河岸忘日抄 (新潮文庫)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (405ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101294735

作品紹介・あらすじ

ためらいつづけることの、何という贅沢-。ひとりの老人の世話で、異国のとある河岸に繋留された船に住むことになった「彼」は、古い家具とレコードが整然と並ぶリビングを珈琲の香りで満たしながら、本を読み、時折訪れる郵便配達夫と語らう。ゆるやかに流れる時間のなかで、日を忘れるために。動かぬ船内で言葉を紡ぎつつ、なおどこかへの移動を試みる傑作長編小説。

感想・レビュー・書評

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  • 10年くらい前に買って、何度も途中で挫折し、結局読み終えるのに今日までかかってしまった。

    にも関わらず、
    10年間ずっと大切な本だった。

    孤独である、ということに、こんなにあたたかい日の光を注いでくれる小説を、他に知らない。

  • 読み始めた事のみを理由にして読了するには、多くの時間を費やしすぎた気がします。

  • 職を辞して日本を離れ、ぼんやりと日を忘れて過ごすためにフランスへ渡った「彼」は、旧知の老人が所有する居住用の船に暮らし始める。「可動式河岸」でありながら移動できない繋留された船の上で、ふとした言葉や何かのサインのように目の前に現れるキーワードに導かれ、綴られる思考の航跡。もはや青年ではなさそうな独り身の男性の、食事を作り、珈琲を淹れ、市場へ買い出しに行き、郵便配達夫や大家たる老人たちと言葉を交わし、本を読んで音楽を聴き、水に揺られながら眠る、そんな日々が、綴られる思考の背景として季節のめぐりをぼんやりと写し込みながら描かれる本作は、まさに流れゆく時間の河岸から届けられる手紙のよう。
    異国での船で淡々と反復される日々の営為――堀江氏の端正な文章には生々しさがなく、日常感のある非日常とも、あるいは非日常感のある日常とも言える不思議な確かさと遠さが感じられて、読んでいるこちらも動かない船に揺られながら音楽を聴いているような心地になる。きっぱりとした宣言や明確な主張を切れ味よく語ることは、実は簡単で。そうではなく、ぼんやりと視界を横切っていくもの、心にふとよぎる思い、そうしたものの曖昧さを曖昧にしたまま、端正な言葉で精緻に表現していく堀江氏の筆力には感動さえ覚える。
    断章形式で綴られ、思考が呼び起こす連想のままにトピックが動いていくこの作品は、季節の流れに沿って描かれている出来事に焦点を当てれば一つの大きなストーリーもあることはあるが、物語の前から重ねられている日々と物語の後も続いていく日々の、ほんの合間の「忘日抄」として、あえて区切りをつけない一束の言葉たちとして読むとき、一層の豊かさが輝く。何かが終わるわけでも、始まるわけでもない、けれど少し新しい景色が顔を覗かせるラストが、嵐も過去も別れも飲み込んで流れていく時の川の河岸に立つ「彼」の、「動かずに移動する」新たな一歩を予感させてなんとも充足した読後感。
    決める、断じる、物事の輪郭を見極め、価値や意味を見出しながら進む。そんな生き方が是とされがちな現代、自分が暮らす船の対岸側からの見た目すら確かめないまま贅沢にためらい続け、受け身ではない待機としての現状維持の日々を送る「彼」の在り方に、なぜかとても憧憬を呼び起こされる作品でもある。

  • 子供の頃は一分一秒毎に将来の夢が変わった。女優にもお花屋さんにも宇宙飛行士にも教師にもなりたかった。
    でも、本当はもうなりたいものになっていることに気づいていた。それは「何かになりたいけど、なれない(ならない)」自分であって、何かにならなければ、何にでもなれることを知っていた。

    この本に描かれた、河辺にひっそりと漂い続ける生活は憧れる。でも、「憧れる」じゃ少し足りない。この幼児みたいな丁寧な生き方を、私達はおそらく「知っていた」。
    ためらい続けることの贅沢さ、何にもならないことの自由さ、悲しみを悲しみと定義することで陳腐化してしまう悲しさ。
    それと、自分を必ず迎えに来るKみたいな得たいの知れない結末の存在。
    そんなことを。

