いつか王子駅で (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (185ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101294711

作品紹介・あらすじ

背中に昇り龍を背負う印鑑職人の正吉さんと、偶然に知り合った時間給講師の私。大切な人に印鑑を届けるといったきり姿を消した正吉さんと、私が最後に言葉を交わした居酒屋には、土産のカステラの箱が置き忘れたままになっていた…。古書、童話、そして昭和の名馬たち。時のはざまに埋もれた愛すべき光景を回想しながら、路面電車の走る下町の生活を情感込めて描く長編小説。

感想・レビュー・書評

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  • ノスタルジック溢れる時代背景において、昔気質の人々の営みや人情、東京の風景に触れながら、様々な趣味嗜好に思いを馳せて、これからの生き方を摸索し続ける主人公の視点に心奪われて、一緒に人生を追体験している感覚が心地良く、じっくり味わいながら読みたくなります。

    実際の出来事や文学批評が豊富で、競馬の「テンポイント」や、「路面電車」、「二百メートル走(高校時代、陸上部だったので、カーブの快感はすごく分かる)」、「五段変速のバックミラー付自転車」、「瀧井孝作」、「島村利正」等々、私小説を思わせるような内容であるからこそ、いかに生きるべきか考えている主人公に現実感があり、

    「自然体とは誰にも真似できないひとつの生きざまを貫くことと同義」

    「変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送るのが難しい」

    などには、心動かされるものがありました。

    堀江さんの文体は、基本的に古典文学を思わせるような素朴な美しさと温かさの中に、一歩引いた冷静な視点が含まれているように感じていたのですが、この作品では、ときに主人公の子供っぽさが垣間見られたり(電車道をサーキットコースのように例えたのは面白かった)、中学生の「咲ちゃん」の天真爛漫な存在感が妙にキラキラしていて、独特な新鮮さを感じました。

  •  東京,路面電車の走る街。
     時間給で講師をし,時々翻訳の仕事をする「私」が,この街に越してきて見た光景や感じたことを回想して,昭和の下町の暮らしを感じさせる小説。

     背中に昇り龍を背負う印鑑職人の正吉さん。定食も出すカウンターだけの小さな居酒屋「かおり」の女将。一般書と近代文学を主に扱う古書店店主の筧さん。
     その他,下町に生きる様々な人,比較的時間の自由が効く私が,自転車や路面電車などで王子駅近辺,飛鳥山やあらかわ遊園など都電荒川線沿いをぶらりとしたり。講師の仕事で行く品川,鮫洲あたりをうろうろしたり。昭和,戦後だろうけれども現代よりゆったりとした速度で生きている人々の情景。
     合間合間に挟み込まれる,古書,童話,それに競馬の話。

     下町の市井の人々の緩やかに繋がっている暮らしぶりを感じました。
     必要以上に踏み込むわけでもない,でも姿が見えなくなると心配だし,どこかで人と人が柔らかく繋がっています。穏やかな情景が心地よいです。

  • 『いつか王子駅で』というタイトルを見て、いつか王子駅で誰かと会ったり何かをしたりする話なのかと思ったら、最初から主人公はこの駅のある町で暮らしている。
    このタイトルの意味は、最後まで読まないとわからないのだけれど、最後まで読んだとき、「いつか」に込めた想いにはっとさせられた。

    これは小説なのだけれど、読んでいる途中なんども「エッセイだったっけ?」と思ってしまうほど、目に見えるものだけではなく、匂いや手触りなどが感じ取れるくらい詳細な文章。
    なのにくどくない。

    主人公は時間給で雇われた講師や翻訳などで生活しているのだが、その暮らしは楽ではない。
    けれどその内面は豊かで、大家さん一家や町工場の職人、古書店主や喫茶店のママなどととりとめのない話をしながらも、周囲をよく見て(時にボーッとして)、心に浮かぶことをじっくり考えることで気づかされる、ささやかだけど大切なこと。
    この辺の塩梅が心地いいのだ。

    工場の旋盤工についての工場主の評価。
    ”林さんの凄いところは、仕上げの腕前ではなく、そこにいたるまでの段取りと部品の粗挽きの丁寧さを忘れないところなのだそうだ。”

    心の「のりしろ」について
    ”最後には隠れてしまう部分に対する敬意”

    こういう丁寧さが作品全体に溢れていて、優柔不断でかなり頼りない主人公に対しても、「しょうがないなあ」と受け入れてしまうのだ。
    だって、こういう人が身近にいたら、きっとそう思うでしょ?

