デンデラ (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (446ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101345536

作品紹介・あらすじ

斎藤カユは見知らぬ場所で目醒めた。姥捨ての風習に従い、雪深い『お山』から極楽浄土へ旅立つつもりだったのだが。そこはデンデラ。『村』に棄てられた五十人以上の女により、三十年の歳月をかけて秘かに作りあげられた共同体だった。やがて老婆たちは、猛り狂った巨大な雌羆との対決を迫られる-。生と死が絡み合い、螺旋を描く。あなたが未だ見たことのないアナザーワールド。

感想・レビュー・書評

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  • 70歳で小娘扱いの婆シスターフッド熊バトル小説。好きです。これを映画化しよう……8割方、熊と闘っていよう。。
    デンデラ創立者の、村への復讐に燃えるメイちゃん(唯一の年齢三桁)を筆頭にタフな婆様がたくさん。口調が丁寧語(ホノちゃん)・ほぼ現代語(マルちゃん)・男前(この2人以外)なので、百合目線が一切無い学園ものみたいに思えてきます。「私」「お前」「貴様」「貴女」だからな…でも婆らしく体力が無かったりするので混乱してくる。
    やっぱりマサリちゃんとヒカリちゃん格好良いなぁ。映画版もこのふたりが好きでした。眼帯倍賞美津子さまウットリ。
    ソウちゃんが檻の中のカユちゃんと話しに来るシーンとか、イツルちゃんとキュウちゃんが道で言い合ってた後の展開でホノちゃんへの「殺してやる!」とか、ちょいちょい良いシーン挟んできてグッときます。良いシーンか?
    カユちゃん70年間ものを考えずに生きてきてて周りにびっくりされてて本人もびっくりしてたけど、これがあるのでちょっと達観してるのかなと思ったりしました。人とか獣とかそういう垣根すらなく思考していく…最期には人を超えていく。
    本当に、これを映像化しましょう。2時間じゃ足りないしグロいし女優さんたちを熊と闘わせるの危ないから、アニメで良いからさ。これ羆っぽいので尚更大きくて危ない。
    「やはり、私がいなければ駄目だったな」…ヒカリちゃん。。
    登場人物たちをちゃん呼びしても全く違和感ない。

    そうした怠慢をつづけていては下品な恥知らずになってしまうと斎藤カユは思っていました。生者が面白くないという理由だけで死者について考えるのは逃避だと、それでは下品な恥知らずと同じことをしていると思い至りまして、自分自身への失望を高めるのでした。
    …等々、この調子の地の文も好きでした。

  • クマもの好きとしては気になってた本ですが、なんとなく佐藤友哉さんの本て、とっつきにくそうで敬遠してました。
    読んでみたらこれはとても読みやすかったです。
    姥捨山に羆をプラスさせるなんてなかなか。
    出てくるのはみんな老婆ばかりなのですが、私の脳内ではどうしても若い女性に変換されてました。
    「羆嵐」を事前に読んでおいた方がおもしろさがより際立つと思います。

  • フルネームで呼び合うところが気になりはじめたらもうダメだ

  • バトル・ロワイアルぽい…
    いやーな話。
    読み終わったあとも、読んでる間も、どんよりした気分になります。
    生きるのも死ぬのも、辛くて怖いことが沢山、というやりきれなさが終始。

  • 婆さん版「蝿の王」のような話が、少年探偵団シリーズにおける江戸川乱歩調の語りで進んでいく、そんな話だった。
    間違っても「おばあちゃん」ではなく、「婆さん」もしくは「婆あ」と呼ぶのがふさわしいモノノケじみた女たちの物語は、たやすい感情移入を許さず、おぞましい感じもあり、決して読んでいて気持ちのいいものではない。
    でも不思議と続きが気になって、読みはじめるとあっという間だった。他人にオススメするのは難しいが。。。

