桃色浄土 (新潮文庫 は 26-1)

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  • / ISBN・EAN: 9784101323213

作品紹介・あらすじ

大正中期、四国の隔絶された漁村に異国船が現れた。目的な高価な桃色珊瑚。乱獲の結果、珊瑚は採れなくなって久しかったが、イタリア人エンゾはあきらめずに海に潜り続ける。そんな彼に惹かれていく海女のりんを幼なじみの健士郎は複雑な気持で見つめていた。やがて採れないはずの珊瑚が発見されたことから、欲望にとり憑かれた若者たちが暴走し始め…。直木賞作家の傑作伝奇小説。

感想・レビュー・書評

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  • 大正時代中期の土佐、車の走れる道もない隔絶された漁村で起こる惨劇と人間模様が描かれる。
    貧苦から抜け出そうともがく若者たちの狂気。彼らとは違う境遇の裕福な主人公、海女りん、イタリア人潜水夫エンゾの恋。補陀落渡海を目論む破戒僧の映俊。
    それぞれの物語が巧みに絡み合って、有機的に作用しあっている。長編だが一気に読めてしまう。
    大自然の力が容赦なく人間を襲うが、まるでその場で目撃しているかのように思えるのは、作者の文章力によるところだろう。
    土佐伝承歌や絵馬などなど、色んな小物(?)の使い方もうまいな~と思う。
    登場人物のセリフは方言で書かれており、土佐の潮風や波の音、土の匂いが感じられるような作品だった。

  • 物語の海原に呑み込まれる、そんなダイナミズムを感じた作品だった。
    今までの作品が文庫本にして約300ページ強だったのに対し、本作は600ページ弱と約2倍の長さを費やされているが、全く無駄が無い。全てが物語に寄与されている。

    全ての登場人物、エピソードが濃厚なため、梗概を書くのにどれを語らずにいればよいのかものすごく迷い、かなり時間が掛かった。

    物語の主軸となるのはやはり健士郎とりん、イタリアから来た海の男エンゾ、そして櫻が浦の若い漁師連中を束ねる多久馬の4人か。

    鰹節工場で一財を成した父親の庇護の下で学問に勤しみながら、父の望む代議士ではなく世界を見ることを望む健士郎。

    村で唯一の海女をしながらもやがては誰かの妻となり家を守る将来に違和感を感じつつ、村を捨てる決心がつかないりん。

    イタリアの商人に雇われ、世界の港を転々とする人生に嫌気がさし、終の棲家を南の島に求めるために珊瑚を探すエンゾ。

    村の若者漁師連中の長としてりんと櫻が浦の海を牛耳ろうと野心を燃やす多久馬。

    これらのキャラクターの生命力が行間から溢れ、躍動している。

    本作の主人公とされる健士郎は、聖人君子ではなく、己の主張とわがままの境が曖昧な青さの残る若者であり、今回の物語のメインとなる悲劇の原因を起こすのもまた彼だ。決して読者の共感を得られるような人物ではない。
    この小説は一種、彼の成長小説だとも云えるが、あくまで若さゆえのエゴ―親の金を使って学問に励み、海外へ出ることの夢を実現しようとしたり、憧れの君であるりんをどうにかして自分の方へ目を向けさせようとする―に任せて突っ走る。特にりんが慕う燻製となったエンゾの死骸を打ち砕くところは、己の愛情の深さとはいえ、決して許される、他人の共感を得られるものではない。
    しかし、だからこそ、ここにリアルがある。

    そして死もまた運命と云うエンゾ―かなりの確率でこのキャラクターは映画『グラン・ブルー』の主役2人をミックスさせてるに違いない―は、個人的にはもっと物語で動いて欲しかったキャラクターだ。しかし、作者はこの人物を後の悲劇のファクターとして使い、再三再四に渡り、かなり酷い使い方をする。溺れた女性を助けたのを、強姦したと勘違いされ、それがきっかけとなって自身の船を襲われ、仲間を全て殺され、瀕死の重傷を負い、傷が癒えそうになったら、介抱されていた健士郎の嫉妬で逆上した攻撃を受け、傷が再発し、坊主の代わりに海に生贄に出され、終いには死体すら燻製にされ、その死体も健士郎にバラバラにされるのである。
    ここまで物語の“道具”として使うのかと終始驚いた。

    二人の関係の中心となるりんもまた強い女性である。男に負けないほどの気性を持ちながらも男の魅力に負けるりんが、エンゾに対してあれほど深い愛を持つのも頷ける。強い女ほど、惚れた男に尽くすのだ。

