- Amazon.co.jp ・本 (243ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101304823
作品紹介・あらすじ
人として存在するかぎり、苦しみはけっしてなくなることはない。ならば、この生きがたい人生をいかに生きるか、それが人間のテーマではないだろうか。宗教はなんらかの真理を体得するものでなく、少しでも上手に生き抜くための「テクニック」。自らの生きがたさから仏門に入った禅僧が提案する、究極の処生術とは。困難なときこそ、具体的な思考で乗り切るための"私流"仏教のススメ。
感想・レビュー・書評
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『なぜこんなに生きにくいのか』南直哉氏
著者は曹洞宗大本山永平寺で20年修行し、その後別の寺の住職をされている方。著者がいうとおり「仏教の教え」や「仏教のすすめ」の記述はほとんどありません。それよりも、世の中、他者そして自分の関係性をどのようにとらえ、考えるのか?の示唆を中心としています。
静けさ ★★★★★
私は?という問い ★★★★★
解放感 ★★★★★
【購読動機】
『なぜこんなに生きにくいのか』。このタイトルを読んで、手にとったのでした。当然、自分のこともあるかもしれません。また、日常で流れる事件、事故について頭をよぎったのかもしれません。
書とは、執筆者の考え、価値に触れる機会と考えています。また、自身と比較し「どうよ?」と考える機会とも考えています。それを作ってみたかった・・・というところです。
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【読み終えて】
ひとり静かに書の世界へ入ることができました。最初から最後まで。語り口は、優しく、難しい言葉も少ない書でした。
一つひとつの問いに対して、私はどう考えているのだろう・・・と立ち止まる書となりました。
著者がいうように、考え方・解釈に正解、不正解なんてありません。
著者がいうように、納得する、しないの合理的根拠がないことの方が多いかもしれません。
そうした示唆にふれたことで「あー、そうだね、流してしまってもいいよね!」と解放する勇気に触れることができました。
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【著書より】数字はページ
価値あるもの、意味があるものというのは人と共有することでしか生まれないのです。36
人間の苦しさや寂しさの根底にあるのは、自分であること、生きていることが「課せられた」ものであるという断然たる事実です。(生まれたは受け身。自らの意思ではない。)
課せられるということは、要するに根拠に穴が空いているのです。44、45
ある物語が本当か嘘かということは、物語それ自体においては決められないことになります。物語が本当か嘘かより、その物語のもつ「効果」の方がもっと大事ではないでしょうか?72
「自分」というのが手に負えるものだということ自体が、大きな誤解です。82
「本当の自分」などはどうでもいいと思うこと。「自分はわからくて当たりだ」と決めてしまった方が、ずっと楽に生きられるはずです。92
「問いの仕方」を変えるのです。自分とは何か?ではなく、自分にとって大切なものは何か?93
人は「生まれてしまった存在」なのです。そのことを、ある時点で引き受けようと覚悟を決めたとき、価値が生まれるのです。生きていること自体に意味があるなんて幻想は捨てた方がいい。(省略)それよりも大切なのは、事実を引き受けることです。99
「絶対的な何か」や自分のなかに「絶対的な根拠」があると考えるのは、やめた方がいいと思います。100
与えられた「自己」をどのように引き受け直すのか、そしてどう作り直すのか、ということでしょう。102
「問題がなにかわからない」よりは、問題を明らかにしたうえで、それを「わからないこと」として受け入れる方が納得しやすいでしょう。
仏教に「業」という言葉があります。意味は、「行い」です。(省略)受け止めない限り、業というのは成立しません。129
(他者との)関係性において重要となるのは、想像力、あるいは「慈悲」といってもいいでしょう。慈悲とは他者に対する想像力です。165
相手のあり方とその苦しさをわかろうとする努力 ここに「慈悲」の根幹があります。173
教養というのは、自己と世界の在り方、何よりその関係性を批判的に見ることができる、ということだと私は思っています。192
知らなければならないこと、知っておくべきことを見つけることは重要です。それが「自立」を意味するからです。自立には知恵が、教養がいるのです。195詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
・私たちは、言葉に定義を与えることで、答えのない問題に早く決着をつけようと焦るわけですが、それは、誤った答えに向かって全力で走るということに繋がりかねません。
南 直哉さんは、仰います。
"私は「問い」と「問題」を区別して考えています。「問い」は、アプローチのしようがない、正体不明のわからなさ。「問題」は、ある「問い」が言語によって明確化され、アプローチできる状態になったこと。
なんだかわからないけどつらい、というような問いを、少なくとも自分の言葉で設定できる課題にまで構成し直すこと、つまり具体的な問題として言語化することが大切です……。
人は答えを出すことを第一に求めがちですが、答えを出すことを急げば、問題は安直に構成されます。答えはむしろないと思った方がいい。"
私たちは、言葉に定義を与えることで、答えのない問題に早く決着をつけようと焦るわけですが、思惟の足らない定義付けは、誤った答えに向かって全力で走るということに繋がりかねません。むしろ答えを求め続けることが人生なのかもしれませんね。
