思い出トランプ (新潮文庫)

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  • 本 ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101294025

感想・レビュー・書評

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  • あなたは、ある女性のことをこんな風に紹介されたとしたらどう思うでしょうか?

     『ポパイの恋人で手足が針金細工のようにひょろひょろ長いオリーブ・オイルという女の子がいるが、あれを二廻り小型にしたようであった』。

    『オリーブ・オイル』?、『ポパイ』?カタカナで綴られた人の名前のような単語が二つ飛び出しました。このレビューを読んでくださっている方の年齢はマチマチです。『ポパイ』は『ポパイ』でしょう、という方から『ポパイ』って誰?と首をかしげる方もいらっしゃるかもしれません。

    『ポパイ』とは米国の漫画家エルジー・クリスラー・シーガーが生み出した漫画のキャラクターであり、1960〜70年代にテレビアニメとして人気を博しました。ほうれん草パワーの下に大活躍をする『ポパイ』の物語。とは言え、上記したような説明が今の世でなされることはないと思います。

    さてここに、『ポパイ』、『あけ方テレビのザアザアいう音』、そして『紙袋を抱えて国電に乗り込んだ』というような言葉で彩られた1980年の世に生み出された物語があります。直木賞受賞作を含むこの作品。そんな物語の中に人のさまざまな思いを見るこの作品。そしてそれは、累計200万部を売り上げた向田邦子さんの代表作な物語です。

    『マンションなんか建てたら、おれは働かないよ』と『いつになく尖った声で』妻に言い返したのは夫の宅次。『二百坪ばかりの庭にマンションを建てる建てないで、夫婦は意見がわかれていた』という中に『いつもは二言三言で引き下がる』妻の厚子は『この日は妙にしつこ』く食い下がります。その時、宅次の『指先に挟んだ煙草が落ち』ました。『風があるのかな』と訊く宅次に『風なんかありませんよ』と『九つ年下の厚子』は返します。『子供のいないせいもあるのだろう。年に似合わぬいたずらっぽいしぐさをすることがある』と厚子を見る宅次は、一方で『中年。手足のしびれ感。何という薬の広告だったか、こんな文句があったと思いながら』『煙草を拾』います。『手袋をはめたまま物を摑むような厚ぼったい感じがすこし気になった』と思う宅次は、『あとから考えれば、これが最初の前触れだった』と振り返ります。そして、『この何日あとだったか、仕事中不意に目の前にいる次長の名前が思い出せなくな』り、『その日だったか次の日か、つきあいで酒を飲み、送りのタクシーで帰ったとき、車から降りたとたんに』『地面に坐り込んでしま』います。『運転手に助け起こされてすぐに直った』ものの、『あれも前兆だった』と振り返る宅次。それから一週間後、『朝刊を取りにゆき、茶の間へもどったところで、障子の桟につかまりながら、わからなくなった』宅次。それは、『脳卒中の発作』でした。そして、『倒れてからひと月になるが』『頭の中』、『ちょうど首のうしろあたりで、じじ、じじ、と』『地虫が鳴いている』という日々を送る宅次。『意識が薄れたのは、ほんの一時間ほどだったが、それでも右半身に軽い麻痺が残』りました。『杖にすがればどうにか歩けるが、右手はまだ箸が覚束な』いという宅次。そんな中、『宅次が倒れてから』『よく鼻唄を歌うようになった』という厚子は、『宅次が会社を休職して、寝たり起きたりになると』『前にも増して、よく体を動か』すようになります。ある日、『玄関に人の来た気配がする。車のセールスマンらしい』と耳をすます宅次。『主人が倒れたので車どころじゃないのよ、と言うかなと』思うも『ごめんなさいね。うちの主人、車のほうなの』と『歌うような厚子の声』を聞いた宅次は、『そうだ。厚子はいつもこのやりかただった』と思います。『化粧品のセールスだと、主人は化粧品関係になったし、百科事典がくると出版関係になった』と厚子のことを思う宅次は、『新婚の頃、毛布を売りにきた押し売りを、「うちの主人、繊維関係なのよ」』と『歌うような口振りで追い払い、奥にいた宅次を振り返って、目玉だけで笑ってみせた』ことを思い出します。『面白い女と一緒になった、一生退屈しないだろうと宅次は思』いますが、『その通り』でした。そんな時、『顔の幅だけ襖があいて、厚子が顔を出し』ます。『二十年前と同じ笑い顔だった』と厚子のことを見る宅次。そんな宅次と厚子のそれからの暮らしが描かれていきます…という最初の短編〈かわうそ〉。宅次と厚子という夫婦の心情を少ない言葉の中に巧みに浮かび上がらせる好編でした。