  • ふむ

  • 逃げるのか?留まるのか?諦めるのか?抗うのか?
    そう、戦わなければ、明日はない。

    五十人の老婆が、コミュニティを形成する現在の姥捨て山「デンデラ」
    ある者は自分を捨てた村を恨み、ある者は生き永らえたことを喜び、ある者は穏やかな死を願う。様々な感情が渦巻く隠れ里は、一匹の巨大羆の襲来により、修羅場と化した。
    ---------
    姥捨てと羆の来襲。題材としては面白そうだと思ったが、その設定が生かしきれなかった。文体がそぐわない。
    また、老婆の名前がいちいち羅列されるのもどうかと思った。

  • 終始、登場人物をおばあちゃんに脳内再生するのがむつかしかった。

    というのも、おばあちゃんってこんなに動けるものかな?という疑問が最後までぬぐえなかった。

    粗末な食事で睡眠もまともに取れず、こんなに日々動けるものか?

    場面のリアリティがあるだけに違和感が常にある状態だった。

    ラストも、想像させるやり方で終了、主人公生き残らないパターンか。

  • せっかくの秀逸な設定が台無し。熊と戦うんじゃなくて、村や男社会と戦ってほしかった。 村のイヤな爺さんを拉致してきて目を潰して働かせるといったような、ムラへの復讐を描けば面白くなるのに。
    文体もまるで小中学生のように稚拙で、重ね重ねせっかくの設定がもったいない。

  • 姥捨て山に捨てられたはずの老婆達が生き残り、集まり、一つの共同体を作る。閉鎖された世界、派閥と微妙に異なる主義主張となかなか面白い世界観。唯月裕子「最後の証人」今回はトリック気づけた。ラストの持って行き方が良かった。そこでこの人出すのね!って感じで。

  • 姥捨て山のその後という話。「地獄絵図」という言葉だけでは足りないような、凄まじい世界。 しぶとく生きる、呆気なく死ぬ、その両方がいる。熊が強い。

  • 書割の上を動く書割の登場人物たち。筆者も書割であることを隠すことなく、「これは書割です」と開き直っている節がある。その徹底ぶりは称賛に値するし、物語もまずまず面白い。人物造形は幾分物足りないが、書割を批判できるほど今の私たちは厚みある存在でもあるまい。
    解説によれば、深沢七郎の『楢山節考』と吉村昭『羆嵐』にインスパイアを受けているらしい。佐藤友哉のツイッターで今村昌平監督の「楢山節考」を観たときの顛末が語られている。

  • 2011-4-23

  • 古い小説かと思ったら、案外と新しかったのでちょっとビックリでした。姥捨て山と熊嵐の合体したような設定でしたが、面白かったです。

  • 再読。
    荒唐無稽な内容で読む人をかなり選びそうなこの作品、自分は結構好き。デンデラの老婆たちの老いてなおギラギラ燃えたぎる凄まじい生命力やぶつかり合う各々の死生観に、自分の中に眠っていた生きる本能のような熱い何かが呼び起こされる。羆との生存競争だけでなく、デンデラの過去の秘密に迫っていくミステリー性も意外な醍醐味。
    定めた大目標に向かって走り続ける70歳のカユの姿もさる事ながら「誇りとは自分で勝ち取るもの」そう言い切る100歳もカッコよくて仕方ない。

  • 解説にもあるけど、どうにも女子学園?モノのよう。
    昔の山奥ながら訛りはなく、肉体を酷使しているにしてはハツラツな老人たち。
    女性だらけを強調する割には、女だなと実感出来る基準はゼロ。
    異様だしリアリティはないしのん気だし。
    けどそれもあえてならば、自分には楽しめる余地がなかったよう。

  • 図書館で。
    読み始めて楢山節考のその後かな、と思いそのうち昔ジャンプで連載してた流れ星銀とかいう犬と熊が戦う話みたいだと思いました。あまりにアリエナイ感がありすぎて逆にギャグ?とか思ってしまいました…

