随筆集 一私小説書きの弁 (新潮文庫)

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レビュー : 18
  • Amazon.co.jp ・本 (247ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101312835

作品紹介・あらすじ

落魄の半生を経て、貧窮と性病の果てに凍死した大正時代の私小説家・藤澤清造。その代表作「根津權現裏」に、真の同類を認めた衝撃から歿後弟子を名乗った著者。爾来、清造の偏見払拭と全集の刊行を生涯の務めと決意し、いつしか自身も時流に背いた私小説を書き出すに至った、「師弟」関係の始まりを含む関連エッセイを集成した。「なぜ清造だったのか」、その答えがここにある。

感想・レビュー・書評

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  •  同著者の文庫化した小説を読み終えてしまった。小説に限らず同著者の書いたものを読んでみたいと思ったところへこの本が文庫として出版されており、購入。
     著者が本のタイトルに藤澤清造の名を冠しようとしていただけのことはあって、藤澤に関することが多く記されている。彼を私淑する著者が書いているからか、私も藤澤の小説を一度読んでみたくなってきた。とりわけ、「藤澤清造―自滅覚悟の一踊り」では、p.54などに藤澤小説が西村氏の心を掴んだ理由と思われる特徴が書かれている。こういった小説に感銘を受けたり共感したりすることが心の健康上良いとは思えないが、自身の中に溜まった鬱屈とした感情を見つめなおす意味でも、是が非でも紐解いてみたいと考えている。

     本来の話題から逸れる自分がが好きな小説『田舎教師』の著者である田山花袋の名が出てきたのに驚いた。花袋の著作は代表的な小説をいくつか読んでいるにすぎないが、本書に載っていた『近代の小説』などに目を通してみようかなと思っている。花袋がどんな人物絵であり、何を思って各小説を書いたのか知りたい。文学史に出てくる有名な近代文学作品ばかりを読み漁っていた過去の自分が、本書の冒頭にある

    「小説は学問ではない」

    という西村賢太の言葉に学ぶところは大きい。

  •  西村にとって初のエッセイ集である(あえて「随筆集」とタイトルに冠しているあたり、西村らしい)。

     もともと西村の小説は大部分が私小説なのだから、エッセイといってもこれまでの小説作品とあまり違いはない。
     違いとしては、過去の小説のほとんどに登場した「女」(同居していた恋人)との会話のやりとりなどが一切ないことと、小説の舞台裏(作品の意図、掲載・出版の経緯など)が細かく書かれていることくらいか。

     ゆえに、西村の小説が好きな人なら本書も面白く読めるだろうし、そうでない人には本書もはなから無縁のものだろう。

     ただ、ちょっと辟易したのは、収められたエッセイのじつに3分の2以上が、例の藤澤清造(西村が私淑し、「没後弟子」を名乗っている大正期の私小説作家)について書かれたものであること。
     藤澤の小説を読んだこともなく、興味もない当方としては、べつにくわしく知りたくもない藤澤の生涯について無理やりレクチャーされているようで、げんなり。一部に内容の重複もあるし。

     「あとがき」によれば、本書のタイトルも当初は『藤澤清造――自滅覚悟の一踊り』にするつもりだったのだという。

    《よくよく考えると、この書名では恰も該作家の伝記、乃至研究書の類みたいな響きとなり、内容のその薄っぺらさに比して随分と羊頭狗肉の感じになってしまう。》

     ……という懸念からこのタイトルに変えたとのことだが、本書は実質的には、西村がいずれ上梓するはずのライフワーク『藤澤清造伝』の、予告編のような内容だ。

     とはいえ、藤澤についてのエッセイ群も、文学研究者が書くようなものではなく、藤澤をフィルターとして西村が自身を語ったものである。ゆえに、けっしてつまらないわけではない。ただ、藤澤清造ネタばかり立て続けに読まされるといやになるのだ。

     私にとって面白かったのは、残りの、西村が自身の生活をあけすけに綴ったエッセイ。

     たとえば、「慊(あきたりな)い」と題された一編。
     これは、取材を受けた地方紙の新人女性記者にひと目惚れした西村が、その後、なんとか彼女の気を引こうと手紙のやりとりを交わしたあと、あっさり振られた顛末を綴ったものである。
     これなど、随筆ではなく短編小説として書けば、かつての傑作「けがれなき酒のへど」の続編のようになったのではないか。