    そしてこの物語の悪の首領ともされる多久馬。漁師として自然の弱肉強食の摂理を自らの信条として行動する多久馬。他人の物であろうが手に入れれば自分のものであると欲望のままに動く彼もまた印象強い。彼がいたからこそ、この物語がこれほどまでに濃厚となったのだろう。

    しかし、忘れてはならないのは本作の陰の主役とも云うべき破戒僧、映俊である。
    補陀落渡海にかこつけて村人から施しを受け、いざとなったら生贄を差し出し、まんまと逃げ出すしたたかさを持つ。このキャラクターを最後まで生き残らせたのは作者としてもどこか憎めない性格を気に入っていたのではないだろうか。
    皆の周りに必ずいる誰かであるとも云うべき存在。そしてこの物語のテーマである浄土の鍵を握る人物である。
    彼が最後に本当に改悛したのかは怪しいが、またそれも彼の魅力である。

    他にも健士郎の父、喜佐衛門や映俊との情事に耽るさえ、りんの父親で船大工の寅蔵など脇を固めるキャラクターも魅力的で、本作はキャラクターに尽きるといってもいい。
    もちろん坂東氏得意のドラマ作りの技量はますます冴え渡っている(特に嵐の中を映俊が多久馬から逃げまどう最中に多久馬の家に迷い込み、妹の八重に見つかるシーン、そして嵐の中で遭難しかかった多久馬が健士郎に打ち砕かれたエンゾの燻製の生首に遭遇するシーンなどはその構成の見事さに唸らされた)。
    しかしこれらも全てこのキャラクター達が縦横無尽に動き出したからこの物語が出来たのだと思わずにいられない。
    題名ともなっている補陀落渡海の方法など、もちろん作者の取材の賜物なのだろうが、まるで物語があり、それを坂東氏が掘り当てたのだとさえ思わずにはいられない。それほど全てが有機的に結びついている。

    今まで坂東氏がテーマとして掲げていた伝奇色は確かにある。海で不慮の事故、または虐殺され、無念の思いで死んだ遺体たちが亡霊となって珊瑚にしがみつき、漁師達へ復讐を狙っているという話だ。しかし今回はそれはあくまで物語の終焉へと向かうべきメインテーマではなく、登場人物たちの行動原理の一因になっているに過ぎない。だから怪奇小説という色合いは薄い。
    今回は珊瑚が織り成す人生劇場、そういう風に呼びたい。

  • 主人公にも坊さんにも感情移入が出来なかったので退屈でした。 実写映画かドラマが有るなら、りんだけは見てみたい。 「イタリア」「素潜り」「エンゾ」と聞けば『グラン・ブルー』を思い浮かべてしまう。金髪で長髪のジャン・レノを想像してしまった・・・。絶対に似合わんやろなぁ。

  • 小さな四国の漁村に、異国船が現れた。船長のエンゾが、採れなくなったはずの珊瑚樹を見つけたことをきっかけに、平和だった村は、破滅へと向かう。
    時はすでに大正だというのに、隔離されたこの村では未だ神仏が人々の心を支配している。それゆえ、主人公の健士郎が憧れる西洋へと続くその海は、村人にとっては、珊瑚によって命を落とした死者たちの呻き声が渦巻く海であり、補陀楽浄土へと続く海なのだ。相変わらず身の毛もよだつ描写が満載。

  • 持ち味なのだろうけど、ごちゃごちゃしすぎ。潜水夫だからといって、エンゾという命名は安直。

  • この作家の他作品はあまり好みではなかったので、意外感込みで星四つ。
    妙な怪談系の話ではなく、ある意味王道を行く好著。

  • 大好きな作家さんの一人です。
    この著者の汗ばむような湿った土の匂いを
    感じさせる どろどろした世界観がたまらないww
    信仰。嫉妬。欲望。愛情・・・。
    人間のいい面も悪い面もすべてさらけ出して
    必死に生きてる村人達。
    面白くて読み出したらとまりません。

  • 「13のエロチカ」短編集。私が今までに読んだ官能小説のベストワンと言ってもいい。
    「愛を笑い飛ばす女たち」真っ向勝負の女性論(つまり男性論)で読み応えあり。
    今までに読んだ坂東眞砂子さんの本はこの2冊だけ。

    今回初めて彼女の長編小説「桃色浄土」を読んだ。
    小説というより「物語」と言ったほうがぴったりくる、本当に面白い本である。

    大正中期、四国の隔絶された漁村に異国船が現れた。目的は高価な桃色珊瑚。
    珊瑚は採れなくなって久しかったが、イタリア人エンゾが海に潜って珊瑚を発見したことから、欲望にとり憑かれた若者たちが暴走し始め・・・。
    直木賞作家の傑作伝奇小説。(本のカバーコピーから)

