ざらざら (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.57
  • (70)
  • (167)
  • (199)
  • (26)
  • (6)
本棚登録 : 1969
感想 : 174
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101292403

作品紹介・あらすじ

風の吹くまま和史に連れられ、なぜか奈良で鹿にえさをやっているあたし(「ラジオの夏」)。こたつを囲みおだをあげ、お正月が終わってからお正月ごっこをしているヒマな秋菜と恒美とバンちゃん(「ざらざら」)。恋はそんな場所にもお構いなしに現れて、それぞれに軽く無茶をさせたりして、やがて消えていく。おかしくも愛おしい恋する時間の豊かさを、柔らかに綴る23の物語のきらめき。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あなたは、短編が好きですか?それとも、長編が好きですか?

    小説にはさまざまなジャンルがあります。恋愛もの、青春もの、そして学園もの。横文字でいけば、ミステリー、ファンタジー、そしてホラー。さらには、京都が舞台、お仕事小説、そしてタイムトラベル…切り分け方次第で一つの作品であってもさまざまな分類の仕方ができると思います。例えば京都が舞台と言っても、青春ものに振った瀧羽麻子さん「左京区七夕通東入ル」、恋愛&SFに振った七月隆文さん「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」では、読み味が全く異なりますし、それぞれに好き嫌いも出てくると思います。内容の分類だけで好みの作品を見つけるのもなかなか難しいものです。

    一方で、その作品の分量から分類することもできるでしょう。文庫本500ページで一つの作品というボリューム感のある長編、同じ分量の中に複数の作品が収録されている中編、そしてさらに短い短編など同じ小説といってもその長さによって楽しみ方は変わってくるように思います。また、長編、中編、そして短編と作家さんによってどの分量の作品に力量や魅力を感じるかということもあると思います。そして、読者の側にもそんな分類の好き好きは当然にあるでしょう。作品の世界に浸りたい!そんな気分の時には長大な長編が似合うでしょうし、時間がない中にサクッと気軽な読書を楽しみたいなら短編に手を伸ばしもします。選択の幅があるということはとても幸せなことだと改めて思います。

    さて、そんな風に分量で小説を分類する時にもう一つの区分けが存在します。”掌編”と呼ばれるものの存在です。読み始めたと思ってページをめくったら結末だったという極端に短い作品含め、ごく短い内容の中に物語を見る”掌編”。ここにそんな”掌編の名手”と呼ばれる川上弘美さんの掌編集があります。文庫本にして、わずか221ページの中に23もの”掌編”がさまざまな物語世界を見せてくれるこの作品。表題作の〈ざらざら〉含め、そんなところから章題をつけるの!と感心してしまうこの作品。そしてそれは、短く綴られる物語の中に、どこか愛おしさと切なさを感じさせてくれる物語です。
    
    『風の吹くまま、奈良にでもいってみようか』と和史(かずふみ)に言われ、『なんで奈良なわけ』と訊くと『なんとなく』と返され『どうしてこんな男とあたしは三年間も縁を切らずにやってきたんだろう』と思うのは主人公の陽子。『夏の奈良は、いいよ、きっと』と言うと『いそいそと旅支度を』始めた和史を見て、『夏の奈良、という言葉にちょっと嬉しくなっ』た陽子も『旅支度を始め』ました。場面は変わり、『鹿くさい…おまけに、なんなんだ、この暑さは』と『眉をしかめながら』言う和史に『奈良に来ようと決めたのはあんたでしょ』と言おうとするも『我慢した』陽子。そんな二人は『午後早くに近鉄奈良駅に着』くと『ガイドブックに載っていた蕎麦屋をめざし』、『三十分以上もさがしまわって』『路地の奥の奥にようやくめざす蕎麦屋』をみつけるも『今月いっぱい夏休み』と張り出されていました。やむなく『蕎麦屋のかわりに入ろうとした釜めし屋』ですが、『並びはじめてから十五分くらいたったところで、和史はとうとう音を上げはじめ』ます。『鹿って、鹿くさくてやだよ、まったく』と言う和史に『鹿なんだもん、鹿くさくてもしょうがないよ』と答える陽子を睨むと、『ボストンバッグからポータブルラジオを取り出し、ぱちんとスイッチを入れ』た和史。『現在太平洋高気圧が張り出しています。今日はこの夏いちばんの暑さ…』と『アナウンサーの声が突然明瞭に響』き、『一緒に並んでいる人たち』に一斉に『顔を向け』られ、スイッチを切った和史。陽子は『いたたまれなくて赤面し』ます。そして、ようやく順番が回ってきました。『五目釜めしに鰻釜めしね』と注文する和史に『あたし、そうめんでいいよ』と言うも『せっかく釜めし屋に来たのに…信義にもとる』と和史に否定されてしまった陽子。『なんなのよ、信義って、何に対する信義よ…まったく、わけのわからない男だ』と思う陽子は『むっつりと黙りこ』みます。しばらくして『釜めし』が到着すると和史は『五目釜めしと鰻釜めし両方の釜のふたを開け、それぞれのしゃもじでていねいにそれぞれの茶碗によそ』うと、陽子に渡してくれました。『うまいでしょ』、『うまい、けどさ』、『釜飯にして、よかったでしょ』、『よかった、けどさ』と会話する二人は、和史が笑うと、それにつられて陽子も笑います。『まだちょっといまいましい気分だったけれど、釜めしは確かにおいしかった』という陽子。そんな和史と陽子のどこか微笑ましい奈良への旅が淡々と描かれていきます…という最初の短編〈ラジオの夏〉。恋人二人のなんとも言えないひと夏の一瞬を絶妙に切り取った好編でした。

