号泣する準備はできていた (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
3.09
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本棚登録 : 10802
レビュー : 755
  • Amazon.co.jp ・本 (233ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101339221

作品紹介・あらすじ

私はたぶん泣きだすべきだったのだ。身も心もみちたりていた恋が終わり、淋しさのあまりねじ切れてしまいそうだったのだから-。濃密な恋がそこなわれていく悲しみを描く表題作のほか、17歳のほろ苦い初デートの思い出を綴った「じゃこじゃこのビスケット」など全12篇。号泣するほどの悲しみが不意におとずれても、きっと大丈夫、切り抜けられる…。そう囁いてくれる直木賞受賞短篇集。

感想・レビュー・書評

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  • 長い人生を生きていると、色んな瞬間に出会います。嬉しい瞬間、悲しい瞬間、そして憤りを抑えられない瞬間と、一日の中でさえ、私たちの感情は大きく揺れ動いていきます。

    『あー、幸福だ。ずーっとこのままならいいのに』

    という”瞬間”があれば、

    『もうゆめのようではなかった。かなしみだけがそこにはあった』

    と堕ちていく、そんなことの繰り返しが私たちの人生です。しかし、その”瞬間”、その”瞬間”に心が動かされることであっても、長い目で見てみると、それらは平板、平坦、そして平穏な日常の中に均されてしまいます。『この一年、ほんとうはいろいろなことがあった』と、色んなことが起こる私たちの日常は振り返ってみれば様々な事ごとの積み重ねの上に成り立っています。それは逆から見れば『この一年どうしてた、と訊かれても、簡潔にこたえることはできない。あるいは、こたえたくなんかない』というものでもあると思います。

    数多の小説はそんな人生の中で印象的な、何か大きな出来事があった”瞬間”を切り取っていきます。そこには起承転結のドラマが生まれ、『号泣する準備はできていた』読者に、止めどもない涙を流させるものも多々あります。しかし、小説は必ずしも涙を流すために読むものではありません。また、実際の人生というものはドラマティックな出来事だけが全てではありません。それよりも、日常の中のふとした”瞬間”の気持ち、そんな中にこそ、ハッとした思い、大切な思いが存在する、そういったこともあるのだと思います。

    この作品は『号泣する準備はできていた』読者に『号泣』はさせずに、人が人生の中で見せるあんな”瞬間”、こんな”瞬間”の感情を淡々と切り取って見せる物語です。

    『その夏、私は十七になったばかりだった』と過去を振り返るのは主人公の真由美。『七つ歳上の兄と四つ歳上の姉』が『大人の度肝を抜くようなこと』を『先にやってしまった』ので『残っているのはじゃこじゃこのビスケットみたいなものばかり』と思う真由美。『削ったココナッツだの砕いたアーモンドだの、干した果物のかけらだのが入ったビスケット』を母親がそのように呼ぶという真由美の家庭は兄も姉も家を出て行き三人暮らし。ただ、『家の中には、両親と私の他に、シナ』という『口も耳もひどく臭』う十五歳でよぼよぼの『メスのスコッチテリヤ』が飼われていました。一方『精肉店の息子で、小学校のときの同級生』である河村寛人と仲良くしてきた真由美は『ねえ、どこかに行こうよ』と『午後遅く、商店街の一角で彼の揚げるコロッケを買い、その場でかじりながら』誘います。『構わないけど、どこへ行くの?』と訊く寛人に『ドライブがいい。お父さんの車、借りられるんでしょう?』と返すも免許を持たない寛人は『無理だよ。免許のある人と一緒でなきゃ』と拒みます。寛人が『ときどき店のクルマを運転していた』ことを知っている真由美は『平気よ。アクセルを踏めば自動的に動いて、ブレーキを踏めば自動的に止るんでしょ』とけしかけます。『私は河村寛人に対してだけ、強気の物言いができた』という真由美。そして、『約束どおり午前八時に迎えに来てくれた』寛人。そんな真由美は『ドライブにシナを連れていくことを思いつ』きます。そして『磨き上げたみたいな、まぶしくて青い空』の下、ドライブへと出発した二人。しかし『エアコンがついていない』車内は『ともかく暑かったし、車の中は妙な匂いがした』という酷い状況。『コロッケを揚げているときみたいに汗ばんだ赤い顔をし』た寛人は『いまの標識はどういう意味かな』、『いまのパッシングかな』と『始終気に』する最悪の状況。一方の『シナは車に酔い、後部座席で二度吐』き、さらには『車内の温度はどんどん上がり』、お弁当の匂いが充満する車内。そんな最悪の状況の中、海へと到着した二人。そして、『目的地の海についた』という真由美がそこで感じた気持ちが描かれていくこの短編〈じゃこじゃこのビスケット〉。印象的なタイトルをかつての自身に重ね、そんな過去を大切に振り返る真由美の”なるほどね”という心持ちが上手く描かれた好編でした。