    “日常生活の中で、誰もがひとつやふたつは持っている弱さや、狡さ、後ろめたさを、人間の愛しさとして捉えた13編”と内容紹介にうたわれるこの作品。収録された〈花の名前〉、〈かわうそ〉、〈犬小屋〉が1980年の第83回直木賞を受賞している向田邦子さんの代表作です。その受賞は元々「小説新潮」に連載が継続していた中だったようです。そんな背景事情もあり、〈解説〉の水上勉さんはこんなことを書かれています。

     “連作短編のようだから、完結をみてからでもと(直木賞の)授賞を見送ろうとする委員もあったにかかわらず、山口瞳、阿川弘之両氏と私の三人が強力にねばった日のことがわすれられない”

    向田さんは、その年の翌年8月22日に取材旅行中の台湾で航空機墜落事故によりお亡くなりになられていらっしゃいます。”人生無常の思いが、いっそうつよくな”ったとおっしゃる水上さん。人の世というもののはかなさを感じもします。

    さて、この作品に収録された13編は、「小説新潮」五十五年二月号から五十六年二月号にかけて連載されていたものです。私は女性作家さんの小説を全て読むことを目標に読書を続けていますが、今まで読んだいちばん過去の現代小説は1981年発表の氷室冴子さん「恋する女たち」です。この作品はそれとほぼ同年代の作品となり、今から実に40年以上も前の作品ということになります。オギャーと生まれた赤ちゃんが40歳を超える年齢になった期間と同じわけですから、その表現には時代感が自然と浮かび上がってきます。まずは、この点を抜き出してみましょう。

     『宅次は停年になってからでいいじゃないかと言っていた。停年にはまだ三年あった』。

    冒頭の短編〈かわうそ〉に登場する一文ですが、『停年』という二文字に違和感を覚えます。”定年”の間違いでは?と思いましたが、戦前には『停年』、”定年”のいずれの表記も普通に使われていたのが、1954年の法令用語統一を受けて”定年”が主流になっていったという歴史があるようです。ただ、向田さんがこの作品を執筆されたのはそれから四半世紀先の時代のことです。何かこだわりをお持ちだったのでしょうか?

     『算盤が出来るのと字が上手なので面接まで残ったのだが、結果は一番先に落されたのがトミ子だった』。

    〈だらだら坂〉に登場する一節ですが、採用において『算盤』と『字が上手』という二点で『面接まで残』れるという表現が違和感なく使われるところに時代を感じます。このあと、それは『パソコン』になり、『語学力』になり、と変化していったのだと思いますが、こういったところに時代が色濃く見えてくるように思います。

     『この日は歩くことにして、通りがかりのゴミ箱にでも、と軽く考えて、うちを出たのが間違いだった。第一、ゴミ箱というのがもう世の中から姿を消しているのである』。

    〈酸っぱい家族〉から抜き出してみましたが、個人的にいちばん引っかかりを感じた箇所かもしれません。『ゴミ箱というのがもう世の中から姿を消している』と当たり前に記された一文。昨今、”テロ防止”などの理由をこじつけて街中からあっという間に『ゴミ箱』がなくなりました。結局は、コスト削減という本音を隠す日本人らしい対応の典型だと思いますが、ここ数年以前は街中に『ゴミ箱』というものは普通にあったと思います。1980年という時代にこの表現が登場すること自体に違和感を感じます。それともこれ以前の日本は街中に『ゴミ箱』がそこかしこに置かれていた時代があったのでしょうか?どなたかご存知の方がいらっしゃいましたら是非教えてください!お待ちしております m(_ _)m

    また、この作品には直木賞を受賞した三つの短編が含まれているわけですが、その一編〈かわうそ〉に素敵な表現が登場します。この表現だけが受賞理由ではもちろんないと思いますが、文章としての美しさを感じさせるものです。こちらも抜き出しておきます。