    “短編小説よりもさらに短い作品を指す”という”掌編小説”。そんな”掌編”がなんと23編も収録されたこの作品。文庫本で221ページしかないことから一編あたりのページ数も単純平均で10ページもありません。読み始めて作品世界を理解して、その世界にどんどん入っていこうと思ったら終わっていた…”掌編小説”はとっつきやすい一方で深く作品世界に入り込めないもどかしさと背中合わせの読書が前提となるものでもあります。まあ、クラシック音楽と言ってもマーラーの長大な交響曲を聴くのと、シューベルトの歌曲を聴くのではその楽しみ方は当然異なりますし、それは何にでも言えることだと思います。しかし、長ければ、逆に短ければ感動が深いというものでもないと思いますので、これはある意味で小説のカテゴリーの違いとも言えます。一方で避けているわけでもないのですが、私はあまり”掌編”を読む機会なく今日に至っており、今までに私が読んだ”掌編小説”と言えば、31もの”掌編”が盛り込まれた、山本史緒さん「ファースト・プライオリティー」くらいしか思い浮かびません。ということで、久々の”掌編小説”の読書となりましたが、川上さんの小気味良い作風もあって、サクッ、サクッとした読み味の中にどこか余韻を残す好印象な読書の時間を楽しむことができました。

    ということで、レビューとなりますが、”掌編”の場合、下手に内容を書きすぎると、完全にネタバレになってしまうというなかなかレビューの難しい作品でもあります。どうにか頑張って私の気に入った三編をご紹介しましょう。

    ・〈ハッカ〉: 『子供のころはいつも床屋さんで髪を切っていた』というのは主人公の『私』。『おばさんの手でおかっぱにしてもら』い、帰りに『ニッキ味の飴』をもらった『私』。大人になった『私』は、『久しぶりに、床屋さんに行こう』と思い立ちます。そして、朝、テレビをつけると平打ちパスタのお店が紹介されているのを見て、『きしめんが好きだった』原田のことを思い出します。『三年間つきあっ』て『去年別れた』原田は『散髪が好き』でした。そんな原田の『剃りたての』うなじを思い出す『私』…。

    ・〈トリスを飲んで〉: 『やっぱり日本人なら、トリスを飲んでハワイへ行こう、だよな』と『着陸の態勢にはいった』機内で『むっつりした顔のまま』そう言った父を見る主人公の鈴子。『鈴子も三十だから』と『母がつけた一応の「理由」』で親子三人で出かけたハワイ・マウイ島への家族旅。『二年に一度は女友達たちと一緒に海外にでかけていた』母に対して『本当に行きたい』のかと聞く鈴子に『父はただ「ああ」と答えるばかり』でした。『母にくらべて、はなはだしく口数が少ない』父が楽しめているのか気になる鈴子…。

    ・〈オルゴール〉: 『関東北部の小さな町に暮らす小説家を』訪ねてきたのは、担当編集者の『私』。しかし『二時間以上も電車に揺られて来た』にも関わらず、飼い猫が『急病になったという電話で』あっけなく終わった打合せ。小説家を見送り『猫の話をしていたときの、いつくしみに満ちた』表情を思い出す『私』は、『誰かを好きになりたいな』と、『唐突に思』います。『鉄道で少し行けば、旅館がありますよ』と案内された『私』は『合宿所』のような『旅館』へと宿泊することになりますが…。

    〈トリスを飲んで〉のような親子を扱った”掌編”もあるとは言え、他の大半の”掌編”は、現在進行形もしくは過去の恋愛を振り返る女性が主人公となる作品が集められています。なんとも言えない余韻を漂わせてくれるのがとても印象的です。もちろん上記した通り、この作品は”掌編”ばかりで、舞台背景を十全に理解する頃には結末に至っている、しかもその結末はハッキリしたオチというよりは、ふわっとまとめられているため起承転結のある物語を読みたいという方には向かないと思います。しかし、サラッ、サラッと流れていく中に、なんだか良いなあ、ふとそんな思いを抱くことができるのもこの作品の特徴です。