    それにしてもばあちゃん達タフ過ぎるだろ(笑)片腕切断されてあのバイタリティはありえない(笑)ここまで動けるおばあちゃんたちを追いだす村って…よっぽど労働力が余っているのか?働かせろよ、老人を!熊と戦えて一昼夜山をすきっ腹で行軍できる体力あるんだぞ?(笑)
    食中毒であれだけ動けるのもスゴイ(笑)大体、嘔吐って普通血じゃなくて消化物とか消化液が先だろうし、嘔吐と下痢してる人はあんなに動き回れないと思うんだけど。それで脱水症で死に至ると思うんだけどなぁ。この作者さん、あまり怪我とか病気とかしたことない人なんじゃなかろうか?
    クマもスゴイ。一撃で人の首が切断されるってクマの爪は刀なのか?(笑) 確かに動物は利口だけどヒトと同じような知恵ではないんだと思うんだけどな。

    というわけでコレはファンタジーなんだろうなぁなんて思いながら読み終えました。村に対する恨みも、男性に対する憎しみもなんだかうすぼんやりしているし、クマとの対決もなんでいきなり?という気がしないでもないし、食中毒の辺りはいきなりミステリ調だし…なんか突拍子もない話だな、と思いながらもオチは気になるので駆け足で読み終えた、というか。
    個人的にはクマを出すならコミュニティのもめごとはナシにするとか、内輪もめの話ならそれをメインにするとか絞ればよかったんじゃなかろうかと思ったり。

    小説だからこそ、ここぞという所のリアリティがないととペラッペラになるよなぁという良い例のような。
    まあ、何言ってもなって感じの作品でした。

  • ユ、ユリ羆嵐。
    AKB48より過酷な生存競争DDR50!サドンデス!……サドんdeath。

  • あらすじは、解説で法月綸太郎が一行にまとめている通り。

    ”五十人の老婆が羆と戦い、どんどん死んでいく話である。”

    この小説について何かを言うなら「老婆軍団vs羆」の面白さを一番に挙げたい。
    無惨な光景が少なくないので、面白いと言ってしまうのは躊躇がありますが、それでも言う。なにこの面白さは。
    貧相な木槍や少しの知恵を武器にしていく老婆達のたくましさがすごい。戦い方、死に方にも本当に人それぞれ。
    羆視点も交えていて、この獣の野性と知性がいっそう怖い。
    淡々とした叙述なのに、手に汗を握るスリルに追い立てられ、寝食を惜しんでしまうほどでした。

    そしてまた、文学としての読み応え。
    斉藤カユは、七十年間、何事にも疑問を抱かずただ受け容れて生きてきた。山に捨てられて極楽浄土に行くことも信じ切っていたのに、思いがけずデンデラに拾われてしまう。
    デンデラは、カユに迫ります。おまえは何をしたいのか、どうありたいのか、どう生きて死にたいのか。
    じっと対峙するカユは、思考に慣れていないので、ひとつひとつ指さしながらのように考えていきます。時に自身に嘘をついていないことを確認して安心するようなカユの姿は、ほとんど青春文学でした。
    その果てにカユが手に入れた答えに、是非は私にまだ分からないけれど、とことん胸を衝かれました。あのラストシーンは心に焼き付いて離れない。

    これだけに限らない貌を持つ多面体であることが、解説を読むとさらに理解できて、面白かったです。

  • 姥捨山に放置され死を待つのみだった老婆達が生き延び独自のコミュニティを形成する奇妙な話。『楢山節考』の様な命の尊厳について問うた厳しい話かと思いきや、とんでもないおとぼけサバイバルエンタメ小説だった。とても老婆とは思えぬ精神力と体力を持った山ガール達50人が飢えた羆と対峙する展開は笑わずにいられない。違和感溢れる台詞回しやです・ます調が緊迫感を退屈なものにしてしまったのが残念。ネタ的には面白い作品。素材はいいけど料理の仕方が…といった感じ。

  • 110519

  • 「村」には掟がある。
    70歳を迎えた老人は山に捨てられるが、そこで死ねば極楽浄土へ行ける。

    それを信じた斉藤カユは、しかし、同じく捨てられた老婆たちの集落「デンデラ」に保護される。最初は反発するカユだが、熊の襲撃、謎の疫病と戦ううちに生きる気力を取り戻していく。

