- Amazon.co.jp ・本 (282ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101294742
作品紹介・あらすじ
とりすました石畳の都会から隔たった郊外の街に暮らす私。自らもマイノリティとして日を過ごす傍らで、想いは、時代に忘れられた文学への愛惜の情とゆるやかにむすびつきながら、自由にめぐる。ネイティブのフランス人が冷笑する中国移民の紋切型の言い回しを通じ、愛すべき卓球名人の肖像を描いた表題作をはじめ、15篇を収録した新しいエッセイ/純文学のかたち。三島賞受賞作。
感想・レビュー・書評
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3年間ずっと同じクラスだったけど喋ったことはなくて、知ってるのは名前と顔くらい。ところが卒業間近になって共通の友だちの集まりで初めて喋ってみたらすごい気があうじゃんー、なんだよーみたいな堀江くん(ほんとは先輩だけど)。
図書館で借りたあと書店で購入。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
最初、小説なのかエッセイなのかわからなかったが、読んでいくうちに文体にも慣れてきた。
仏文学の知識にあふれていて、気負いがなく自然に言葉が流れていて好印象だった。
小説の方にもぜひ触れてみたいです。 -
主にフランスを舞台としたエッセイで、日常の出来事と、そこから想起される本が紹介されるスタイル。本を読む、というのはこんなふうに内面世界を豊かにするんだなあ、たくさん言葉を知るということはこんなにも美しく世界を感じられるんだなあ、と惚れ惚れする。
そこはかとないユーモアとノスタルジー、何かを失ったり、別れたりする時の、諦めめつつ愛おしむ切ない感情、など、色んな想いがよぎって心が満たされる。
特に好きなのが、「床屋のパンセ」「ボトルシップを燃やす」「のぼりとのスナフキン」。いずれも、ふと出会った人とのやりとりが面白く、切ない。
フランスの文化や社会、移民の日常など、普段日本にいては分からないことが臨場感をもって感じられるし、日本ではメジャーじゃない作家や芸術家についての話があるのも面白いところ。 -
エッセイ、なのか?ものすごく繊細で美しい短編集みたいなかんじ。
どの話も印象的で、ひとつ読むとお腹がふくれてなかなか読み進められなかった。
情景と心情の描写が重なりあう感じというか、その美しさはかなり好みの文章。
時間を置いて、この著者の他の作品も読んでみたい。 -
これは本当にびっくりした。こんなものがありなのか、と。限りなく小説の形式で書かれているエッセイ。もしくは限りなくエッセイのように語られる小説。最初、当たり前のように短編小説集だと思って読み始めたら、エッセイの風味になってきて、どっちがどっちか分からなくなった。しかし、実体験であれ創作であれ、それを限りなく昇華させていて、とても面白い短編集だった。時折引っかかるようなわざとらしさ、というか全体の美しい流れを損なうような一瞬を含んだ短編があって、それが残念だったのだけれど、差し置いても本当に面白くて新しい。特に表題作、おぱらばんの完成された美しさといったらまるでガラスケースに収められたフランスを見ているようで、純文学の素晴らしさというものが心を刺した。
この人がこれから日本の文学シーンでどういう立ち位置でどういう作品を発表するかはまだまだ分かりませんが、わたしはすごく注目して見ていこうとおもいます。既刊も全て読みます。 -
久しぶりに出会った素晴らしい短編集。
ダイヤモンドのような派手な輝きはないけれど
真珠のような淡い輝きが全編を通して感じられる。
パリで異邦人として暮らす描写が多いが
なんとも優しいトーンで現実としてのパリの湿った空気が感じられそうだ。
読み終えるのがもったいなくなる。
ずっと読んでいたい短編集だった。 -
いつもの堀江さんのテーストに引き込まれ、見知らぬ仏文学の世界も知ってるような気に。今回面白かったのは、もちろん「オパラバン」にある、悲しいかな欧州で我々アジア的同胞が皆味わうであろう逸話であり、海胆先生であり、自称詩人であり、黄色い部屋でもあるのだが、一番は「のぼりとのスナフキン」の一節である。「・・・だが帰るべき場所があるかぎり、漂泊は甘えにすぎない・・・漂泊の真似事を許した身に、スナフキンの孤独を理解できるはずもないのである」ということで、パリ郊外を漂っている堀江さん自身が帰るべき場所を必要としている、スナフキンになれないことを自覚しているところに、どの本にも共通している地に足の着かなさ、のワケがあり、堀江さんに共感する理由があるのかもしれないと思った。旅行記だの滞在記だのを読んでも、自分が漂流者だと気づいていない人の文章は軽薄で何も惹かれないし、「冒険家」の椎名さんだって、もしかしたら岳物語などを通じて、家という確固としたベースがあることを知っているから好きなのかもしれない。スナフキンの自由は、孤独、あるいはそれに伴う痛み、に裏打ちされたものであり、それが覚悟できない者には選べない道であり、でもそんな彼にも年に数ヶ月?のムーミン谷という心のよりどころがあるであろうことは、ちょっとほっとする要素でもある。
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今読んでいる一文がその次の一文に対して過不足無く必要な一文である、ということを考える。飛躍しながらこだわり続け、凝り固まらずに地中に根を生やすような文章の流れに感嘆するのである。うーん、なんか違うかなー。うまく言えない。
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こういう文章を読むと
パリっていいなぁと思う。
こんなにも素敵な本を今まで知らなかったのが、ちょっと残念。
毎日大切にちょっとずつ読んだ。 -
大好きな作家の、短編集。素敵な一冊。
この人の「声」は、音にならない想いの足跡みたいなものに感じられます。
そして、孤独です。決して負の意味ではなくて、世界は独りの頭の中にある、という意味での孤独。
独りの時間の流れとは、さまざまな人と交わす言葉や、街角で出会うワンシーンが、自分の中の記憶を起こしまた流れていく、その流れ。
川の流れのように、ひとつ、またひとつと想いがめぐるんです。
この人の本で一番最初によんだのが「河岸某日抄」だから、川のイメージが強いのかもしれないけど。
どの短編も雰囲気あるけども、「のぼりとのスナフキン」、「河馬の絵葉書」、「貯水池のステンドグラス」が特に好き。
どの話も、時代に忘れられた文学作品に想いが行き着くので、読んでみたいなと思う本が増えます。
こんなに想いに奥行がある方と、お話してみたいなぁ。
「帰る場所がある限り、漂泊は甘えにすぎない」。
独りで、静かに、特に夜、読むと美味しいです。