- 本 ・本 (352ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101325385
作品紹介・あらすじ
使用済みのオムツが悪臭を放ち、床には虫が湧く。暗く寒い部屋に監禁され食事は与えられず、それでもなお親の愛を信じていた 5 歳の男児は、一人息絶え、ミイラ化した。極めて身勝手な理由でわが子を手にかける親たち。彼らは一様に口を揃える。「愛していたけど、殺した」。ただし「私なりに」。親の生育歴を遡ることで見えてきた真実とは。家庭という密室で殺される子供たちを追う衝撃のルポ。
感想・レビュー・書評
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鬼畜っていうか、当の本人らは、子を愛してるとの認識か…
何か、ゴソッと何かが抜けてる…
常識というか、ごく普通に思える事がそう思えない…
ここでは、3件の事件を追っているけど、共通してるのが、それ。
作者は、その原因を事件を起こした親達の育てられ方が、このような子育て出来ない親達(多分、子育てだけやないんやろうな)を生んだと考えてそう。(あくまで、私が読んで思った事なんで、本当かどうか分かりません。)
劣悪な環境で、生まれた時から、育って来たら、表面上は普通でも、何かが抜けるもんなんかな…
それは、親から自分を守る為の防衛本能みたいな…
だからと言って、そんな事を理由に事件を正当化出来る訳やないし、親ガチャとかで安易に片付けられる問題やないし…
こういうのって、個人とかやなく、もっと大きなもので防いでいかなあかんものなのは分かる。社会全体として。
でも、それには時間がかかるし、今今、こういう事件が増えてる中、それを待ってられんのも確かなんやけど…
難しい…
せめて、自身は、そういう事を起こさないように自戒するしかないのか…
難しい… -
正直、オススメして良いのか迷う本だ。
著者は行動力も取材力も高く、この本を書こうと思い立った動機は裁判に納得いかないという正義感なのだから、内容としても素晴らしい。冒頭の所感は、そうではなくて、本の題材と取り扱われる人たちだ。次元が違う。視野を広げておくには良いが、残酷で救いがなさ過ぎて気持ち悪くなる。人間の多様性とは、こういう人たちが存在する、という事も意味するのだろう。
こういうことを書いてよいのかわからないが、恐らく、境界領域なのだろう。求められれば直ぐに身体を許してしまう女性。避妊しないことも許容し、その度に懐妊するが、一人で産んでは殺してしまう。それを隠して、日常を送る。他にも、ゲージの中で子供を飼育する親。部屋に閉じ込めてそのまま外出したきり、帰宅すると亡くなっていたわが子をそのまま放置。信じられないような世界がここにある。
境界領域では、という若干タブーっぽいことを書いた。しかし、それ以上に、これは私はとても残酷な記述だと思うが、著者が述べたことを引く。
ー いずれも犯人を育てた親が大きな問題を抱え、子供たちを虐待、もしくはそれに近い環境に置いていた。犯人たちは生まれつきのモンスターだったわけではなく、彼らの親こそがモンスターだったのだ。そういう意味では、犯人たちは幼少期からモンスターである親の言動に翻弄され、悩み苦しみ、人格から常識までをねじ曲げられたまま成人したと言えるだろう。愛情が何なのか、家族が何なのか、命の重みが何なのかを考える機会さえ与えられてこなかった。だからこそ、彼らが親となった時、「愛している」と言いながら、わが子を虐待し、命を奪ってしまうことになる。
残酷だと思うのは、この代名詞の「親」と「子供たち」とは誰かである。殺人犯としての親は、自分自身も家族に虐待されて育ったというのだ。だから人格も常識もねじ曲がって成人したのだと。ここで言っているのは、結局、虐待は連鎖する、という事。罪のない子供が殺される事に嫌悪感を覚える自分がいるが、殺されなくても、その子が虐待のサイクルを繰り返しかねないという極めて危うい発言である。つまり、その子供は既に詰んでいる。犯罪者の子供は犯罪者だ、と切って捨てる、行き場のない世の中なのだろうか。綺麗ごとばかり言ってられないが、考えなければならない。 -
石井光太『「鬼畜」の家 わが子を殺す親たち』新潮文庫。
3つの幼児虐待事件の深層に迫ったルポルタージュ。石井光太は信用できるノンフィクション作家である。その理由は客観的な視点による取材結果を極めてフェアに記録している点にある。全ての事実には必ず表と裏の二面があるが、石井光太の描くルポルタージュはそのどちらも公平に伝えてくれているように感じるのだ。
本書に描かれるのは怒りとやるせなさを感じる『厚木市幼児餓死白骨化事件』『下田市嬰児連続殺害事件』『足立区ウサギ用ゲージ監禁虐待死事件』の3つの事件。いずれの事件も未熟な親が、親としての責任を果たさずに子供を死に至らしめた哀しい事件ばかりである。
『厚木市幼児餓死白骨化事件』。人間としても親としても未熟なカップルが育児放棄の果てに自分たちの子供を餓死させる。恐ろしいのは自分たちはまともでそれほど悪いことはしていないと主張している点である。