     『暦をめくるように、季節で貌を変える庭木や下草、ひっそりと立つ小さな五輪の石塔が、薄墨に溶け夜の闇に消えてゆくのを見ていると、一時間半の通勤も苦に思えなかった。文書課長という、出世コースからはずれた椅子も腹が立たなかった。おれの本当の椅子は、この縁側だという気がしていた』。

    『植木道楽だった父親の遺した』『庭』を大切に思う宅次。『勤めが終わると真直ぐうちへ帰り、縁側に坐って一服やりながら庭を眺めるのが毎日のきまりになっていた』という宅次の心持ちが上手く表現されていると思います。物語は、そんな『庭』に『マンションを建てる建てないで』意見のわかれる夫婦の暮らしを描いていきますが、この表現の奥深さを感じる中には『建てない』派の宅次の応援もしたくなってきます。この作品の中でいちばん気に入った箇所です。

    では、13の短編をもう少し詳しく見てみましょう。3つの短編について触れてみたいと思います。

     ・〈三枚肉〉: 『問題は披露宴の会場へ入るときだな』と『会場の入口で花嫁に挨拶するとき、こいつがピクピクしなければいいのだ』と『鏡にうつる自分の顔』を見て『左頬を押』さえるのは半沢。『内心の動揺を覚られまいと振舞うとき』『左頬は主人を裏切ってピクピクと痙攣する。幹子がそれを見逃すはずはない』と思う半沢は『五年間半沢の秘書だった』『花嫁の大町波津子』のことを振り返ります。『取り立てて気が利く』わけではないものの『仕事は正確なほう』という波津子が『目立って仕事を間違えるようにな』ります。『退社後、夕食をおごり』『近くのパブで酒を飲み、あとは魔がさしたとしか…』という先に『浮気は今までにも覚えがあるが、部下とこうなったのは始めてで』という展開。そして…。

     ・〈マンハッタン〉: 『パンは三日で固くなる』、『牛乳は冷蔵庫へ仕舞っておいても、一週間でアブなくなる』と、『女房が出ていってから』『いろいろなことを覚えた』のは睦男。『居間のソファで眠ってしまい、あけ方テレビのザアザアいう音で目を覚ま』した睦男は『十一時になると起き出して顔を洗』います。『三十八歳の職のない男のむくんだ顔がうつっている。空気が澱み、時間まで腐ってしまいそうだ』と自分の顔を見る睦男。そんな睦男は『十一時半になるのを待って』、『近所の陽来軒へ行き、固い焼きそばを注文』します。『たまには別のものを』と思うも『席につくと、固い焼きそばといっていた』睦男は『焼きそばを食べているときだけ生きていて、あとは死骸みたいなものだ』と思います。

     ・〈酸っぱい家族〉: 『またやったのか、お前は』と『居間の食卓の下にころが』る『緑色の鳥』の横で『飼猫が毛づくろいをしている』のを見るのは九鬼本。『もともと鳥を獲るのが得手な猫で、今までにも雀や尾長を見せに来たことはあるが、こんな大物ははじめてだった』という『鸚鵡』を見る九鬼本は、『どこかの家で飼っていたものであろう』と思います。『どうするの、パパ』と訊く女房に『そのへんに埋めるんだな』と返す九鬼本ですが『うちの庭は嫌ですよ』と言われてしまいます。『それじゃビニールにくるんで、ポリバケツにでも』と言い終わらないうちに『女房と娘が一斉に非難の声をあげ』ます。やむなく『紙袋に入れた鸚鵡を持って家を出る羽目になってしまった九鬼本は…。

    3つの短編を取り上げました。13の短編にはさまざまな情景が描かれていきますが、上記でも触れたように1980年という時代の空気感が絶妙に醸し出される中に物語は展開していきます。全体としての印象でもあるのですが、〈三枚肉〉に描かれているような浮気の情景が今の作品には見られない温度感で描かれていくのが印象的です。この時代、亭主が浮気をするという感覚は今の世以上にポピュラーだったのでしょうか?また、妻が出て行った先の侘しい日々を送る亭主という情景も今の小説で見ることはないように思います。一方で、『飼猫』が捕えてきた『鸚鵡』の処理に困惑する一人の男性を描く〈酸っぱい家族〉はなかなかにコミカルな情景を見せてもくれます。そして、これらの作品に共通すること、それこそが短編にも関わらず、登場人物の心の内が活き活きと描かれていくところです。内容紹介に触れられる通り、そこに描かれていくのは”誰もがひとつやふたつは持っている弱さや、狡さ、後ろめたさ”の感情です。それらは時代が変わったとしてもなくなることのないものです。私たちが日々を生きていくということは、そういった感情と共存することでもあるのだと思います。13の短編に描かれていく主人公たちの物語。そこには、いつの世も変わらぬ人の普遍的な感情を綴る物語が描かれていたのだと思いました。