    物語は人間の欲と恐怖や青春の夢と恋など多彩なお話の流れで読者を引き込み、読み出したらもう途中で止まらない!2日連続、喫茶店で数時間かけて一気に読了した。

    素晴らしいシーンはいくつもあるが、私が一番印象に残ったのは、この物語では脇役の「さね」。彼女は早く夫を失くし、村々を廻る魚の行商で女手ひとつで息子を育ててきた中年女。
    「さね」は、我々人間の欲と弱さを象徴するような凡婦である。彼女は村に住みつき村民に口先だけで極楽浄土を説いている放浪坊主映俊と愛欲の交わりを繰り返す。ひとり息子を必死に育てながらも世の中の汚泥が体に染み付いて腐ったような女である。

    「さねは、いつも誰かにしがみついてばかりいた。最初は夫。夫が死んだら、息子に。息子が死んでからは、珊瑚や映俊にすら、しがみつこうとした。そのまま死んでいたら、きっと生きていた自分にしがみついただろう。あの亡霊たちのように。さねはそのことを山崩れに遭う直前に悟った。そして、自分はそうなりたくない、と思った。もう誰かにしがみつくのはこりごりだ。」

    山崩れに遭って死の間際に、さねは映俊を自分のそばから追っ払う。
    「うちを・・・・ひとりにしとうぜ」

    「さねの前には、もう海しか見えなかった。頭上には晴れ間が覗いていた。時化(しけ)の後のすっきりした空だった。その青さが心に滲みてくる。自分の今の気持ちと同じ色だ。こんなに静かな気持ちになれたのは、何年ぶりだろう。空の青さを反射して、海は次第に灰色から灰青色、そして青色へと変化してくる。やがて海と空の色はひとつになり、境目は消えてしまった。今や彼女は青一色に包まれた。
    さねは躰が軽くなるのを感じた。
    うちは、もう何にもしがみつきゃあせん。
    最後の意識のかけらが消えた時、さねは澄んだ青の世界に溶けこんでいった。」

    なんとも美しい場面である。すべての依存や執着から離れ、さねは仏になった。成仏した。
    乞食坊主映俊がいう補陀落浄土(天国や極楽のような島、悟り、成仏)への渡海がこの物語のひとつのテーマであるが、この物語に登場する漁村の人たちは、彼女以外誰ひとり補陀落浄土を見ることが出来なかった。海難、山崩れ、殺し合いで多くのものは欲や恐怖や煩悩とともに死に、残された者たちもまだ道は遠い。

    「納棺夫日記」の著者によると、凡夫凡才でも死の直前には仏の光を見るというが、すべてのひとがそうなるということではないように思う。死の直前に仏の光を見るには、生前にそれなりの生き方をしたか、そうでなければ死ぬ前に飛躍した覚悟か僥倖が必要ではないだろうか?

    「さね」は、夫を失って極貧の苦労にあえぎ、ひとり息子に死なれ、情を交わした男に刺され、山崩れで死を迎えるという苛烈な人生の奔流の中で覚悟が舞い降りたのだろう。

    難しそうなことを書いたが、物語として本当に面白い本である。
    文章から、磯の香りや波の音、汗や血のにおいが漂ってくる。全篇、大正時代の漁村の土俗的な空気に満ちた荒々しいエネルギーが溢れている。会話はすべて高知弁であり、方言の人間くささがたまらなく嬉しい。物語が好きな方にはお勧めである。



    2010年04月24日 13時43分 [ 閲覧数 18 ]

  • 大正中期、四国のさびれた漁村に異国船が現れた。異人に惹かれる海女のりんと彼女を好きな幼なじみの健士郎。乱獲の末に獲れなくなったはずの桃色珊瑚が異人によって発見された。欲にとりつかれた若者たちが暴走し始める。古い迷信がまだ伝え残っていた時代。

    若者たちの激しやすい感情がうまく書けている。欲にとりつかれたり嫉妬に気が狂いそうになったり。言い伝えに翻弄されて生きたり死んだり。それでも時が過ぎれば、また同じように生きていく。

  • 読んでいて切なくて仕方がなかった。
    時間も時空も関係なく、人の想いがこんな風に
    彷徨っているのかと思うと、懸命に生きないと
    悲しい過ぎる。
    このタイトルが内容を見事に言い表している。

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著者プロフィール

高知県生まれ。奈良女子大学卒業後、イタリアで建築と美術を学ぶ。ライター、童話作家を経て、1996年『桜雨』で島清恋愛文学賞、同年『山妣』で直木賞、2002年『曼荼羅道』で柴田連三郎賞を受賞。著書に『死国』『狗神』『蟲』『桃色浄土』『傀儡』『ブギウギ』など多数。

「2013年 『ブギウギ 敗戦後』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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