     また、2008年1月前半の生活を日記風に綴った「松の内拔萃」なる文章があるのだが、これが、日常を淡々と綴っただけなのにすごく面白い。“プアマンズ『断腸亭日乗』”という趣がある。たとえば――。

    《夜、九時過ぎ鶯谷に出かける。今年に入って初めての女体。相手の口臭がひどい。が、二回戦を所望する。毎日このあたたかさにありつきたい。
     ひとりで「信濃路」に入り、ウーロンハイを飲む。芥川賞でも獲れれば、現在岡惚れしているあのインテリ女性も、ひょっとしたらなびいてくれるかも、と、暫時夢想。》

     ひときわ強烈な印象を残すのは、西村が芥川賞候補にのぼった際、「テレビの朝の情報番組で、芥川賞選考会のある明日、結果の出る瞬間までつきっきりで取材したい」という依頼を、言下にことわるくだり。

    《こちらでは、万にひとつも受賞の可能性なぞないからとっくに終わったつもりのものでいることだし、何より前日になってのこうした話は、いかにも思いつきめいていてひどく不愉快であった。明らかに、真っ先に落選することが判りきっている自分を、あえて選んで晒し者にしてくれようという魂胆が見え透いている。
     四十を過ぎて、なお未練に小説にしがみついている無能無名、伸びしろゼロの五流新人。薄汚い、ほぼ無職の中年男。そんな自分の無様な落選の模様は、端的に流行りの“格差社会"の悲哀なるものを映しだすことができようし、おそらく一方では、受賞されるかたの華やかな場面の方も用意しておいて、あくまでもそれの陰画の役割を担わせる奸計のみで目を付けてきたに違いあるまい。てんから小説書きとして取り上げようという企図のものではあるまい。
     そうだ。加えてこれは、はな、リアル『ALWAYS  続・三丁目の夕日』的なものも意図しているのやも知れぬ。「芥川賞をねらう。今度こそ、とる」か。
     乗れねえわ、そんなもん。フザけんな、こいつこの野郎めが。》

     このように、随所に煮えたぎるルサンチマンと、惨めな己を客観視して笑い飛ばす捨て身のユーモア……すなわち、西村の小説と同じ魅力を放っているのだ。
     第二随筆集では、清造ネタはもういいから、こういう文章だけ集めてほしい。

     そのほかにも、書評などの文章が数編収められている。それらは、まあまあの面白さ。

  • この本を読んで、ある不安、私小説を冒涜するようなものだが、は無くなった。というのは、この本を読むまで、私は彼の作品のなかに描かれているのは彼の現実そのものなのではないかという不安を抱いていたのである。不安、というのは、あまりにも露悪的なために、もし仮に計算ずくでなかったとしたら、そんな人格が存在していることすら恐ろしいというものだ。仮にも私小説を高校生の頃から読んできた身としてはこれは恥ずかしい思考だ。「女」も「私」もデフォルメされたものだと云うことだ。当然のごとく。しかしまあそれだけ彼の作品中の罵詈雑言やら汚ならしさは、うまい俳優があえて大仰な芝居をやるように、いい案配に大げさで、そこに何とも言えないリアリティーを感じるのだ。この本で倉田哲明と宮崎誉子という作家を知った。藤澤清造の「何んのそのどうで死ぬ身の一踊り」は青山正明の「人生なんてしょせん死ぬまでの暇つぶし」と死を機転にして人生を捉えている点で似ている。高田文夫の解説が震災後にマイクロシーベルトだの私の心も揺れただの不謹慎すぎて笑った。それにしても藤澤清造全集出す出す言っていつ出すんだよ西村賢太!twitterに西村賢太のbotあったけど、ほぼ罵詈雑言集で笑った。

  • 所謂、エッセイとは趣きが異なる雑文集。
    西村賢太の藤澤清造への真摯なリスペクトと作品の背景を伺い知ることができる。
    その作品タイトルや文体に古めかしい部分があるのは藤澤清造作品からの本歌取りだったのか。
    「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」のみ異質だが、これはこれで違う一面が見られて面白い。