     『浮気は今までにも覚えがあるが、部下とこうなったのは始めてである』。

    1980年に第83回直木賞を受賞した3編を含む13の短編が収録されたこの作品。そこには、1980年という時代の空気感が自然と醸し出される物語の姿がありました。さまざまな場面設定の物語に人の息吹を感じるこの作品。そんな登場人物たちの思いが今の世を生きる我々と変わらないことに気づくこの作品。

    累計200万部を売り上げた物語の中に、40年前にこの作品を手にした人たちの思いを感じる、そんな作品でした。

    • みのりんさん
      この本大好きです!
      この本大好きです!
      2024/09/30
    • さてさてさん
      みのりんさん、こんにちは!
      私は向田邦子さん初読みでしたが、時代が変わっても人の根源的な思いは変わらないんだ、と感じました。良いですよね。...
      みのりんさん、こんにちは!
      私は向田邦子さん初読みでしたが、時代が変わっても人の根源的な思いは変わらないんだ、と感じました。良いですよね。
      2024/09/30
  • 十三話の短編からの思い出トランプ。最後の作品は「ダウト」。洒落ている。
    何処にでもあるような、普通の家庭の中にある不穏な空気感。家族への疑惑、疑心、不安、不満。それらを飲み込みながら、家族としての在り所を探していくのでしょうか。
    現在の価値観では、納得できない世代もあると思う家庭や夫婦の表現かもしれませんが、狡さとか背信をも受けとめて、愛情と諦めの混雑が実情だった時代です。男女それぞれの感情が響く素敵な作品です。

    • Manideさん
      おびのりさん

      すごい良い感想ですね (꒪̥︣ό꒪̥︣)

      この感想を読んでいると、とても深みを感じます。
      感想を何回も読み返してしまいまし...
      おびのりさん

      すごい良い感想ですね (꒪̥︣ό꒪̥︣)

      この感想を読んでいると、とても深みを感じます。
      感想を何回も読み返してしまいました。

      1980年の作品なんですね。
      背信をもうけとめるなんて、どんな感じだろうかと、物語の世界観に触れた気がしました。

      いつか私も読んでみて、その時代に触れて見たいと思いました。
      2022/08/04
    • おびのりさん
      Manideさん、こんばんは。
      いつもいいねありがとうございます。
      コメントもありがとうございます。
      短編なので、感想が抽象的でしたね。でも...
      Manideさん、こんばんは。
      いつもいいねありがとうございます。
      コメントもありがとうございます。
      短編なので、感想が抽象的でしたね。でも、しっくり読みました。
      シリーズを書き終わる前に直木賞が決まった作品とのことです。
      私も向田さんの作品をもう少し読みたくなりました。
      2022/08/05
    • Manideさん
      おびのりさん

      いつも返信ありがとうございます。
      怖い本リストの中で、この本を紹介している方がいました。
      人間が一番怖いというコメント付きで...
      おびのりさん

      いつも返信ありがとうございます。
      怖い本リストの中で、この本を紹介している方がいました。
      人間が一番怖いというコメント付きで…

      人によって捉え方が違ったり、
      同じ人でもその時の状態によって受け止め方が違ったり、
      いろいろあって、面白いですね。

      気温差が激しい8月になっていますが、
      お身体気をつけてお過ごしください ◠ ◡ ◠
      2022/08/06
  • 向田邦子さんの作品は初めて。
    時代のせいか、昭和の香りと表現力が現代にない懐かしさとハラスメントでは?と感じる場面もちらほら。
    短編それぞれが日常の夫婦間における些細な事件に笑えたりゾッとしたりホッとしたり。
    目まぐるしい人間らしさと狡賢さ腹黒さがこれでもかと凝縮された短編でした。

  • ウン十年ぶりの再読です。ちょうど私が学生の頃、直木賞をとった作品として話題になり手に取ったのでした。そして、ウン十年後の今、読み返してみるとどう感じるのか?試してみたくなったのです。13作品の短編集です。