『下田市嬰児連続殺害事件』。恐ろしいまでの狂気にまみれた事件の全貌。余りにも堕落した身勝手な人間ばかりが事件に関わっており、吐き気がした。狂気とエゴは連鎖し、不幸の上に不幸を塗り重ねていく。とても人間が取るべき行動とは思えない。
『足立区ウサギ用ゲージ監禁虐待死事件』。普通の人間とは思えないモンスター夫婦による幼児虐待と殺人。この事件もまた狂気とエゴの連鎖の果て…… -
読むのがただただ辛かった
ケーキを切れない非行少年たちと一緒に読むと思うところがより大きいと感じました。
このような家庭で育った子供も、もしかしたら将来こういったレベルではなくともうまく家庭関係を作れないという事態は起こりうるわけで、万が一そうなったときには責められる側にいつのまにか変わってしまうわけで。そうならないことを祈り、そうならないための公助が必要と切に思いました。
親自体は如何ともしがたいというのが率直な印象ですが、言い方は難しいですし冷たいようですが親と引き離して適切な環境を提供できる制度は必要な気がしている。共助の範囲で力になれることがあればしたいと思いました。 -
虐待死を追ったルポ調の一冊。無力に苛まれるが、考えないといけない
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ものすごい情報量。私には受け止めきれないようなことも沢山あって、著者が取材にかけた労力たるや、相当なものだと思う。
虐待の連鎖については既に広く知られるところではあるけれど、ここまで畳みかけられると、もはや子供の虐待死は、現代社会における自然淘汰なのではないかとさえ考えそうになってしまう。
どんなに子供が欲しくても授からない人だっているのに、どうしてこんなにままならないのだろう。
養子縁組の仕組みがもっと機能的に働くようになればいいと思うんだけど、戸籍制度と親和性が低いので道のりは遠そうですね… -
テーマが重くて、自分なりにも解決方法が見つからずに気持ちが沈んだ。ある程度の年齢になれば自分を取り巻く環境を変えることができるけれど、小さな子供や赤ん坊にはそれができない。そして子供は親を選んで生まれてくることができない。だから子供に危害をくわえるようなことは私は絶対に許せない、罪は罪である。それはおいておいて、負の連鎖はどこかでとめなければならないと思うし、本来は公的にするべきことだけれどきっと小回りがきかないのだろう。本書の最後の章のBabyぽけっとのようなNPOの活動は賛否両論あるにしても少なくても赤ん坊の命を救っている。親は子供に育てられて親になるものだとずっと思っていたけれど、子供がうまれても親という役割を受け入れられない人間がいるのが現実のようだ。
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親が子供を虐待死させるというニュースはセンセーショナルなのでメディアを賑わす。本書が取り上げているのは、3件の事件。「厚木市幼児餓死白骨化事件」「下田市嬰児連続殺害事件」「足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件」。
著者は裁判の傍聴だけでなく、子どもを殺すことになった親たちの暮らしていた街や生まれ育った街をたずねて、隣人・友人・同僚・家族への丹念なインタビューを行い、彼らの人となりを書き出す。
ここで書かれるのは、繁殖力や性欲はやたらと強いのに、知能が足りないとしか思えない行動を取る人たちの姿。登場する人物たちの行動規範がとにかく訳がわからない。暴力・貧困・無知が世代を越えて受け付けがれていく様子にやるせなくなる。
ただし、エピローグで登場する「Babyポケット」という土浦の施設の話で少し救われた。 -
「鬼畜」にも鬼畜なりの生い立ちや人生がある。自分の子の命を奪うことは許されることではないが、そこに至った経緯などは丁寧に聞いていかないと、鬼畜という言葉だけで片付けてはいけない。
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読み進めるのがとにかく辛い。
虐待や貧困、ネグレクトのあまりにも残酷な連鎖。一番弱くて脆い所へしわ寄せがいく社会の現実。数分のニュースをたまたま見て「酷いな、こんな奴ら人間じゃないよ」と一言呟いて懲罰感情を発露させるのは簡単だが、その事件の背後に隠れている悲惨で辛い物語に直面させられると、もうまったく他人事とは思えなくなる。私がいわゆる“普通の家庭”に生まれて虐待とは無縁に育ってきたのはたまたま幸運だっただけではないか。
加害者の人生を丁寧に辿りながらも、決して過度に寄り添わず距離を保つ書きぶりが余計に読者の感情に「あなたはどう感じるか?」と問いかけてくるようで良かった。
著者プロフィール
石井光太の作品






今は、内藤了さんの読んでますー
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