老師と少年 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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レビュー : 73
  • Amazon.co.jp ・本 (120ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101304816

感想・レビュー・書評

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  • 友人に薦められた本。

    これは、星が5つでは足りない。
    挟まれた付箋紙の数がそれを物語っている。

    以下、ネタバレ







    「選べるからなのだ。選べるから、死ではなく、生を選ぶ。理由のないこの決断が、すべての善きことをこの世に作るのだ…そうだ、理由もなく生を選ぶ。それだけがこの世の善を生み、善を支える。」
    「生きていくことの苦しさと、生きていることの苦しみは違うのだ」
    「信じる」ということは、隠すことに過ぎない。<神>は永遠の夜なのだ。
    「理解できないことが許せないとき、人は信じる。信じていることを忘れたとき、人は理解する」
    「自分が自分であること、自分がいまここに生きていること、それを
    受け容れたい。ただそれだけの欲望が答えを求めるのだ。
    そしてこの欲望だけが、生きていることの苦しみなのだ」
    「他人に欲望されることで、自分を支え、生きていることを受け容れる」
    「この世にたった一つしか無いものは、だから大切なものなのか、だから
    無意味なものなのか、どちらだと思う?…本当に一つなら無意味だね。
    …でも、その一つが自分だと無意味とは思えない。だから人は苦しいのだ。」
    「大切なのは答えではなく、答えがわからなくてもやっていけることだと、
    彼はどこかで感じたのだ。」
    「生きる意味より死なない工夫だ」

  • 「人は、自分はどうして生きているのか?」堂々巡りをしながら悩んでいた10代の頃を思い出した。私には老師はいなかったが、友人がいた。胸に迫り来る想いを、毎日毎日話し合った。

    いつの間にか、当たり前のように生きていた。

  • 禅僧の南直哉氏の書いた本。老師と少年の対話を通して禅の考え方を伝える。

  • ぼくはいつか死ぬ。
    たったひとりで。
    なのに、大人は平気で生きろと言う。
    理由なき世界に生み落とされた少年は、「ただ死んでいく」のではなく、自ら「生きていく」ことを選びたいと願った。
    そして、月に照らされた森を抜け、老師の庵へとたどり着いた。
    九夜にわたる問答を通して語られる、命の苦しみ、尊さ。
    気鋭の禅僧の精錬された文章と行間が魂の奥へ突き刺さる現代人必読の物語。
    (あらすじより)

    ストーリー性はほぼ無く、老師と少年がまさに禅問答をする形式で進みます。

    自分の生に意味を見出したい、理解したい少年に対して、老師は明確な答えは出さずに、伝えます。

    本文から印象的な部分を抜粋します。

    人は、自分が存在する。自分が生きている。そう思うから、人は自分とは何かを問い、なぜ生きているのかを問う。
    しかし違うのだ。
    「断念せよ。自分を脱落せよ。ならば問いは消滅する」。 つまり『解脱』を説いている訳だと思います。

    少年にとっては身も蓋もないと言う印象ですが、仏教の教義としては当然です。

    仏教最古の経典スッタニパータに「〈われは考えて、有る〉という〈迷わせる不当な思惟〉の根本をすべて制止せよ」という言葉があります。 「輪廻の流れを断ち切った修行僧には執着が存在しない。なすべき善となすべからざる悪とを捨て去っていて、彼には煩悶が存在しない。」
    つまり、悪いことだけではなく良いこともしない。そもそも善悪について悩まない。

    考えること、感じることを捨て去る『究極的な無』がブッタの教えの目標なのです。

    極めて死に近いながらも自殺すれば良いわけではなく、たぶんこの境地に達すると、生きながらに死ぬのでしょう。

    それが出来ないから、我々は悶々と悩んだり、悩むことを一時的に忘れて能天気に生きたり、時にはどうにもならなくなり死を選ぶわけです。

    どれが正しいのか?

    そうやって悩むこと自体、煩悩に囚われている証拠です。

    たぶん

  • いやー、著者の評論は好きだけど、この小説はなにやら深淵すぎて。。。はじめて著者の本を読む人は「なんじゃこりゃ」と思うだろうなあ。

  • 禅の思想に基づく話。
    「この世にたった一つしか無いものは、だから大切なものなのか、だから無意味なものなのか、どちらだと思う?」の問答にはっとさせられた。
    文庫100ページ程ですぐ読める。とてもいいです。

  • p.32「いま、ここ、だ。私はそこについた印なのた」

    p.55「生きていくことの苦しさと、生きていることの苦しみは違うのだ」

    自分とは何者か、死とは何か、人生とは何なのか、どんなに考えても答えは出ないし考えるだけ虚しいけれど、生きていくなかで一度は向き合わないといけないものだと思いました。

  • 何度か読まないと理解できない。いや、理解できないという表現は適切ではない。理解するというより、自分なりにこの本を消化するには何度か読む必要があるということだ。
    一読した時点で思ったのは、この本が伝えたいのは、「考えても答えは出ない。考えるのをやめて、とにかく生きろ。」ということ。
    少年は「私は何者なのか?」のような哲学的な疑問について老師と話しているが、考えても答えは出ないということが全ての悩みに通じるのではないだろうか?…と考えれば、この本を日常生活に活かせるような気がする。

  • 気付いてしまった少年と気付いてしまった人として葛藤してきた老師の交流と伝承の物語。どう死ぬということ生きるということを考えるのか。テーマとしてもその「解」にしても正直すぎる葛藤を抱える「ぼく」たちの話。一神教や密教だろう信仰の構造を批判的に参照しつつ、「生きる」ことを「善い」こととしてどう選ぶのか、少年の葛藤を老師自信の葛藤や老師の恩師との出逢いを振り返る形で探っていく。

    個人的には、この老師の話は木村敏の『心の病理を考える (岩波新書)』と同じ着地地点じゃないか、と感じた。これが仏教ベースの思想なのかぼくには分からないけれど、著者の僧侶としての修行の中である意味、悟った境地なのかもしれない。そして、この少年はこれからも葛藤して、葛藤することで成長し、人と出会っていくのだろう。傍らでその少年と老師をことを見つめていた少女と少年の出逢いはどんなものだったのだろう。

  • 生きる意味、生きる意義、思考する意味。 読み返そう。

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著者プロフィール

禅僧。福井県霊泉寺住職、青森県恐山菩提寺院代(住職代理)。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て1984年に曹洞宗で出家得度。約20年の修行生活ののち、2005年より現職。著書『語る禅僧』(ちくま文庫)、『自分をみつめる禅問答』(角川ソフィア文庫)、『「正法眼蔵」を読む』(講談社選書メチエ)、『なぜこんなに生きにくいのか』(新潮文庫)『恐山 死者のいる場所』(新潮新書)『善の根拠』(講談社現代新書)、『禅と福音』(春秋社)、『「悟り」は開けない』(ベスト新書)他多数。

「2017年 『死と生 恐山至高対談』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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