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Amazon.co.jp ・本 (292ページ) / ISBN・EAN: 9784101330310
みんなの感想まとめ
テーマは、被害者の視点から見た少年犯罪とその背景に関する深い考察です。著者の土師さんは、自身の経験を通じて、マスコミが扱う情報の信憑性や、その情報が被害者に与える影響について鋭く問いかけます。特に、少...
感想・レビュー・書評
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この本を書くのにどれだけの苦労、心労があっただろうか。著者の土師さんに敬意を表したいです。私たちがマスコミから知りうる情報は本当とは限らず鵜呑みにしてはいけないということ、また、その情報は土師さんのような被害者をさらに傷つける手法によって集められたものであるということを覚えておきたいです。マスコミも変わらなければいけないが、情報を受け取る私たちの在り方も変わらなければならないと思いました。また、少年法については、この当時から現在にかけて刑事責任の問われる年齢の引き下げや厳罰化が進んでいます。土師さんや、その後の少年犯罪の遺族の努力が身を結んだのだと思います。土師さんご本人としては、現行の少年法が当時も適用されていれば、少年Aにも刑事責任が問えたのに、また裁判を傍聴できて事件の詳細を知ることができたのに、という無念な気持ちも当然あると想像します。この本を読んでも、当時の少年法はあまりにも被害者に対する配慮がなさすぎて、全く部外者の私でもおかしいと感じました。今後少年法の改正が進み、また、マスコミの在り方が変わり、土師さんのように悲しむ遺族、被害者が1人でも少なくなることを祈っています。
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同じく子どもの親という立場でありながら、被害者、加害者の視点はこんなにも違うものかと感じます。
加害者家族の書籍を最初に読んだのですが、こちらを読んだ後では印象がかなり変わりました。併せて読んでいただきたいです。 -
まず前提として、私は「絶歌」と加害者家族の手記を読んだ後にこれを手に取った。
著者の土師さんは非常に頭の良いひとであると、この手記から伝わってくる。
これを読むと、いかに加害者家族の文章作成能力がお粗末であるかが相対的に浮き彫りになる。
加害者家族の手記は(最終的に許可は取ったものの)はじめ反対されたらしい。これと比較すれば、納得しかない。
「絶歌」に至っては手記ですらないとわかると思う。
当該事件において、唯一読む価値のある書籍だ。 -
酒鬼薔薇事件の犠牲者である土師淳君のお父さんの手記。私はコレを読む前に少年Aの母親の手記を読んでたのですが、やはり観点が違うと同じ事件でも全く違った印象を持ちました。特に少年Aの母親の印象が大きく異なりました。また少年法の問題について深く考えさせられます。犯罪を犯した少年に一番必要なのは「自分が犯した罪の重さを認識させること」。コレに尽きるのではないのでしょうか。
2007/04/01 読了 -
涙なしには読めない。ただただ悲しく胸が張り裂けそうだった。
少年Aの両親の手記を読み、その後に少年Aの『絶歌』を読み、本書を読むに至った。特に両親の手記を読んで感じた違和感が、本書を読んで少しスッキリした気がした。加害者側の本は、なんせ自分自分で、「息子が犯罪者になって悲惨だった自分」と「犯罪者になってしまって可哀想な息子」という感情が前面に出ていた。
また、加害者側の本を読んでいて「かなりの税金が使われてるな」と感じたが、それは本当だったようだ。実際、加害者のためには湯水の如く使われるのに対して、被害者側にはほんの僅かしか使われないのだということだ。
最後の、光市母子殺害事件の被害者家族の本村洋さんの解説は痛烈で爽快だった。加害少年を守る側の野口弁護士の考えに対して至極真っ当な意見を展開されていた。
書きたいことは山ほどあるが… とにかく読んでよかった。どうかこれ以上、悲惨な事件が起きませんように。 -
同じ親の立場で読んでしまい吐きそうなくらい泣いた。
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大事な家族の一員としての淳、行方不明捜索、変わり果てた姿で見つかる。犯人逮捕、加害者家族との関わり、報道によるプライバシーや人権侵害、加害者更生に力点を置き被害者感情を逆なでするような少年法の問題点、サポートしてくれた人たちへの感謝。