  • 作家、西村賢太が自分の小説家としての原点である大正時代の作家、藤澤清造。彼の歿後弟子を自認知る西村氏が綴る『師』への熱い思い。行間からにじみ出るかのような『熱さ』を感じ取っていただければ幸いです。

    本書は作家、西村賢太がその原点である師・藤澤清造との出会いから、作品を蒐集するようになり、また、自らの一小説家となっていくまでの過程を赤裸々に綴ったものです。いや、僕は西村氏の本を読むまでは藤澤清造という作家のことはまったく知りませんでしたが、西村氏の傾注振りと、いかに彼が藤澤作品によって救われ、全集を刊行しようという苔の一念に似た思いがその文脈からにじみ出てくるようで、読みながらその濃密さにクラクラしそうな思いでございました。

    自らのことを『藤澤清造の歿後弟子』と名乗る西村氏の文体から始まって、そのたどってきた人生がこの作品を通して、いかに符合し、西村氏が彼の眠る墓の隣に、彼の字から刻印された自分の墓まで作っていることも、何とはなしに納得したような気がいたしました。現在も西村氏の手元にあるであろう、藤澤清造の原稿は全集としていつ発行されるかは神のみぞ知る、といったところですが、僕にできることは西村氏が編集した藤澤清造の作品を読みつつ、その日を待つことでございます。

  • 著者が「歿後弟子」を名乗り、その一生をたどってきた藤澤淸造に対する強い思いが綴られている。西村賢太は、淸造の小説を読んでいたく共感し、狼狽を覚えたというが、私は賢太氏の小説に引き込まれ、狼狽を続けている。

  • 随筆集。といっても著者が私淑する藤澤清造の紹介文が多い。他の本でも読んできたことが何度も重複される。雑誌や新聞に書いた記事やエッセイをまとめたもの。ファンなら読んで損はない。『侃々諤々』にはちょっと驚いた。こういうものを書けるのかと。

  • 西村賢太が没後弟子とする大正時代の作家藤澤清造に関する随筆がほとんどの随筆集。話の内容もカブるのが、多いが、小説の中ではろくでなしにしか見えない西村賢太の藤澤清造への思いが、健気に感じられ、可愛いし、ありとあらゆる藤澤清造関連の物を集め、中身の濃い藤澤清造全集を発行しようとする情熱はかっこいい。

  • 個人的にはイマイチ。近代作家の作品も、無知な故にどうにもピント来ない私であるが、この随筆集も例に漏れず、読んでいて何かを感じることがあまりなかった。

  • 冒頭、端的に「小説は学問ではない」と斬りつけるところから、すでにニンマリ。まったくその通りだと思う。

    そうは言っても、藤澤清造について書かれたものをはじめ、ここに集められた批評文には文士としての気位の高さがうかがえ、さすがのクオリティ。

    「殆どすがるように生きてきた」という『根津権現裏』への、忠誠心のような、執念のような気持ちが、この人に小説を書かせているのだろう。

    それは、保身のために一般的な評価にすり合わせるといった、文学史の迎合からもっとも離れた場所にあるものであり、本質であり、尊いものだ。

    随筆集だけど、長たらしくもリズミカルな、言葉の抜けが良い文章は本書でも健在。

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著者プロフィール

1967(昭和42)年7月12日、東京都江戸川区生まれ。中卒。新潮文庫版『根津権現裏』『藤澤清造短篇集』角川文庫版『田中英光傑作選 オリンポスの果実/さようなら他』を編集、校訂、解題。著書に『どうで死ぬ身の一踊り』『暗渠の宿』『二度はゆけぬ町の地図』『小銭をかぞえる』『随筆集 一私小説書きの弁』『人もいない春』『寒灯・腐泥の果実』『西村賢太対話集』『一私小説書きの日乗』(既刊六冊)『棺に跨がる』『形影相弔・歪んだ忌日』『けがれなき酒のへど 西村賢太自薦短篇集』『薄明鬼語 西村賢太対談集』『随筆集 一私小説書きの独語』『やまいだれの歌』『下手に居丈高』『無銭横町』『夢魔去りぬ』『風来鬼語 西村賢太対談集3』『蠕動で渉れ、汚泥の川を』『芝公園六角堂跡』『夜更けの川に落葉は流れて』『藤澤清造追影』などがある。

「2019年 『狼の吐息/愛憎一念 藤澤清造 負の小説集』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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