そして、私たちは、生きている根拠を求めて、心の真ん中に空いている穴に、詰め込むためのものを必死で集めているのかもしれませんね。でもそれは結局、ラカンが言うところの他者の欲望に過ぎなくて、アイデンティティとは呼べないものなのでしょうね。 -
新聞広告で、著者 南直哉(みなみ じきさい)さんの
2017.07.21発売『禅僧が教える 心がラクになる生き方』の宣伝コピー
「自分を大切にすることをやめる」「置かれた場所で咲かなくていい」--。
が衝撃的で(生き難さを感じている人間で、これまでに心理本、啓発本は読んできているため)
是非読んでみたいと思いましたが図書館では大変人気で予約待
それでこちらを先に手に取りました。
今までに出会えなかった
出会えて肩の力が抜けた(ほっとした)一言
第二章 人は〝仕方なく〟この世に生まれてきた
この生き難さ、悲しい、悔しい思いをするのは
生まれてくることをそしてそういう運命を自分で選んで生まれてきた
と思っていたから
だから、変えられないし、そういう運命だから仕方がないと大げさかもしれないが自分の人生にはある意味絶望していた
でもそうじゃないと考えていいんだと
この考え方に出会えて思えた
自らが生きがたさから仏門に入られた南禅僧が書かれたものだから
少しでも上手に生き抜くためのテクニック、処“生”術にはかなり共感でき、また心強かった
図書館派ですが、購入したい。 -
#図書館
#評価の背景
深い内容なのに、とても読みやすい。
生きがたいと感じている人に寄り添い、語りかけられているような本。
#本から受け取ったメッセージ
タイトルと背表紙に書かれた紹介文が本の伝えたい内容そのもので、秀逸だなと感じました。
「宗教は生きがたい人生を少しでも上手に生き抜くためのテクニック」
「禅僧が提案する究極の処生術」
#心に残った文章(抜粋)
たくさん有りすぎて、全部残すべきか迷いながらも入力してみる。
P5 仏教の教えが(中略)意味があると知れば(中略)相対化する視点をあたえること
P60 恐山が恐山であるゆえんは(中略)人を想う気持ちにあるのです。
P72 宗教や信仰というときにも、何が大事かというと、その教えの「効果」、つまり人との関係を豊かにするのか、それとも壊すのか、それに尽きる
P92 「本当の自分」などどうでもいいと思うこと。(中略)それより、いったい自分は何を大切にして生きたいのか、誰がいちばん大切な人なのかを考えるのです。
P122 夢や目標は、ゴールではなく、道路標識の一つに過ぎません。(中略)いまの自分に豊かな人生をもたらすかどうかが問題なのです。
P167 相手を許しがたいのは、自分がかわいそうだからです。
P172 相手を「敬う」関係が唯一理想の関係
#Action
長年、茶道を習っているので『禅語集』など禅の本は手元にあるし、禅アプリも入れている。
禅の教えを単なる知識としてではなく、座禅もなんとなく良さそうだからやる、ではなくて、処生術、テクニックとして「意識して」活用したら生きがたさも緩和されると気がついた。なんでもそうだけれど、「受け手次第」。 -
とても読みやすく、仏教思想の入門の本としては
とても共感できました。中道の考え方でわかりやすいです。文庫だと値段も安いのでおススメです。 -
タイトルが、まさに自分がいつも悩んでいることだった。なぜ生きることは、こんなに苦しいことばかりなのか。なぜ自分はこんなに生きにくい性格なのか。その答えと、どうすれば生きやすくなるのかを知りたくて読んだが、はっきりとした答えは得られなかった。解決の道を提示する本ではなく、生きづらさのもとになる諸問題について、著者の考えを述べた本という感じ。もちろん著者の考えには共感する点も多い。重要なのは、教義的に正しいこと語るより、その人にとって意味のあることを語ること、など。
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住職の南氏によって仏教から見る処『生』術が説かれる。
我々の世間にある善行と仏教の善業は異なっているから善いとか悪いとかにしがみつかないで的な話。もっと読み込んで読書感想文を書きたいけど、濃すぎてままならない。凄い本。 -
曹洞宗の僧侶であり、恐山にあるお寺の住職である著者が自身の体験、信仰を通じて、生きることに向き合った本書。
自身も生きる苦しみを生き抜いており、また僧侶として様々な人の生きる苦しみに寄り添った経験から紡がれる言葉は重みがあり、形だけの言葉ではない。
耳障りのよい都合の良い宗教でなく、苦しいがそれでも向き合わねばならない苦しさをがっちり包み込む仏教というものが良くわかる。
日本では念仏仏教が流行ったり、仏教系のカルトが流行ったりしたせいで、とかく前世、来世やご利益の話になるが、本来の仏教は事実を積み上げて、考えてもわからない事は言及しない徹底したリアリストの姿勢だ。
本書はその本来の仏教の姿をもって生きる指針を示してくれる。
非常に良い本で、時たま読みなおしたいと思う。 -
良本。何度も読み返したくなる。
自己のあり方、生きる意味、親子との関係、仏教に基づいた考え方が大変参考になった。 -
曹洞宗の僧侶、南直哉氏の著作。南さんの本は4冊読んだが、これは一番最初に読んだもの。
この人の本が人を引きつけるのは仏教的な無常観とヒューマニティのバランスにある。
思想そのものの適否ではなく「生きる手段になるのであればそれで良い」というスタンスで、現実的で穏やかな気の持ち方を説く文章が多い。
求道者である以上にプラグマティックな現実主義者なのだと感じる。
ただ、左派文化人的な経済批判・低成長擁護が時おり出てくる点は気になった。現状維持の困難さから目を背けることは社会保障負担を将来世代に押し付けるのと変わらない無責任だ。