淳くんの写真が可愛い。感情を抑え、理性的にきちんと書くことの凄さ。 -
酒鬼薔薇聖斗事件の被害者の1人土師 淳の父親、土師 守さんの手記。
元少年Aが好きで、関連の本を読んでいて見つけた。
私のように、元少年Aが好きだから読みたい、と言う人にはあまりむかないかもしれないと思う。 -
こんな風に自分の家族を奪われたら、と思うと堪らない。
他の部分の抑制された文章と加害者家族に関する記述にあからさまに表現された不信が被害者家族のやり場のない怒りだと感じた。 -
著者は少年Aによる事件の被害者遺族。
被害者遺族の書いた本を初めて読んだので、衝撃があった。
私の目線は加害者に大きく偏っていたので、被害者を視野に入れるよいきっかけとなった。
事件から約1年後に書かれたらしい。
どれほどの怒りや苦しみや悲しみを抑えながら書かれたのだろうと想像すると、とてもとても重い一冊だと思う。 -
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さかきばら事件の被害者、そしてその家族が受けた悲しみ、苦しみの数々。
涙なしでは読めません。 -
被害者遺族である父親が書いた手記。
加害者と加害者家族に対する怒りと、マスコミと少年法に対する怒りが中心の話しです。
なるほどと賛同出来る部分も多々あるが、どこにもぶつける事の出来ない怒りを、多方面にぶつけているだけな気もするので不毛な感じも否めない。
共感性や理解のカケラもないので、加害者側だったらどうなっていたのだろうと思う。
とはいえ、そんな事を言っている心情ではないのも理解できる。 -
この事件については、多くの新聞や雑誌関係も特集を組んでいましたし、また、たくさんの本も出版されたようです。
しかし、これらの多くはやはり加害者側の問題点などを中心にしたものでした。被害者側の心情というものを、中心にしたものはまず無いと思います。
被害者の父である土師守さんは、被害者側の心の軌跡を、当事者ではない人達が、取材はするにしても想像を主体にして、記述したり論評することが本当にできるのだろうか。やはり、被害者側のまさに当事者からの真実の声を出すことは必要なのではないだろうか、と、いろいろと考え、その上で、やはり当事者から出た真実の声なしにこのような事件を理解することは絶対に不可能なのではないか、と考えて執筆したという。
私は先に加害者の両親の手記を読み、それから、被害者でも加害者でもない方の本を読み、そして、この被害者の父の手記を読んだ。そして、やはりこの本を読んで良かったと思うのだ。加害者の両親の手記を読んだまま、他に何も読まずこの残酷な事件を理解しようとせずによかった。ただただそう思った。 -
常に胸が張り裂けそうだった。
亡くなった後に、子を抱いて眠る夢を見たという話は胸がえぐられるようだった。想像しただけで恐ろしい。
息子を失っても家族を支え、今も医師として活躍され、少年法改正に尽力された努力は言葉にできないほど素晴らしいと思う。とても自分なら生きられる自信がない。
少年法はもっと厳しくあるべきと思うが、いざ自分の子が罪を犯したら…なども考えてしまう。死刑制度と同様に答えのでない問いなんだろうなと思った。 -
加害者母の不可解な言動
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1997年、神戸市須磨区で発生した14歳少年による児童連続
殺傷事件。その被害者のひとりである児童の父親が綴った
手記である。
痛々しいとか言いようがない。「おじいちゃんの家に行ってくる」。
そう言って出掛けて行った我が子が、そのまま帰らぬ人となる。
確たる動機もなく、改正前の少年法に守られた14歳の少年によって
である。
出掛けたまま遅い時間になっても帰らぬ我が子を探し、祖父と父は
後に我が子の命の絶たれた場所だと知る「タンク山」も捜索している。
しかも遺体の一部が置かれた中学校は加害少年は勿論のこと、
被害児童の兄もが通学する学校だった。やりきれないね。
猟奇的な事件で我が子を失った家族に襲いかかるマスコミの攻勢、
そこから発生する報道被害。加害少年は少年法の元にプライバシー
を守られるのに、被害者家族の底なしの悲しみに群がり、プライバ
シーを垂れ流す。メディアは今も変わらぬハイエナ報道を修正しよ
うとはしない。
一方で、我が子が事件を引き起こした家族がいる。被害者家族とは
違う悲しみがあるのだろうが、自分の子供が加害者であると判明
