エンキョリレンアイ (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (238ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101309729

作品紹介・あらすじ

何もいらない、ただあなたに会いたい。22歳の誕生日、書店アルバイトの桜木花音は、アメリカ留学を翌日に控えた井上海晴と、運命の恋に落ちる。やがて、遠く遠くはなれたふたり、それでもお互いを思わない日はなかった。東京/NY10000キロ、距離を越え、時間さえ越えて、ことばを通わす恋人たちを待つのは驚きの結末だった。涙あふれる十三年間の恋物語。恋愛小説3部作第1弾。

感想・レビュー・書評

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  • あなたは”運命の出会い”を信じますか?

    人は集団社会の中で生きる生き物です。私たちが生きていく中では複数の人たちと日々繋がりあって生きています。学校や職場での繋がり、友だちとの繋がり、そして家族との繋がりというように、私たちは複数のコミュニティで複数の人たちと繋がっています。では、そんな人たちとはどのようにして繋がったのでしょうか?分かりやすいのは会社の同僚でしょう。人事発令によってある意味強制的にあなたは隣に座る人、目の前に座る人を指定されました。そこで、会社の同僚として付き合っていく限りはただそれまでのことです。しかし、そこからそんな人たちと一生を通じての友だち関係になる、さらには愛が生まれ夫婦となる未来が待っていたとなると、その出会いは単なる人事発令の結果以上の意味を帯びてきます。まさしく”運命の出会い”です。

    そんな出会いはもちろん職場の中だけということに限りません。思いがけず、思いもしなかった場所で、思いもしなかった出来事がきっかけとなって人と人とが繋がっていく、それは決して珍しいことではありません。思えばこの世は、そんな”運命の出会い”によって成り立っているとも言えます。

    さて、ここにそんな”運命の出会い”を果たした一人の女性が主人公となる物語があります。『その日は、わたしの最後のアルバイトの日だった』という女性が働く書店を偶然にも訪れた一人の男性。そんな男性が『絵本をさがしています』と主人公に声をかけたことから始まる二人の物語が描かれたこの作品。そんな二人の『アイシテル トオクハナレテイテモ ワタシタチハ ツナガッテイル』という”エンキョリレンアイ”の日々を見るこの作品。そしてそれは、そんな二人の”運命の出会い”の先に続いていく”純愛”の形を読者が目にすることになる物語です。
    
    『出会ったのは、三月。忘れもしない、三月十七日。わたしの二十二歳の誕生日だった』と語るのは主人公の桜木花音(さくらぎ かのん)。そんな花音は『京都駅の裏に立っている』ビル六階の『大きな書店』でアルバイトをしています。そして、大学卒業に伴い東京に戻るという花音は『わたしの最後のアルバイトの日』に『絵本をさがしています』と一人の男性に声をかけられました。『売場にご案内いたします』と向かった児童書売場で『ちょっと助けていただけると、嬉しいです』とその男性は花音に絵本探しを依頼します。『プレゼントしたいんです。いとこの子に』という求めに『喜んでお手伝いします』と『心からの笑顔で』答えた花音は、『絵本が大好きで、いつか絵本作家になりたい』と『中学生の頃から憧れてき』ました。『三つの女の子です』、『高田しょうこといいます。文章の「章」』と説明する男性に『何かヒントを下されば』ともう少し具体的なイメージを求める花音。そんな花音に『そういえば彼女、もうすぐ弟が生まれるんで、それが楽しみで楽しみで』と答える男性の言葉の中の『弟』という言葉に『玉手箱の蓋があくように、頭の中で一冊の絵本の扉が開いた』という花音は『はるになったら』という本を手渡します。そんな書名を『胸がふるえるほどに、懐かしい響き』と感じる花音は『泣き虫花音』と呼ばれていた過去を振り返ります。『ほんのちょっとしたことで』泣く花音を『どうしてそんなに泣くの』とまわりの大人たちは口を揃えて言います。『わたしが泣き続けている本当の理由を、誰も知らなかった』と思う花音は、『泣いてさえいれば、また会えるような気がした。泣き続けているあいだだけは、わたしのそばに戻ってきてくれる』と、『三つの時、貯水池に落ちて死んだ、弟の森彦』のことを思うのでした。そんな時、『桜木さん』と呼ばれ名札を見つめている男性に気づいて現実に引き戻された花音は『あくまでも、わたしの好みですから』と言い『持ち場に戻ります』と告げました。そんな花音に『決めました。贈り物はこれにします』と告げる男性は『レジはあちらです』と案内する花音に『あとひとつ、忘れ物しちゃいました』と右手を差し出してきました。それに『ほとんど反射的に、わたしはその手を握っていた』という花音。そんな花音に『また会えますよね。俺たち、きっとどこかで』と言う男性は『井上…といいます』と自らの名を名乗ります。そんな時、店内放送で呼び出された花音。『あなたは、誰』、『どこから来たの?』、『どこで、どんな仕事をしているの?』と『訊きたいことも、伝えたいことも、あり過ぎるほどあるのに、何ひとつ、言えない』と、やむなく呼び出されたカウンターへと向かう花音。結果として『連絡先を伝え合うこともなく、別れた』二人。そして、『それがわたしたちの、最初の出会いと、最初の別れだった』という二人の”純愛物語”が描かれていきます。