    当時の日本の一般的な家庭の風景。ごく普通に流れていく家族の生活。夫婦、親子を通した日常。一見何もおかしな所はないのだけれど、その中の個々人の心の中には様々な思い、記憶、経験。嬉しいこと悲しいこと、憎らしいこと。様々な思い、感情が表面には出てこないけれど内面に渦巻いている。そういった内面を掴み取り、暴き出して端正な言葉と文章で鋭く描写している。

    私は向田さんの家族愛に基づいたキレキレの描写が好きなのだけれど、人間の心の闇に切り込んでくるところも流石だな!と思ってしまいます。

    例えば今回再読していて、「獺祭」という言葉の意味を改めて認識しました。今の私には「美味しい日本酒」というイメージしか頭の中になかったのだけれど、「かわうそ」という作品の中で、妻である一人の女性のシタタカな一面を見せつけられた様な気がしました。「獺祭」という言葉を通じて、、、少し怖かった。

    やはり、家族や人の心象が向田さん独自の多彩な輪郭で描かれている。場面展開の素早さも心地いい。途中で止められなくなります。

    ウン十年前に読んだ時は「何だか不気味な作品集」というイメージを持っていたのだけれど、今回再読して過去とは異なる印象を持つことができました。

    もちろん背景はウン十年前の昭和の情景です。しかし、人の心の有り様というのは変わらないものですね。

    向田さんの作品は歳をとりません。

  • 15ページほどの短編の中にここまで夫婦関係の微妙な闇が描き出せるものなのかと感心させられた。男の愚かさ、女の狡賢さ…みんな腹にイチモツを持っているものなのだ。
    どの作品も秀逸。人間の奥底に秘めた闇をチラ見せしてくれる。自分の中にもあるような、わかる気がして、次の話はどんな人が出てくるんだろうかと読み進める手が止まらなかった。
    昭和の時代を感じさせる素晴らしい短編集。向田邦子さんが長く生きてくださったら、もっとたくさんの素晴らしい作品に出会えたのに…と残念でならない。

  • H30.8.24 読了。

    ・短編集。「かわうそ」「犬小屋」「花の名前」は、面白かった。

  • 人の心の奥にあるわだかまりや、後ろめたさ。
    他人には計り知れない、家庭の内情などが書かれていて、どきどき、ハラハラしながら読みました。
    登場人物それぞれの人間臭さが、とてもいいです。
    こんな中身の濃い短編集を読んだのは初めてです。

  • タイトルがなんだか可愛らしくて手に取りあらすじを読んで気に入った本であったが、想像していたものとは良い意味で違った。
    全編読了後のくるしさ、苦さがすごい。
    とにかく向田邦子さんのすごさがわかる。
    特に向田さんの芸を感じられるのは
    「かわうそ」 「大根の月」
    どちらも終わり方が素晴らしい。
    文学作品として美しすぎる。

  • 2019年4月14日、読み始め。
    著者は、日航機事故で亡くなられた。
    そのことは、事故直後の報道で知ったが、それまでは、著者のことは全く知らなかった。
    で、著者の作品のいくつかを知ることになり、いずれは読んでみたいと思っていた。
    が、時間ばかりが経ち、日航機事故から37年以上が過ぎてしまった今、ようやく作品に向き合うことになった。

    63頁まで読んで、返却。

  • 何でしょう?
    日常の少し嫌な、モヤモヤすることの集合体のような短編集でした。読後感は正直あまり良くはない。
    ともすれば、日常に埋もれて流れていってしまうささくれのような出来事をこんなに拾って詳らかにできることがすごいと思う。
    普段の生活にどれだけ気を配って生きていた方なのだろうと感じました。

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著者プロフィール

向田邦子(むこうだ・くにこ)
1929年、東京生まれ。脚本家、エッセイスト、小説家。実践女子専門学校国語科卒業後、記者を経て脚本の世界へ。代表作に「七人の孫」「寺内貫太郎一家」「阿修羅のごとく」。1980年、「花の名前」などで第83回直木賞受賞。おもな著書に『父の詫び状』『思い出トランプ』『あ・うん』。1981年、飛行機事故で急逝。

「2021年 『向田邦子シナリオ集 昭和の人間ドラマ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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