歌謡曲の時代: 歌もよう人もよう (新潮文庫 あ 57-1)

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  • Amazon.co.jp ・本 (335ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101334516

感想・レビュー・書評

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  • 阿久悠が、かつて作詞した曲のタイトルを題材にして、平成になってそれらを振り返った99編のエッセー。
    冒頭の序で、流行歌、歌謡曲、演歌の定義づけをして、歌謡曲が定型や様式から解放された永遠に生きもののようなものであり、それが著者には魅力だったというところから始まっている。
    平成になってから、歌謡曲という言葉が消えてしまった事への、昭和の大作詞家としての矜持が満ち溢れている。

    そういう私も、昭和に青春を過ごし、現在の歌の流れから取り残されてしまった化石のような存在かも知れないが、やはり昭和の歌、阿久悠の歌は魅力的である。
    ただ、阿久悠が「昭和の歌が世間を語ったのに対し、平成では自分だけを語っている」というのには、私は意見が違っていて、70年代のフォークは、反戦歌のように時代を歌ったものもあるが、一方では男が失恋して、いつまでも未練がましく元カノを思い出してはメソメソとしている歌(※1)も多く、これはこれで私の好きなジャンルでもある(もっとも阿久悠の定義は自分が作詞した曲のことを言っているのであろうから、私の言うことは的が外れているかも知れない)
    ※1:岬めぐり・いちご白書をもう一度・あの素晴らしい愛をもう一度・学生街の喫茶店・なごり雪など。

    とはいえ、この昭和の権化のような作詞家が作った「どうにもとまらない」「舟唄」「青春時代」「街の灯り」「津軽海峡冬景色」「時代おくれ」「時の過ぎゆくままに」「宇宙戦艦ヤマト」「また逢う日まで」「サウスポー」「ペッパー警部」「熱き心に」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「林檎殺人事件」「ピンポンパン体操」「ジョニーへの伝言」「もしもピアノが弾けたなら」等々の作品誕生にまつわるエピソードはもちろんのこと、交流のあった作曲家や歌手の話、社会・世相への言及まで、それこそ副題の「歌もよう人もよう」を表している。

    阿久悠の歌を愛してやまぬ人々にとって、それぞれの詞のひとつ奥にある物語の背景が鮮やかに姿をあらわすエッセーに触れられるということは、至福の喜びである。

  • 2018.12.04 社内読書部で紹介を受ける。
    http://naokis.doorblog.jp/archives/reading_club_14.html

  • 昭和の歌は世間を語り、平成では自分だけを語っていると・・・。ああ、そうなんですね。阿久悠さん「歌謡曲の時代 歌もよう人もよう」、2007.12、新潮文庫です。

  • 【本の内容】
    「勝手にしやがれ」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「ペッパー警部」…。

    今も人々が口ずさむ、五千を超すヒット曲を作詞し、平成十九年に世を去った阿久悠。

    「歌謡曲は時代を食って巨大化する妖怪である」と語った稀代の作詞家が、歌手との思い出、創作秘話、移り行く時代を、鋭く、そして暖かな眼差しで描く。

    歌謡曲に想いを託し、日本人へのメッセージを綴った珠玉のエッセー。

    [ 目次 ]


    [ POP ]
    大みそかのテレビは格闘技と決めているが、昨年は途中から紅白にチャンネルを変えた。

    最後の4曲が阿久悠作詞の楽曲だったからだ。

    和田アキ子の「あの鐘を鳴らすのはあなた」、森進一の「北の蛍」……。

    知っている歌だとつい口ずさんでしまうが、この時ばかりは聞き入ってしまった。

    あと数十分で平成も20年。

    そんな瞬間に、歌謡曲が輝いていたあのころが自分の青春と重なってよみがえり、不覚にも涙した。

    5000曲以上を世に送り出し、昨年鬼籍に入った偉大な作詞家のエッセー集。

    自ら書いた詞97のタイトルをモチーフに平成の世相を読み解くという趣向だ。

    例えば、北原ミレイの「ざんげの値打ちもない」を取り上げ、〈今の時代に書くべきであった〉と嘆いてみせる。

    〈この国に、正しいも、美しいも、清いも、潔いも、厳しいも……およそ人間を律する言葉のすべてが失われたかと思うほど〉だからだ。

    歌謡曲というジャンル自体が存在しえなくなった現代、「孤独の中」に鐘を鳴らしてくれる「あなた」を期待することは?

