- Amazon.co.jp ・本 (196ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101312811
感想・レビュー・書評
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おもろい。笑った。
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なるほど、これはとんでもない小説家かもしれない。
中卒の日雇い労働者、短気で酒飲み、女遊びはするが徹底的にモテず、不満があればすぐに暴力をふるうが気は小さい。
一方で文学を好み、世間的にはあまり知られていない大正期の作家、藤澤淸造の歿後弟子を自任し、信仰にも近い徹底的な愛好を示す。
そんなアンビバレントな性格を持つ著者の私小説。
短気な性格が災いしてトラブルを巻き起こしては、藤澤淸造のことを思い頭を冷やし、かと思いきやまたも酒と暴力で自分を追い詰める。
お前に反省という言葉はないのか、と言いたくなるような愚かしさだが、この小説の凄いところは、それが衒いも見栄もなく恐らく著者自身の本当の姿であるというところ。
こんな人物とまともに知り合ったら堪ったものじゃないかもしれない。でも、紙面を通してなら付き合える。
自分ではこんなに直情的には生きられない。でも、西村賢太がやっているのを見て、胸が空くと同時に「やはりやってはいけない」と身も引き締まる。
小説を読むことの効能の一つは、現実では出会えないような多くの人物に出会い、その人格を心の中に住まわせることにあると思っているが、この本はそういった小説の楽しみを十二分に味わわせてくれた。
恐るべし。 -
酒と金にだらしない屑人間の極地を行く男。
女にかける執念は共感に値するし、ちゃんと同棲までしているのだから羨ましいものだ。 -
毒は留まらずに進行する。毒においては前進か後退しかない。どちらが前か。この毒との付き合い方が、すなわち教育かもしれない。
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西村賢太の私小説『けがれなき酒のへど』、『暗渠の宿』の二篇収録。
風俗、借銭、DV…。どうしようもない男のぎりぎりの内面の描写は、狂気に満ちていて恐ろしいのだけれど、しかし、健気でもある。よくもわるくも、少年、小僧という感じなのだ。
ひとつは男(西村さん自身)の卑屈な話しぶり。
「うん、でもぼく、江戸の言葉が聞こえない土地だと、日に日に痩せさらばえてゆく体質だからなあ。悪いけど、もう少しぼくの気の済むようにさせて」(『暗渠の宿』から)
「ぼく」という一人称がたまらなくおかしい。「~させて」で終わるのもおかしい。この台詞ひとつだけで、十分に西村さんの文章に惹かれてしまう。
かたや、「私は、この女はもっと私に従順であるべきだと思う」(『暗渠の宿』から)という我侭、傲慢さ。
この振れ幅は一体何なのだ!?
社会的な立場からも生活・金銭的な面からも追い詰められている状況にあると、人間の感情の強弱は、片や強烈な激しさへと、片や無風のごとき穏やかさへと、両極端な振れ幅を示すのだと思う(こればかりは、そこまで自身、追い詰められたことがないから、想像の域を出ない)。
それにしても、風俗嬢へと御執心になっていくプロセスは滑稽すぎてやりきれなくなる(『けがれなき酒のへど』)。もう、ハナッから、「いや、どう考えても騙されているってば!!」と思いながら、僕の視線はどんどん次のページへと流れていく。実際、藤澤清造全集出版のための大切な軍資金の一部を騙し取られてしまうわけで、能登。
「もう一切、ああした所でつまらぬ期待をかけるのはやめよう。どうでいいことなんて、何も起こりはしないんだから」と自省したかと思いきや、たちまち「とはいえ、犬も歩けば、式で今度こそ、もしかしたらこの俺を愛してくれる、うれしい女と出会えたりしてな」などと愚考してしまう有様。なんともはや、いじらしい。同性の人間がいうのも変だが、いじらしいのだ。
人間の感情の脆さゆえなのか、その人に対して妙な愛おしさめいたものが湧いてくるというのは、何とも不思議なことで、西村さんという人が21世紀、現代の日本に生きていて、こういう赤裸々過ぎるともいえる私小説を書いていることが、とてつもない奇跡のように思えてくる。 -
超痛い。だけど超面白い。
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2014.2.21ー9
全くの私小説なのであれば、共感出来るかは別として、ここまで赤裸々に書くとは天晴れかも知れない。ある意味大変に興味深い。 -
耄碌したもので、著書に載せられた二作は、何処かで読んだものだった。まあそれにも拘らず、楽しく読む事が出来る。自制心の無い行動、判断。そんな風に、生で生きても、人間は成功出来るものなんだなあ。勇気を与えられた。
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太宰治を彷彿とさせるこの手の私小説作家は、もう出てこないのかと思っていたので、本当に感動!主人公の行動と心情にはなかなか共感し難いが、死ではなく生に向かうたくましさに魅力を感じる。一気に読了。
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安くて不味くて強い酒。
でもそこにあるとついつい手に取ってしまうような
中毒性のある西村賢太の私小説。
二日酔いもさめやらず
「小銭をかぞえる」をいう迎え酒を飲んでいます。