    例えば上記で取り上げた〈オルゴール〉です。舞台設定は『関東北部の小さな町』、小説家と打ち合わせに訪れた編集者が打合せ後の時間にふと訪れるそんな街の様子、図らずも宿泊することになった『合宿所』のような『旅館』が描かれていきます。『部屋出しではなく、食堂でいっせいに食べる』夕食、そんな場は、『湖に面した大きな窓には紗のカーテンがかかっており、暮れかけてゆく景色をうすぼんやりと透かし見せていた』と描かれていきます。『鮎。白魚。ワカサギ。あさりご飯』と、湖で採れたものがふんだんに使ってある夕食。そんな場には『オルゴールのような音色のインストゥルメンタルが』、『棚に置かれたラジカセから流れていた』と印象深く描かれていきます。あっという間に終わる”掌編”には、だからといって何か大きなことが起こるでもなく淡々と結末を迎えます。『恋は、もうずいぶんしていなかった。たぶん、三年くらい』という主人公の『私』の胸に去来するもの、物語ではそんな心の内が語られることはありません。しかし、そこに描かれる情景が読者をなんだかとても切ない思いに駆り立てていく物語は、”掌編”でここまで雰囲気感が出せるものなのかと驚くばかりです。

    そんな”掌編”のうち20編は川上さんが雑誌「クウネル」に創刊号から連載し続けたものでもあります。雑誌の特集自体でハワイを取り上げた際に掲載されたという〈トリスを飲んで〉では、親子三人の関係性が、短い”掌編”の中に鮮やかに浮かび上がります。『せっかくの親子三人水入らずなんだから』と『マウイ島のコンドミニアムの予約をてきぱきと手配』する中に実現したハワイの旅。そこには、旅慣れた母が見せる表情に対比して、『母にくらべて、はなはだしく口数が少ない』という父、この旅のためにパスポートを取ったという父のことを気にかける娘の鈴子の心の内が細やかに描かれていきます。父が楽しめているのだろうかと心配する中に『一瞬ほほえんだ』という瞬間を見る鈴子。そんな家族三人のハワイの旅が描かれていくこの”掌編”にもやはり読者の心を動かす何かを感じることができます。23の短編それぞれに、それぞれ短い物語の中に、ふと何かを感じさせるものがあるこの作品、”掌編の名手”とも言われる川上さんの魅力溢れる”掌編”の世界を存分に楽しませていただきました。

    『剃りたての原田くんのうなじをさわってみるのが、わたしは好きだった。ひんやりとしたうなじ』。

    23もの”掌編”が集められたこの作品では、ほんの些細なことにも関わらず、いいなあ、としみじみ感じる瞬間、そんな瞬間を思う主人公の姿が描かれていました。舞台も登場人物もさまざまな舞台の中に、サクッと物語を楽しませる川上さんの筆の力を感じさせるこの作品。気軽に読み進めていける分、もっとこの物語世界に浸っていたいという思いが逆に募るこの作品。

    柔らかく穏やかに綴られていく物語の中に、居心地の良い時間を過ごさせていただいた、そんな作品でした。

  • 短編23編のいずれもがなかなかに優れものの1冊です。梅酒の如くサラリと読めますね♪
    2002~2006年にかけて掲載された作品を纏めたものです。 作者40代半ばの頃の作品。
    短編は作者の特色がけっこう出てくるので面白いし気軽に読めて良いですね。

  • 通り過ぎるような、あるようなことを引き延ばしてふわりとお話になった、かんじ。月火水では、「やっぱりいいです」と言いそうになったが、やっぱりと言いはじめたあたりで、おじさんがくるりと振り向いて・・たのでいいやめることができた。この感じがよくわかる。私も迷い癖があるので、相手に委ねたい方だから(笑)
    好みでは、菊ちゃんのおむすび。菊ちゃんは尻ポケットから何やらたたんだものを取り出す。小さな青いビニールふろしきだった。青いビニール風呂敷か(笑)!?と、私はひとり突っ込みを入れる。
    椰子の実では、「それより、咲はおれのかわりに親孝行してくれ」ってところが泣けた。
    合間にちょっと読むも、次も次もとやめられず離れられなくなる。へこんだときも、なんかうれしくなる本。

  • 雑誌『クウネル』に連載された23話の短編集。
    改めて思う。私、このシリーズ好きだな、と。
    どの話も可愛くてほのぼのしていてラストはちょっといい気分になれて、このままずっと読んでいたくなる。

    『オルゴール』の主人公のつぶやき「やっぱり、恋をしたいな」に象徴されるように、様々な恋の話が繰り広げられる。
    中でも『コーヒーメーカー』『山羊のいる草原』の修三ちゃんとアン子の二人のやり取りは大好き。前回読んだ『猫を拾いに』(シリーズ第3弾)で出てきたおかまの修三ちゃんは第1弾から出てたんだね。
    恋人とうまくいかずうじうじ悩むアン子に向かってバッサリ言いきる修三ちゃん、私も叱って!

