- Amazon.co.jp ・本 (494ページ)
- / ISBN・EAN: 9784101342030
作品紹介・あらすじ
源平戦乱の余燼さめやらぬ鎌倉初期、京都の摂関家・藤原基房の娘伊子を母に、村上源氏の流れを汲む名門家の歌人・久我通具を父に生まれた道元は、瞳が二重の「重瞳の子」のため天下人か大聖人になるとの予言を受ける。幼少のうちに母を失い世の無常を身に染みて感じた道元は、真実の道を求めて出家。建仁寺で栄西の弟子・明全に師事したが、正法を求める思い止み難く宋へと向かった。仏教の革命者の全生涯を描いた初の大河小説。第三十五回泉鏡花文学賞・第五回親鸞賞。
感想・レビュー・書評
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道元禅師の生い立ち、人生をざっと知りたくて。
読み応えあってよかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
まずは上巻。宇治市の木幡に知人がいるので、とても親しみ深く読んでおりました。
あと、鎌倉仏教に関連する読み物だと、重源の名前が存外出てきまする。 -
道元誕生から修行時代、宋へ渡り修行を始めていくところまでが書かれています。
難しいところもあり、読みにくいところもありますが、道元の軌跡がわかります。 -
道元禅師の出生から、入宋まで。
立松和平の渾身作には違いないのだが、この小説は読者を選ぶ。どうやら私との相性はあまり良くないらしく、どうもストーリーに入り込めない。 -
曹洞宗の開祖・道元の生涯を書いた力作。
仏教の教えは本当に難しくて、読んでいると、知らない言葉がたくさん出てきます。都度、仏教用語の事典で調べますが、それでも分かったような分からないような。
俗世の垢に塗れた僕ですから。道元の説法を隅から隅まで理解できていないのが正直なところです。ただ、鎌倉の時代、武士の台頭と度重なる天災とで、政情も世の中も激しく乱れ、不安の中にあって、只管打座(ただひたすらに座禅をすること)を説いた道元の教えは、今からほんの700年~800年前の日本人の多くの心を救ったに違いありません。遠くて近い昔の日本の、そして日本人の姿・有様が眼前に見えてくるようでした。
一番好きな場面は、執権・北条時頼との対話。渡宋し、正師・如浄の教えを受け、永平寺を開いた道元が請われて赴いた鎌倉の地。時頼が己の迷妄を断つため、道元に鎌倉の寺の住持になるように依頼します。しかし、時の権力者と交わるなかれとする道元は、毅然とこれを断ります。
「私には永平寺という寺があります。静かな山の中の小さな寺は、まことに修行に適しております。それ以上のものは、望みませぬ」
その場に居合わせた鎌倉武士たちに緊張が走ります。執権・時頼の申し出を拒否するなど、恐れ多くて、できるはずがないことだからです。ですが、道元は平然と断ったのです。
「それでは、自分の心を救う道はいかに」と問う時頼。それに対して道元ははっきりと答えます。
「捨てるのです」
「あなたの持てるものすべてを捨てるのです。地位を捨て、名誉を捨て、家を捨てるのです」
執権の職を降りることなどできるはずがないと時頼は強い口調で反論します。それに対して、道元はなおも説きます。
「仏土にあらざる王土なし。国が乱れるのは、仏の御心にかなっていないからです。長い歴史の中では、幾つもの国が生まれ消えていったではありませぬか。たとえ北条といったところで、そのひとつに過ぎませぬ。仏の御心にかなわない限り、国が栄えることはないのです」
執権を降りることはできない。それは鎌倉幕府をつぶすも同然である。時頼は怒気を含んで話します。そして、再び、鎌倉の地で寺の住持をしないかと道元に持ち掛けます。しかし、道元は即答します。
「お断りいたします」
天下の執権の命を聞かないのならば仕方がない、生かしてはおけぬ、と時頼は刀を抜きます。それでも道元はますます心静かです。座禅をする道元の姿はまさに悟りの境地を得た者の有様です。
そのとき、時頼は初めて、刀を前にされても動じない道元の姿に深い畏敬の念を抱くのです。今すぐに執権の座を降りることはできない、それでもいつかはすべてを捨てるときが来るだろう、と時頼。
道元は言います。
「水の流れゆくように、御心まかせになさいませ。発心はやむにやまれぬものでなくてはなりません。たとえ今はできなくとも、その御心がある限り、遠からずあなたはまことの発心を得て、身も心も自在の境地に至るでしょう」
時頼は道元に深々と頭を下げるのです。涙を流しながら、道元に感謝の意を表したのです。
…道元という難しいテーマを9年掛かりで書き上げた立松和平さん。よくぞここまで書き上げられたものと、僕も立松和平さんに深い敬意を表します。素晴らしい作品です。 -
興味ある人物だ。
この本を読んだ後、永平寺に行こう。