- Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101308418
作品紹介・あらすじ
日本人は元来「だましだまし」生きてきたのに津波被害を完璧に予測して対策するなど不可能。原発問題も土建問題もつまるところ戦争のツケ。マイホーム所有が人生の目標だった時代は終わり、どこにどう住まうかが自己表現になる。震災と津波、高齢化、地域格差……さまざまな社会問題をふまえて、現代人の幸せを実現する住まいのあり方について解剖学者と建築家が論じた、贅沢対談集。
感想・レビュー・書評
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栄光の先輩後輩の2人による対談。
震災を受け、これまでの反省をしつつ、これからよ日本人はどう住まえばいいか、というのが全体のテーマ。
全般的に批判的すぎる感じも受けるが、ところどころ勉強になる視点や共感できる考え方が散りばめられており面白く読めた。
・「場当たり的日本」とサラリーマン批判
今の日本は場当たり的。江戸時代は「家制度」があったから、もっと長い時間軸でものごとを薦められていた。ヨーロッパでは貴族がそれを担っていた。今の日本にはそれがない。みなサラリーマンなので、年度の予算にとらわれ長期的視点に立てない。
・コルビジェのサヴォア邸批判
サヴォア邸のピロティは、緑豊かな周りに調和してないいまいちなもの。だが、建物だけで完結するので、だからこそどんな場所でも一応作れる。ある種のユニバーサルデザインであり、世界でヒットした。マーケティングとしては素晴らしい。(個人的には鎌倉の近代美術館はピロティのおかげで建物の存在が軽やかになり、周りの蓮池ともうまく調和していると思うのだが、、)
・超高層ビル批判とスラムのおもしろさ
インドのムンバイで大企業が高層ビルを作ろうとすると労働者が必要になるが、インドではその労働者に企業が住居を提供しなければならない。なのでほったて小屋を建て、そこにインド人は家族ぐるみでやってくる。すると周りに物を売るお店ができ、そうして5年くらいかけて建ててると、出来上がるころにはビルのまわりがスラム化している。だが、往々にして周りにできた自然発生的なコミュニティの方が面白い。大手デベが作る超高層ビルは均一的でつまらないし、テナントも数年で入れ替わることが前提のお店ばかり。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
f.2023/4/1
p.2016/1/5 -
都市計画のあり方や、全体最適を目指す考え方など、ところどころ面白いと思う部分はある。
しかし、ところどころに「専門家の自分が言っているのに周りが馬鹿なせいで分かってくれない」「自分たちが正しいのに思い通りにさせてもらえないからフラストレーションが溜まる」というような話しぶりが出ているのが気になった。
また震災直後というのもあるかもしれないが、有意義な内容よりも体制批判的な文句が多く、全体として内容が薄くなっている。
読んでいて、隈研吾の話は興味深い内容が多かった(耐震基準の限界、コンクリートと木造の違い、ギリシャ建築とローマ建築など)が、養老孟司は懐古主義(土に触れられなければならない、超高層ビル批判など)がしつこい印象。
対談よりも隈研吾の著書を読めばよかった。本書内でも触れられていた『負ける建築』などは面白そう。 -
「建築家、走る」と主張は変わってない。引用されるエピソードは半分以上同じなので、同じ本を2回読んだかのようである笑
以下、自分宛てのコメントに。(入力間違い)-
建築家、走る と主張は変わってない。引用されるエピソードも半分以上同じなので、同じ本を2回読んだかのようである笑
アメリカがこしらえた石油...建築家、走る と主張は変わってない。引用されるエピソードも半分以上同じなので、同じ本を2回読んだかのようである笑
アメリカがこしらえた石油消費に根ざした経済資本主義なんてもんに騙されるな。文系による理想的分析はあてにならないことが多いから、理系的に考えろ。頭でっかちにならずに、現場主義で。権威主義に気をつけろ。
おふたりの発言の根底にあるこういった考えが自分にマッチするから、スラスラ読めるんだろうね。2020/04/19
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おもしろい!
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大局的にものを見る二人の対談、すごく面白く読めた。
こんな風に、俯瞰して物事を見たり判断できる人になりたいと思った。 -
画一的なルールではなく、
「だましだまし」でやりくりする知恵
みたいなものの重要性に共感した。 -
20160525
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だましだましの現場主義とユートピア主義が融け合うように間をぬうことで日本人固有の住み方が生まれるかも。建築に興味がある人以外にもおすすめ。
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養老さんと漫画家の宮崎駿さんとの対談を収録した『虫眼とアニ眼』と主張が非常によく似ています。
対談の内容には賛同すべき点が多くあって、頷きながら読み進めました。
理想論が中心で、「どうなっても知らないけど」みないな投げやりな発言も散見され、実際に何をどうする“べきか?”という表題の問いに対する解はそれほど明確には提示されていません。しかし、こんな指摘に対する著者のお二人の答えは「統一的な答えはない」ということでしょう。
全体の論旨としては大いに賛成できます。
しかし、お二人がすでに60歳を超えており、ところどころに「戦後の日本人はそうやってきた」というような表現もあって、懐古主義的に聞こえてしまう点が残念です。もっと若い論者からこういう指摘がなされればいいと思いました。
批判の対象は次のとおりです。
原子力発電所、建設業界、文系脳、コンクリート、ル・コルビュジエ、マンション、高層建築物、石油、アメリカ、サラリーマン、一律、法制、私有、コンピュータ・・・。
読み進めるごとに、なんだかもう現代が獲得してきたあらゆるものを否定しているような印象をもってしまい、そのあたりも惜しいと思います。「だましだまし」という態度を是として主張されているので、もう少し今のこの国の有り様を下敷きにした、実現可能性の高い提案が聞かれたらよかったと思います。
本書で批判に晒されている文系のサラリーマン建築屋の張本人としては、これに反論するつもりは全然なくて、こういう発想を現実化できる知識と知恵を結集して、なおかつ会社組織の利益至上主義とヒエラルキーの及ばないところでなにがしかの実践ができれば素晴らしい、と妄想するのでした。
――妄想だけではダメすよ。実際にやってみなくては。