    なんか、この本は感想を書くことで感想が失われてしまいそう。
    そういう儚い本。

    あとは、これは忘日じゃなくて、覚日抄だよなあって思った。

  • ひとの何倍も働いてきた「彼」がそれまでの生活を清算し、異国の地の河に繋留されている船を借りて日々を過ごす。備え付けの本棚から本を出して読み、レコードをかける。クレープを焼きコーヒーを挽いて淹れ、郵便配達人と飲む。大家を訪ねて箴言の数々を聴き、母国の知己である男性と手紙を交わす。
    親しいエッセイのようで、読み進めるうち「彼」からいつ自分にも手紙が届くだろうかとさえ感じ始めたが、「彼」は一切の他者との関わりを躊躇いつづけているひとなのだった。
    正直者すぎる「彼」が人生という河の途中で(しかも河の上流のほうだ)動かない船に乗って躊躇い続けることを選んでいる時点の思考の軌跡は、あたかも「彼」の逡巡のようでいてその実己の逡巡を読み上げているかのようだ。だが、やさしい。日本の知己である枕木さんの思慮深い手紙、その言葉遣いの明晰さがきらきらと光る。
    他者なくしてあり得ないのが人の一生だが、そこにこんな止まり木があると思うことは、ちょっと、とてもすてきだ。主人公とともにたゆたいに身を浸すよろこび。そっとしずかにあり続ける肯定感。


    読む本の選択と暗喩のすばらしさも特筆に値する。特にブッツァーティはこれの先にでもあとにでも読むとさらにたのしさが広がるはず。
    このスピンオフとも言うべき枕木さんの小説が『燃焼のための習作』なので、たのしみはつづくのだった。

  • ひさしぶりに長い小説を読んだ。

    だが「読んだ」ということが「読了」を意味することであるのならば、ちょっと違うような気がしてくる。
    「読み終える」ことに意義を付さないものがこの文章・・というより堀江氏の文体にはあるようなのだ。

    「ためらい」つつ、変奏しながらどこまでもつづいていくような・・

  •  セーヌ河に浮かぶ船で人が暮らしている姿を見たことがあるだろうか。あれは「ペニッシュ(平底船)」とよばれる住居だ。水上生活者といえばランクの低い生活と思われがちだが、とんでもない。セーヌ川の河岸に泊まるペニッシュは「億ション」もザラにある。しかも河岸に停泊できる艘数に制限があるため、何年も順番待ちが続く。停泊料もかかる。しかし一戸建てが許されないパリ20区の中で、独立した住まいを持つにはこれしか方法がないのだ。
     そんな事情を知ってこの本を読むと、主人公の暮らしがリアルに思い描けるかも知れない。何をしているのかわからない主人公の「彼」。隠遁生活とも言える暮らしの中に、時々パリジャン、パリジェンヌが入り込んでくる。しかし彼らが去るとまたひとりの暮らしに。しかし船暮らしは快適なものらしい。船底を打つ波音。頭上に広がる星空。早朝には舳先で鳥がさえずり、日々の暮らしはとてもパリとは思えない静けさだ。ほうれん草を茹でてオムレツ風グラタンを作ったり、雨の湿気を含んだバゲットをオーブンで温め、バターとグラニュー糖をかける(簡易ラスクである)。本を片手に済ませる食事。気が向いた時にかけるレコード。
     かつてはパリに多くいたであろう「思索する人」が、いまもこうして棲息しているのかも知れない。セーヌ河岸を早朝に散歩しながら、「彼」の生活を覗いてみたい気持ちになる。

  • 傑作。
    読んでいると、思考が揺蕩い、読み終わるのに相当な時間をかけてしまった。

    鴨長明、方丈記が作中で引用されている。
    「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」

    流れていく水の上の動かない船。永遠の河岸。

    異国の河岸に繫留された船に住む「彼」。レコードと本に囲まれ、珈琲とパンケーキの香りに包まれた、慎ましやかで贅沢な暮らし。

    人間は自由。どこに向かおうが、どこに留まろうが、その選択は、この「私」にあるのに。なぜ、こうも生活に追われてしまうのかと、自らの暮らしにうんざりしてしまうことは、しばしば。だけど、この本を開けば、そこには「別の」暮らしの可能性が満ち満ちている。

  • 生きていること、それはいろんな意味で移動すると言うことで。物理的にも心理的にも。けどその移動の影響をあまり受けない生き方というのもまたあるわけで。本来移動するための「船」が動かない状態で存在し、その中で生活すると言うのはどういうことなのだろう。主人公がフランスのセーヌ川のほとりに係留されている船の中で始めた生活は、動くことを拒否し変わらないことのなかで移動していくものをぼんやり眺めているというようなもの。ひっそりとした秋の雨のような物語。

  • ついている付箋の数がすごい。

    すすめていくほどに、暗雲が立ち込めてありながらに少しずつ見えてくる隙間と、気持ちの移動の跡。
    答えを求めないことを肯定することを否定されることが多い中、このような本を読めたことが嬉しい。

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著者プロフィール

作家

「2023年 『ベスト・エッセイ2023』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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