    “遠く離れても、熱く想い続けるふたりのゆくえ。圧倒的な支持を受ける、涙の純愛小説”と宣伝文句にうたわれる全十章から構成されたこの作品。私はこの作品で初めて小手鞠るいさんの作品を読みましたが、その美しい、もううっとりとするような比喩表現の数々に魅せられっぱなしの読書の時間を過ごすことになりました。そんな比喩表現の数々をまずご紹介しましょう。

    ・『呼び出し音一回で、飛び込んできた。真夜中の海を照らす、灯台の明かりのようなあのひとの声』。
    → 留守番電話に残っていた彼のメッセージに折り返しを考える花音は『こんなに夜遅く電話して、大丈夫だろうか』と戸惑います。『でも、声が聞きたい。もう一度、話したい』、『呼び出し音を五回鳴らして、誰も出なければ、切ろう』と決意してかけた電話を『はい、もしもし』と彼が出た時の気持ちをこんな風に表します。

    ・『空しい疑問符に搦めとられたまま、ベッドにどさっと倒れ込む。失望がぐるぐると、全身を駈け巡っている。両手で抱え込んだ枕に顔を押しつけて、悲しくて泣いている女の子のふりをしてみる。まるで、水槽から外に飛び出してしまった金魚のように、なす術もなく、足掻いている心を持てあましながら』。
    → アメリカへと旅立った彼から連絡が『先週は、届かなかった』、『先々週も、届かなかった』と不安になる花音。『ねえ、どうして。どうして、メールをくれないの?』、『あなたは今、どこで、何をしているの?』、そして『もうわたしのこと、忘れてしまったの?』と切ない心持ちにある花音の思いをこんな風に表現します。

    ・『窓の外は、篠突(しのつ)く雨だった。許すことを知らない、優しくない雨だ。強風に煽られ、斜めに降っている。まるで地上に突き刺さる、銀色の無数の針のように』。
    → 『メール、何度か送ったんだけど、ずっとお返事がない』という状況に不安になる花音。『相談したいこともいろいろあります』と人生の悩みの渦中にあり、なんとか彼と連絡を取りたいのに取れないという思いに苛まれ『細く透明な蜘蛛の糸が、ぷつん、と切れてしまった』と思う花音の心情を表現します。

    三つの比喩表現をご紹介しましたがいかがでしょうか?いずれも主人公・花音が、アメリカへと渡った彼・井上海晴への想いを表現したものです。『同じ時間に同じ空、見られないでしょ』とも語る花音と海晴の会いたいのに会えない”エンキョリレンアイ”。読者に切々と伝わってくる花音の切ない思いを見事に表した絶品の比喩表現の数々だと思いました。

    さて、あなたは”エンキョリレンアイ”をしたことがあるでしょうか?また、何をもって、もしくはどの程度の距離が離れたら”エンキョリレンアイ”と言えるのでしょうか?この解は二人の境遇や時代背景によっても大きく異なってくると思います。今の時代であれば地球の裏側であっても科学技術の力によって幾らでも顔を画面上に見ながら実質無料で会話することができます。また、メールやLINEなどによってその繋がりも限りなくリアルタイムです。こうなってくるとかつてイメージされた”エンキョリレンアイ”という言葉から浮かぶイメージと少し異なった世界がそこには見えてきます。”私は、小説にはケータイは介在させたくないという想いがあって少し前の時代設定にしたんです”と語る小手鞠るいさん。そんな小手鞠さんは”ケータイって、常に連絡し合っていても、逆に心のすれちがいがあると思うんです。あるがために相手に気持ちが伝わらない”と続けられます。そんな小手鞠さんの意図もあってこの作品は現代ではなく、時代設定を過去に展開します。そんな物語にははっきりと時代を特定する日付が登場します。『一九九四年四月八日』というその日付によって、確かにメールというツールは少しづつ世の中に登場し始めてきているものの今の時代のように世界中のどこにいても常時繋がっている感覚とも違うある種の不自由さの中での”エンキョリレンアイ”のイメージがそこに生まれる、非常に絶妙な時代設定だと思いました。

