- Amazon.co.jp ・本 (427ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101292717
作品紹介・あらすじ
一九八〇年、吹奏楽部に入った僕は、管楽器の群れの中でコントラバスを弾きはじめた。ともに曲をつくり上げる喜びを味わった。忘れられない男女がそこにいた。高校を卒業し、それぞれの道を歩んでゆくうち、いつしか四半世紀が経過していた-。ある日、再結成の話が持ち上がる。かつての仲間たちから、何人が集まってくれるのだろうか。ほろ苦く温かく奏でられる、永遠の青春組曲。
感想・レビュー・書評
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古いアルバムをながめる時のように、優しい時間をくれる物語だった。
「人はなぜ音楽を奏でるのか」。
「そいつと共にいるかぎりは何度でも生まれ直せるような気がするから」。
音楽は生へのエール。
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ベタベタスカスカした今時の青春小説だったら嫌だな・・・とは思いつつ、開いてみます。
「バスクラリネットの死を知ったトロンボーンとアルトサクソフォンは、ちょっとしたパニックに陥った。」という謎の文句から始まるのでしたが、おや、意外に、濃い。
話は、高校時代に「弦バス」として吹奏楽部に入った主人公の、「当時」のドタバタ体験の記憶と、かれらが40歳になり、とあるきっかけでバンドを再結成することになり、各人の消息がだんだん明らかになる「今」とが交互に語られる。
時代の空気感や音楽体験はまさにツボ。
クイーンのギタリスト(ブライアン・メイ)が自作のギターを使っていたとか、ジョン・ボーナム、ビル・エヴァンス、ジョン・レノンの死などのエピソードの数々。
「ブラバン」という呼称をめぐっての先生との衝突(ブラバンじゃない、吹奏楽、バンド、もしくはウインドオーケストラだ)とか、縦バスと横バスの違い(忘れてたけど、覚えてるわ)などのウンチクの様々。
たまんねっすな。
ラストの見事さとも相まって、実に鮮烈な印象を残してくれました。
1970~1980年くらいに高校の部活で「ブラバン」やってた人なら、間違いなく楽しめる小説ではないでしょうか。 -
卓越した文章表現、音楽への愛が横溢している。
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本屋さんのポップに釣られて購読。
吹奏楽をやっていた人だったので、
昔を思い出して泣けるとか、懐かしいとか、
そういうものを期待して読んだのだけど、
ちょっと期待はずれ。
その上、読みにくかった。人多い。必要あるのか、その件とか。
私のブラス暦とはかなり違った小説でした。
出てきた曲も、ほぼやったことがないという…。
年代もちょっとずれてたかなー。 -
20190911
高校時代、吹奏楽部に所属していたが、いつしか楽器からも過去からも離れていたところに舞い込んだ再結成。高校時代の思い出とそれぞれの現在が行き着く先。永遠の青春。
津原さんの作品のなかでは読みやすく、知名度も高い作品。過去は眩しく、でも美しすぎず、現在は苦しみもありながら、希望もある。この、描きすぎないところが本当に好み。何でもかんでもハッピーエンドにはならないが、それでもやっていくしかないよね、というなげやりさと明るさが、少しの感動と励ましになる。
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なんだろ、20世紀の学生音楽経験者のキャラクターがうまく捉えられていると思う。学生時代に音楽していた人ならアラサー以上になって読むとなお良いかも。
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図書館で。
読んでいて、確かにここ2、30年で音楽に関わる色々なモノは随分変わったなぁと思いました。私の子供の頃はラジオやTVからのエアチェックがほとんどで記録媒体はカセットだったもんな。貸しレコード屋でレコードを借りてダビングしたのも懐かしい思い出だ。それがあれよあれよとCDになり、MDはひっそりと姿を消し、今はDLだもんな。手軽になったと言えばそれはそうだけど… 音楽に対する情熱というか欲求みたいなものが大分薄れたような感覚もある。
高校の頃合唱団に入っていたので楽譜は髙いから…と先生が苦労していたのは知っていましたが、今どきの吹奏楽が歌謡曲や新しい曲を演奏するのは楽譜が安いからなのか、とちょっと驚きました。普通に考えればクラシック音楽なんて全部著作権が切れてそうなモノですが不思議な事です…
良い思い出だけではない吹奏楽部であまり捗々しい活躍をしたわけでもない主人公がン十年後に又当時の皆と演奏する、というのは中々燃えるシチュエーションでもあります。が、現実はそれほど上手く行かず…と難航するのがやけにリアル。不慮の事故や急逝したメンバーもいて、皆それぞれの人生を歩んでいる。個人的にはセンセイが指揮するのかと思ったんですが違いましたね。最後の発表の場もらしいというか。面白かったです。 -