    最後、王子駅に行くか行かないかヤキモキしたけれど、彼の判断を嬉しく思いました。

  • この本、ずっと昔に一度読んだことがあるのだけれど、何故だかもう一回読んでみようと思って注文した。
    180頁程の薄い本なので、岸和田に出張する日に読めば1日で読み終えるだろうと思っていたのだが、心に引っ掛かりを覚える内容が多くて、寧ろじっくりと時間が掛かった。

    路面電車が走る東京の下町の生活を描きながら、思うがままに自分の心に浮かぶこと好きなことが縦横無尽に書き連ねられる。
    町工場の一角の金属臭や甘ったるい生活排水の空気の流れ、古本にかけられたパラフィン紙やら指に欠損がある旋盤工…。
    作者は私より年下ではあるが、確かに昭和の同じ時期を生きてきた描写が随所に現れる。
    『秋のスポーツシーズンは、私のなかではつねに今日のような日曜日の午後の、現実の光景ではなくブラウン管のなかの映像とふかく結びついている。鮮烈な印象を残している場面は、いつも茜色の背景のなかにあった』って、よく分かるなぁ。

    荒川線を描いては、早稲田に始まり王子までの景色が何とイキイキしていることか。
    『荒川線の真骨頂は、庚申塚あたりから飛鳥山にかけて民家と接触せんばかりの、布団や毛布なんぞが遠慮なく干してある所有権の曖昧なフェンスに護られたながいホーム・ストレートにあり』なんて、東京に住んでいた頃に乗りに行かなかったことを残念に思う。

    そして、昭和の名馬たち。
    タカエノカオリに始まってキタノカチドキやエリモジョージに話が及び、ハイセイコーのことを『公営出身の超B級皐月賞馬』と呼ぶのには恐れ入るが、『むかしの馬はむこう正面で勝負に関係なく雲を引いて走ってたろう。観客席の気持ちと馬の気持ちがいっしょくたに雲を引いて、その雲に騎手が乗っかっているような、そういう走りかたをする馬があんまりいなくなった』という件りには膝を打つ。
    今の馬のほうが格段に時計は速くなっているのだが、一方、記憶に残る重厚なレースが少なくなった気がするのは、あながち歳を取って昔の記憶の印象ほうが勝るようになってきたからだけではないように思うのだな。
    そして、小雪の舞うあの日経新春杯、レースのことから、その後に起こったことをまざまざと思い出す。長く競馬を観ているけれど、ベストレースを挙げろと言われれば、今でもテンポイントとトウショウボーイが鎬を削った1977年の有馬記念以外にはない。

    古書や童話にも話は続き、それぞれに味わい深く語られる。
    『こうした「子供心に似たほのかな狼狽」を日々感じるか否かに、大袈裟だが人生のすべてがかかっているとも思うのだ』とか『来ないものを待つことと、かならず来るものを待つことに差異があるとしたら、器の小さいのはあきらかに後者だろう。待っても詮無いものを待つことにこそ意義があるのだから』という文章に当たるのは、本を読むことにおける幸せでしかない。

  • 王子駅と都電沿線、品川駅の湾岸沿い、それぞれのかつての風景を共に(頭の中で)巡りながら読了。
    会ったことない人たちなのに、遠くに分かれた知り合いとの出来事を思い出すかのよう。
    本と現実の境が曖昧になって、頭の世界にうずもれる心地よさ、あり□。