    そんなこの時代設定の絶妙さを活かしたのがメールの存在です。まだ、ケータイで見るのではなく『パソコンの電源を入れる。メール、届いてるかな』、『わたしはあわただしくマウスを動かし、キーボードを叩く』、そして『メールボックスに、新しいメールはありません』という表示を見るという一連の儀式のような流れが、手軽に着信を確認できる今の時代と違って、逆に主人公・花音の気持ちの昂ぶりから落胆までを上手くイメージさせます。そして、この作品で特徴的なのが”片方向”のメールの内容だけが記されているという点です。手紙やメールのやり取りで小説を魅せていく作品としては計56通の手紙のやりとりが登場する湊かなえさん「往復書簡」、計179通の手紙のやりとりに圧倒される三浦しをんさん「ののはな通信」などがあります。しかし、それらは”双方向”のやりとりです。一方で、この作品では、アメリカにいる井上海晴と東京に暮らす桜木花音との間のやりとりにも関わらず海晴から花音へのメールのみが大量に登場します。せっかくなのでいつもの如くその数を数えてみました。

    ・第四章〈恋よりも烈しく〉: 1通
    ・第五章〈コンソメの作り方〉: 11通
    ・第六章〈八番目の曜日〉: 2 通
    ・第七章〈詩人の散歩道〉: 12通
    ・第八章〈真夜中の雨音〉: 1通
    ・第十章〈愛よりも優しく〉: 1通(手紙)

    計28通の”片方向”だけのメール(手紙)が強いインパクトをもって読者に迫ります。”片方向”だけだと二人のやりとりが理解できないようにも思いますが、そこは小手鞠さんの絶妙な塩梅によって、花音がこう書いたであろう内容を絶妙に匂わせながらの内容となっているので心配はいりません。それよりも”片方向”だけのこれだけのメール(手紙)を読んでいると、それは、自分自身に宛てられたものであるかのように感じてもきます。まるで自分が花音になったかのような心持ちです。特に女性の方にはこの構成、私が感じた以上の大きな効果をもって読者の心に畳みかけてくるのではないかと感じました。そういう意味でもこの作品は女性の方にこそ、是非読んでいただきたい、そう思いました。

    私は”エンキョリレンアイ”というものをしたことがありません。しかし、上記したような小手鞠さんの絶妙な構成の工夫をもって、主人公・花音の気持ちのアップダウンが痛いほどに伝わってきます。最後にそんな花音の心の内側を巧みに描写した表現をご紹介しましょう。

    ・『切実に、思った。果てしなく、きりもなく、祈るように。あのひとにもう一度だけ会えるなら、それと引き替えに、わたしが大切にしているものをひとつ、ここで今すぐ手放してもかまわないと。いいえ、ひとつじゃなくて、すべて、でもかまわない』。
    → 京都での初めての出会いと別れのあと、花音の中に海晴への思いが”確信”に変わる瞬間を表現します。『きっと、それが、恋?』

    ・『つながるのは心と心。それ以外では、人はつながることなどできない』
    → アメリカへと旅立った海晴。そんな彼からの連絡をただひたすらに待つ花音。『相手を想っていれば、それはつながってることになる』と言い残した海晴の言葉を思い出す花音の切ない心情を表現します。

    ・『あのひとはいつでも、わたしのそばにいてくれる。あのひとはいつでも、わたしの手の届かない場所にいる』。
    → アメリカから花音のことを思いやってくれる海晴。その一方で直接会うことの叶わない花音の思い。『会いたくて、会いたくて、たまらない。そばにいて欲しい。抱きしめて欲しい。なのに、会えない』という切実な花音の思いを表現します。

    いずれも花音の切なさが痛いほどに伝わってくる表現の数々です。もちろんこのような抜き出しでは十分には伝わらないと思いますが、このように”エンキョリレンアイ”に臨む花音の心の内がもう痛いほどに伝わってくる表現がこの作品にはもう全編に渡って散りばめられています。宣伝文句にうたわれる”涙の純愛小説”という、ちょっとクサい表現ではありますが、その言わんとするところがとてもよくわかるとともに、一にも二にも文章表現の魅力に満ち溢れたとても素晴らしい作品だと思いました。