そのうち読もうと本棚に置いてそのまま忘れていた一冊。軽快な青春部活ものかと思っていた。そういう面もないわけではないけれど、これは哀切な中年小説と言ったほうがぴったりくる。ひねりのきかせ方が津原さんらしい。引き出しの多い人だなあ。
四半世紀前の高校時代と現在が、絡まり合いつつ並行して語られていく。作者自身を思わせる主人公は、吹奏楽部でコントラバスを担当していた。ブラバンは日本最大の部活動と言われるくらい部員が多く、熱心に活動するクラブだが、ほとんどの人は高校までで楽器を離れていく。練習する場がないし、第一自分の楽器を持たない人も多い。「趣味で続けていく」ことが難しいのだ。
この作品は、そういうブラバンの特性をとてもよく生かして書かれた小説だと思う。あるきっかけで再結成の話が持ち上がるが、音楽を続けている人はほとんどいない。すでに不幸な形で亡くなった人もいる。かつての部員はそれぞれの人生を、それぞれの苦悩や喜びを抱えて生きている。主人公自身、一人で赤字続きの酒場を経営し、鬱屈の多い生活の中にいる。
そうした現在と、決して楽しいだけではなかったにせよ、間違いなく熱を持って輝いていた高校の頃と、主人公と共に時間を行き来していくと、その哀感は胸に迫るものがある。だって誰にだって若い頃はあったのだ。
「スナップ写真のような、テレビCMのような麗しい青春時代を送りえた人が、人類史上に一人でもいるだろうか。」「十代の自分を振り返る大人の視線は手厳しく、今の自分を見つめる十代の頃の視線は残酷だ。」
過去と現在をつなぐのは「音楽」である。津原さんは私より少し年下で、高校時代は八十年代に入った頃、私は大学生だった。だから、言及されるミュージシャンたちがとても懐かしかった。主人公はブラバンと軽音のバンドを掛け持ちしているのである。「僕はエルヴィス・コステロやXTC、スクイーズといった、斜に構えすぎて正面を向いてしまったようなポップロック好き」というところに笑った。津原さんも書いているが、あの頃の音楽は絶対だった。みんな(ろくに弾けもしない)ギターを持っていて、文化祭で「スモークオンザウォーター」をやった子はスターだった。
そういう無邪気な時代の終わりを告げたのは、ジョン・レノンの死だと書かれていて、ああ、そうなのかもしれないと胸をつかれる。
「ぼくが信じていた世界は、才智や芸術に対してはそれが少々独善的であろうとも寛容で、過大評価するならともかく息の根を止めるはずなどなかった。ジョン・レノンは絶対に安全なはずだったのだ」
ブラバンならではの蘊蓄も楽しい。オーボエとホルンが「最も演奏が困難な楽器」としてギネスにも認定されているとは知らなかった。楽器を極めるために必要不可欠なものは、センスや情熱や器用さではなく、持って生まれた肉体だというのも、言われてみればなるほどである。なにより、なぜ人が苦労を厭わず音楽を奏でようとするかという問いに筆者が出している答がいい。
「そいつ(音楽)と共にいるかぎりは何度でも生まれ直せるような気がするからだ」
全体を柔らかく包んでいるのが広島弁の響きだ。登場人物たちの言葉に実感がこもるのは、この広島弁あってこそだろう。紹介文に「ほろ苦く温かく奏でられる、永遠の青春組曲」とあるが、そこにかっこ付きで(広島弁で)と加えたい。 -
概ね世の中には二種類の人間が存在するが、私はその一方、即ち高校吹奏楽部経験者である。この本は我々にとって読了が惜しい程楽しめる本であった。とは言っても、もう一方の人々が楽しめないようなマニアックな本ではない。楽器や曲の解説は本文中に書かれているし、作中の高校生は、帰宅部でも素直に感情移入できる若い率直さに満ちている。
物語はこの「高校生」が大人になった「自分」によって綴られる。忘れ去ってしまった筈の十代を手繰り寄せながら、何十年もの月日ですっかり変わってしまった、そして何も変わっていない自分を、作者の持つ優しいタッチでストーリー中に滲み出させているのが最大の美点であると感じた。
前述したが楽器や曲などの解説は本文中に十分書かれている。そして、高校生の自分と今の自分のエピソードが行き来しながらストーリーは進行するのだが、この両者により、物語の「スピード感」や「キレ」が落ちている。決して空気感の重々しい本では無いのだが、軽めの本が好きな人で、スカッと爽やかなタッチの青春ものを一気に読み切ってしまいたいと期待する人には若干つらいカモ。
私事であるが、作者と私が同じ中学の同期で、それぞれ川を隔てた公立高校に通い、同じく高校から吹奏楽部に入部したこと、それに、私が今春出身高校吹奏楽部の定期演奏会を約30年振りに聴き、当時の懐かしい仲間と再会した頃、たまたまこの本を手に取ったこと、このふたつが、この物語の色彩を更に深く彩ってくれた。本との出会いというのも不思議なものである。作者と私とは在学時代からほとんど接点は無いのだが、陰ながら応援している。これからも自分らしい本を書いてくれ、津原くん。