  • 言葉選びが尊く美しかった
    丁寧で情緒があった
    読むたび言葉に癒される
    浸れる

  • いつか王子駅で
    堀江敏幸、私は友人の読書感想文から初めてこの方を知りました。
    王子駅の話ならと思い、この一冊から読み始めた。王子駅ならとは故があって、何も私が初めて日本に来た頃、滞在した街はこの都電荒川線沿いだった。

    せっかくなので、本を読み終えた後、都電荒川線を乗ってきた。ちんちん電車と共に、あの頃の思い出が鮮明に。

    あれはもう何年前の話だろう。初めて日本で買ったCDは槇原敬之の「hungryspider」その後は覚醒剤で捕まったかどうか。約1ヶ月ほど滞在した大塚の駅前に、当時一緒に住んでいた父の愛人が営んでいたスナックがあり、いっぺん降りて探してみようと思ったけど、もうとっくに面影もなくやめました。

    いつか王子駅で堀江氏が語っていた昭和の名馬達はよくわかりませんし、読んでいた古書の話もなかなか身に入りませんでした。この一冊は辞書のような宝箱のような、珠玉な話の数々を語り、読者を魅了していたじゃないかと思います。言葉の選び方が「語る」ではなく「読む」という印象でした。

    特に印象に残ったのはモノレールの話の中、正吉さんは訳があってモノレールがある小屋住まいの話。「時々はちがうやり方で肌をあっためてくれる場所にも出かけたりして」その隠喩な表現は全く裏のいやらしさを感じず、今まで読んできた作品では見かけない表現でした。ただ慣れない熟語も多く、辞書を調べながら読んでいたので、なかなか進まずでいた。

    日本語の勉強を全て独学してきた私には、まだ少し難しいかもしれません。でもめげずにまた読んでみたいと思います。

  • 王子駅も都電荒川線沿線にも縁があり、土地勘があるのでおおかたはたのしく読めた。
    しかし心情描写としてでてくる、他の作家さんの引用部分がどうしても読み進め辛かった。「私」の周りに起こること、考えることがどうしても分断されてしまうようで。旧仮名とか、文語体で書かれるとそれを読むだけで、中身が頭に入ってこないのが敗因でした。

  • 面白かったです。
    町に生きる普通の人々が、丁寧に描かれていました。
    なんてことのない人々ですが、誠実に暮らしていてなんだか暖かい気持ちになります。
    登場するのは短い間なのですが、正吉さんが印象に残ります。「いつもと変わらないでいるってのはな、そう大儀なことじゃあないんだ、変わらないでいたことが結果としてえらく前向きだったと後からわかってくるような暮らしを送るのが難しいんでな、」という呟き、そんな暮らしをわたしも心がけようと思いました。
    あと、「かおり」という美味しい珈琲も出る居酒屋さんの、茄子の料理がとても美味しそうでした。これはやってみたいです。
    主人公のラスト辺りの行動ははっきりした方がよかったよね…と思いましたし、正吉さん結局どうなったんだろうというもやもやは残るのですが、読み終わって、良い物語だったなぁと思いました。
    お話のこの先をふんわり考えてしまいます。

    「ありのままってやつが逃げにつながるようじゃ元も子もない」というのは心しておきます。

  • 堀江敏幸の長編デビュー作。一見、著者本人とおぼしき主人公の身辺雑記を描いただけのように見えるが、そう単純ではなく、ここにはさまざまな仕掛けが施されている。文中には、あまり馴染みのない島村利正の『残菊抄』をはじめ、安岡章太郎の「サアカスの馬」などが随所に引用され、これらもこの小説世界の形成に関与している。また、それと明示されない若山牧水や在原業平なども、さりげなく紛れ込ませてあるし、往年の名馬の回想シーンも小説の基軸となっていたりもする。そして、ここ都電荒川線界隈を舞台に登場する人たちはことごとく魅力的だ。

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著者プロフィール

作家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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