    220ページほどの文庫本の中に12もの短編が収録されたこの作品は、第130回直木賞を受賞しています。『短篇集、といっても様々なお菓子の詰め合わされた箱のようなものではなく、ひと袋のドロップという感じです』と語る江國香織さん。『色や味は違っていても、成分はおなじで、大きさもまるさもだいたいおなじ、という風なつもりです』と続ける江國さんの描く12の短編はまさしくこの言葉が表している通り、舞台設定や主人公の人となりは全くバラバラです。何編かをご紹介したいと思います。
    〈前進、もしくは前進のように思われるもの〉: 『学生時代に世話になったホームステイ先の娘が、夏休みを利用して日本に遊びに来る』という状況の中、母親が飼っていた『猫を捨ててしまった』と言い出した夫。『猫より人間の生活の方が大事だろう』と言う夫。モヤモヤした思いの中、空港へと娘を出迎えに行く主人公の前に予想外な人物が現れます。ポイントは、そのまさかの展開の瞬間に主人公が感じた気持ちです。
    〈熱帯夜〉: 『出会って三年、一緒に暮らし始めて一年』という二人。『私は秋美を、秋美は私を、たぶん自分以上に愛している』という二人。しかし『どんなに愛し合っていても、これ以上前に進むことはできない』、『私たち行き止まりにいる』と感じる二人はビールを飲みつつ、夜道を歩きます。『ずーっとこのままならいいのに』と思う二人。ポイントは、『行き止まり』を感じつつも『あー幸福だ』と感じながら夜道を歩く二人の今感じている気持ちです。
    〈溝〉: 『離婚の話は、きょうはまだなしよ』と念押しする妻は夫の実家へと二人で赴きます。『裕樹には悪いんだけど、私はあの人たちがほんとうに苦手なのよ』と言う妻は『あなたの家にいると、自分の居る場所がないように感じるの』と続けます。そして自宅へと帰ってきた二人。そんな中『私、きょうあなたに贈り物があるの』と言い、車のトランクから予想外のものを取り出します。まさかのその物体を茫然と見つめる夫。ポイントは、『誰かの抜け殻』に感じるその贈り物を見やる夫が感じる気持ちです。