してからも被害者家族への直接の謝罪は行わず、文書を郵送している。
その文書も、他の被害児童の家族へ送った謝罪文と丸っきり同じ
内容だという。加えて加害少年の母親が葬儀の席で発した「子供の
顔くらい見たりや」という心ない言葉には、読み手としても引いて
しまった。
2005年、加害少年は更生施設を出て社会復帰を果たした。彼は
自分の犯した事件の重大さを心に刻んでいるのだろうか。被害者
家族の悲しみと怒りを、その心に感じることが出来ているのだろうか。
「少年だから犯罪は許されるのでしょうか。少年が犯人だとわかったら、
淳は生き返るのでしょうか。」
被害者家族の叫びが詰まった良書である。 -
著者は酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件/1997年)で殺害された土師淳〈はせ・じゅん〉君(享年11歳)の父親である。もう一人の犠牲者・山下彩花ちゃん(享年10歳)の母親京子さんが1997年12月に手記を発表している。子供を持つ全ての親御さんに読んでもらいたい。
http://sessendo.blogspot.jp/2017/05/blog-post_24.html -
1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」で当時14歳の少年によって我が子を奪われた父親が綴った手記。
私の拙い文章の書評という形では、とてもまとめきれない、表現することもできないが、書評を書いて誰か一人でも多くの人の目にとまり、少しでも多くの人に改めて関心をもってもらい(決して単なる興味本意ではなく)、この事件について、少年犯罪、少年法について、報道被害について、被害者の権利や人権について、もっともっと深刻に我が身に置き換えて考える必要があると考えた。
本著の構成は、被害者の淳くんの生い立ちから、「おじいちゃんとこ、いってくるわ」の一言を残し、永遠の別れとなってしまうことになってしまった事件当日から、行方不明者として捜索された三日間の家族や親族の気持ちや行動、無惨な姿となって発見された当日、犯人捜査から犯人逮捕、A少年の母親や弁護士に対する不信感、報道犯罪ともいえるほどの報道被害、被疑者の人権しか守られない少年法(2000年11月に若干の改正が行われるので、本著では改正前の少年法について)、1999年に山口県光市で、妻と娘の命を当日18歳の少年によって奪われた、木村洋さんによる本著の解説という形で締められている。
何の罪もない純粋な淳くんが、少年Aの全く理解できない実験や興味本意からくる行動によって、残虐に殺されただけでなく、そのあとにも無惨な姿になるまで酷いことをされるという被害にあってしまう。
それなのに、守られるのは被疑者である少年Aだけ。国選弁護人がつけられ、裁判も行われることがなければ(少年審判は行われる)、被疑者の家族であっても審判を傍聴することもできなければ、供述調書を閲覧することもできない、どういった状況で被害を受けたのか、加害者はどのような人間なのか、全く知ることもできない。
その一方で被害者の関係者は、マスコミからは実名報道だけでなく、家族の職業や、兄弟の通う学校、あることないこと断りもなく、どんどん報道されていく。
毎日毎日、自宅の前には報道関係者が張り込み、わざと感情をあおるような質問をしてでも、こちらが反応して出した言葉を都合よく編集して報道する。
本当に報道犯罪というべき二次被害にあってしまう。
被害者救済を二の次に置き、少年犯罪者の更生のみを前提とする少年法とはいったいなんなのか、少年法の趣旨を頭から否定するわけではないが、窃盗や軽微な非行と、強姦や殺人、傷害致死のような重大な犯罪を同じ少年法をかざして守るべきなのか、大いに考えさせられた。
また、マスコミや報道のあり方、報道される情報を受け取る視聴者側も、もっと被害者の気持ちや人権を自分事として感じられる『心』が必要なのではないか。
本著は、少年法改正、報道関係者による傍若無人な取材方法、被害者家族の会の発足に関して、大きな足掛かりになったようだ。
悲しいかな、この事件が起きたことによって、世間は多少良い方向に変わった。
大切な我が子の命を無惨にも奪われ、事件の実態は知らされず、報道によって人権は無視された著者を代表とする関係者の皆様にとっては、表現することのできないほど大きすぎる代償だった。
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