- Amazon.co.jp ・本 (362ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101292410
感想・レビュー・書評
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近所ですれ違う、名前も話したこともない人たちの人生や考え方の想像が膨らむ。「あけみ」に最も感情移入した。
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川上弘美って、
どうしてこうも怖いのだろう。
以前からそうなのだが、
年々その怖さが増していき、
先に読んでいた『森へ行きましょう』に真骨頂を見ていたが、
この作品で既にその片鱗が明確に現れていたか。
ふわっと夢のようでありながら、
生々しさと毒があって、
そのくせ冷たいくらいに俯瞰している視線がある。
それはグロテスクではない静かなものだからこそ、
とても怖く感じる。
確かにどこにでもありそうな町の人間模様に、
少しでも足を踏み入れれば、
そこにはひとりひとりの人生があり、
それは何にも変えられない超個人的なものだ。
その人生達が触れ合って、絡み合い、
通り過ぎて、離れていって、
そうしてまたひとつずつの物語が広がっていく。
始まりからゆっくりと積み重ねられた終わりの展開に、
背筋が凍る。
どうしてこんなに怖いのかと考えてみると、
きっとすべてが平等だからだ。
生きとし生けるものも、
意識も無意識も、
生と死も、
ひとつづきであるという真実を、
川上弘美は言葉にして、物語にしてしまえるから、
とても怖いのだ。 -
遠い記憶の中で商店街を歩いている感じ。
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連作短編集とのことで一つの街を舞台に別の視点から語られる11の物語。とても良かった、なんだろうこの哀愁とも似る様で似つかない感覚は。5年前に読んでも響かなかっただろうなあ
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平穏な日々にあるあやうさと幸福。ほっこりしながら読み進めていました。
最後から数頁前の一行から、わたしは背筋が伸び、また川上さんの世界に引き込まれるのでした。川上さんのお話は、なんでこうも人生の無常さを表されるのでしょう。
読んだ後は、しばらく切なさマックスだったが、後に希望が見えてくる。青い空の向こうから、真紀さんが微笑んでこちらを見てるような絵が浮かんだ。
生きてることは素晴らしいと訴えてくる。またわたしは心で泣けました。 -
いつだったか、他の本にかまけて読みきれずに図書館に返してしまった本。
川上弘美の本からは、いつからか死のにおいがする。いや、本当はずっと、そうなのかもしれない。 -
とりたてて物凄いことは起こらない。
「平凡」よりは少し色々な物が加わった人生を歩んでいる人々。
あるいは「歩んできた」人のお話。
「物語」ということでいえば、きっとつまらないのだと思う。
間違いなく「つまらない本だ」と思う人が多くいるだろう。
だって大したことが何も起こらないし、淡々と語られているし。
読んですぐに記憶から消えていってしまうような内容。
なのに、なんで読んでいてこんな気持ちになってしまうのだろう。
なんで、こんなにも心を捉えられてしまうのだろう。
全部で11編の連作短編集。
シュールな内容や、不思議なお話は一切なし。
最後の「ゆるく巻くかたつむりの殻」は死者が語るお話。
それでもそれはシュールでも不思議な話でもない。
解説に「最後まで読んだらもう一度始めから読みたくなるだろう」とある。
その通り。
いずれ必ず始めから読み直す。 -
川上マジックともいうべき言葉の数々。
やわらかくて、それでいてぞっとするほどの冷たさや恐さも同時に孕んでいる。言葉のまとう空気がすぐそばに感じられる。
「水の中に沈んで、それでね」お母さんは静かに説明する。
「ゆっくり水をふくんでいって。しみとおっていって、でも最後にはね」
「最後に?」
「ふくみすぎちゃって、かなしくなるような、そんなふうな感じ、かしら」
ー夕つかたの水
「あたし、ほんとに、廉ちゃんのこと、好きだったのよ」
ー四度目の浪花節
ー未来からやってくる「ああして、こうしないと手遅れになる、ほらほら」と尻を叩く声が、どんどん小さく静まってゆくからです。生きることとは、どんな匂いがし、どんな手ざわりで、どんな持ち重りがするものなのか。未来にそなえて「いま」をぎゅうぎゅうに絞り続けているうちに、からからに乾いて、はかないほど軽く固くなってしまった自分という名のタオルに、「いま」の水をたっぷり吸わせたらどうなるか。硬かったものがどんどん柔らかくなり、重たくなって、かたちは自由で不定形なものに、不確かな者になる。
ー生きていくということはどうやっても、不安に充ち満ちたものなのです。だからこそ、時おり舞い降りる喜びが深くなる。
解説 松家仁之
カバー装画:谷内六郎
2011年 新潮文庫