    そんなこの作品、私の拙いレビューではありますが、もし興味をお持ちになって手に取られるとすると一点どうしてもお伝えしておきたいことがあります。それは、他の方のレビューにマイナス印象として書かれている”都合のいい展開”、”ありえない”、”リアリティがない”という難を感じるストーリー展開との兼ね合いです。私もその考え方に全く異論はありません。書店での短時間の出会いでここまでの恋に落ちるものなのか?都合よく物語が展開しすぎではないか?結末はいくらなんでもやりすぎではないか?(結末には本当は違う見方があることを小手鞠さんはインタビューで語られてはいますが…)と私も思います。しかし、小説とはそこに何を見るかです。物語としての現実性を重視すればこの小説はそもそもありえないでしょう。しかし、この作品の魅力はそこではないと思います。上記した巧みな構成によって”エンキョリレンアイ”という状況に置かれた一人の女性の感情の微細な変化、それをうっとりとするような美しい日本語による比喩表現と、切ない感情を見事に文字にする巧みな文章表現によって読者の心を鷲掴みにしていくこの作品。そう、この作品はそんな雰囲気感を味わう作品、一種のファンタジーとも感じるその世界に没入できる喜びを感じる作品、それこそがこの作品世界の何よりもの魅力なのだと思いました。上記にも触れましたが、その意味でもこの作品は女性の方にこそ読んでいただきたい、まごうことなき絶品だと思いました。

    『初めて出会った日、あのひとは言った。また会えますよね。俺たち、きっとどこかで』。

    ”運命の出会い”から始まった二人の”エンキョリレンアイ”の日々を綴ったこの作品。うっとりするような比喩表現の数々と、”片方向”からだけのメールの内容のみを記すという構成の工夫、そして花音の心情を痛いほどに紡ぎ上げる小手鞠さんの筆の力が読者の心を鷲掴みにして放さないこの作品。“純愛小説”が魅せるファンタジーにも似た作品世界にすっかり心を囚われてしまった絶品!でした。

  • 東京とNYとに離れた二人の遠距離恋愛。
    小手鞠さん初読みで、作風を掴みきれなかったように思う。
    東京で就職が決まり、京都で最後のアルバイトの日。そこは、本屋でその日は誕生日の女性。
    偶然、絵本を紹介した男性に恋に堕ちる。
    彼は、翌日には、料理の学校へ入学するためアメリカに飛び立つ。女性は、我慢できず空港へ見送りに行き、そこで二人の運命的な出会いを確認し合う。
    この2回会っただけの二人は、この後、パソコンのメールが主体のエンキョリレンアイを続けていく。
    会えない距離、見えない相手、そこに募る恋心。
    そのあたりをメールで上手く表現している。
    なんだけど、男性の設定が、アメリカで働いていたバンカー?一から料理の勉強?女性とルームシェア?メールの返信も甘めなんだけど、忙しいようだから、確実ではない感じ。申し訳ないんだけど、最初はロマンス詐欺的流れかと思ってしまった。
    運命の出会いから、数度の運命のすれ違い。そして、十数年後の再びの運命の出会い。
    キチンとエンキョリレンアイの小説でした。
    時代は変化して、いろんな通信手段ができてきて、遠距離恋愛は、存在しなくなるかもしれない。
    そして、このちょっとドロっとした、不安定にさせるような雰囲気が作風なのか、他のも読んでみようっと。

  • 遠距離恋愛の経験があり手にとってみました。

    始まりは、ドラマみたいな出会いで素敵でしたが、思ったより軽い雰囲気のメールや、花音が相談を持ちかけたとき、自分の経験談の話に塗り替えて話を返してしまうところ等…海晴がちょっと大人気ないなあと思ってしまいました。
    海晴に魅力を感じなかったせいか、最後まであまり入り込めないまま終わりました。

    文章自体は読みやすく、あっという間に読めてしまいます!