    『春の絵』の小学4年のすすむくんの、冒頭のセリフ「女をすきになるなんて、思ってもみなかった」には参った。
    「女子」じゃなく「女」。
    すきな女に対し大人顔負けの男気を見せるすすむくん、とってもいい。

    『月火水木金土日』の籠おばさんも良かった。
    ラスト、できるだけ姿勢よく歩いて行こうとする、迷いぐせのなかなか治らなかった彼女を自分と重ね合わせて、とてもさっぱりしたいい気分になれた。
    第2弾を読むのが楽しみになった。

  • ドラマチックな恋愛ってそうそう起こるわけないよね、こらこら白馬の王子様はあんたを迎えに来ないぞって優しくカツを入れてもらえる短編集だと思っちゃいました。
    これが恋なんかなぁ、わたしこの人のことが好きなんかなぁ。いつの間にか2人でいるよなぁ…
    え、なに突然のこの別れは?絶対忘れられないと想ってた人なのに、忘れる瞬間は、案外早く来ちゃった。とか、そんな場面が、実際ほとんどなんだろうなと。
    恋は、まるで漆黒の天鵞絨を広げた夜空に、ばらまかれた色とりどりのビーズ。そんな星々がつなぐ星座物語のようでした。
    恋愛ってホント、星の数ほどあるんだなぁ。


  •  私って心のどこかで女の人しかいない世界になれば良いと思ってるのかもしれない、と思った。「大きな鳥にさらわれないよう」で描かれたみたいな川上弘美ユートピア観と私のユートピア観?が、ぼんやり重なっているのかも。
     川上弘美の描く女の人たちって、文章って、俯瞰的で落ち着いてる。恋をしても傾倒しても。
     修三ちゃんとあんこに会えて嬉しかった。順番的には、こちらが先だったけど。


    胸が痛んだ。果物絞り器でぎゅっとしぼられているように、あたしの胸は、痛んだ。
    よしもとばななの、「ソフトクリームをぐりぐりなすりつけてやりたいくらいに好きなんだ」って節と並べるくらいに好き

  • 片想いとか、失恋とか、心の中のもやもやしたものをおもしろ可笑しく書いてある。
    悲しいはずなのに、何だか満ち足りているようにも見える。
    滑稽な自分を楽しんでるっていうか、読んでいてとても楽しかった。

    「びんちょうまぐろ」の、恋愛みたいなこと(もの)、という表現がいいなぁ。

  • ku:nelの連載小説1冊目。川上弘美さんはあまり読んでいなかったけど、この短編集は本当に好き。もっと開拓してみようかなぁ。
    沢山の恋の余韻が、そこここに浮遊している。でも、どれも緩やかに終わりに向かってる。そういう倦怠感が漂っている感じ。
    でも、まだ余韻に浸っていたい…諦めきれない。女心は複雑です。男の方がよっぽど引きずるとか、よく言うけど、多分ね、女の方が“終わり”の前に長く永くその余韻に浸ってるのです。でも、一度糸を切ってしまったら、もう涙を拭いて前を向くのが、女という生き物なのです。
    別に見栄を張ってるんじゃなくて、そうしなきゃって思えば、女は強いんだと思う。それをきっと彼女はよく知っている。川上弘美さんという方はね。そんな感じがするんです。

  • こちらが少し元気のないときにじんわりあたためてくれるミルクティーのような味わい。苦いような甘いような…。
    また他の作品も読もうと思った。

  • この、淡々とした文体が好きです。

    内容はけっこう、えぇ!?って感じに進行するんですが。。
    よく分からない夢を見たような、と解説に書かれてたけど
    まさにそんな感じ。

全174件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

作家。
1958年東京生まれ。1994年「神様」で第1回パスカル短編文学新人賞を受賞しデビュー。この文学賞に応募したパソコン通信仲間に誘われ俳句をつくり始める。句集に『機嫌のいい犬』。小説「蛇を踏む」(芥川賞)『神様』(紫式部文学賞、Bunkamuraドゥマゴ文学賞)『溺レる』(伊藤整文学賞、女流文学賞)『センセイの鞄』(谷崎潤一郎賞)『真鶴』(芸術選奨文部科学大臣賞)『水声』(読売文学賞)『大きな鳥にさらわれないよう』(泉鏡花賞)などのほか著書多数。2019年紫綬褒章を受章。

「2020年 『わたしの好きな季語』 で使われていた紹介文から引用しています。」

川上弘美の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
村上 春樹
村上 春樹
瀬尾まいこ
村上 春樹
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×