    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 阿久悠さんは作詞家として、真のプロフェッショナルであるとの思ひを抱いてゐましたが、本書を読んでそれは確信に変つたのであります。
    その根底にあるのは、「歌謡曲」といふ昭和を象徴するジャンルを支へてきた自負でせうか。
    歌謡曲は時代を喰ひ、時代と人に妖気を吹き付ける妖怪であると阿久さんは述べます。そして歌謡曲のない時代(つまり平成年代)は不幸な時代であると。
    その歌謡曲の再生と復活を願ひ、本書は誕生したといふことです。

    99編のエッセイが収められてゐます。タイトルはすべて、阿久さんが生み出した作品のタイトルとなつてゐて、改めて怪物的なヒットメーカーであつたことが分かるのであります。
    歌謡曲は大衆に寄り添うものですが、媚びるべきではないと主張します。
    プロの作家はプロらしい歌を作り、プロ歌手は素人の真似の出来ない歌唱で大衆を唸らせる。これこそが歌謡曲だといふのでせう。
    確かに、カラオケがすつかり定着した今では、演歌歌手も新曲を披露する時に「歌いやすいのでカラオケでぜひ歌つてください」などと訴へる。商売的にはその方が良いのでせうが...

    標を失ひ、迷走を続ける日本人への、辛口メッセージが詰まつてゐます。
    今は恵まれた世の中になつて、過去の歌謡曲が容易に聴けます。そのたびに、「歌謡曲よ、今君は何処にゐるのだ?」などと問ひたくなり、失つたものは多いなあと感ずるのでした。

    ...今夜も寝る時間になりました。ご無礼します。

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-93.html

  • <span style="color:#000000"><span style="font-size:medium;"> 朝から慌しくする。

     昼前から七尾市に向け出発。といっても、私は運転しない。助手席で寛ぎながら運んでもらう。クルマの運転は性に合わない。

     講演会。身につまされながらお聴きする。懇親会。少しだけ挨拶。楽しくいただく。

    <img src="http://yamano4455.img.jugem.jp/20080128_429611.jpg" width="112" height="160" alt="歌謡曲の時代" style="float:left;" class="pict" /> 「歌謡曲の時代」<br style="clear:both" />
     アルコールも入っていたので、家では、エッセイ風の本を手に取る。阿久悠の「歌謡曲の時代」。机の横にポンっという感じで置いてある。ちょっとした時に読む。同じ箇所も何度も読んだ。この人は作詞家として日本一有名で実績も残されているが、物書きとしてもきわめて優れた方だ。時流に対するエッセイ的なものは、少々説教臭くて、私は続けて読むことはできないが、ご自分が作詞した歌謡曲にまつわる形で語られる人生観、社会観は、胸を打つ。

     こんな記述があった。

     最近のある売れているグループの歌をテレビで聞きながら、書き取ったという。後で、歌詞カードで比較すると的中率は20%に満たなかった。これでは、歌詞として聞き手には伝わっていないのではないかとして上で、続く。

     「ぼくらは聞き取れなくては歌詞としての役目は果たさないし、意味が通じなくては知性や情感に訴えることは出来ないと考えていた。だから云々・・」

     言葉は、「知性」に訴えるだけではなく、「情感」に訴える力を持つものである。否、「情感」に響かなければ、それらは「知性」にまで昇華されることはないのであろう。だから、と私も続ける。母国語、私たち日本に住まいをする人間にとって、日本語は大切なのである。</span></span>>

  • 年末のテレビの音楽番組などでよく目にするのが、「今年のベスト○○」なんて特番。

    しかし、恥ずかしいことにほとんど知らない曲なのだ・・

    昔はヒット曲は誰でも知っていた。

    もちろんそれだけテレビに露出していたし、当時はレコードを買うことが当たり前だった。



    このエッセイ集は、阿久悠さんが過去に詩を書いた歌謡曲のそれぞれのエピソードが綴られている。

    目次を見るだけで、あらためてすごいと思った。ほとんど知っているのだ。



    中でも「へぇ〜」と思ったことをいくつか紹介する。

    ?山本リンダの「どうにもとまらない」は、元は「恋のカーニバル」というタイトルがついていた。

    ?ペドロ&カプリシャスの「五番街のマリーへ」は「ジョニィへの伝言」のアンサーソングである。

    ?ピンクレディーのヒット曲「モンスター」と「透明人間」の間には、本当は「百発百中」というシングルが予定されていた。

    ?「さらば地球よ・・」の「宇宙戦艦ヤマト」のアニメソングも阿久悠が作詞していた。

    ?西田敏行の大ヒット曲「もしもピアノが弾けたなら」は、別の曲のB面ソングだった。 等々



    作詞家の思いが込められた「歌謡曲」というジャンルは、現代音楽にはなじまないかもしれない。

    しかし、聞きながら何となく心がなごむのは、やはりこの頃の歌謡曲なんだよなあ・・ジジくさいかな・・。

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著者プロフィール

1937年兵庫県生まれ。明治大学文学部卒業。82年『殺人狂時代ユリエ』で横溝正史賞、97年菊池寛賞、99年紫綬褒章、2000年『詩小説』で島清恋愛文学賞、03年正論新風賞を受賞。2007年、逝去。

「2018年 『君の唇に色あせぬ言葉を』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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