- Amazon.co.jp ・本 (504ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101313535
作品紹介・あらすじ
1889(明治22)年、大日本帝国憲法が発布、翌年には第一回帝国議会が開かれた。いっぽう朝鮮をめぐる清国との対立は、東学党の乱を機に激化。日清戦争が勃発すると、天皇は大本営の置かれた広島に移り、継ぎを当てた軍服を着て兵たちと労苦を共にする。アジアの老大国を相手取った日本の勝利に国際社会は驚き、「ザ・ニューヨーク・サン」紙は明治天皇を「不世出の英主」と絶賛した。
感想・レビュー・書評
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『文献渉猟2007』より。
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米国出張中に、切れ切れの時間のなかで読んだ。
昨年末、入院前に一、二巻を読み、病後に読むのはつらい・・・と続きを読むのをためらっていた間に、キーンさんが亡くなった。
アメリカに持って行ったのは、そのことに関わる、個人的な感傷があったのかもしれない。
本巻は、大日本帝国憲法発布から、日清戦争、大津事件と、明治史の一番動きのある年月を扱っている。
私生活では、大勢の子どもに恵まれるが、相変わらず無事に育つ子どもが少ない状況が続く。
その中で、唯一育った皇子である嘉仁親王が漸く成人を迎え、結婚する。
本書の中で一番心に突き刺さるのは、朝鮮王朝の閔妃暗殺や、清国での一般市民に対する虐殺の記事だ。
兵士の功名心、欲、集団心理で、殺す必要がない人まで次々と殺されていく。
その描写が生々しく、これは過去のことではない、未来にも簡単に起こることだ、と思わされる。 -
毎日出版文化賞
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清、韓国、両国との近代的つながりと戦禍
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第三巻は日清戦争を中心にアジアを舞台に外交関係も活発化してくる。
政治的には隈板内閣が登場し、元老を中心とした政府と議会の対立も激しくなってくる。
当時、明治天皇が頼りにしていたのが伊藤博文であることがよくわかる。
体が弱い皇太子(大正天皇)に対する明治天皇の苦慮も描かれているが、父子の関係は殆どなかったようだ。
(引用)
・啓蒙主義を主唱する福沢諭吉は、ある論文の中で清国との戦争は不可欠だと述べている。この戦争をきっかけにして、中国人は頑迷な満州人支配者が否定してきた文明の恩恵に浴することができるのだった。
福沢は、清国の朝鮮干渉を文明の普及を妨げる許しがたい暴挙と考えていた。
・日清戦争の英雄の多くは、身分低い出身の男たちだった。これら兵隊が、これまで士族階級に特有の行為とされてきた勇敢さを示したという事実は、日本の全国民が勇敢かつ忠誠の美徳を備えているという証拠に他ならなかった。 -
明治時代も中期に入り、維新の元勲達も次々に亡くなっていく中で奮闘する明治天皇。
この時点では維新を主導した元勲達はほとんど故人となっています。
そのため、実際の政治は彼らの下で奔走していた次世代の人ばかりです。
その辺りで国家・天皇への忠誠心にも温度差が出てきていた様で、
明治天皇の苦悩がよく分かりました。
伊藤博文が、ここまで重要人物だったのかと改めて感じさせられました。
明治天皇が、名実共に国家元首に成長していく巻です。 -
2008.8.23