  • タイトル通りのザッ遠距離恋愛の話。
    会えない時間は想いを育てる。
    距離がますます枷となり、
    想像することで理想すら超えていく。

    きゅんきゅんではないけど
    せき切るような逢いたい想いを
    読みながら共感する数時間だった。
    スマホもガラケーもない頃の遠恋小説。

    再会できたのは、すいもあまいも
    知った後の大人になってからなので
    きっと続きは熟した恋愛になるのだろう。

  • 本屋のアルバイト中に出会ったあの人は、
    翌日にはアメリカに行ってしまう人だった。
    そんな人に、恋をした。それは、運命の恋だった。

    詩人だという作者の比喩をはじめとした表現があまりに素敵で、
    どこか幻想的にも思えるその描写にすぐに引き込まれました。

    「そんな風にして、あのひととわたしはつながった。果てしなく広い海で、巡り合えた二匹の魚のように」
    「あのひとは笑った。春の木漏れ日のような笑顔」
    「そこにあのひとの視線を感じて、そのちょうど下にある心臓が、飛魚のように跳ねた」

    恋愛をしていると、ちょっとこれは運命かも!なんて思う瞬間ってありますよね。
    メールをしようとしたらメールがきたとか、物語の中の電話の件もそう。
    私も遠距離恋愛をしていたことがあるから、わかるなーと思う部分もたくさん。
    物理的に近くにいなくても一緒に生きている感覚もわかるし、
    心から信じていても物理的な距離に負けそうになることもあるし、
    ベタなストーリーかもしれないけど、共感する瞬間がぎゅっと詰まった物語でした。

    そして、何より切ない。
    最後を奇跡と見れば、ハッピーエンドかもしれない。
    けれど、きっとそれは幻想で、そう思うととても切ない。
    どんなに離れていても心は繋がっていられると思うけれど、やっぱり距離に比例してすれ違いはおきやすいですよね。
    好きな人とは同じ場所で、同じ時間を生きていきたい。

    会社について、登場人物について、大筋以外の内容もとても興味深い。
    言葉も美しいし、景色も美しいし、週末の夜にいい余韻が残りました。

  • 繋がっているけど繋がっていない。
    エンキョリ恋愛の難しさがとても響いた。

    自分の気持ちは理解しすぎていても他人の気持ちは絶対にわからないこと、またそのことによって不安が募り交差してしまう。

    花音の不安が増大してしまったが、それ以上にあの人は優しい人であり素敵だと感じた。
    途中読み進みていて、え!?かいせいなにしてしんの!と感じたがまさか本屋で再会して終わるとは驚きともう少し読みたいなーと感じた一冊でした!

  • エンキョリレンアイ…通信手段のメインはメール。届いているかいないかで一喜一憂。同じメールを読み返しても、前向きである時には素直に喜べ、気持ちが落ち込んでいる時には突き放されたかのような疎外感を覚え疑心暗鬼にとらわれる。嫉妬、猜疑心、不信感、自己嫌悪。逆に、ちょっとした一言に元気をもらったり、勇気づけられたり、日常のちょっとした事に幸せを感じる事ができたり…。離れていても心は繋がっている。ベタな恋愛小説かもしれないけど、いい歳して泣いちゃいました。あ〜涙腺緩みきってるなぁ。

  • 私自身が国内だけど遠距離恋愛してるから凄く共感しまくりだった。特に花音がメール待ってるときとか、親友の言葉に「愛」を考えるとか。遠距離あるあるですね。離れてても、海晴がいうような「また会える」とか、花音の「あのひとはここにはいない」という根拠のない確信も経験したことあるからすごくわかる。
    ファンタジーっぽいって思われるかもしれないけど、遠距離恋愛している人は特に共感できる部分が多いのでは。

    でもハッピーエンドとはいえ、こんなの辛すぎるから星は4つ。タイミング大事ですね。

  • 会った日数よりも会ってない日数の方が長いはずなのに、ここまで想えるのはすごいなあ。

  • はじめの彼からの手紙はほんとうにニヤニヤしながら読んでいたと思う。
    そしてすれ違う場面では自分がカノちゃんになった気持ちで焦ってどうしようもなかった。
    なのになんだかあっけなく13年間が書かれて、13年後が書かれて、ちょっと付いていけなかったかな。
    でもこれが運命的だから、と言われれば納得できてしまうのかなー現実ではありえない!と思ってしまうけれど。

    そして何より大切なのは、タイミングと自分で自分の気持ちを伝えることだと感じたなぁ。

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著者プロフィール

1956年岡山県生まれ。同志社大学法学部卒業。ニューヨーク州在住。
『欲しいのは、あなただけ』で島清恋愛文学賞、『ルウとリンデン 旅とおるすばん』(講談社)でボローニャ国際児童図書賞を受賞。主な著書に『優しいライオン やなせたかし先生からの贈り物』(講談社)『星ちりばめたる旗』(ポプラ社)ほか、主な児童書に『心の森』(金の星社)『やくそくだよ、ミュウ』(岩崎書店)『シナモンのおやすみ日記』(講談社)など多数。

「2024年 『新装版 まほうの絵本屋さん』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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