    出てくるのは皆70歳を過ぎた老婆たちです。それだけでも新鮮な感じがするんですが、彼女たちの生への執念には脱帽する思いでした。

  • 童話調の地の文で、進む姥捨て山の共同体の話。
    主人公は死を受け入れていたが、姥捨て山の老婆だけの隠れ里に拾われる。主人公は隠れ里に疑問を持ちながら、里の方針、熊の襲撃、病気の蔓延に翻弄されつつ、終わったはずの人生の目標を考え直す。最後には、死を受け入れ熊を倒すため、命を懸けて熊を村に誘導する。
    童話調な感じや無茶な設定で、ファンタジー感が強い。

  • 最初から最後まで面白かったな〜
    ですます調で書かれてるのもよかったし、
    登場人物全員が70歳オーバーなのを考えると
    セリフ読みながら笑えた。
    AKBぽくて笑えるし
    終わり方もかなり好み。

  • パニックホラーかと思いきや、純文学?!

    この極限状態でも、老婆達のやり取りは知的で哲学的。

    禅問答のような会話が舞台シナリオのよう。
    熊の描写は吉村昭氏や熊谷達也氏のほうがリアルかも。


    生きるとは 死ぬとは?を 人生の先輩に問いたくなったらどうぞ!その代わり 熊もいます。

  • 私には合わなかった。読むのが苦痛で途中飛ばし読みしてやっと読了。

  • 設定が怖い。
    山に捨てられた老婆たちが自分の村をつくり、
    その村が熊に襲われる。

    救いがない。

    そして登場人物が多すぎる。

    こんなに、必要だったのかな。

    疑問が残ります。

  • 圧倒的な世界観。

    主人公のカユがお婆ちゃんなのはわかってるのに、頭にはなぜか若く美しい姿が浮かぶ。

    ヤバイ。
    この作品、ヤバイ。

  • カユの生きてきた村では男も女も70になったらお山参りをし、極楽浄土へ行く。カユが待ち望んだお山参りの番がきた。雪山で極楽浄土へ召されるのを白装束一枚で寒さと飢えに耐えながらひたすら祈る。しかし、目が覚めると死んでおらず、デンデラにいた。
    死にかけていたところをデンデラに拾われたのだ。
    デンデラには過去にお山へ行ったはずの老婆ばかり50人。聞けば、30年間もこうやってお山参りで倒れた老婆を拾い続け、集落をなしていた。

    カユは極楽浄土に行きたかった、つまりは死にたかった。しかし死ぬことを邪魔された。死にたい、極楽浄土へ行きたい、だがお山参りをし損なった以上極楽浄土への道は絶たれた。生きるしかない。村以上に貧しいデンデラで生きることは辛いことしかない、そうまでして生きるのに、生きたいのか、何をしたいのか、カユには本心が無い、大目標が無い。何もない。

    それぞれの老婆の大目標、やがてカユも大目標を見つける。
    とにかく面白かった。

  • 年寄りを山に捨てる習慣のある村で,70歳になって捨てられた斉藤カユ(藤原竜也ポジション)がめざめた場所は,捨てられた老婆たちが作ったデンデラだった。
    やがて老婆たちは,村を襲う熊と対決する。

    これはサバイバルものだろうか,ブラックユーモアなのだろうか,もしくは第二の人生で自分探しに目覚めた乙女(70)の話だろうか。
    老婆と熊しか出てこないのに話が成り立つ奇跡の作品。

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著者プロフィール

1952年北海道釧路市生まれ。
1974年に北海道教育大学札幌分校特設美術課程卒業(美学・美術史専攻)。1976年に北海道教育庁北海道新美術館建設準備室の学芸員、翌年には北海道立近代美術館学芸員となる。1985年北海道立旭川美術館学芸課長。1990年からは北海道立近代美術館に戻り、2004年同館学芸副館長。2012年から2022年まで札幌芸術の森美術館館長を務める。この間、それぞれの美術館で数多くの北海道ゆかりの作家の個展や現代美術展を企画開催。
現在、AICA国際美術評論家連盟会員、北海道芸術学会会員、北海道美術館学芸員研究協議会会員。また旭川市中原悌二郎賞、札幌市本郷新記念札幌彫刻賞、ニセコ町有島武郎青少年公募絵画展、北海道陶芸展などの審査員を務める。

「2023年 『北の美術の箱舟』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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