙動を通じて、子供たちはどのような知的成熟を得られるというのか。
悪魔の語る言葉と、崇たちエリート同士の会話は、どちらも読者にとって意味不明で支離滅裂に映る。京大出身の作者は、頭脳の優劣や精神疾患の有無によって、語られる言葉の是非に差はないと言っているように思う。
では、何を信じれば良いのか。
その迷いを決壊させてはいけない。
安易な答えに飛び付かず、迷い続ける覚悟を持て。
それをかつて、先達は「節度」と呼んだのではないか。 -
罪とは、赦しとは?救いの無い展開に読後感は重いが、自分が同じ立場ならどうだろう?結局、絶望からは逃れられないだろう。15年前の作品が突きつけた問いは、令和の今も我々の喉元に刺さったままだ。流石の平野作品、ただのサスペンスに終わらない著者の思考の深淵と挑戦を感じる。