    以上、さてさて流の抜き出し含め四編を簡単にご紹介させていただきましたが、それぞれ20ページ程度の短編ばかりであり、特徴としては、
    ・何も起こらない
    ・起承転結がない
    ・オチがない
    という点が共通しています。上記の紹介では一見オチがありそうにも思えますが、実際には極めて平板、平坦、そして平穏な描写が連続します。ブクログのレビューや他のサイトのレビューを見てもこの点で酷評されているものがとても多い印象を受けます。この原因は、
    ・興味をそそられるドラマティックなまでの書名
    ・直木賞受賞作という肩書き
    という点にあるのかなあと思います。実のところ私もこの書名を見て、涙、涙の結末が展開するドラマティックな作品かと思ったのが事実です。しかし、
    ・この作品では泣けません
    というのが実際です。正直なところ12の短編にはそういった要素は皆無です。なんともミスリードを招く書名と直木賞受賞作という変な期待感が先行するこの作品ですが、私は思った以上に、良い作品だと感じました。そう感じることができた理由は以下にあると思います。
    ・事前に様々なレビューを読みまくり、この作品の酷評点を叩き込んだ
    ・この作品を楽しむ”ポイント”を理解した上で、何がそれに当たるかを探究しながら読んだ
    という二点です。これからこの作品を読もうとされる方にはこの二点を意識されることをお勧めしたいと思います。最初の”酷評”に関しては、バッサリ!という感じで皆さんが書かれていらっしゃいますので、読む前に是非目を通されることをお勧めします。特にAmazonのレビューは辛辣です。また、この作品にはオチがないため、ネタバレという概念がありません。作品を楽しむためにも、積極的にすでに読まれた方のレビューに目を通しましょう。正直なところ、あまりのケチョンケチョンぶりに、そこまで酷評されるものかなあ、という印象を受け、逆に私の中では評価が上がってしまいました。特に『私は独身女のように自由で、既婚女のように孤独だ』とか、『でも私は赦されたことが赦せなかった』とか、そして『私の心臓はあのとき一部分はっきり死んだと思う。さびしさのあまりねじ切れて』と言った江國さんならではの巧みな表現が頻出するのも魅力です。そして後段は上記のご紹介で記した”ポイント”という部分です。この作品にはオチがありません。日常の中の一部分を、しかも、えっ、そんな何の変哲もない箇所を切り取るの?といった部分を切り取ります。しかし、私たちの日常というものもよくよく考えると、大々的にニュースになるようなことばかりではないと思います。連綿と続く人生の中で緩やかにアップダウンがある、それが私たちの日常です。しかし、人間はそんなある意味平板、平坦、そして平穏な日常の中でも様々な感情を抱きながら生きています。そんな感情の中には、その時ならではというものもあります。この作品はそういった”ある瞬間の感情”に焦点を当てるものです。上記したご紹介の中の”ポイント”がそれに当たります。オチを期待して読み進めるのではなく、登場人物の”ある瞬間の感情”を感じながら、味わいながら読み進める、それがこの作品の魅力を感じるために必要なことではないか、そのように思いました。江國さんがおっしゃる通り『色や味は違っていても、成分はおなじで、大きさもまるさもだいたいおなじ』という中で言わんとされるところがこれによって見えて来る、それがこの作品なんだ、そう考えれば唐突な結末の繰り返しにも納得がいく、そう感じました。

    この作品を『かつてあった物たちと、そのあともあり続けなければならない物たちの、短篇集』とおっしゃる江國さん。私たちは、長い人生を生きる中で、色んな経験をしながら歳を重ねていきます。そんな歳月は連続する”瞬間”の集まりです。逆に言えば、その”瞬間”、”瞬間”に何かを思い、何かを考えながら私たちは生きています。それらの大半は、実際には記憶の彼方に忘れ去られてしまうものも多いのだと思います。”ある瞬間”に大きな意味を持っていた事ごとも、長い時間の中では均されて平板、平坦、そして平穏な日常の中に埋もれていくからです。そんな中から12の”ある瞬間”に光を当てるこの作品。何も起こらない12の物語が故に、人生とは、と逆に考えてしまう、そんな作品でした。

  • 熱帯夜と表題作が特に好き。泣く時って、いつも不意に訪れる。きっかけはTVのCMだったりささいなことで、泣きながら自分が「号泣する準備は出来ていた」ことを知る。私は泣きたかったしそうするべきだったのだ、と涙を拭いながら気付く。

    準備なんかいらず、すぐに泣き出せるような性質なら良かったのに。街中で転んですぐ泣き出す子供を見るたび、羨ましく思う。

    この本に出てくる女性たちは行き止まりで途方に暮れているように見える。前には進めない、でももう後ろにも戻れない。

    恋にとんでもないところまで連れていかれた女たち。



    「泳ぐのに安全でも適切でもありません」とよくごっちゃになるのだけれど、どちらかというとあちらの方が好き。

  • H30.4.9 読了。

    ・読後感が霧の中のような感覚で終わるものが多い短編集だった。その中でも「住宅地」「手」「号泣する準備はできていた」は好きなほうかも。

  • 見慣れた日常の中で、当たり前にそばにあるものが静かに崩壊していく様を切り取った12編。

    あるとき突然に訪れる悲しみ。しかしその予兆はきっとどこかにあるはず。それを感じ取り、いつか悲しみがぶつかってくる用意を心のどこかで行っているのだと思う。
    この短編集を読んでそう思ったとき、著者の他の作品で出てきた「物事には準備する時間は与えられていない」という言葉が思い浮かんだ。全く対称的だが、どちらの言葉も正しいと思う。予期していながらも回避する事が出来ず、じわじわと悲しみが増していくのをただ眺めることしかできないのは、それはそれで辛い。せめてそれが少しでも早く癒えてくれるのを願うだけである。

  • 数年前の入院中、いちばんつらい時に読んだ初、江國本。
    入院前になんとなく中古本100円で購入した。

    最初は淡々としていてなんだコレ?って思ったけどあとからじわじわと効いてきて、それ以来時々読み返したくなるから不思議だ…。

    内容はちょっとしか覚えてないけど、落ち込んでいた時期に読んだので、自分の人生の節目と重なり…泣きはしなかったけど凹んだ。
    でもその反面互いに共鳴しているような気もした。自分で直感で買った意味はあるなと思った本でした。昔ハマッた森瑤子っぽい作風だな…と感じた。

  • さらさらと読める。そのときに私の心境にマッチしていたのか、全てがすっと入ってくる。
    全てを投げ出したくなったときでも読み進められる本。

  • 本の整理かねて、いくつか読んでみる。読後、しっくりこず、何を伝えたかったのか、わかるようなわからないような(私の読解力がたりないのか)、そういう余韻が残った。後で考えてしまうのがリアルで、裏が無いっていうか、それはいいとおもう。

  • 熱帯夜

    「だって、私たちは行き止まりにいるのよ」
    切ない。
    「どんなに愛し合っていても、これ以上前に進むことはできない。」
    自分たちが行き止まりにいるからと言って、時はどんどん流れていくし、人生はどんどん前へ進んでいく。
    人生は皮肉なものだ。
    「人生は恋愛の敵よ」
    どんな行き止まりにいたって、人生は進んでしまう。
    そこに時間が流れている限り。
    この物語はもうずっと、僕の記憶から離れないだろう。

  • 中学生で読んだ江國香織は意味が分からなかった。
    大学生になって読んだ江國香織は私の頭の中そのものだった。

    上手く言語化できない、わやわやしてもやもやしてぐんにゃりした不安感か高揚感のようなものが、日常には詰まっている。そんな日常的な頭の中の物語を文章にしたのがこの人のこの短編だとおもう。少なくとも私にとってはそういう小説である。

    いちばん好きなのは熱帯夜。ゆらゆらしてはいても幸せの話であることと、ビアンの話であることが理由。ああ、こういう幸福感に苛まれていたい。

  • この短編集はワインが合うな、と思った。
    直感です。

    人の人生を垣間見た感じで、
    この人の過去は?これからどうなる?を自由に楽しめる、
    人間臭くて、別にオシャレでも、気取ってもいない登場人物たちの話だったなと思いました。

    自由とは、それ以上失うもののない孤独な状態のことだ。というフレーズが好きでした。

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著者プロフィール

一九六四年東京都生まれ。著書に『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』(山本周五郎賞)、『号泣する準備はできていた』(直木賞)、『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』(谷崎潤一郎賞)などがある。

「2020年 『改訂増補新版 エドワード・ゴーリーの世界』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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